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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 香港国際空港が全便欠航
2019-08-13 Tue 02:27
 香港の航空当局は、きのう(12日)午後、中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案をめぐる大規模な抗議活動香港国際空港で行われた影響により、同空港を発着する便の全便運航を取り消しました。というわけで、きょうは“サービス停止”にちなんでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       英KGVI・香港宛返戻便

 これは、1942年1月、英国コーンウォールから香港・九龍宛に差し出されたものの、日英開戦により香港宛の郵便サービスが停止されたため差出人に返戻されたカバーで、“NO SERVICE/ RETURN TO SENDER”との事情説明の印が押されています。

 第二次大戦における香港での戦闘は、1941年12月8日午前3時51分、日本の第23軍(総兵力3万9700名)が深圳河を渡り、新界の丘陵地帯を九龍に向けて進軍を開始したことで始まりました。

 その後、夜明けとともに36機の日本軍の爆撃機が啓徳空港を空襲。英軍機と義勇軍使用の民間機の計12機が炎上、2機が大破し、英軍側は香港の制空権を喪失しました。

 こうして、12月13日までに九龍半島での掃討戦を完了した日本軍は、翌14日、香港島への砲爆撃を開始。18日には日本軍は香港島北岸に上陸を開始します。英守備隊との激しい戦闘の末、19日未明までに渡海作戦を完了して香港島北東部を確保した後、日本軍は香港島南部、赤柱の海軍基地へ向かう部隊と、島の中央部、大平山に立てこもる英軍主力部隊を攻撃する部隊の二手に分かれて進撃。12月23日に黄泥涌の高射砲陣地を陥落させると、翌24日、この地の貯水池を征圧して香港島内の給水を停止させました。

 この結果、香港市街は全面断水に陥り、英側の抗戦継続はきわめて困難となったため、12月25日17時50分、香港島西部の陣地にあったヤング総督とマルトビイ少将がついに白旗を掲げ、19時30分、日本陸海軍司令官は停戦を命じ、ここに香港の戦いは終了。日本軍は英領香港の全域を占領下に置きました。なお、18日間の戦闘で、日本軍が戦死683名、戦傷1413名を出したのに対して、英軍の遺棄死体は1555、捕虜は戦闘間1452名、戦闘後は9495名です。

 ちなみに、今回ご紹介のカバーは、香港陥落後まもない1942年1月18日に香港宛に差し出されたものですが、日本軍が香港上海匯豐銀行(HSBC)の本店に総督部を設置し、香港の占領行政を本格的に開始するのは、その翌日、1月19日でした。

 なお、先の大戦中の香港の状況については、拙著『香港歴史漫郵記』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧ただけると幸いです。


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