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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ゴラン高原の切手
2018-05-11 Fri 11:35
 イスラエル軍は、きのう(10日)未明、シリア・ゴラン高原にあるイスラエル入植地にイラン革命防衛隊がロケット弾20発を撃ち込んだと発表。、その報復として、70発以上のミサイルで、シリアにあるイランの軍事施設を攻撃し、両国の直接対決の懸念が高まっています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・ゴラン高原(1983)

 これは、1983年にイスラエルが発行した“ゴラン高原の入植地”の切手です。

 ゴラン(アラビア語でジャウラン)高原は、シリア南西端の丘陵地帯で、西はヨルダン川とガリラヤ湖、北はヘルモン山、東はヤルムーク川の支流アルルカド・ワディ、南はヤルムーク川に囲まれており、ヨルダン渓谷上流地帯を見通す位置にあります。

 年平均降水量500-800ミリと雨にも恵まれていることもあり、古くから肥沃な土地として知られ、聖書に登場する“ゴラン”の町は、現在のゴラン高原西側のハウラーン地方と考えられています。

 1967年の第三次中東戦争以前、ゴラン高原の大半は、行政上、シリアのクネイトラ県の領域で、一部が同ダルア県に属しており、推定人口は15万人で、スンナ派アラブを中心に、ドルーズ派、アラウィー派、チェルケス人(もとはコーカサス北東部に生活していたムスリムで、19世紀にロシアの圧迫を逃れ、オスマン帝国領に移住した人々の子孫)などが生活していました。

 1967年の第3次中東戦争でイスラエルはゴラン高原を占領。これに対して、1973年の第四次中東戦争では、当初、シリア軍がゴラン高原の一部を奪還したものの、最終的に、イスラエルの反撃でイスラエルが再占領しました。

 その後、1974年5月31日 米国の仲介で、シリアとイスラエルの間の兵力引き離し合意が成立(6月6日に実行)し、中心都市だったクネイトラを含む一部の地域がシリアに返還されましたが、それ以外の地域については、イスラエルは占領を継続。新しい入植地を建設したうえで、1981年、ゴラン高原の併合を宣言しました。今回ご紹介の切手も、こうした事情を踏まえて、ゴラン高原が自国領であることを示すため、イスラエルが発行したものです。ただし、イスラエルによるゴラン高原の併合宣言については、シリアと国連はこれを認めていません。


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