内藤陽介 Yosuke NAITO
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 大日本帝国の終焉:予告編(4)
2005-08-01 Mon 09:53
 太平洋戦争の始まる直前、日本軍はフランス領インドシナ(現在のベトナム・ラオス・カンボジアの地域、以下仏印)に軍事進駐しました。欧州戦線でフランスがドイツに敗北した機会をとらえ、仏印から中国(日中戦争の敵国です)への支援物資の流入を防ぐために、北部仏印に進駐したのが、その最初でした。

 その後、日本軍は仏印全体に進駐。仏印におけるフランス当局(当然、ドゴール派ではなく、親独政府側です)の主権を尊重する代わりに、日本軍は仏印を実質的な軍事占領下に置き、仏印は日本に対して好意的な中立を保つという状況が戦争末期まで続いていました。

 ところが、戦争末期になって、東南アジアから日本軍の撤退が相次ぐと、日本本土と中国戦線の交通が途絶することを恐れた日本軍は、1945年3月、“明号作戦”を発動し、フランス植民地政府を武力によって解体。ベトナム、ラオス、カンボジアに旧王族を担いだ親日政府を樹立します。

 その後、1945年8月に日本軍が降伏すると、これらの地域では、独立を主張する現地の人々と、植民地支配を再開しようとするフランス当局の間で(第一次)インドシナ戦争が勃発することになります。

 さて、今回ご紹介するのは、こうした日本軍支配下の仏印から差し出された捕虜郵便です。

仏印捕虜郵便

 この葉書は、もともとは、タイの収容所で遣うことを想定して作られたものですが、実際には、ほとんど仏印のサイゴン(現ホーチミン)の収容所(制度的には“泰俘虜収容所”の管理下に置かれていた)で使われています。赤いヘルメットに鳩のデザインが、なんとなくかわいらしい感じがして(不謹慎な感想でしょうか)、気に入っています。

 裏面を見ると、この葉書は終戦直後の8月17日に書かれたことが分かります。日本がポツダム宣言を受諾して降伏することを内外に明らかにしたといっても、この時点では、フランス側による(旧)日本軍の武装解除は進められておらず、引き続き、日本側が収容所の管理などを行っていたことが分かります。

 なお、当時、収容所の外が独立運動でなんとなく騒然としている様子は、収容所にいた捕虜たちもなんとなく感じ取っていたものと思われますが、実際はどうだったんでしょう。そんなことも考えてしまう1枚です。

 さて、今度の土・日曜日、8月6・7日に東京・大手町のていぱーく(逓信総合博物館)で開催のサマーペックス では、この葉書を含めて、終戦前後の日本の状況をたどった作品「大日本帝国の終焉」を展示する予定です。両日とも、14:30からは展示の簡単な解説も行いますので、是非、お運びいただけると幸いです。
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