2007-02-02 Fri 02:07
今日(2月2日)は1970年にイギリスの哲学者、バートランド・ラッセルが亡くなった忌日だそうです。というわけで、こんな1枚を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)
![]() これは、ベトナム戦争中の1969年11月、北ベトナムがラッセル法廷をたたえて発行した切手です。 ベトナム戦争に対しては、強大な軍事力をもって貧しい北ベトナムを力でねじ伏せようとするアメリカというイメージから、西側世界でもさまざまな形でベトナム反戦運動が展開されましたが、その代表的なもののひとつがラッセル法廷です。 ラッセル法廷は、正式には“ベトナム戦争犯罪国際法廷”といい、ラッセルが提唱して、1967年5月からストックホルムで開催されました。その内容は、ベトナムでの米軍による非人道兵器の使用や残虐行為などを西側の知識人が糾弾するというもので、いわゆる“民衆法廷”の最初のものとして世界的にも注目を集めました。 当然のことながら、こうした国際世論は北ベトナムにとっては追い風となるものであり、北ベトナムは抗した切手を発行することで、アメリカの非人道性が国際社会からも糾弾されていることをあらためてアピールしようとしたわけです。(この辺の事情については、拙著『これが戦争だ!』でもまとめてみましたので、ご一読いただけると幸いです) ところで、“民衆法廷”の本質は、刑事裁判の形式をとって特定の国際人道問題について問題提起や抗議等を行う民間の運動であるわけで、その意味では“法廷”という呼称を名乗ることが適切なのかどうか、疑問がないわけではありません。特に、“民衆法廷”は、特定のイデオロギー集団が結論ありきの立場から、自分たちの主義主張を展開するために行われることが多く、結果的に胡散臭いものの方が多いように思います。 たとえば、NHKへの政治家の圧力問題で話題になった従軍の慰安婦問題に関する“民衆法廷”は、主催者の説明によれば「第二次世界大戦中において旧日本軍が組織的に行った強姦、性奴隷制、人身売買、拷問、その他性暴力等の戦争犯罪を、裕仁(昭和天皇)を初めとする9名の者を被告人として市民の手で裁く民衆法廷」なんだそうですが、このタイトルそのものが、ある特定の政治的主張によるものであることは明白です。 ここで、念のために、いわゆる“従軍慰安婦問題”についての経緯を説明しておきましょう。 この問題の発端は、1983年に吉田清治が、著書『私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録』の中で、1943年に軍の命令で“挺身隊”として、済州島で女性を“強制連行”して慰安婦にしたという“体験”を発表したことから始まっています。 日中戦争ならびに太平洋戦争の時代、日本軍が戦地に慰安所を設けていたことは紛れもない事実ですが、そうした施設は、公娼制度が認められていた当時にあっては、戦地での強姦事件を防ぐための“必要悪”とみなされていました。また、同様のことは日本のみならず、他国の軍隊においても見られた現象です。もちろん、戦地という特殊な状況ですから、開業する公娼業者に対しては、移動や営業状態の監督などで、軍が関与していたのは当然のことでした。(もちろん、それらは現在の道徳的基準に照らせば、決して褒められたことではありませんが…) このため、いわゆる“慰安婦”問題は、本来、現地の慰安婦たちが、本人の意思に反して、日本軍によって組織的に集められたのかどうか、という1点に絞られます。 この点に関して、1991年から翌年にかけて、『朝日新聞』をはじめ日本国内の一部マスコミは、日本軍が組織をあげて女性たちを無理やり集めて慰安婦にしたというニュアンスで盛んに報じていましたが、この点については、当時の韓国でも疑問の声は少なからずありました。 たとえば、1991年8月15日付の『ハンギョレ新聞』には、同11日付の『朝日新聞』に取り上げられた元慰安婦の女性の証言として、「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番(日本でいう置屋)に売られていった。3年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった」との記事を掲載していますが、これを読む限り、この女性のケースは、当時の日本国内でもしばしば見られた気の毒な身売り話と同じもので、日本軍の組織的な関与があったとは言えません。 