内藤陽介 Yosuke NAITO
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 極東共和国の幻
2007-11-26 Mon 09:07
 極東共和国の指導者だったアレクサンドル・ミハイロヴィチ・クラスノシチョーコフが、1937年11月26日にスターリンの粛清で銃殺されてから、今日でちょうど70年になります。というわけで、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

極東共和国

 これは、1921年に発行された極東共和国の切手です。

 極東共和国とは、ロシア革命後の1920年4月、干渉出兵でシベリアに駐留を続ける日本軍との緩衝国としてボルシェビキ政権が樹立したもので、ボルシェビキ政権の支配地域とは別個に、独自の切手も発行しています。当初の首都はウラン・ウデでしたが、後にチタに遷都。この切手はチタで発行されたものです。

 もともと、極東共和国はボルシェビキ政権の衛星国といった性格のものでしたから、1922年10月に日本軍がシベリアから撤退すると、ボルシェビキ政権にとって同国の存在意義もなくなり、同年12月のソヴィエト社会主義共和国連邦(以下、ソ連)の成立にあわせて、同国はソ連に吸収され、消滅してしまいます。

 この極東共和国の成立に尽力したのが、革命政府で共産党国際部東洋部長に就任したクラスノシチョーコフでした。

 クラスノシチョーコフは、帝政時代の1902年にアメリカに亡命して、そこで教育を受け、革命後に帰国した人物で。極東共和国の樹立後は同国の首相に就任し、アメリカの支援で極東共和国の経済的自立をはかるべく、1921年には経済使節団をアメリカに派遣しています。同共和国では、アメリカ型の自由主義経済を一部取り入れたり、ボルシェビキ政権下では非合法とされていた各種政党を認めたり、男女平等を掲げる進歩的な憲法を制定したりするなど、自由主義的な国家作りを目指していました。

 しかし、このことが、結果として教条主義的な共産主義活動家との対立をもたらし、クラスノシチョーコフは失脚。スターリン時代に銃殺されてしまいました。

 ロシアの反プーチン派の指導者で、チェス元世界王者のカスパロフが、野党連合勢力の集会で、当局が許可していないデモ行進を強行し警察に抵抗したとしてモスクワの裁判所から拘禁5日間の決定を言い渡されたそうです。 ロシアに全体主義を復活させてはならないと奮闘中のカスパロフですが、ロシア国内ではプーチンの終身独裁体制が着々と進みつつあるようで、どうにも分が悪いのは否定できません。こういうニュースを聞くたびに、かつての極東共和国が存続していたら、リベラルな政治風土がロシアの一部にでも根付いていたかもしれないのに…、という思いを禁じえないのは僕だけではないでしょう。

 なお、極東共和国に関しては、拙著『反米の世界史』でも簡単に触れていますので、機会がありましたら、ご覧いただけると幸いです。

 【イベントのご案内】  
 12月1日(土)、東京大学駒場キャンパス・16号館119教室で開催のシンポジウム「戦争とメディア、そして生活」にて、日本占領時代の香港のことを中心に「切手というメディアが含蓄するもの」と題してお話しします。

 僕の出番は、13:20スタートの「収集されるメディア―絵はがき、切手、ポスター」と題するセッションの2番目。入場は無料でどなたでもご参加いただけますので、ぜひ、遊びに来てください。
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