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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 マチュ・ピチュ行き鉄道で追突事故
2018-08-02 Thu 01:28
 おととい(7月31日・現地時間)、ペルーのクスコ近郊から世界遺産のマチュ・ピチュ遺跡に向かっていた列車が別の列車に追突し、外国人観光客ら30人以上がケガをしました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ペルー・マチュピチュ発見75年

 これは、1986年にペルーが発行した“マチュ・ピチュ発見75周年”の記念切手で、遺跡の全景が取り上げられています。

 マチュ・ピチュは、ケチュア語で“年老いた”の意味で、もともと、“年若い峰”を意味するワイナ・ピチュへと連なる標高2795メートルの尾根のことです。遺跡は、山裾からはその存在を確認できないことから“空中都市”とも呼ばれており、建設された年代は石段の組み方などから1450年頃、皇帝パチャクテクの時代に離宮や宗教施設として建設されたと考えられています。また、人が住んでいたのはそれからおよそ一世紀の間だったと推定されています。インカ帝国の滅亡後は、ながらく忘れられた存在となっていましたが、1911年7月24日、米国の探検家ハイラム・ビンガムによって発見され、その存在が世界的に知られるようになりました。

 革命家チェ・ゲバラは、ブエノスアイレス大学医学部在学中の1952年3月、友人のアルベルト・グラナードとともに南米大陸を縦断している過程で、クスコとマチュ・ピチュに立ち寄り、大いに感動したことを日記に書き記しています。アルゼンチンの白人上流社会出身のゲバラにとって、ペルーは「スペイン人による征服以前の時代の思い出が滲み出ている」場所として、“ラテンアメリカ”を意識する契機となり、翌1953年9月にマチュ・ピチュを再訪した際には、「南アメリカの人民よ、過去を再征服せよ」とその感動を記しています。

 また、ゲバラは、青年期の2度の南米大陸縦断の旅からキューバでのゲリラ戦争を経てボリビアで非業の死を遂げるまで、その日記が世界記憶遺産に登録されるほどの名文家として知られていますが、その文筆家としての社会的デビューは、1953年11月、雑誌『シエテ』に寄稿したマチュ・ピチュについての文章でした。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、このあたりの事情についても詳しくまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 

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