しかし、“軍によって強制連行された朝鮮人慰安婦”の物語は韓国社会に大きな衝撃を与え、一般の韓国世論は日本時代の“蛮行”に憤激。192年1月に訪韓した日本の宮沢首相は首脳会談で謝罪を繰り返すことになりました。 ところが、首脳会談の後、両国が合同で調査を行ったところ、吉田の著書で“慰安婦狩り”の舞台とされた済州島の城山浦では、日本時代を知る老人たちが「250余の家しかないこの村で、15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語って吉田の著書の内容を否定。さらに、現地調査を行った日本人研究者が、地元の女性から「何が目的でこんな作り話を書くのでしょうか」と聞かれ、答えに窮しています。 このように、吉田が発表した“慰安婦狩り”の物語は虚偽であった(ただし、このことは多くの朝鮮人女性が戦地で慰安婦として苦渋の生活を送っていた事実を否定するものではありません。念のため)ことが判明するのですが、そうした事実は、必ずしも大きく報じられなかったため、いまだに“慰安婦狩り”の物語を事実と信じている人も少なくないようです。 こうした経緯を見てみると、最近問題になった“民衆法廷”は、純粋に歴史的な事実関係を糾明してその責任の所在を論じるというよりも、ある種の思想傾向の人たちによるプロパガンダ・イベントにすぎなかったといわれても仕方のないものといえそうです。そうであるなら、政治家の圧力があろうがなかろうが、そんなものを公共の電波に乗せて放送することじたいが問題なんじゃなかろうかと、僕なんかは考えてしまうのですが…。 スポンサーサイト
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#498 ジュウグンイアンフ
すいません、河野洋平はうちの選挙区です。
なんで彼が当選できるかというと、 親の遺産があるので金にはクリーンだという点です。 彼の歴史認識が当選の理由ではありません。 また長年やってますので政治力がありますからね。 かさねがさねお詫びいたします。 #499 追伸
河野洋平は派閥の長を麻生さんに譲りました。
っつーか、これだけ歴史認識が違う二人が同じ派閥で、 しかも長を交代するなんて、マジで節操ない人たちですね。 節操ないほうが生き抜くのが政治の世界なのかもしれませんね。 #500 再追伸
きっこの日記もジュウグンイアンフ派だっていうのはこの問題の根深さを表してますね。
#505 コメントありがとうございます
hillsidecnx 様
いつもコメントありがとうございます。(相変わらず、亀レスですみません) 僕は、国会議員が選挙区の地盤を持っているというのは基本的におかしいと思っています。特定の選挙区からのみ立候補し続ければ、同したって、その選挙区の人たちの意向に沿った政策しかしなくなり、“広く國民のために”という発想はしにくくなるのは当然です。 だから、本来は、一度当選したら、30年間は同じ市町村から立候補してはいけない、20年間は同一都道府県内から立候補してはいけない、10年間は同一ブロック(近畿とか、南関東とか、そのレベル)から立候補してはいけない、現職議員が再選を目指す場合、その選挙区は抽選で決める、くらいの規制を設けるべきだと思っています。どうしても、国会に地域代表が必要というのなら、国政連絡担当の副知事を知事選と同時に選べば良いのです。 突拍子もないことのように思われるかもしれませんが、これって、実は、秀吉・家康の大名統制と基本は同じことです。(国政担当副知事というのは、いわば江戸詰め家老ですな) でも、議長閣下のようなタイプだと、どの選挙区でも結局は当選しちゃうのかなぁ。だったら、やっぱり、リコール制度を設けるしかないか。 すいません。お答えにくい困ったコメントにも回答ありがとうございます。
北朝鮮切手本をだされる先生だけあって、政治に対する姿勢を明確にされていて尊敬いたします。便宜に対してお金をもらったら刑務所で、 便宜に対して票もらうならいいよってのが現行法のようですが、 それもよく考えると変ですし、また先生おっしゃるように国政に選挙区も変だなとおもいます。世の中変なことが多いですね。ではまた |
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