内藤陽介 Yosuke NAITO
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 憲法記念日
2018-05-03 Thu 10:28
 きょう(3日)は“憲法記念日”です。というわけで、世界の憲法関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・1940年憲法

 これは、キューバで1940年憲法の公布に際して使用された記念印です。

 スペイン植民地時代のキューバには植民地独自の憲法はありませんでしたが、1868年に始まる第一次独立戦争の過程で、1869年、独立派がガイマロ憲法を制定。これが、キューバ最初の憲法となります。

 その後、1878年のパラグア憲法、第二次独立戦争時のヒマグアユ憲法(1895年)、ラ・ヤヤ憲法(1897年)などが制定されましたが、これらは、独立戦争の過程で作られてこともあって、体系的な憲法というよりも、独立宣言という性格の強いものでした。

 1898年の米西戦争で、スペインはキューバの領有権を放棄し、キューバに新政権が樹立するまでは米軍がキューバを占領することになります。これを受けて、米国の“指導”の下、キューバ制憲議会が招集され、米国はキューバに対して、①キューバの独立が脅かされたり、米国人の生命・財産が危険にさらされたりした場合には米国は介入できる、②キューバは(米国以外の)外国から資金を借りてはいけない、③キューバ政府は(米国以外の)外国に軍事基地を提供したりしてはいけない、③キューバ政府は米軍事基地を提供する義務を負う(この結果、設置されたのが、現在も存在するグアンタナモ米軍基地です)、など8項目からなる付帯事項(プラット修正条項)を強要。これを容れたうえで、人民主権・三権分立・国民の生活向上を謳った1901年憲法が採択され、1902年5月、キューバ共和国が発足します。

 1924年の大統領選挙で当選したヘラルド・マチャド・イ・モラレスは、軍部の支持を背景に、政権に批判的なメディアや活動家を弾圧。1927年には憲法を改正して大統領の(連続)再選禁止規定は撤廃し、独裁者として君臨しましたが、1929年10月に世界恐慌が発生し、キューバ経済が壊滅的な打撃を受けると、大規模な反マチャド運動が発生。1933年8月、マチャドはバハマの首都、ナッソーに亡命しました。

 マチャドの亡命後、臨時政府の大統領にはカルロス・マヌエル・デ・セスペデスが就任しましたが、9月4日にはフルヘンシオ・バティスタ・イ・サルディバル軍曹を首謀者とする下士官がハバナ市内、コロンビア兵営で叛乱を起こし、軍の実権を掌握。バティスタらは、軍の旧首脳部の報復に対抗するため、左派系の学生幹部会と手を組み、“キューバ革命連合”を結成し、ハバナ大学教授のラモン・グラウ・サン・マルティンを首班とする新政権が誕生しました。

 その後、キューバ国内では、左翼勢力の“赤軍”、政府軍バティスタ派、将校団(政府軍内の反バティスタ派)の三つ巴の闘いが展開されましたが、最終的に米国の支持を得たバティスタ派が勝利をおさめ、1934年1月19日、バティスタの支援を受けたカルロス・メンディエタ・イ・モンテフール(独立戦争の英雄で、国民党の重鎮として、かつて大統領選挙でマチャドと戦ったこともある)を臨時大統領とする“国民統一政府”が発足します。

 以後、バティスタは政権の陰の実力者として暗躍し、短期間で政権が目まぐるしく交替する時期が続きましたが、それでも、政治犯の釈放(1937年)、共産党の合法化、土地分配法の制定(1938年)などのリベラルな政策も行われ、砂糖および煙草産業の国家管理や社会保障政策も導入されました。

 そうした流れの中で、1939年には憲法制定議会が招集され、国家主権の確立、全国民の平等(=人種・性・階級による差別の禁止)、大統領の再選禁止、普通選挙、大地主制度(=米系砂糖会社による土地の独占)の廃止、土地所有限度の設定(=大地主制度の廃止)などを定め、当時のラテンアメリカでは最も民主的といわれた1940年憲法が施行されます。今回ご紹介の記念印は、これにあわせて使用されたものです。

 ただし、事実上、米国の植民地だったキューバでは、1940年憲法に規定された大地主制度の廃止は行われず、政府要人や官僚は権力の乱用と汚職による不正蓄財に狂奔していました。さらに、1952年3月10日、大統領選挙に立候補したものの苦戦が続いていたバティスタが軍事クーデターを決行し、力ずくで大統領に就任すると、1940年憲法は事実上反故にされてしまいます。

 これに対して、1952年の議会選挙にオルトドクソ党から立候補した青年弁護士のフィデル・カストロは、クーデターによる選挙の無効に憤慨し、バティスタを憲法裁判所に告発。しかし、裁判所はこれを握り潰し、既成政党もクーデターを結果的に容認してしまいました。そこで、1953年7月26日、カストロは、バティスタ政権の打倒を掲げて、モンカダ兵営襲撃事件を起こしました。

 事件後、カストロは裁判で、革命達成の暁に実施すべき政策として、①1940年憲法の復活、②土地改革(小作人下の土地分与、有償による土地接収)、③労働者の企業利益への参加、④小作人の収益参加率の50%への引き上げ、⑤不正取得資産の返還、の5項目を掲げます。以後、1940年憲法の復活は、反バティスタ派の共通の目標となりました。
 
 1959年1月、バティスタ政権は崩壊し、カストロの革命が成功すると、同年2月7日、革命政府は1940年憲法を修正するキューバ共和国基本法を制定しました。その際、新憲法制定のための議会が早急に開催の予定とされていましたが、実際には、2月7日付で国民議会が解散された後、1976年まで選挙は実施されず、“革命的立法”によって政策が実施されていくことになります。こうして、事情はどうあれ、革命キューバは議会制民主主義国家ではなくなりました。

 なお、キューバでの憲法と名のつく法律の復活は、1975年のキューバ共産党第1回大会を経て、1976年2月のことでした。1976年憲法は、1992年の修正で「キューバを社会主義国家と定義(第1条)」、2002年の修正で「社会主義体制は不可侵(変更不可能)」とする条項が追加されているほか、第5条ではキューバ共産党(PCC)のみを合法政党としています。

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