内藤陽介 Yosuke NAITO
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 磯風さんの兄弟カバー
2007-06-13 Wed 00:59
 今月下旬の拙著『香港歴史漫郵記』の刊行(版元の近刊案内はこちら)にあわせて、友人の磯風さんがご自身のブログ軍事郵便保存会・関西事務局員の日記で“香港祭り”をやってくださっていることは、以前の記事でもご紹介したとおりです。その磯風さんの昨日の記事で、「今度、内藤先生がお出しになられる本にも詳しく解説されると思います」と話を振られてしまいましたので、微力ながら、それにお応えしようとこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

香港20銭カバー

 これは、太平洋戦争中の1942年6月27日、日本軍占領下の香港・赤柱の民間人抑留所に収容されていた女性がシドニーの香港政庁連絡事務所気付でオーストラリアに避難していた知人宛に差し出したカバー(郵便物)です。

 このカバーの郵便史的な説明については、磯風さんの記事が要領よくまとめられているので、ちょっとコピペして貼り付けてみます。

 香港での連合国サイドの捕虜、及び抑留者がマカオ以外に手紙を出す事が許可されたのは、昭和17年の中立国ポルトガル領・モザンピークで行われた外交官交換でした。この交換船は3隻で横浜を6月26日に出港、神戸、上海、ホンコンと巡航して各地の敵国外交官と一般人を乗せ、捕虜や抑留者差出の手紙も運びました。
 このカヴァー(磯風さんのブログの画像です)は、アメリカ経由イギリス宛で、当時の外信封書料金20銭が貼られ、香港局で抹消されています。日付は、昭和17年6月27日で、現在、見つかっているこの兄弟カヴァーは全て同じ日付けです。
 日本側の検閲はカヴァーには確認されてませんが、イギリスとアメリカの双方の検閲が入っているのがこのカヴァーの特徴です。
 本来、捕虜や抑留者差出の手紙は無料のはずなのですが、何故かこの時の郵便物に限っては、全てに20銭切手を貼った有料便として扱われています。(引用終わり)

 さて、今回の『香港歴史漫郵記』では、僕は、自分のカバーの受取人と差出人に注目して、磯風さんとはちょっと違った角度から取り上げてみました。

 ヨーロッパではすでに戦争が始まっていた1940年6月、香港政庁は香港在住のヨーロッパ人の女性と子供をオーストラリアへ避難させるよう、住民に命じました。“敵国”(名指しこそないものの、それが日本を意味することは明白でした)から攻撃を受け、香港が戦場となる可能性が高まっていると判断したからです。

 特に、1940年9月、日本軍が北部仏印に進駐し、アメリカを仮想敵国とする日独伊三国軍事同盟を結ぶと、日本と連合諸国の関係は一挙に悪化し、香港社会の緊張も一挙に高まっていきました。市街地の重要なビルには土嚢が積み上げられ、天星小輪の船着場にはおびただしい数の砲台が並べられました。また、灯火管制の演習は頻度を増し、街頭の新聞スタンドの売り子は「我々は最後の血の一滴まで香港を守ってみせる」と豪語。根も葉もない噂に注意しようとの香港政庁のキャンペーンが展開され、それをもじって「不確かな情報は国家を危機に追いやる。代わりに、タイガー・ビールについて話をしよう」という広告がいたるところで見られるようになったのもこの頃のことです。

 その一方で、1940年から1941年にかけての香港社会には、日本軍がまさか香港を攻撃するはずがないという根拠のない楽観論が満ち溢れていました。当時の香港の不思議な戦時バブルについては、以前の記事でもちょっとご紹介したとおりですが、じっさい、香港政庁が欧米系の全婦女子に香港島からの避難を命じた後も、彼女たちのうちの900人は何かと口実をつけて、日英開戦まで香港に居残り続けています。

 その結果、香港政庁の退避命令を無視して香港内に留まっていた婦女子は、日英開戦とともに日本軍に抑留されてしまいます。その結果、このカバーでは、香港政庁の指示に従ってオーストラリアに避難していた名宛人と差出人の明暗が分かれることになりました。

 なお、このカバーはオーストラリア宛でアメリカ経由ではないのですが、米軍の検閲を受けた後、オーストラリア当局の検閲を受けています。これは連合国側が対日反攻の陣容を整えて、オーストリアに脱出したマッカーサーを最高司令官とする南西太平洋軍がメルボルンで組織されたことを受けて、カバーがオーストラリアに陸揚げされた後、南西太平洋軍の開封・検閲を受けて封緘紙を貼られた後、再度、オーストラリア当局の開封・検閲を受けたためであろうと考えられます。

 それにしても、突如矛先がこっちに向いてくると、ちょっとビックリしてしまいますから、磯風さん、どうかお手柔らかにお願いしますね。
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この記事のコメント
#719 二重検閲
 このカバーは、香港方面の情報を得ようという南西太平洋軍・オーストラリア当局の物々しさを伝えてくれています。その緊張感がそこはかとなく伝わってきます。
2007-06-13 Wed 14:11 | URL | muraki #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
 muraki様
 同時に、南西太平洋軍とオーストラリア当局との“縄張り争い”のようなものも見えて、どこでも“お役所”って一緒なんだなぁ、と思ったりもします。
2007-06-16 Sat 09:47 | URL | 内藤陽介 #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
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