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内藤陽介 Yosuke NAITO
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テロリスト図鑑:アブラハム・シュテルン
2005-07-19 Tue 09:12
 昨日の日記にも少し書きましたが、イギリスの委任統治下にあったパレスチナでは、ユダヤ系入植者を受け入れることになっていましたが、在地のアラブ系パレスチナ社会の実情を考慮して、受入数には制限がありました。その制限が緩和されると、入植者が増えてアラブ系が反発し、逆に、制限が厳しくなると入植できなくなる移民希望者が増えてユダヤ系あるいはシオニストが反発。それぞれ、パレスチナ社会の不安定要因になるという状況が続いていました。

 こうした中で、シオニストの立場から、イギリスからの独立を唱えて過激なテロ活動を展開し、1978年にはイスラエル建国の“英雄”として切手にも取り上げられたのがアブラハム・シュテルンです。

シュテルン

 アブラハム・シュテルンは、1907年、ポーランドで生まれ、1925年にパレスチナに移住しました。その後、フィレンツェ大学で西洋古典学を学ぶため、一時、パレスチナを離れますが、1929年、ハガナ(シオニストの民兵組織。現在のイスラエル国防軍の前身)に加入します。しかし、1929年のアラブ側の大規模な反ユダヤ暴動を機に、シオニストたちの間には、より直接的にユダヤ国家の独立を目指す勢力が生まれ、彼らは1931年にイルグンを組織。アブラハムも、このイルグンに参加しました。

 さて、1939年、シオニストたちを激昂させた「マクドナルド白書」が発表されると、アブラハムは、イルグンと袂を分かって、レヒ(イスラエル解放戦士団。ただし、この名前が正式に採用されるのは彼の死後のことです)を組織。パレスチナへのユダヤ系移民の入植を制限するイギリス当局に対するテロ活動を展開し、イギリス当局によって逮捕・投獄されています。ちなみに、レヒは反英テロリストとして名を売ったリーダーのアブラハムにちなんで“シュテルン・ギャング”と呼ばれていました。

 アブラハムは、イギリスを打倒するためなら、ユダヤ最大の敵であったナチス・ドイツと手を組むことさえ厭わないと主張しており、イギリスの戦争遂行上の大きな障害となっていました。このため、1942年2月、イギリス当局は彼を暗殺します。

 しかし、レヒのテロ行為はその後もとどまるどころか、いっそう過激化し、1944年のイギリスの植民地大臣ウォルター・モインの暗殺、1948年4月のデイル・ヤーシーン村でのアラブ系住民254人の虐殺事件、同年9月のスウェーデン赤十字総裁フォルク・ベルナドッテ伯暗殺などを通じて、“シュテルン”の名は凶悪なテロリストの代名詞として全世界に広く知れ渡るようになりました。その一方で、彼らのテロ行為が、結果的に、パレスチナからアラブ系住民を追い出し、イスラエル国家の建国を前進させることになったことも事実で、そのことが、現在のイスラエル国家はシュテルンを“英雄”視する原因となっています。

 いずれにせよ、パレスチナをめぐる“テロ”というと、どうしても日本ではアラブ側のやることというイメージが強いのですが、イスラエル国家が建国されていく過程では、シオニスト側も相当に過激なテロを展開していたことを見逃してはならないでしょう。
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