内藤陽介 Yosuke NAITO
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 シベリア抑留、銃殺刑判決を確認
2018-04-10 Tue 11:06
 第二次世界大戦後のシベリア抑留で、旧日本軍将兵ら114人がスパイ罪などで銃殺刑の判決を受けていたことが、富田武・成蹊大名誉教授の調査により、ロシアの公文書で確認されました。日本人抑留者の銃殺刑については、これまで、帰還者らの証言はありましたが、公文書で明らかになったのは初めてだそうです。というわけで、きょうは、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      シベリア抑留葉書1A3

 これは、第二次大戦後、ソ連によってシベリアに連行され、強制労働に従事させられていた日本人抑留者が差し出した葉書で、裏面の書き込みによると、1946年10月26日に差し出され、同年11月10日にウラジオストクを経由し、日本到着後、12月4日にGHQの検閲を受け、埼玉県の宛先まで届けられています。

 いわゆるシベリア抑留者と日本との通信に使われた専用往復葉書(捕虜郵便用の料金無料葉書)は、大きく4つのタイプに分けられますが、このうち、赤十字・赤新月が入ってたタイプⅠと呼ばれるものは、字体がローマン体のAとゴシック体のBの2タイプに分けられ、さらに、表題2行目冒頭の“Й”の文字の位置により細分されます。今回ご紹介の葉書は“Й”が1行目の“О”の右下にあるタイプⅠA3と呼ばれるものです。

 さて、1945年8月9日、ソ連は、日ソ中立条約を一方的に破棄し、満洲北朝鮮、千島、樺太に侵攻。捕虜となった旧日本兵に対して、ソ連側は「トウキョウ、ダモイ」すなわち東京へ帰還(ダモイ)させると甘言を弄して彼らをシベリア鉄道の貨物列車に詰め込み、東はカムチャッカ半島のペトロパブロフスクから西はウクライナのクタイス、北は北極圏のノリリスクから南は中央アジア・ウズベキスタンのタシュケントやフェルガナまで、およそ2000ヵ所にも及ぶ収容所へと移送しました。戦争が終わり、これで帰国できると信じていた旧日本兵の心理を逆手にとって、国家ぐるみで騙したのです。

 収容所では、十分な食糧も与えられないまま重労働を課せられ、過重なノルマを達成できなければ容赦なく食事を減らされました。また、医療・衛生環境もきわめて不十分でしたから、過酷な自然環境とあわせて、多くの犠牲者が出るのも当然でした。厚生労働省が把握しているだけでも約56万1000人の日本人が抑留され、6万人が亡くなったといわれています。

 また、ソ連当局による洗脳工作と恣意的な反ソ分子の摘発と拷問、密告の奨励など、抑留者たちは、肉体だけでなく、精神的にもきわめて過酷な環境に置かれ続けました。

 ソ連があらゆる国際法規を無視して(たとえば、対日参戦に際してソ連が署名していたポツダム宣言には、連合国の捕虜となった日本兵を本国へ早期帰還させることがはっきりと規定されています)日本人を抑留し、強制労働を課したのは、ドイツとの戦争で荒廃しきった自国の経済復興のため、奴隷同然の安価な労働力が必要だったためです。

 ソ連当局が“捕虜”に対して各自の家族に通信することを許可すると発表したのは、終戦後1年以上が経過した1946年9月のことで、同年10月20日付で、日本人抑留者に対して本国への通信を認めた「日本人軍事捕虜と日本、満洲、朝鮮に居住するその家族との交信規定についての訓令施行に関するソ連邦内務省指令第00939号」を発し、抑留者と祖国との通信が始まりました。ただし、これは抑留者全員に許可されたわけではなく、ソ連側の基準で“(労働などの)成績の良好な者”に限られていたといわれています。
 
 また、ソ連側の検閲基準では、反ソヴィエト的ないしは親ファシスト的と彼らが判断した内容の記述がある葉書は没収されたほか、①各収容所や特設病院、労働大隊に収容されているその他の軍事捕虜についての記述、②各収容所や特設病院、労働大隊に滞在時に病死したか事故死した軍事捕虜についての情報、③各収容所や特設病院、労働大隊、軍事捕虜が働いている企業の配置場所、④軍事捕虜が遂行している労働の性格、などを日本宛の葉書に書くことは「絶対に禁止」されており、必要に応じて“問題個所”を検閲担当者が抹消した後、日本宛に送られました。今回ご紹介の葉書も、下に示すように、文面の一部が検閲によって塗りつぶされています。

      シベリア抑留葉書1A3裏

 抑留者たちが書いた葉書は、内務省沿海地方本部検閲課を経由してウラジオストクから日本宛に発送されましたが、収容所の所在地などを葉書に記載することは禁じられていたため、1949年まではウラジオストク郵便局の、1950年代以降はバロフスク郵便局の私書箱が、差出人の住所として記載されています。

 なお、シベリア抑留者の郵便については、拙著『ハバロフスク』でもその概要をまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 
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