内藤陽介 Yosuke NAITO
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 沖縄復帰35年
2007-05-15 Tue 00:51
 沖縄が復帰してから、今日(5月15日)でちょうど35年だそうです。というわけで、今日はこの切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

沖縄復帰

 これは、1972年5月15日の沖縄復帰に際して発行された記念切手です。

 沖縄の本土復帰にあわせて記念切手を発行することは、返還交渉が進められていた段階ですでに計画が進められていたようですが、復帰の正確な日時がなかなか決まらなかったため、発行日の確定も難しかったようです。

 結局、1972年1月8日、アメリカ西海岸のサクラメント近郊・サンクレメンテでの日米首脳会談の後に出された佐藤・ニクソン共同声明によって、5月15日が沖縄復帰の期日と決められたことを受けて、発行日が確定しました。

 切手のデザインは大塚均が担当したもので、守礼門を中心に紅型模様が配されています。

 守礼門は“うえのとり”とも呼ばれ、尚清王の時代(1527-53)に首里城の中山門と正門の中間に建設されました。門に掲げられた扁額は、当初、“首里”となっていましたが、1663年に“守禮之邦”となったため、守礼門の名がつきました。中国とも日本とも異なる独特の琉球建築であることから、1933年、日本政府によって国宝に指定されましたが、第二次大戦の沖縄戦で焼失。このため、1956年2月から守礼門復元期成会の努力により、戦前の設計書や写真を元に復元作業が行われ、1958年10月15日に完成しました。その完成を記念して発行された沖縄切手が、切手投資センターによる沖縄切手投機の対象となり、一時的に市価が吊り上げられたことを思い出される方も多いかもしれません。

 一方、紅型は琉球王朝時代から首里に伝わる伝統的な染色技法のひとつで、“紅”は色全般を、“型”は型絵染の型紙を指しているとされています。

 琉球王朝時代は王侯貴族の衣装として染められましたが、明治維新に伴う琉球処分で王朝が廃されると王家の庇護を失い衰退。さらに、沖縄戦で壊滅的な打撃を受けました。しかし、戦後のアメリカ施政権下で城間栄喜らの努力によって復興され、現在では琉球の伝統文化を象徴するものとして現地では日常生活でも広く用いられています。技法にとしては、一般的な型染め、筒書き、藍染め(漬染め)がありますが、型染めでは型の上から色を挿すのではなく、糊を置くのが大きな特徴です。切手に取り上げられている紅型模様では、水に桜と牡丹の花が図案化されています。

 ちなみに、沖縄の復帰記念事業の一つとして、1972年11月26日から沖縄県糸満市にある摩文仁の丘(沖縄戦終結の地とされている)で沖縄復帰記念植樹祭が行われましたが、これにあわせて記念葉書も発行されています。
 
 なお、今回の切手とその時代背景については、拙著『沖縄・高松塚の時代』で詳しくまとめておりますので、是非、ご一読いただけると幸いです。
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この記事のコメント
#636 意外と地味だな
と「沖縄本土復帰」を改めてみて感じました。沖縄の名物を並べただけで、事件に関するインパクトを与えない図案だからでしょうか。
 この「沖縄復帰」について、いわゆる「本土」と言われる日本本土が、これといったい具体的なイメージを持っていなかったからだと考えるのは、考えすぎでしょうか。
 
2007-05-15 Tue 23:20 | URL | muraki #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
 muraki様

 いわゆる沖縄切手と日本本土の切手を比べてみると、同じ大蔵省印刷局で刷っていても、テイストが全然違うことに驚かされます。やっぱり、デザイナーの力量の差ってことなんでしょうかねぇ。沖縄切手をデザインした人たちだったら、本土復帰という一大イベントなんですから、これよりもはるかに素敵な切手を作ってくれたんじゃないかと、ついつい思ってしまいます。
2007-05-16 Wed 01:58 | URL | 内藤陽介 #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
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