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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 第一次中東戦争70年
2018-05-15 Tue 01:34
 1948年5月15日に第一次中東戦争が勃発してから、きょう(15日)で、ちょうど70年です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました、(画像はクリックで拡大されます)

     ヨルダン・アラブの土地パレスチナを救え標語

 これは、第一次中東戦争中の1949年1月、トランスヨルダン(当時)の首都、アンマンからロンドン宛の郵便物で、“アラブの土地、パレスチナを守れ”とのスローガン印が押されています。また、国王アブドゥッラーの肖像切手のほか、強制貼付切手として、イブラヒーム・モスクを描く3および5ミリーム切手、岩のドームを描く10および15ミリーム切手が貼られています。

 1948年5月14日、英国による委任統治の期限が切れるタイミングに合わせて、ユダヤ国民評議会はユダヤ人国家イスラエルの独立を宣言。これに対して、イスラエルの建国を認めない周辺のアラブ諸国(エジプト、トランスヨルダン、レバノン、シリア、イラク)は、即日、イスラエルに宣戦を布告し、イスラエルとアラブ諸国との第一次中東戦争が勃発しました。

 開戦当時、アラブ側は兵員・装備ともにイスラエルを圧倒しており、緒戦の戦局はアラブ側有利で推移します。特に、トランスヨルダンの精鋭部隊、アラブ軍団は、イラク軍とともに“岩のドーム”があるエルサレム旧市街(東エルサレム)を含むヨルダ川西岸地区を占領。終戦までこの地を保持しました。一方、エジプト軍は、5月15日、隣接するガザ地区を占領し、自国領に編入しています。これに対して、20世紀以降に建設された新市街を中心とする西エルサレムはイスラエルが占領。エルサレムは東西に分割されることになりました。

 エルサレム旧市街を占領したトランスヨルダンは、もともと、第一次大戦後の旧オスマン帝国領の分割の過程で、1921年、英国がヨルダン川東岸地域に委任統治領として設定しました。トランスヨルダンという名は“ヨルダン川の向こう”という意味ですが、英国を基準に見ればヨルダン川東岸を意味しています。

 1946年、トランスヨルダンは英国から独立しますが、この時点では、ヨルダン川西岸は同国の領土ではありませんでした。ところが、1947年5月31日、トランスヨルダンが発行した“強制貼付切手”には、ヨルダン川西岸、英国委任統治下にあったパレスチナ域内の風景も取り上げられています。今回ご紹介のカバーに貼られている切手の岩のドームと、イブラーヒーム・モスクは、いずれも、第一次中東戦争が勃発すると、トランスヨルダンの管理下に置かれました。

 そもそも、第一次中東戦争に参戦したアラブ諸国の大義名分は、ユダヤ人国家イスラエルの建国を阻止し、パレスチナを解放することとされていました。今回ご紹介のカバーのスローガン印が“アラブの土地、パレスチナを守れ”となっているのも、そうした事情によるものです。

 しかし、現実には、ガザ地区を占領したエジプトと同様、ヨルダン川西岸を占領したトランスヨルダンは、混乱に乗じ、パレスチナの犠牲の上に自国の権益を拡大しようという意図をもって参戦していました。

 トランスヨルダンが、いつから英国撤退後のパレスチナ(の一部)を占領しようと企図していたかは定かではありませんが、結果的に、こうした切手が郵便物に貼られ、人々の間を流通している間に、そうした方針が固められ、戦争の勃発と同時にそれが実行に移されたことになります。

 そうした背景の下、今回ご紹介のカバーにある「アラブの土地、パレスチナを守れ」というスローガンは、自国の領土拡張の戦争にトランスヨルダンの国民を動員するうえで、一定以上の説得力を持っていましたし、戦争の結果として、パレスチナに独自のアラブ国家が建国されなければ、トランスヨルダンが“同胞のために”パレスチナの占領地を管理するのは正当な行為であるというロジックも導き出されることになるわけです。その意味では、トランスヨルダンの強制貼付切手は第一次中東戦争の前兆になっていたとみなすことも可能かもしれません。

