内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 帰らざる密使
2007-06-15 Fri 01:22
 1907年6月15日のハーグ密使事件から、今日でちょうど100年。というわけで、こんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

李儁

 これは、大韓民国発足後間もない1948年10月1日に発行された4ウォン切手で、ハーグ密使事件の当事者である李儁の肖像が取り上げられています。

 1904~05年の日露戦争は、朝鮮半島の支配権をめぐって日本とロシアが争った戦争でした。このため、この戦争に勝利を収めた日本は、朝鮮を勢力圏内に取りこむため、1905年11月、第2次日韓協約を結んで、大韓帝国を保護国化し、韓国統監をおいて外交権を接収します。

 これに対して、韓国皇帝の高宗は、1907年6月15日、オランダのハーグで開催されていた第2回万国平和会議に皇帝の密使を直接派遣し、列強に大韓帝国の外交権保護(第2次日韓協約の無効)を訴えようとしました。このとき、密使として派遣された3人のうちの1人が、今日の切手の李儁というわけです。

 ところが、会議に現れた密使たちに対して、出席していた列強諸国は大韓帝国の外交権が日本にあること、大韓帝国の利益は条約によって日本政府が代表していることなどを理由に、三人の会議出席を拒絶。そこで、密使たちは会議場の外でビラ撒きなどの抗議行動を行ったとされています。

 当然のことながら、韓国皇帝による密使の派遣は、大韓帝国の外交権が日本にあると定めた第2次日韓協約に明らかに違反していますから、日本側は韓国側を強く非難。高宗は譲位を余儀なくされ、7月20日、息子の純宗が皇帝として即位します。そして、同月24日、第3次日韓協約が調印されて、韓国は内政面でも日本の韓国統監の管轄下におかれることになりました。

 ところで、3人の密使のうち、切手に取り上げられている李儁は、列強の姿勢に抗議して現地で自殺したとされ、現在の韓国・北朝鮮では殉国の義士として尊敬を集めています。しかし、彼の死については、会議への出席を拒絶されてから10日以上も経過してからの自殺は不自然で、それゆえ、単なる病死ではないかとする見方も根強く、議論が分かれています。

 なお、ハーグ密使事件と李儁については、北朝鮮に拉致された映画監督の申相玉と女優の崔銀姫の夫妻が『帰らざる密使』という映画(ただし、この作品の監督は崔で、申は脚本を担当しました)を作っています。その後、夫妻はウィーン出張中に亡命に成功。自分たちも北朝鮮を脱出して、自分たちを拉致した“将軍様”のもとへは“帰らざる”存在となりました。
スポンサーサイト

別窓 | 韓国:李承晩時代 | コメント:2 | トラックバック:0 | top↑
<< トーク:緑化運動切手の物語 | 郵便学者・内藤陽介のブログ |  フォークランド紛争25周年>>
この記事のコメント
#726 唐突に
 李儁は、初期の韓国切手に図案になり、以降取り上げられなかった人物です。このときいったいどういう理由で取り上げたのか興味のあるところです。
2007-06-15 Fri 17:10 | URL | muraki #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
 Dear Sirs,
Thank you for your comment. I hope you will visit my site again soon.
Regards,
Yosuke NAITO

・muraki様
 李儁は若い頃の李承晩の盟友でしたから、案外、そういう単純な理由かもしれませんね。
2007-06-16 Sat 09:54 | URL | 内藤陽介 #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/