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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 CRフラメンゴのトレセンで火災
2019-02-09 Sat 02:33
 ブラジルの有名サッカークラブ、CRフラメンゴのリオデジャネイロ(以下、リオ)にあるトレーニングセンターで、きのう(8日)未明、火災が発生し、消防当局によると、少なくとも10人が死亡、3人がけがをしたそうです。というわけで、亡くなられた方々の御冥福と負傷された方々の一日も早い御快癒をお祈りしつつ、この切手を持ってきました。(画像は クリックで拡大されます)

      ブラジル・CRフラメンゴ100年

 これは、1995年にブラジルで発行された“CRフラメンゴ100周年”の記念切手です。

 ブラジルにサッカーをもたらした人物については、諸説ありますが、一般には、1893年、繊維工場で働くためにリオに移住したスコットランド出身のトーマス・ドノホーが挙げられています。

 移住前、母国の複数のクラブチームでプレイしていたドノホーは、移住の際にスコットランドからサッカーボールとシューズを持ちこみます。翌1894年4月、彼の提案で5対5のミニサッカーが開催されたのが、ブラジルで行われた最初のサッカーの試合で、このときサッカーの楽しさや魅力に惚れ込んだカリオカ(リオ市民)の間に、急速にサッカーが普及していったといわれています。

 以後、ブラジル人によってフットボール・クラブ(FC)が創設されるようになり、現在、リオの4大クラブとされているCRフラメンゴが1895年、ヴァスコ・ダ・ガマが1898年、フルミネンセが1902年、ボタフォゴが1904年に相次いで結成されました。

 このうち、最初に創設されたCRフラメンゴは、正式名称をクルーベ・ジ・ヘガータス・ド・フラメンゴ(Clube de Regatas do Flamengo)といいますが、その名が示す通り、もともとはボートのレガッタ・チームでした。今回ご紹介のクラブ創設100周年の記念切手の左上に描かれた創設当時のエンブレムに、錨とオールが描かれているのもそのためです。

 フラメンゴというクラブ名は、リオ市内、グアナバラ湾に面したカテテ地区とボタフォゴ地区の間にあるフラメンゴ地区に由来します。同地区は、1599年、オランダ人のオリヴィエ・ファン・ノールトが上陸を試みてポルトガル人と戦闘になったことから、ポルトガル語でファンノールトの出身地“フランドル(現在の国名でいうと、オランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にかけての地域)”を意味するフラメンゴの名で呼ばれるようになりました。

 なお、CRフラメンゴと言えば、赤と黒の横縞のユニフォームが有名ですが、サッカーのクラブとして活動を始めた当初は、赤と黒の間に白線が入っていました。ところが、第一次大戦でブラジルが協商国側で参戦すると、赤・白・黒の色遣いは敵国ドイツの国旗(当時)と同じであるということから、白線を除いて赤と黒の組み合わせに変更され、現在に至っています。

 ちなみに、CRフラメンゴを含むフラメンゴ地区とその歴史については、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でも、関連の切手や絵葉書をご紹介しつつ、詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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