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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 おかげさまで200万PV
2018-12-28 Fri 16:28
 おかげさまで、本日(28日)午後、カウンターが200万PVを超えました。いつも、閲覧していただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。というわけで、“200”に絡んで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      龍200文

 これは、明治4年3月1日(西暦1871年4月20日)に発行された日本最初の切手、龍文切手のうちの200文切手です。

 日本最初の切手のデザインとして、向かい合う二匹の龍が採用されたことの理由については、しばしば「裏糊を舐めたり、消印で汚したりする切手のようなものに天皇の肖像を印刷するのは畏れ多いので、天子の象徴である龍を取り上げた」と説明されていますが、これは、全く根拠のない俗説です。

 そもそも、日本最初の切手には裏糊はついていません。したがって、天皇の肖像が印刷された紙の裏糊を舐めるから不敬であるというロジックは、当時の日本人の間では発想としてありえません。

 次に、消印で汚されるから天皇の肖像を取り上げなかったという説明ですが、こちらについても、(その後の切手についてはともかく)明治4年の切手に関しては、妥当なものとは言えません。

 実は、近代郵便の創業と切手の発行を企画した際、駅逓権正(政府の通信等を担当していた駅逓司の責任者)の前島密は切手の再使用を防ぐ手立てとして、切手に消印を押すという方法があることを知りませんでした。このため、彼は、切手の用紙を破れやすい薄手の和唐紙とすることで、切手を封筒から剥がそうとすれば破れてしまうようにして再使用を防げばよいと考えていました。

 もともと、大蔵官僚として租税権正(現代風に言えば主税局長といったところか。駅逓権正は兼任)であった前島は、政府が飛脚業者に支払っている通信費が莫大なものであることを知り、コスト削減の方策として、欧米諸国に倣って、政府が通信事業を行い、民間の利用者からも料金を徴収するのがよいと考え、明治3年6月2日、郵便創業に関する建議を民部・大蔵両省の会議に諮りました。

 ところが、郵便創業の建議を提出して間もない6月24日、前島は上司にあたる大蔵大丞・上野影範の特別弁務官として、英国へ派遣されることになります。その際、横浜を出航した米国船ジャパン号の船中で、前島は初めて、西洋では切手には消印を押しているということを知ったため、急遽、自分の留守を預かって駅逓権正となった杉浦譲に手紙を出し、明治3年11月、ようやく、郵便創業の暁には、切手の再使用を防ぐため、消印(抹消印)を押すということが規則として定められました。この時、すでに日本最初の切手の制作作業は具体的に動き出しています。

 それでも、明治4年3月1日に郵便サービスが実際に始められた際、現場の郵便局(当時の名称は“郵便役所”)では、切手に消印を押すということが実感として理解できなかったようで、消印を押さない事例が少なからずありました。

 じっさい、開業から6日目の3月6日に、東京郵便役所は「駅々より差立候書状之内賃銭切手に検査済之印押無分も有之、不都合ニ付、自今手落無之様可被取扱(各地で差し出された書状に貼られた切手には“検査済”の印を押していないものが見受けられる。これは不都合なので、今後はミスのないよう、取り扱うように)」との通達を出して、消印の押印漏れのないよう戒めています。

 このことは、切手に天皇の肖像が印刷されていようがいまいが、そもそも、郵便創業時には、切手に消印を押すということが一般に徹底されていなかったことを意味しています。

 したがって、当時の大多数の国民の間には、消印で汚されるから不敬という発想が生じる余地はなく、日本最初の切手に龍が採用されたことの理由を、そうした観点から説明するのは無理があります。

 さて、明治3年6月2日、郵便創業の建議を民部・大蔵両省の会議に諮るにあたって、前島は100文・200文・500文の3種の切手を発行することもあわせて提案しました。このとき、彼が提案した切手のデザインは龍ではなく、梅花模様で、これは、慶應3年、徳川昭武(慶喜の弟)の随員としてパリの万国博覧会に参加した渋沢栄一がフランスから持ち帰った不足料切手を元にしたものといわれています。

 実際に切手を発行するための技術者としては、明治2年7月に、民部省札や太政官札の製造を命じられて京都から上京していた、2代目玄々堂・松田敦朝(玄々堂)に白羽の矢が立てられました。

 松田敦朝は、京都の銅板業者、初代玄々堂・松本保居の長男で、細密な刻線を特徴とした微塵銅版に関しては、当代一流の名手と言われていましたが、彼の得意としていた銅板印刷は、版面をすべて手で彫刻するもので、フランス切手の背景に用いられていた連続的な模様を機械で彫刻することは想定外でした。また、欧米では当たり前のものであった凸版や石版の技術も、当時は日本にもたらされていませんでした。

