内藤陽介 Yosuke NAITO
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 試験問題の解説(2007年7月)-4
2007-08-02 Thu 01:25
 昨日(1日)に引き続いて“中東郵便学”の前期試験の問題についての解説の3回目(最終回)です。今日は「この切手について説明せよ」という問題を取り上げましょう。(画像はクリックで拡大されます)

パレスチナ加刷

 これは、イギリスによるパレスチナの委任統治が開始されたことを受けて、1920年9月に発行された切手です。

 第一次大戦中、イギリスは、アラブに対してはフサイン・マクマホン書簡、フランスに対してはサイクス・ピコ協定、シオニストに対してはバルフォア宣言と、ひとつの土地に3通の権利書を発行するような矛盾した外交政策を展開。その火種は、大戦の終結とともに一挙に噴出します。

 そもそも、第一次大戦末期の1917年12月、アレンビーひきいるイギリス軍がエルサレムに入城したとき、70万ともいわれたパレスチナの人口のうち、ユダヤ系は約5・6万人しかいませんでした。ところが、大戦後の1919年に開催されたパリ講和会議には、シオニスト代表としてワイズマンが出席し、パレスチナをユダヤ人が排他的に支配することを主張。結局、“パレスチナ”の範囲はワイズマンの主張よりも大幅に縮小されましたが、会議では、バルフォア宣言に従い、パレスチナをイギリスの委任統治領として、将来、シオニストに対して自治を付与するという大枠が決定されます。

 そして、1920年7月、サンレモ会議を経て、イギリスによるパレスチナ統治が実質的にスタートし、統治の最高責任者である高等弁務官としてハーバート・サミュエルが着任。今回の切手は、こうした状況の下で、従来、この地域で使用されていたエジプト遠征軍の切手にアラビア語・英語・ヘブライ語で“パレスチナ”と加刷した発行されたものです。

 パレスチナに着任したサミュエルは、当初、自らもシオニズムの支持者として、パレスチナへのユダヤ人の移民枠を年間1万6500人と規定します。しかし、1921年4~5月にかけて、サミュエルの決定に憤激したアラブ系の反ユダヤ暴動がパレスチナ各地で発生すると、事態の収拾に迫られたサミュエルは、一転してパレスチナへのユダヤ人移民の受け入れの一時凍結を発表してしまいます。こうしたイギリス当局の場当たり的な姿勢は、当然のことながら、シオニスト側の不信感も醸成することになりました。

 さて、7月に僕の授業に関して実施した前期試験のうち、切手や郵便物が絡む問題については、とりあえず、今日で解説を終わります。切手と関係のない一般的な語句説明の問題(たとえば、「スルタン・カリフ制とは何か、説明せよ」といった類の問題です)については、ネットでもいろいろと調べられるでしょうから、ご興味をお持ちの受講者の方はご自身で対応していただきますよう、お願い申し上げます。

 なお、後期の試験は2008年1月に行うことになると思うのですが、その際には、今回の「反米の世界史」と「中東郵便学」以外の科目もあるので、よく言えば、ネタに困ることはなさそうです。ただ、受験者の方々へのフォローも必要でしょうが、さりとて、ブログの中身が試験問題の解説ばっかりだと一般の方々は退屈なさるのではないかとの不安がないわけではありません。まぁ、あと半年ありますので、なんとか上手くバランスを取る方法を考えてはみますが…。
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この記事のコメント
#870 いわれを聞けば
この加刷切手がどさくさ紛れで出来たような印象を受けます。
 中東問題の根源を見るような切手にも思えてきました。
2007-08-02 Thu 16:51 | URL | muraki #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
 muraki様

 まぁ、ドサクサ紛れにできた切手の方が、いろいろとバラエティもあって、我々としては楽しめるのも事実ですが。
2007-08-04 Sat 11:19 | URL | 内藤陽介 #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
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