内藤陽介 Yosuke NAITO
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 シベリア抑留者の葉書
2005-08-09 Tue 10:16
 いまから60年前の1945年8月9日といえば、ソ連が日ソ中立条約を破棄して満州に侵攻してきた日であり、極東でのソ連の影響力拡大を恐れるアメリカが、日本をできるだけ早く降伏させるために長崎に原爆を投下した日です。

 長崎の原爆に関しては、広島の罹災戻に相当するような郵便資料(たとえば、8月5日の日記 をご覧ください)は非常に少なく、残念ながら、僕の手許にもありません。今年の1月でしたか、『週刊新潮』の新潮掲示板に登場した際にも、「長崎の原爆関連の郵便物を譲っても良いという方がおられたら、是非、ご一報ください」と呼びかけたのですが、いまのところ、何の反応もありません。

 一方、ソ連の対日参戦にからむマテリアルはさまざまなものが残されているのですが、今日はとりあえず、シベリア抑留者の差し出した葉書をご紹介します。

シベリア抑留

 ご承知のように、ナチス・ドイツとの血みどろの死闘を戦ったソ連は、戦後復興のための労働力を得るために、旧満州や北朝鮮、千島・樺太を占領すると、各地の男性を“戦犯”として逮捕し、シベリアに強制連行して重労働を課しました。いわゆるシベリア抑留です。

 シベリアに抑留された人たちは、日本の家族との連絡には、上の画像のような専用の往復はがきを使うことを義務づけられていました。葉書は、名宛人に届けられるまでの間に、ソ連ならびに日本を占領していたアメリカの双方から検閲されましたが、中には、ソ連側の検閲で文面を塗りつぶされたりしたものもあります。

 日本から抑留者宛の通信は、往復はがきの返信部を使うことを義務づけられていたため、現存する資料は、シベリアから日本宛の往診部のみというケースが大半で、この葉書のように返信部が残されているものは多くはありません。当時の通信事情では、抑留者から日本の宛先に葉書が届けられるまでに半年以上かかることもザラでしたから、この葉書の場合は、差出人のほうが葉書よりも先に日本に帰国できたため、返信部が使われずに残ったということなのかもしれません。

 専門的には、抑留者用の葉書は用紙や形式などにさまざまなバラエティがあるので、それらを集めて分類・整理してみると、興味深いコレクションができあがるのではないかと思います。来年(2006年)は、抑留者の最後の一団が帰国してから50周年になりますので、それまでに、なにか簡単な記事でもまとめられたら良いのですが…。
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