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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 スプートニクとガガーリンの闇(7)
2018-04-24 Tue 05:38
 ご報告が遅くなりましたが、先月25日、『本のメルマガ』第676号が配信されました。僕の連載「スプートニクとガガーリンの闇」は、前回に続き、スプートニク1号および2号を題材に、国際地球観測年の期間中に東側諸国で発行された切手を紹介していますが、今回は東ドイツについて取り上げました。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      東独・1957年11月7日FDC

 これは、1957年11月7日、同日発行の“国際地球観測年(スプートニク打ち上げ)”とロシア革命40周年の記念切手を混貼した初日カバーです。一般に、同日発行の異なる記念切手が同居している初日カバーは歓迎されないのですが、今回は、スプートニク1号の打ち上げ成功を祝う記念切手が、ロシア革命記念日に発行されたことを示すため、こうしたマテリアルを持ってきました。

 今回ご紹介の切手が発行された1957年当時、東ドイツの実権を握っていたのはドイツ社会主義統一党(共産党)中央委員会書記長、ヴァルター・ウルブリヒトでした。

 ウルブリヒトは、1893年6月30日、ライプチヒの仕立屋の家に生まれました。両親はともにドイツ社会民主党(SPD)の熱心な活動家で、小学校を卒業したヴァルター少年も親の活動を手伝わされています。門前の小僧よろしく左翼少年として成長した彼は、第一次大戦が勃発すると兵士として召集されましたが、戦争反対を唱えて1917年に脱走。あっけなく捕まって投獄されましたが、1918年のドイツ革命の混乱に乗じて出獄しました。

 第一次大戦後のウルブリヒトは、穏健左翼の社会民主党を生ぬるく感じたのか、1920年にドイツ共産党に入党。モスクワにわたって共産主義者としての修業を積み、帰国後は、ザクセンの州議会議員を経て国会議員に当選します。

 当時のドイツでは、ナチスの突撃隊や共産党員の民兵組織が各地で暴力事件を起こしていましたが、共産党は1931年に警察が共産党のデモ隊員を1人殺すごとに報復として警官を2人殺すことを決定。現職の国会議員だったウルブリヒト本人も、共産党幹部の仲間と共謀して警官の殺害計画をたてて、部下の党員に実行させています。

 1933年にナチスが政権を獲得すると、ナチスは共産党員の追放を開始し、当時のドイツ共産党のトップ、エルンスト・テールマンも逮捕されました。また、残りの有力党員たちもソ連に呼び出されて粛清されたため、消去法でウルブリヒトがドイツ共産党の指導者に祭り上げられることになります。とはいえ、ナチスが共産党員を追放しなくても、殺人事件の首謀者であったウルブリヒトがドイツ国内にいづらくなるのは当然で、彼は1945年まで各地を転々として亡命生活を余儀なくされました。

 1941年、独ソ戦が勃発すると、ウルブリヒトはソ連のプロパガンダ文書をドイツ語に訳して宣伝放送を行なったり、ドイツ人捕虜への尋問や洗脳活動を行ったりするなど、積極的に祖国ドイツを裏切ってソ連に忠誠を尽くします。

 第二次大戦出の敗戦後、ドイツは米英仏ソの4国によって分割占領され、東西冷戦の進行に伴い、西側地区と東側地区の分断が進みました。その結果、1949年9月、西側地区でドイツ連邦共和国(西ドイツ)が発足すると、これに対抗して、東側地区では、同年10月7日、ドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立。ソ連の“忠犬”ウルブリヒトは、この間、ソ連軍占領下のドイツに派遣されてかの地のソヴィエト体制化に奔走し、その功績により、東ドイツ国家が正式に発足すると、ドイツ社会主義統一党(共産党)の中央委員会書記長(後に第一書記)に就任しました。

 東ドイツの国家指導者となった彼は、スターリンに倣った秘密警察網を全土にはりめぐらしたうえで、1952年7月の党大会で“階級闘争の強化”を宣言し、農場集団化や工場・建設労働者のノルマを10.3%増やすなど、強引な社会主義化政策に乗り出します。東西ドイツはいずれもドイツ人国家であるから、東ドイツが西ドイツに対してレゾンデートルを主張するためには、社会主義の体制とイデオロギーを堅持し続ける必要があったためです。

 当然のことながら、こうした政策は一般の東ドイツ国民の猛反発にあい、1953年3月4日にスターリンが亡くなると、その権力の空白をついて、同年6月17日、東ベルリンで大規模な暴動が発生。これに対して、ウルブリヒトはソ連に“保護”を求め、ソ連の武力介入によりデモ隊を容赦なく鎮圧しました。

 そうしたウルブリヒト政権にとって、ソ連による宇宙空間の独占は、(彼らのレゾンデートルたる)社会主義の優越を世界に示し、東西冷戦の最前線を担う自国の体制を支えるための心強い援軍として受け止められていたことは間違いありません。

 1957-58年の国際地球観測年に際して、東ドイツは3種の記念切手を発行したが、そのうちの人工衛星を描く10ペニヒ切手は、スプートニク1号の打ち上げ成功を寿ぐものとして(スプートニク1号打ち上げの日付が入っている)、今回ご紹介の初日カバーが示すように、11月7日のロシア10月革命40周年の日にあわせて発行された。

 これに対して、残りの2種は、1958年2月5日に発行されています。おそらく、こちらが国際地球観測年の記念切手として企画していたところ、スプートニク1号の打ち上げ成功を受けて、急遽、10ペニヒ切手を制作・発行したのが実情でしょう。

 スプートニク1号の打ち上げからわずか1ヵ月の間に記念切手を準備し、発行することは、まさに、ウルブリヒト政権によるソ連への忠誠心の発露でした。

 なお、ウルブリヒトは、1961年にはベルリンの壁を作ったり、1968年にチェコスロヴァキアで起こった民主化運動“プラハの春”に際してワルシャワ条約機構軍の軍事介入を強く支持したりするなど、その後も、政治的にはスターリン主義の優等生であり続けようとしました。

 その一方で、経済政策に関しては、資本主義的な要素も一部取り入れようとしたため、1960年代後半からホーネッカーらと対立。この権力闘争は、結局、ブレジネフのソ連が支持したホーネッカーの勝利に終わり、1971年、事実上の引退を迫られています。まさに、“忠犬”の哀れな末路といったところでしょうか。


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