 このため、、前島からフランスの切手を見せられた松田は「精巧なのに驚いて、迚も出来ません」と切手の製造を辞退したものの、前島はなんとか松田を説得し、切手の製造を請け負わせています。

 一方、英国出張中の前島に代わって、留守を預かった杉浦は、明治3年9月24日、前島のプランに50文切手を追加して切手発行の計画をまとめました。この計画案は、11月28日の大蔵省議を経て正式に決定となり、大蔵省出納寮から松田宛に切手の製造が発注されました。このとき、発注された切手の枚数は、50文切手8万枚、100文切手14万枚、200文切手14万枚、500文切手7万枚の、計43万枚です。さらに、年が明けて明治4年1月25日には、各額面同数ずつの追加発注が行われました。

 こうして、松田の玄々堂は、明治4年3月1日の郵便創業に間に合わせるべく、86万枚もの切手の原版彫刻とその印刷作業を完了。明治3年2月中には開業予定の東海道筋65ヶ所の郵便役所・取扱所に配給され、開業1週間前の2月24日から発売が開始されました。

 当時の技術水準で、このような突貫作業をこなすためには、新たにオリジナルのデザインを作り、原版の彫刻を行うのは物理的に考えて非現実的です。

 そこで、微妙な表情の人物の肖像や、前島の提案していた梅花模様を切手のデザインとして採用するというプランは放棄され、太政官札や民部省札で松田が彫りなれていた龍のデザインが採用されることになったと考えるのが妥当でしょう。実際、太政官札や民部省札に描かれている龍の姿は、明治4年に発行された切手の龍と酷似していることが一目瞭然です。(下は太政官札)

      太政官札

 また、前島の提案した梅花模様の案は偽造防止の観点から不採用になったとの記録もありますが、松田の作った太政官札も多数の偽札が作られ、政府当局を悩ませていたことを忘れてはなりません。偽造が横行していたにもかかわらず、あえて、それと同様の龍のデザインが切手にも採用されたということは、やはり、郵便創業を明治4年3月1日に間に合わせることを最優先したからで、デザイン上の諸問題は副次的な事柄とみなされていたことがうかがえます。

 最後に、切手であれ、紙幣であれ、“龍”が採用されたのは、龍が天子の象徴であったためとする説明についても考察しておきましょう。

 中国大陸の伝統では龍の姿は帝王を象徴するものとされ、その姿は、宮殿、玉座、皇帝の衣服、器物などに描かれていました。これに対して、古代の日本では、中国から伝えられた“龍”は、四神の白虎、朱雀、玄武とともに、まず青龍が重要視され、都城の守護神として位置づけられていました。平安時代以降、仏教が全国民的な規模で広まると、仏法の龍神が尊重されるようになり、龍は武具や寺院建築、仏具の装飾を飾るキャラクターとして定着していきますが、中国のように“聖獣”視されることはほとんどありませんでした。

 ちなみに、龍神のルーツとなったのは、インド神話における蛇神ないしは水神のナーガです。ナーガは、天気を制御する力を持ち、怒ると旱魃に、なだめられると雨を降らすとされており、釈迦が生誕した際には清浄な水を潅いだほか、成道後、嵐に遭った釈迦の身を覆って守護したとのエピソードがあります。こうしたこともあって、ナーガは“龍王”ないしは“龍神”として仏教に取り入れられ、仏法の守護者にして水の神として各地で民間信仰の対象となり、日本では法華信仰と結びつき、農業にとって重要な雨を司る存在として位置づけられるようになりました。太政官札のデザインに龍が取り上げられたのも、創始や文脈から、豊作ないしは経済発展を含意してのことと見るのが自然です。

 ちなみに、江戸時代の日本人にとっての龍は、ヤモリやトカゲ、ヘビなどと同レベルの動物とみなされており、刺青の題材としても好んで用いられていましたが、天皇や皇室とはほとんど無関係の存在でした。むしろ、錦絵などで天皇や皇室を示す記号としては、ほぼ全ての場合において菊花紋章が用いられており、龍が天子の象徴という中国式の発想は決して一般的なものではありません。

 いずれにせよ、明治4年に発行された日本最初の切手に関しては、前島密をはじめ駅逓司のスタッフと切手制作に携わった松田敦朝の玄々堂は、天皇なり皇室なりを全く意識することなく(というよりも、意識する余裕さえなく)、純粋に、日程的・技術的な理由から、二匹の竜が向かい合うデザインを採用せざるを得なかったと考えるのが説得力のある説明ではないかと僕は考えています。

 
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