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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 キューバ革命60年
2019-01-02 Wed 12:36
 1959年1月1日のキューバ革命60周年を記念して、きょう(2日・現地時間)、キューバの首都ハバナでは記念式典が行われます。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・革命達成FDC

 これは、革命直後の1959年1月28日にキューバで発行された“革命達成”の記念切手の初日カバーで、カシェにはキューバから蹴りだされるフルヘンシオ・バティスタ前大統領が描かれています。

 フルヘンシオ・バティスタ・イ・サルディバルは、1901年、キューバ島北東のバネスで貧農の家に生まれました。1921年、高校を卒業して国軍に入隊。1933年8月、マチャド独裁政権の打倒を叫ぶ民衆蜂起の混乱に乗じて、陸軍軍曹のフルヘンシオ・バティスタが一挙に陸軍の実力者となると、翌1934年、米国はバティスタを支援して、彼の独裁体制を構築。以後、バティスタとその一派は、第二次大戦前後の約20年間にわたって政権をほぼ独占し、キューバの富はバティスタ・米国政府・米国企業・マフィアという4者によって独占され、米国に対する隷属の度合いはますます高まっていきました。

 こうした状況の下、1952年、バティスタ(当時は上院議員)は大統領選挙に立候補したものの、野党オルトドクソ党のロベルト・アグラモンテ候補に対して苦戦していたため、同年3月10日、軍事クーデターを決行し、力ずくで大統領に就任。親米派の政権復帰を歓迎した米国は、直ちに、バティスタ政権を承認します。

 当然のことながら、クーデターによる政権奪取に対しては国民の批判も強かったのですが、バティスタはマフィアと結託し、キューバ国内における彼らの利権を保護する代償として、米国から巨額の支援を引き出し、それらを私物化。この結果、キューバの農業や工業には、従来以上に米国資本が流れ込み、国民の貧困は放置されたまま、キューバ経済は米国に対する隷属の度合いを一層強めていきました。ちなみに、当時のキューバの電気工業の9割、鉄道の5割、粗糖工業の4割が米国資本の支配下にあり、バンク・オブ・アメリカのキューバ支店は全銀行預金の1/4を占めており、極端な富の偏在は誰の目にも明らかでした。

 一方、武力で政権を掌握したバティスタを相手に、アウランティコをはじめとする既成政党は話し合いでの政権交代を要求するという軟弱振りで、しかも、党内対立から四分五裂というありさまでした。

 こうして、国民の間には政治に対する閉塞感が蔓延していくなかで、1952年の議会選挙にオルトドクソ党から立候補した27歳の青年弁護士、フィデル・カストロは、バティスタのクーデターによる選挙の無効化に憤慨、バティスタを憲法裁判所に告発しましたが、裁判所はこれを握り潰してしまいます。

 そこで、カストロは、アベル・サンタマリーア、ニコ・ロペス、ヘスス・モンタネら同志とともに、バティスタ打倒のためには、既成政党とのしがらみのない若者を動員することが重要と考え、地下放送を通じて同志を募り、7月26日未明、バティスタ打倒を叫んでキューバ第2の兵営であるモンカダ兵営を襲撃しました。この襲撃は失敗に終わり、カストロも投獄されましたが、彼が獄中で執筆した手記『歴史は私に無罪を宣告するであろう』が出版されると、恩赦を求める声が市民の間に広がり、1955年5月、バティスタも渋々ながらカストロの釈放を認めます。

 釈放されたカストロは、再起を期していったんメキシコに亡命。そこで、たまたま、“アメリカ帝国主義からラテンアメリカを解放する”との理想を抱いてメキシコシティに来ていたアルゼンチン出身の青年医師、エルネスト・ゲバラと知り合い、意気投合。彼らは、反政府組織“7月26運動(M-26-7)”を軸に革命の準備を進め、1956年12月、グランマ号でキューバ島に再上陸します。

 当初、バティスタ政権の攻撃により、一時は壊滅寸前に追い込まれた革命側でしたが、シエラ・マエストラ山中を拠点に反政府ゲリラ闘争を続け、農民たちを取り込んで徐々に勢力を拡大。1958年5月、バティスタ政権がゲリラに対する最終攻勢として“FF作戦”を発動したのに対して、5月29日、革命側はサント・ドミンゴ川の戦いで勝利。これが戦局の転機となり、7月10日の戦いでも革命側は政府軍を破り、8月7日には政府軍がシエラ・マエストラから完全に撤退します。

 その後、ゲバラ率いる第8部隊と、カミーロ・シエンフエゴス率いる第2部隊は、キューバ島中央部、ラス・ビジャス州の攻略作戦を開始。10月15日、ラス・ビジャス州に到着して中央国道を完全に封鎖し、キューバ島の東西分断に成功しました。

 一方、カストロは、弟のラウルとともに、キューバ島東部、オリエンテ地方の中心地であるサンティアゴ・デ・クーバを目指し、11月17日、最終攻勢を指示したあとシエラ・マエストラの本部を閉鎖。300の兵で“ホセ・マルティ部隊”を編成してサンティアゴ作戦を開始し、11月20日に始まるグィサの戦闘で政府軍を撃破しています。

 その後、ゲバラの部隊は、12月29日、ラス・ビジャス州の州都、サンタ・クララへの総攻撃を開始。戦闘は正午には終了し、戦意を喪失した政府軍は大量の武器弾薬とともに降伏しました。

 これが決定打となり、、1958年12月31日の夜、バティスタはハバナ市内のコロンビア兵営で催された新年祝賀パーティーの席上で突如として辞任演説を始め、日付の変わった1959年の元日未明、クバーナ航空機でキューバを脱出してドミニカ共和国へ亡命。 これを受けて、最後までビダール兵営に籠城して抵抗していた政府軍部隊も、同日、降伏。キューバ革命が達せられました。

 さて、現在制作中の『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、このあたりの事情についても、関連する切手や郵便物などを用いて詳しくご説明しております。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。
 

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      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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