内藤陽介 Yosuke NAITO
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 1923年生まれの台湾人
2006-12-20 Wed 01:50
 日本の対台湾窓口機関、交流協会台北事務所が19日に台北市内のホテルで開いた天皇誕生日の祝賀レセプションに、台湾の前総統・李登輝が出席してくれたそうです。というわけで、こんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

台湾行啓

 これは、1923年4月、当時の皇太子(後の昭和天皇)が台湾を訪問したことを記念して発行された記念切手です。

 皇太子の台湾訪問は、文官の台湾総督であった田健次郎の下で進められていた宥和政策の一環として企画されたもので、1921年11月に病身の大正天皇の摂政となり、実質的な国家元首となった皇太子の存在を植民地の住民に認識させるためのものでもありました。

 今回の記念切手は、逓信大臣の経験者でもある総督の田が発行にいたるまでのイニシアティヴをとっていたほか、郵便局での発売も台湾内に限られる(ただし、内地でもこの切手を郵便に使用することはできました)など、実質的には台湾総督府の発行したものです。ただし、切手を発行するということは、その国の郵政主権の根幹にかかわる部分であり、当時の日本においては逓信省以外には切手発行の権限が認められていなかったため、この切手についても、発行の告示その他の形式上は、逓信省が発行したという体裁が整えられました。もっとも、この年の『逓信省年報』には、この切手についての記載がいっさいなく、逓信省みずから、この切手を台湾ローカルの切手とみなしていたようです。

 さて、切手に取り上げられているのは、台湾で最も高い山“新高山”です。新高山は、本来、現地名で“玉山”というのですが、台湾を日本が領有した後、明治天皇の命名により改名され、戦前はこのように呼ばれていました。現代の日本人にとっては、太平洋戦争開戦時の日本軍の暗号「ニイタカヤマノボレ」のフレーズの方がなじみ深いかもしれません。なお、第二次大戦後は、当然のことながら、本来の玉山の名で呼ばれるようになっています。

 当初、皇太子は、1923年4月5日に東京を出発して台湾に向かう予定でしたが、大正天皇の病状悪化から、出発は4月12日に延期されました。これに伴い、記念切手の発行も、皇太子の台湾到着の遅れにあわせて、当初予定の4月9日から16日へと延期されています。

 ところで、この切手が発行された1923年は李登輝の生まれた年でもあります。

 日本の教育を受けた李登輝は、「22歳(1945年)まで自分は日本人であった」と公言するなど、きわめて親日的な人物です。それゆえ、靖国神社や尖閣諸島の問題でも日本寄りの発言をし、そのことが彼の地で反発を招くことも少なからずあるのですが、日本の理解者として貴重な存在であることは間違いありません。

 僕は、日本の植民地統治が台湾にとって単純にバラ色の時代であったというつもりは毛頭ありませんが、それでも、日本の統治が台湾にもたらしたプラスの側面については日本人自身がもっと積極的に評価しても良いと思っています。

 いずれにせよ、日本と台湾の宥和を目指して行われた皇太子訪問の年に、李登輝が誕生したという偶然に、僕なんかは、なんとなく因縁めいたものを感じてしまうのですが、いかがでしょうか。

 なお、皇太子時代の昭和天皇と台湾との関係については、昨年刊行の拙著『皇室切手』でも、若干のスペースを割いて触れていますので、ご興味をお持ちの方は、是非、ご一読いただけると幸いです。
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