内藤陽介 Yosuke NAITO
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 アブダビの加刷切手
2007-03-07 Wed 00:50
 アラブ首長国連邦(UAE)の首都・アブダビに建設予定の美術館が「ルーブル・アブダビ」を名乗り、パリのルーブル美術館から美術品の大量の貸与を受ける契約が調印にこぎつけたのだそうです。契約額は約10億ユーロ(約1500億円)だとか。

 というわけで、アブダビがらみのストックの中からこんなものを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

アブダビ加刷カバー

 これは、1966年12月、アブダビからイギリス宛に差し出されたカバー(封筒)で、同年9月に発行された加刷切手が貼られています。

 1971年にUAEが発足する以前のアブダビでの近代郵便制度は、1960年に沿岸のダス島に暫定的な郵便局が置かれ、現地通過の額面を加刷したイギリス切手が使われるようになったことから始まります。

 当時、イギリスと休戦協定を結んで保護国になっていた“休戦協定諸国(trucial states)”のなかで、アブダビとドバイという“2大首長国”は積年のライバルとしてあらゆる面で張り合っていました。以前の記事でも書きましたが、イギリスが“休戦協定諸国”共通の切手を発行しようとした際「ドバイの風下に置かれるような扱いは真っ平ごめんだ」として、アブダビがその切手を拒否したことは、そうした両者の関係を象徴するエピソードといえます。

 結局、“休戦協定諸国”共通の切手を拒否したアブダビは、1963年3月、アブダビ市内に郵便局を設置。その1周年にあたる1964年3月から独自の切手を使用しはじめます。

 ところが、1966年6月、休戦協定諸国の共通通貨であったガルフ・ルピーが為替市場で暴落したため、アブダビは、同年9月以降、バハレーン・ディナールを域内通貨とする通貨改革を実施。この間、アブダビ域内では、暫定的にサウジアラビア・リヤルが基準通貨として流通していましたが、同年8月、経済政策の失敗から首長のシャクブートは退位に追い込まれてしまいます。これを受けて、9月以降、バハレーン・ディナール表示の新額面とともに、彼の肖像を抹消する加刷の施された切手が発行・使用されました。今回ご紹介のカバーは、その加刷切手が貼られているものです。

 その後もアブダビとドバイの対立関係は1960年代を通じて続いていくのですが、1971年、両者を含めた7首長国が集まって“アラブ首長国連邦”が結成されます。これは、イギリス軍がこの地域から撤退するため、対岸のイランの脅威に直接さらされることになった首長国が団結せざるを得なくなった結果でした。

 なお、UAEができあがっていくまでの“アラブ土侯国”とその郵便については、拙著『中東の誕生』でもまとめていますので、ご興味をお持ちの方は、是非、ご一読いただけると幸いです。
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