内藤陽介 Yosuke NAITO
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 アラブの都市の物語:ハイファ
2006-09-16 Sat 01:41
 NHKのアラビア語会話のテキスト10・11月号が出来上がってきました。僕の連載「切手に見るアラブの都市物語」では、今回は、レバノンとの国境に近いイスラエルの都市、ハイファを取り上げました。

17世紀のハイファ

 イスラエル北部、レバノンとの国境にも近いハイファは、旧約聖書にも登場するカルメル山のふもとにある港町です。地名の由来は判然としませんが、キリスト教徒の間では、イエスの時代にエルサレムの大祭司であったカヤパの名前が訛ったものという説が広く信じられているようです。

 今回ご紹介している切手(画像はクリックで拡大されます)は、1980年にハイファで開催されたイスラエルの全国切手展を記念して発行されたもので、17世紀のハイファ沖から見たカルメル山を描いたエッチングが取り上げられています。絵の主題が“カルメル山”ということもあるのでしょうが、ふもとの市街地は、建物もまばらな田舎町という感じに描かれています。

 ひなびた港町であったハイファは、18世紀以降、港町としての開発が進み、オスマン帝国の支配下でパレスチナ最大の貿易港に成長しました。

 第一次大戦後、オスマン帝国が解体され、パレスチナがイギリスの委任統治領となると、ハイファには連日、入植を希望するユダヤ系移民が上陸。次第にユダヤ系が人口の多数を占めるようになっていきました。

 1948年5月14日、イスラエルの独立宣言が発せられますが、それに先立つアラブとユダヤの内戦の過程で、同年4月23日、ハイファはユダヤ側5000の兵力で征圧され、約8万人のアラブ系住民が脱出を余儀なくされました。パレスチナを代表する作家ガッサーン・カナファーニーの小説『ハイファに戻って』は、1948年の内戦でハイファを脱出した夫婦が、第3次中東戦争でイスラエルがアラブに完勝した後の1968年、20年ぶりに一時帰郷が許されて自宅に戻ると、そこには、残された赤ん坊を20年育てた夫婦と育てられた青年がいたという物語で、故郷を追われたパレスチナ人の苦悩が活写されています。

 先のレバノン紛争では、イスラエル側がヒズボラの拠点を攻撃したことの報復として、ヒズボラ側はハイファを攻撃したことが記憶に新しいところですが、今回の「切手に見るアラブの都市の物語」では、古代から現在にいたるまでのハイファの歴史を切手を通じて概観してみました。ご興味をお持ちの方は、是非、ご覧いただけると幸いです。
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