内藤陽介 Yosuke NAITO
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 英雄/テロリスト図鑑:アラファト
2007-07-15 Sun 08:54
 イスラム原理主義組織ハマスが、パレスチナのガザ地区を制圧してから、昨日(14日)でちょうど1ヶ月。これに伴い、パレスチナ自治政府のアッバス議長が発令した非常事態宣言の期限が切れることを受け、議長は、親欧米派のファイヤド氏を首相とする非常事態内閣を発足させました。

 で、このタイミングを狙っていたわけではないのですが、現在発売中の『SAPIO』7月25日号で僕が担当している連載「世界の『英雄/テロリスト』裏表切手大図鑑」では、ヤーセル・アラファトを取り上げていますので、ご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

オスロ合意

 アラファトは1929年にエルサレムで生れました。1948年にイスラエルが建国されると故郷を追われて難民となり、大学はカイロで卒業しました。大学在学中、政治活動に目覚めた彼は、第1次中東戦争のドサクサでエジプトが占領したガザ地区でパレスチナ学生連盟議長を務めていましたが、1956年に第2次中東戦争が勃発したのを機に“パレスチナ民族解放運動”、すなわちファタハを結成。イスラエルに対する本格的な武装闘争(=テロ活動)を開始します。
 
 現在でこそ、アッバース議長率いる穏健派のファタハに対して、過激派のハマスというイメージが強いようですが、どうしてどうして、ファタハだって、そもそもはかつては過激なテロリスト集団として恐れられていました。

 1956年の第2次中東戦争では、エジプトは英仏の介入を排してスエズ運河の国有化を達成し政治的勝利を収めたものの、イスラエル軍に簡単にスエズ運河地帯への侵攻をゆるすなど、純軍事的には敗けたも同然でした。このため、イスラエルとの戦争に勝ち目がないことを悟ったナセルは、反イスラエル各派を糾合したPLO(パレスチナ解放機構)結成のお膳立てをします。勇ましいイスラエル打倒の掛け声とは裏腹に、ナセルの本音は、反イスラエル闘争を一括してコントロールすることで、アラブの反イスラエル感情に応えるとともに、反イスラエル闘争の暴発してイスラエルを本気で怒らせることを防止する(=イスラエルとの全面戦争を回避する)ことにありました。

 アラファトのファタハもPLOに参加しましたが、彼らはナセルの微温的な姿勢に反発。PLO最大派閥として、ナセルのコントロールを振り切ってイスラエルへのテロ活動を繰り返します。当時のアラファトは、「反イスラエルのテロ行為を繰り返せばイスラエルはアラブとの全面戦争に踏み切るだろうが、その場合には、全アラブの団結によってイスラエルを粉砕できる」と考えていたわけですが、じっさいに1967年6月に第3次中東戦争が勃発すると、イスラエルの圧倒的な軍事力の前にアラブ側は惨敗してしまいます。

 それでも、PLO(1969年にアラファトが議長に就任)は「パレスチナに世界の注目を集める」ためとして、テロの対象を非イスラエル国民にも拡大。1970年9月には、PLO傘下の武装組織PFLP(パレスチナ民族解放戦線)が4機を同時にハイジャックする事件を起こします。(そういえば、以前、PFLPがらみで、こんなマテリアルもご紹介しましたっけ)

 この事件に激怒したヨルダンのフセイン国王は、激しい戦闘の末、PLO本部をアンマンから追放。ベイルートに移駐したPLOは、秘密テロ組織のブラック・セプテンバーを創設し、ミュンヘン・オリンピックの選手村に侵入してイスラエルの選手・コーチ11人を殺害するなど、テロ活動を繰り返しました。

 1982年のイスラエル軍のレバノン侵攻でベイルートからチュニスに撤退した後も、PLOは反イスラエルのテロ路線を維持していましたが、1987年にPLO不在のパレスチナで反イスラエル暴動の(第1次)インティファーダが発生します。インティファーダに際して、現地のパレスチナ人は、パレスチナから離れた土地で、イスラエル国家の解体という非現実的な主張を展開するPLOの主張に反して、イスラエル国家の存在を認めた上で自分たちの権利を保障するよう要求。このため、パレスチナ人を代表する組織ということになっていたPLOも路線転換を迫られ、アラファトもテロの放棄を公式に宣言しました。

 その後も、PLOをテロ組織とみなしていたイスラエルはアラファトとの対話を長らく拒否していました。しかし、湾岸戦争でアラファトがイラクを支持した結果、PLOは国際的に孤立。アラブ諸国からの経済支援もストップし、その影響力が大きく損なわれてしまいます。

 そうした中で、パレスチナでは、より過激な反イスラエルの“殉教作戦(=自爆テロ)”を展開するハマスが台頭。この頃には、PLOには昔日の勢いは全くなく、彼らは、イスラエルとの対話路線を定着させており、もはやイスラエルにとっての脅威ではなくなっていました。むしろ、PLOとその主流派であるファタハの退潮が進めば、彼らに代わってより過激なハマスがパレスチナ人の代表権を獲得することも危惧されるようになります。

 こうして、ハマスがイスラエルとPLO双方にとって共通の脅威となったことで、彼らは反ハマス連合として和解に到達。1993年9月、イスラエルとPLOの相互承認とガザならびにイェリコ(ヨルダン側西岸地区の重要都市)でのパレスチナ人の自治を骨子とするオスロ合意が調印され、パレスチナ自治政府が発足。かつてはテロリストの頭目として恐れられたファタハのアラファトは、一転して、ノーベル平和賞を授与されたというわけです。

 今回ご紹介している切手は、1994年のノーベル平和賞でアラファト(とイスラエル首相のラビン、同外相のペレス)がノーベル平和賞を受賞したことを記念して、パレスチナ自治政府が発行した切手で、ワシントンでのオスロ合意調印式の場面が取り上げられています。ちなみに、切手に取り上げられているのは、左からラビン(イスラエル首相)、クリントン(米大統領)、アラファトです。

 1990年代のパレスチナの動きについては、2001年に刊行の拙著『なぜイスラムはアメリカを憎むのか』でもまとめてみたことがあるのですが、切手や郵便物を使って展開するという仕事はまだやったことがありません。“切手で読み解く中東・イスラム世界”とサブタイトルをつけた『中東の誕生』でも、あまり新しい時代の話は入れていませんでしたし、そろそろ、中東がらみのニューバージョンの本を作らなくっちゃいけないかな、と考える今日この頃です。
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この記事のコメント
#822 質問ですが
額面部分に黒く四角で塗りつぶされているようなところがあります。何でしょうか。
2007-07-15 Sun 19:58 | URL | muraki #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
 muraki様

 そういえば、そういう箇所がありますね。今度、時間があるときに調べてみたいと思います。
2007-07-20 Fri 23:49 | URL | 内藤陽介 #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
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