内藤陽介 Yosuke NAITO
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 リトアニアのユダヤ人
2005-07-18 Mon 09:10
 第二次大戦下の1940年、リトアニア には、ナチス・ドイツの迫害を逃れてヨーロッパから脱出しようとするユダヤ系難民があふれていました。彼らに対して、7月18日から9月4日までの間に、2000枚以上の日本通過ビザを発給した杉原千畝のエピソードは、広く知られています。(杉原千畝については、大正出版の社長で、牛切手の世界的なコレクターでもある渡辺勝正さんの『杉原千畝―六千人の命を救った外交官 』、『決断・命のビザ 』、『真相・杉原ビザ 』が詳しいので、ご興味をお持ちの方は、ご一読をおすすめします)

 さて、そのことにちなんで、今日はこんなカバーをご紹介しましょう。

リトアニア

 このカバーは、まさにこの時期のリトアニアからパレスチナ宛に差し出されたカバーで、封筒にはリトアニア語・ヘブライ語・英語で「100万人のユダヤ人がイギリスによるバルフォア宣言の履行を求めている。ユダヤ国際嘆願書に署名しよう!」との文言が入っています。

 “バルフォア宣言”というのは、第一次大戦中、イギリスが、外相バルフォアの名前で、イギリス・シオニスト連盟会長ロスチャイルドに送った書簡の中で、「パレスチナにユダヤ人の民族的郷土を建設する」ことに同意をしめしたものです。イギリスがヨーロッパやアメリカのユダヤ人の支持を獲得し、また、ユダヤ系財閥の財政的支援を取り付けるために出されたもので、戦後、独立アラブ国家の建設を認めていた“フサイン・マクマホン協定”とは明らかに矛盾するもので、現在のパレスチナ問題の直接的なルーツといってよいでしょう。

 大戦間期のパレスチナでは、このバルフォア宣言をもとにパレスチナにユダヤ系移民が大量に流入したことで、在地のアラブ系パレスチナ人との間に摩擦が絶えませんでした。これに対して、パレスチナを委任統治領としていたイギリス当局の政策はまさに行き当たりばったりで、問題の解決は先延ばしにされていましたが、1939年、アラブ人の土地所有の保護や、ユダヤ人入植者の大幅な制限、アラブ主導のパレスチナ国家の独立をうたった“マクドナルド白書”をパレスチナ統治政策の柱として打ち出します。

 当然、シオニスト側は、マクドナルド白書に反発します。特に、ナチスの迫害を逃れてパレスチナへ避難することを求めるユダヤ人が急増している中で、パレスチナへのユダヤ人の入植を制限しようとするイギリス当局の姿勢は、彼らの目からすれば、バルフォア宣言を反故にした裏切り行為以外の何者でもありませんでした。

 今回ご紹介しているカバーは、こうした状況の中でつくられたもので、バルフォア宣言の履行、すなわち、パレスチナでのユダヤ国家の建設とユダヤ系移民の入植制限の撤廃を求めたものです。ナチスの迫害で生命の危機にさらされている彼らとしては、まさに必死の訴えだったといえます。
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