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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ロンボクで大規模地震
2018-08-06 Mon 10:13
 きのう(5日)、インドネシアのロンボク島でマグニチュード6.9の大規模な地震が発生。国家災害対策庁の報道官は、けさの時点で、82人が死亡、数百人が負傷したと発表しました。また、この地震により、隣接するバリ島でも被害が発生しています。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      タマン・マユラ絵葉書・絵面

      タマン・マユラ実物

 これは、1904年8月、オランダ領東インドからオランダ宛に送られた絵葉書、ロンボク島マタラムの中心部にある旧王宮、タマン・マユラの入口が取り上げられています。ついでなので、2012年にロンボクを訪れた際、ほぼ同じ構図で撮影した写真も貼っておきました。ちなみに、絵葉書の裏面はこんな感じです。

      タマン・マユラ絵葉書・裏面

 もともと、ロンボク島にはササク人が住んでいましたが、17世紀に入ると、島の西部はバリ人の、東部はスラウェシ(セレベス)のマカッサル人の支配下に入り、18世紀中ごろまでにはバリ人がマカッサル人を駆逐して全島を支配するようになりました。

 マタラムの中心部に残るタマン・マユラは、こうした状況の下で、1744年、バリに割拠していた8王朝のひとつ、カラガスン王朝のチャクラヌガラ王が建造したもので、“マユラ”は孔雀の意味です。これは、かつての宮殿の敷地内に、スマトラの王から贈られた孔雀が闊歩していたことに由来します。また、人口の湖に浮かぶ正殿は王側の会議場や裁判所として用いられており、その構造から“水の宮殿”とも呼ばれています。

 ロンボク西部はバリに隣接していることもあって、バリとの交流も盛んだったことから、バリ人の支配者とササク人は比較的良好な関係にありましたが、東部ではバリ人に対する反感が根強く、しばしば反バリ人の反乱も起きていました。

 こうした背景の下、1891年、バリ島内での抗争の余波で、ロンボクのバリ人支配者であったアナック・アグン・グデ・ヌグラ・カランガスンがササク人に対して数千人の兵士を提供するよう求めたところ、ロンボク東部で反バリの反乱が発生。このため、バリのカランガスン王朝はロンボクに1万を超える大軍を送り込み、バリ人とササク人の間で激しい戦闘が行われました。

 ロンボクでの反乱が起きる以前から、オランダはバリ島への進出を加速させており、すでに、1846年には、前年(1845年)に島内のブレレン王とカランガスン王が同盟を結んでオランダに対決する姿勢を見せたため、難破船の引き上げを口実に、バリ北部に軍隊を上陸させ、ブレレンとジュンブラナを制圧。その後もバリを攻撃し、1849年、バリ北部を制圧しシンガラジャに植民地政庁を設置するなど、バリの植民地化を進めていました。ちなみに、オランダがバリ島を完全に制圧したのは、1908年のことで、それまで、バリ側はオランダに対して抵抗を続けています。

 こうした背景を踏まえて、1894年2月、ロンボクのササク人はバリ人と戦うため、“敵の敵”であるオランダに支援を要請。これを受けて、バリ以東への進出を進めていたオランダはササク人を支援してバリ人を制圧することを決定し、シンガポールからバリへの武器の輸入をストップさせました。

 しかし、武器の禁輸措置は徹底されず、マタラムのバリ人はオランダの降伏勧告を受け入れなかったため、1894年7月、オランダはマタラムに出兵。オランダ=ササク連合軍に対して、マタラムのバリ人は激しく抵抗し、8月25日に行われたタマン・マユラの攻防戦では、連合軍側に500名を超える戦死者が生じ、P.P.H.ファン・ハム将軍も捕えられて処刑されました。

 その後、オランダ軍はいったん撤退し、兵員・装備を増強したうえで11月にマタラムを再攻撃。同月末までにバリ人勢力を殲滅し、ロンボク全島を制圧して、オランダ領東インドに編入しました。

 ちなみに、タマン・マユラ正殿の入口には、もともと、獅子とヒンドゥーの神像、大砲が左右に配置されていましたが、オランダによる占領後、バリ人の再度の抵抗を恐れたオランダ側によって撤去されてしまいました。このため、今回ご紹介の絵葉書の写真では大砲は見えません。しかし、独立後に本来の姿に復元されたため、2012年の写真では奥の方に大砲が見えます。次いでですので、下に大砲と神像の部分を撮影した写真を貼っておきます。

      タマン・マユラ大砲

 ロンボク島といえば、僕にとっては、日本占領時代に太陽加刷切手が発行された場所として現地を訪ね、そのいきさつを拙著『蘭印戦跡紀行』の一章としてまとめたことがあり、思い出深い場所です。それだけに、先月29日に続いて、1週間で2度の大規模地震が発生しているのは非常に気がかりです。亡くなられた方の御冥福と、負傷された方の一日も早い御快癒、そして、一日も早い被災地の復興を心よりお祈りしております。

 
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