内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 ロシア革命で届かなかったカバー
2007-11-07 Wed 11:40
 1917年11月7日(当時、ロシアで使われていたユリウス暦だと10月25日)に、ロシア10月革命が起こってから今日でちょうど90年です。というわけで、今日はこんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

アトス山からロシア宛カバー

 これは、10月革命勃発直後の1917年11月21日、アトス山(ギリシャ)カリエスのロシア正教会の修道院からロシアのオレンブルグ(ウラル山脈南端の都市で、モスクワから南東に1480kmの地点にあります)宛に差し出されたものの、革命でロシア宛の郵便物が送達不能となり、差出人に返送されたものです。カバーの裏面には下に示すように、合計16枚、35レプタ分のギリシャ切手が貼られているほか、中継地のロンドンで開封・検閲された後に書き込まれたと思われる「ギリシャ・アトス山のロシア修道院へ返送」との表示も読み取れます。

アトス山からロシア宛のカバー(裏)

 アトス山は、ギリシャ北部の中央マケドニアにある山(半島全体が山岳になっています)で、ギリシャやロシアなどの東方正教会の修道院による治外法権が認められた自治共和国区域(アトス自治修道士共和国)になっています。ただし、切手に関しては、アトス自治修道士共和国が独自の切手を発行しているわけではなく、ギリシャ切手が使われています。

 カバーに押されている消印類の日付を整理すると、このカバーは1917年12月4日(消印上のユリウス暦表示では11月21日)にカリエスから差し出された後、翌1918年1月2日にロンドンに到着。そこで検閲を受けてギリシャのアテネに戻されたのが同年12月7日(同11月24日)、そこからテッサロニキを経て、12月24日(同12月11日)にカリエスに戻っています。この間、ロシアの革命政府はドイツと単独講和を結んで第一次大戦を離脱。これに対して、「革命軍によって囚われたチェコ軍団を救出する」という名目で連合諸国はシベリアに出兵するなど、ロシア情勢はめまぐるしく変転しており、このカバーを差し出したロシア正教会の修道院も気が気ではなかったのではないかと思います。

 ロマノフ王朝時代、ロシア正教会が政権と強く結びついていたことに加え、10月革命によって成立したソヴィエト政権は無神論を掲げていたことから、革命後のロシアでは、多数の聖堂や修道院が閉鎖され、財産が没収されました。また、外国のスパイなどの容疑をかけられて逮捕・処刑される聖職者や信者も後を絶たず、1991年にソ連が崩壊するまで、ロシア正教会は苦難の歴史を歩むことになります。このカバーは、まさに、そうした彼らのとっての苦難の歴史のスタートを記録するものといってよいでしょう。
スポンサーサイト

別窓 | ギリシャ | コメント:2 | トラックバック:0 | top↑
<< やめたんじゃなかったの? | 郵便学者・内藤陽介のブログ |  ブタかネズミか>>
この記事のコメント
#1068
マウント・アトスはアマチュア無線では別カントリーとして扱っていて、アマチュア無線局が1局だけいて年に何回かだけ電波がでています。ただ、これを別カントリーとしてはあつかったのはコネティカットに本部のあるアメリカの連盟ですから、政治的意図はもろにあったようですねえ。
2007-11-08 Thu 16:23 | URL | 岡本 哲 #mQop/nM.[ 内容変更] | ∧top | under∨
 岡本哲様

 マウント・アトスというのは、欧米人にとっては郵便史的には結構魅力のある要素のようで、オークションなんかでも、ときどき、太字で強調されているのを見ることがあります。
2007-11-17 Sat 22:45 | URL | 内藤陽介 #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/