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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 おかげさまで5000回
2019-02-07 Thu 02:34
 2005年6月1日にスタートしたこのブログですが、毎日1回ずつ更新していたら、今日の記事でちょうど5000回目になりました。日頃、このブログを応援していただいている皆様には、あらためて、この場をお借りしてお礼申し上げます。というわけで、きょうは額面“5000”のこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・イグアスの滝(1938)

 これは、1938年にブラジルが発行した“イグアスの瀧”を描く5000レイス切手です。

 世界最大の瀧として知られるイグアスの瀧は、ブラジルとアルゼンチンの両国にまたがっていますが、約80%はアルゼンチン側にあります。地名は先住民族のグアラニ族の言葉で「大いなる水」の意味で、季節により150-300に変化する大小無数の瀧で構成されており、それを縫うように遊歩道が配されています。瀧の最大の見どころとされる“悪魔の喉笛”はアルゼンチン側に位置しており、高さ82m、幅150mのU字型で長さ700mという壮大な景観です。

 さて、この切手が発行された当時のブラジルは、“1930年10月3日革命”の軍事クーデターで政権を掌握したジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガスの支配下にありました。

 ヴァルガスは、1882年、ブラジル南部のリオグランデ・ド・スル州サン・ボルジャ生まれ。ポルト・アレグレ法科大学卒業後、政界入りし、州議会議員、連邦議会議員、大蔵大臣、リオグランデ・ド・スル州知事等を歴任しています。

 1930年の大統領選挙では、コーヒーの産地として知られるサンパウロ州と畜産・酪農で知られるミナスジェライス州の有力者で政権をたらいまわしにするカフェ・コン・レイテ体制の慣例に従い、ミナスジェライス州出身のアントニオ・カルロスが出馬の準備を進めていましたが、現職のワシントン・ルイス大統領は慣例を破ってサンパウロ州知事のジュリオ・プレステスを与党の大統領候補に指名。このため、後継指名を逃したカルロスを中心に反サンパウロ勢力を糾合した“自由同盟”が結成され、ヴァルガスが大統領候補として擁立されることになりました。

 はたして、3月1日に行われた大統領選挙では、プレステスが109万7000票を獲得して当選し、ヴァルガスは74万4400票で敗れましたが、選挙後の1930年7月、自由同盟の副大統領候補だったジョアン・ペソアが暗殺されると、カフェ・コン・レイテ体制に対する国民の批判が殺到。それを背景に、同年10月3日、リオグランデ・ド・スルとミナスジェライスで青年将校らによる叛乱が発生します。

 以後、叛乱はブラジル南部を中心に拡大し、10月24日、ワシントン・ルイスは辞任。ヴァルガスはリオグランデ・ド・スルから鉄道でリオデジャネイロ入りし、11月3日、臨時大統領に就任しました。

 ヴァルガスは行政権のみならず立法権も掌握し、1891年に公布された共和国憲法を停止。連邦議会と州議会は解散を命じられ、全国の州知事は罷免され、各州には臨時政府の任命する執政官が派遣されることになりました。特に、ヴァルガス体制に不満なサンパウロ州に、同州出身者ではなく、ペルナンブーコ州出身のジョアン・アルベルトが執政官として派遣されると、州内の反ヴァルガス勢力は“護憲革命”を主張して、1932年7月9日、武力衝突に発展します。

 結局、護憲革命は1932年10月、圧倒的な兵力を有する政府軍の前に敗退しましたが、ヴァルガス政権も一定の譲歩を余儀なくされ、サンパウロ州の執政官には同州出身のアルマンド・デ・サレス・オリヴィエが任じられ、1933年5月には制憲議会選挙が実施されることになりました。

 こうして、制憲議会の開院を経て、1934年7月、非識字者を除く18歳以上の男女に選挙権を与えたほか、労働者保護や初等教育の義務無償化などを盛り込んだ新憲法が制定された。そして、新体制下での初代大統領は議会の間接選挙で選出するとの規定に則り、ヴァルガスは議会によって選出され、正式に大統領に就任します。

 ところで、1934年憲法では、大統領の任期は1期4年で再選は不可とされていたため、1937年末には大統領選挙が実施される予定でしたが、1937年9月、共産党によるクーデター計画(コーエン計画)が“発覚”したため、ヴァルガスは「戦時令」を布告し、11月10日には連邦議会を停止。続いて、ヴァルガスは新憲法を発表し、イタリア・ファシズムに倣った“エスタード・ノーヴォ(新国家)”体制を成立させ、自らを“貧者の父”との家父長イメージで演出するとともに、ナショナリズムを前面に押し出し、多種多様な出自の国民を“ブラジル人”として統合すべく、権威主義体制を構築していきました。

 その一環として、エスタード・ノーヴォ体制下では、サンバサッカーがブラジル文化を代表するものとして奨励されましたが、今回ご紹介の切手も、また、ブラジルを代表する風景としてイグアスの瀧を取り上げることで、ブラジル人のナショナリズムを涵養する手段の一つとして発行されたものと考えることができます。

 なお、ヴァルガス政権下のブラジルについては、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。


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