内藤陽介 Yosuke NAITO
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 試験問題の解説(2007年7月)-2
2007-07-31 Tue 01:11
 現在、都内の某私立大学で“中東郵便学”と題する授業を週に1回やっているのですが、昨日(30日)はその前期試験をやりました。そこで、例によって、3日に分けて、その解説をしてみたいと思います。僕が大学でどんなことを話しているのか、という一つのサンプルとして、しばし、お付き合いください。

 さて、初回の今日は、「この郵便物(画像はクリックで拡大されます)について説明せよ」という問題を取り上げてみましょう。

ガザ・ドイツ軍事顧問団

 これは、1917年2月6日、オスマン帝国に派遣されていたドイツの軍事顧問団のメンバーがガザから差し出した軍事郵便のカバーです。料金は無料扱いなので切手は貼られていません。防諜上の理由から消印やカバーにはガザとの表示はありませんが、消印のAOK4という表示から、このカバーがガザ差出のモノであることがわかります。

 19世紀以来の数次にわたるロシアとの戦争でコーカサス地方を喪失したオスマン帝国にとって、コーカサスの奪還は悲願となっていました。このため、1914年に第一次大戦が始まると、オスマン帝国は当初こそ中立を保っていたものの、戦争はドイツ有利との判断の下、8月2日にドイツとの秘密同盟を締結。10月29日、黒海のロシア海軍基地を砲撃し、ドイツ側にたって参戦することになります。

 なお、オスマン帝国とドイツとの軍事的な関係は、露土戦争に敗れたオスマン帝国がドイツから軍事顧問団を招いて陸軍力の再建に乗り出したことから始まります。ドイツとしては、イギリスのライフラインであるスエズ運河の咽元を押さえているオスマン帝国を取り込むことは、イギリスとの戦争遂行していく上で重要なことでした。実際、一時的にではありますが、ドイツの支援を受けたオスマン帝国は中東地域のイギリス軍に打撃を与えており、ドイツの目論見はある程度効果を挙げたといってよいでしょう。

 こうして、東地中海地域はドイツとイギリスを主役とする第一次大戦に巻き込まれ、そのことが、英仏によって現在の“中東”の枠組が作られていく端緒となるのです。
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この記事のコメント
こそが面白い歴史を秘めていることが分かりました。
 ただ、この消印の上部はアラビア文字で書かれています。軍事機密を要するこのカバーには、どのような名目の消印が押されていたのか気になりました。
2007-07-31 Tue 16:40 | URL | muraki #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
 muraki様
 僕はオスマン語は良くわからないのですが、おそらく、ドイツ語同様、野戦郵便局・軍事顧問団のような内容だと思います。
2007-08-01 Wed 19:41 | URL | 内藤陽介 #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
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