2006-09-23 Sat 00:42
昨日(22日)午前10時少し前にアクセス・カウンターの数字が10万を超えました。
昨年6月、友人から勧められて恐る恐る始めたこのブログですが、毎日、予想外に沢山の方々に遊びに来ていただいていることが励みになって、何とか続けてこられました。この場を借りて、あらためて日頃のご厚情にお礼申し上げます。 そういうわけで、今日は今月26日に刊行の新作『満洲切手』(角川選書)の中から、10がらみの1枚としてこんなものを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます) ![]() これは、1942年3月1日、満洲国の建国10周年に発行された記念切手のうちの10分(1角)切手で、満洲国の理念として掲げられていた“王道楽土”を意味する“王”の文字の中に満洲国の地形図が描かれています。 この切手の地図は、いわゆる平面的なものではなく、地形がわかるように俯瞰的なデザインになっているのが特徴で、興安嶺山脈と長白山脈のほか、黒龍江、海拉爾河、哈爾浜河、松花江、牡丹江、ウスーリ江、遼河、鴨緑江、豆満江などの主要河川を確認することができます。 満洲国が建国以来の10年間に発行した記念切手は14件ありますが、このうち半数の7件で切手のデザインとして地図が取り上げられていますから、切手に地図が登場する頻度はかなり高いといってよいでしょう。 メディアとしての切手を通じて、満洲国という国家が現実に存在しているという事実を広くアピールするためには、満洲国ならではの題材を取り上げて周知宣伝する必要があります。とはいえ、満洲国内の文化遺産や伝統的な風俗習慣などは、満洲国と中国ないしはモンゴルの差別化を図るうえで必ずしも最適な題材とはなりにくいのが現実です。さりとて、建国から間もない満洲国には独自のランドマークは決して多くありませんでした。こういう状況では、とりあえず、“満洲国”の表現として、地図を取り上げるということが手堅い選択であったと理解するのが妥当なのでしょう。 満洲国の建国10周年に関しては、今回ご紹介の切手をはじめ、日満両国が記念切手を発行しているほか、日中戦争下の日本軍占領地域でも記念切手が発行されています。また、各種の特印や葉書なども入れると、関連するマテリアルはかなりな種類にのぼります。 9月26日に角川選書の1冊として刊行の拙著『満洲切手』では、そうした建国10周年関連のさまざまなマテリアルから、当時の満洲社会の諸相を多角的に読み解いてみました。刊行の暁には、是非、お読みいただけると幸いです。 スポンサーサイト
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#339 水系図
満洲切手に地図切手が多いということを再認識させていただきました。満洲国を流れる河川名をこの地図切手の中から読みとり詳しく書かれた内藤さんには敬服いたしました。私のブログでも水系図というテーマでいくつか紹介したのですが,例えばスウェーデンは東へ,ネパールは南へと水系が流れるのとちがって,この満洲国では,北へ(アムール川水系),南へ(黄海へ流れ込む)と両方向への水系があることがわかる地図切手ということになりますね。
内藤さんの「満洲切手」、早く現物を手にしたいものです。
ところで、満洲切手は当時の日本切手と同等以上のクォリティを持っているように思います。今日紹介された切手は、黄色い紙に赤一色で印刷、図案も面白く、なかなかの佳品ですね。 これらの切手は、大蔵省印刷局(戦前も同名称?)で製造されたのでしょうか?それとも、満洲国の印刷工場で製造されたのでしょうか?「満洲切手」に書いてありそうですが。(笑) #343 コメントありがとうございます。
皆様、コメントありがとうございます。
・mapstampfan様 お褒めいただき恐縮です。とりあえず、それぞれの河川名を特定するのに地図帳と首っ引きで作業をしていましたので、水系のことにまで頭が回らなかったというのが正直なところです。 ・おやじ様 >> 満洲切手は当時の日本切手と同等以上のクォリティを持っているように思います 同感です。 なお、満洲切手の製造所はいろいろとパターンがあるのですが、この切手の場合は、日本人がデザインし、凹版の原版彫刻を日本の印刷局でやって、実際の印刷を満洲国の印刷廠でやっています。印刷が綺麗な割に、オフセンターの切手が多いのはそのためのなのかな、となんとなく思っています。 |
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