 さて、第一次中東戦争は、緒戦のうちこそ旧パレスチナの一部を占領するなどアラブ諸国が優勢でしたが、その優位は長くは続きませんでした。開戦後まもない5月22日には、国連安保理がパレスチナ問題を議題として取り上げ、パレスチナ全域での軍事行動の即時停止の呼びかけを決議。これを受けて、国連の仲介により、6月11日から7月8日までの4週間にわたり、第一次休戦が両軍の間で合意されました。

 イスラエルは、この休戦期間を最大限に利用し、5月28日に創設されたイスラエル国防軍を中心に態勢を建て直していきます。これに対して、アラブ側では、休戦期間中、各国の路線対立から指導部内の不協和音が表面化し始め、特に、パレスチナ地域の自国への併合をめざすトランスヨルダンに対しては、他のアラブ諸国からも大きな不満の声があがっていました。

 当然、イスラエルはこうしたアラブ側の足並みの乱れに乗じて緒戦での失地回復を目指して攻勢を展開。10月16日には、シナイ半島のネゲブ砂漠でエジプト軍への総攻撃を開始し、緒戦の失地を回復したばかりか、国境を越えてエジプト領内に侵攻しました。

 イスラエルが英委任統治時代の旧パレスチナの領域をも越えてしまったことで、エジプトを実質的な支配下においていた英国は深刻な危機感を抱き、1949年1月1日、イスラエル駐在の米国大使を通じて、「イスラエル軍がエジプト領内から撤退しない場合、英国は1936年の英国=エジプト条約に基づいてエジプト軍を支援する」と通告。イスラエル軍にシナイ半島からの撤収を強く要求ました。

 このため、イスラエルも戦争終結に向けて譲歩の姿勢を示すようになり、1949年2月23日、エジプトがイスラエルとの休戦条約を調印したのを皮切りに、3月23日にはレバノンが、4月3日にはトランスヨルダンが、7月20日にはシリアが、それぞれ、休戦条約を調印。これら各国とイスラエルとの停戦ラインが事実上の“国境”となりました。

 エルサレムに関しては、すでに述べたように、旧市街を含む東エルサレムはトランスヨルダンの支配下に置かれ、20世紀以降に建設された新市街の広がる西エルサレムがイスラエルの領土となります。

 休戦に先立ち、1948年12月1日、トランスヨルダンの占領下に置かれていたヨルダン川西岸地区では、現地の親ヨルダン派のパレスチナ人指導者が死海北西岸のイェリコでパレスチナ・アラブ評議会を開催し、トランスヨルダン国王アブドゥッラーを“全パレスチナ人の王”とし、同国王に対して西岸地区のトランスヨルダンへの併合を要請する決議を採択。これを受けて、同月13日、トランスヨルダン議会はイェリコでの評議会の決議を全会一致で承認。西岸地区の併合に向けて着々と準備を進めていきました。

 そのうえで、イスラエルとの休戦協定成立後の1949年6月、トランスヨルダンはヨルダン川西岸地区と東エルサレムを併合し、新国家“ヨルダン・ハシミテ王国”の建国を宣言した。ヨルダン川の両岸を領有したことに伴い、“川の向こう側(東側)”を意味する“トランス”が削除されたわけで、これが現在のヨルダン国家となります。

 しかし、パレスチナ人の中には、ヨルダンへの併合を潔しとしない者も少なくなかったうえ、戦争を通じて一人大幅に版図を拡大したヨルダンに対して周辺アラブ諸国は大いに反発。1951年7月20日、国王アブドゥッラーはエルサレムのアクサー・モスクで金曜礼拝の最中に暗殺され、息子のタラールが第二代国王として即位しました。

 いずれにせよ、第一次中東戦争の結末は、その契機となった1947年11月の国連決議第181号と比べて、パレスチナのアラブに対して、はるかに大きな犠牲を強いるものとなりました。

 すなわち、国連決議ではパレスチナを分割し、アラブ国家とユダヤ国家を創設することになっていましたが、アラブ国家は実際には創設されず、イスラエルのみが成立した。また、エルサレムを国連の信託統治下に置くというプランも、東西エルサレムがイスラエルとヨルダンによって分割されることにより、実現されないままに終っています。

 その後、アラブとイスラエルの“中東戦争”は第四次まで起こっていますが、そもそもアラブ諸国の側も、彼らが掲げていた“パレスチナ解放”の大義を当初から踏みにじっていたことを見逃してはなりますまい。

 なお、このあたりの事情については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。 


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