今日(8月20日)は、1931年に日本で初めて赤・黄・青3色の交通信号機が設置されたことにちなんで、“交通信号の日”なんだそうです。というわけで、今日はこんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1946年4月8日、米軍政下の南朝鮮(大韓民国はまだ成立していません)で、差出人が郵便物をまとめて差し出しされた際、その料金を徴収した原符で、乃木希典の2銭切手、富士桜の20銭切手、金閣寺の50銭切手が貼られています。金閣寺の切手の刷色は、正確には灰味茶・黄味茶ですが、まぁ広い意味での“黄色”と捉えて、赤・黄・青の信号機の3色の切手が貼られた“信号機カバー”の一種とみることも可能かもしれません。
日本の敗戦により、朝鮮半島は北緯38度のラインを境として、米ソによって分割占領されました。このうち、米軍政下に置かれた南朝鮮では、1946年2月に“朝鮮郵票”を意味するハングルと新額面を加刷した切手が、さらに同年5月には“解放切手”と呼ばれるオリジナル・デザインの切手が発行されましたが、同年6月30日までは日本時代の切手もそのまま有効とされていました。
今回ご紹介している原符は、そうした時期の南朝鮮での日本切手の使用例で、原符の用紙は日本時代のものがそのまま使われているほか、光化門局の消印も(年号こそ西暦表示になっていますが)日本時代のものが使われています。当時の南朝鮮において、日本時代の“遺産”を無視しては郵便事業が成立しえなかったことを物語る資料といってよいでしょう。
信号機カバーというのは、ただ単に貼られている切手の色あわせでしかないので、それがどうしたと言われれば身もフタもないのですが、単純素朴に見ていて楽しめるという面は否定できないと思います。
今年は間に合わないでしょうが、来年以降、毎年8月20日の交通信号の日にあわせて、ウェブサイトなりブログなりをやっている切手収集家の皆さんが、それぞれ自分の手持ちの信号機カバーを1通ずつ披露するというようなことをやってみたら、いろいろとバラエティに富んだ画像が見られて楽しいかもしれませんね。
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