日中戦争時の1937年12月13日に日本軍が南京を陥落させてから、今日でちょうど70年になりました。というわけで、今日はこんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

これは、南京陥落後、現地にいた兵士が名古屋宛に差し出した郵便物で、1938年1月1日付の南京野戦郵便局の“祝勝新年”の印が押されています。ただし、年賀状の類は年末に差し出されたものにも1月1日付の印が押されますので、この郵便物の場合も、かならずしも1月1日の差出ということではないでしょう。なお、封筒の表面に押されている“13(年)2(月)3(日)”の印が正しいとすると、日本到着までほぼ1月かかっている勘定になります。
“祝勝新年”の記念印は、このほか、上海でも使われているのですが、やはり、中国側の首都だった南京のモノのほうが、よりふさわしいように思います。当時の日本側は、首都・南京の陥落イコール勝利という理解から、このような記念印を準備し、使うことになったのでしょう。もちろん、史実としては、蒋介石の国民政府は南京陥落後に重慶に遷都して抗日戦争を継続するわけですが、戦史を紐解いてみれば、首都の陥落によって戦争が終結した例は少なくないわけで、当時の日本側が南京を陥落させれば蒋介石も降伏すると考えていたとしても不思議はありません。
さて、南京陥落後、日本軍の占領下で多くの民間人が犠牲となったことは紛れもない事実であり、僕もそのことを否定するつもりはありませんが、当時、人口20万人とされていた南京で30万人が虐殺されたとする中国側の主張を聞くと、「しょうがねぇなぁ」という感想しか出てきません。
あらためて言うまでもないことですが、どんな国にも“建国の神話”というものがあります。
ここでいう“神話”とは、我われが通常イメージするような神代の昔の物語ではなく、その国の現体制が正統性を主張するための歴史的な物語のことです。
たとえば、多くの国々の歴史教科書では、独立ないしは革命以前の祖国の状況がいかに悲惨なものであったか、また、そうした煉獄から民族を救うために英雄たちが立ち上がり、いかに苦心惨憺して現在の国家を作ったか、という内容の記述が執拗なまでに繰り返されています。アメリカの独立戦争やフランス革命が、かの国の教科書でどのように語られているかということは、誰しも容易に想像がつくことでしょう。
この建国神話の世界では、そこで述べられている内容が客観的な歴史的事実と合致しているか否かはたいした問題ではありません。むしろ、英雄譚としての神話を国民が受け入れ、社会の暗黙の構成原理として流通しうるか否かのほうがはるかに重要とされます。アメリカ初代大統領のジョージ・ワシントンが神格化されていく過程で、有名な桜の木の物語が捏造され、広く流布していったことは、その典型的な事例といえましょう。
同様に、なんらかのかたちで“抗日”の過去の延長線上に誕生した東アジア諸国が、自らの建国神話を語る際、日本(少なくともかつての日本)を悪役として取り上げ、そのイメージを誇張して表現するのも、ある意味では自然なことといえます。
“南京”のケースはその典型的なもので、“抗日戦争を勝利に導いた”ことを自らの正統性の根拠として掲げている中国共産党政府が、国民の求心力を高めるため、<極悪非道な日本軍>のイメージを極大化して活用することは、(賛否は別として)純粋に政治宣伝の技術論として定石どおりの行動といわざるをえません。
好むと好まざるとに関わらず、このような“神話”の上に成り立っている国が海を挟んで対岸に存在していることは事実であり、日本列島がどこか遠くへ移動することが不可能である以上、我々としては、こうした彼らの事情を理解したうえで、彼らと割り切ったお付き合いをしていくしかないように思うのですが、現実にはそれもなかなかしんどそうです。
まぁ、「戦前の日本は軍部独裁の暗黒時代だった。だから、戦争に負けて民主化がもたらされたのは日本人にとっては幸福なことで、そのことが戦後の高度成長と経済大国化に繋がった……」というのが戦後日本の“建国神話”であるなら、戦前の日本を悪者にするという点で、日中双方の“神話”の相性が良いのは当然なのかもしれません。もっとも、「だから“日中友好”は大事なんだよ」と言われてしまったら、僕なんかは黙ってしまうしかないのですが…。
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