内藤陽介 Yosuke NAITO
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 みどりの日
2018-05-04 Fri 01:56
 きょう(4日)は“みどりの日”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・マエストラ山脈

 これは、2003年にキューバで発行された“エコ・ツーリズム”の切手のうち、緑に覆われたシエラ・マエストラ(マエストラ山脈)を取り上げた1枚です。
 
 シエラ・マエストラは、キューバ島南東のクルス岬からマイシ岬まで、東西250キロにも及ぶキューバ島最大の山脈です。キューバ最高峰のトゥルキーノ山(2005m)も、この山脈に属しており、山中には、銅・マンガンなど豊富な鉱山資源が埋蔵されています。

 山脈の東に位置するサンティアゴ・デ・クーバは、1953年7月26日、フィデル・カストロは同地にあったモンカダ兵営を襲撃。これが、キューバ革命の発端となりました。

 また、1956年12月2日、グランマ号に乗ったフィデルら革命組織の“7月26日運動(M26)”は、シエラ・マエストラ西側のラス・コロラダス海岸に上陸。昼間はサトウキビ畑などに隠れ、夜間にのみ行軍してトゥルキーノ山頂を目指しました。

 しかし、飛行機を通じて“不審船”の動きを探知していたバティスタ政府は、砂糖キビの食べかすなどから叛乱軍の足跡をたどり、12月5日の昼頃、アレグリーア・デル・ピノで反乱軍を迎撃。この時の戦闘で叛乱側の兵士多数が犠牲になり、捕虜となった者は虐殺されました。ただし、バティスタ政権の圧政に苦しめられてきた農民の中には叛乱側を支持する者も少なからずおり、そうした農民の指導者の一人であったクレスセンシオ・ペレス・モンタノは、ラウルら叛乱側の兵士を保護。12月17日、ラウル・カストロ(フィデルの弟)ら6人のグループは、元オルトドクソ党員のシンコ・パルマスの農場で、前日に同農場に逃れついていたフィデルらと合流しました。

 こうして、フィデルら3人とラウルら6人の9人に地元の農民3人が加わり、以後のゲリラ戦の母体となる“伝説の12人”が形成されます。その後、グランマ号で上陸したチェ・ゲバラ、フアン・アルメイダ、カミーロ・シエンフエゴスら7人も合流し、20日には17人が武器8丁でゲリラ戦の訓練を開始。翌21日、農民の志願兵などを加えた計29人がシンコ・パルマスを出発し、シエラ・マエストラ山中での本格的なゲリラ戦が始まりました。

 以後、叛乱軍はシエラ・マエストラ山中に解放区を樹立してバティスタ政権と戦い、1959年1月にはバティスタ政権を崩壊させて革命を成就させます。

 なお、シエラ・マエストラ山中でのカストロとゲバラの戦いについては、5月末に刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも詳しくご説明する予定です。正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。 


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 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

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(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 


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 憲法記念日
2018-05-03 Thu 10:28
 きょう(3日)は“憲法記念日”です。というわけで、世界の憲法関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・1940年憲法

 これは、キューバで1940年憲法の公布に際して使用された記念印です。

 スペイン植民地時代のキューバには植民地独自の憲法はありませんでしたが、1868年に始まる第一次独立戦争の過程で、1869年、独立派がガイマロ憲法を制定。これが、キューバ最初の憲法となります。

 その後、1878年のパラグア憲法、第二次独立戦争時のヒマグアユ憲法(1895年)、ラ・ヤヤ憲法(1897年)などが制定されましたが、これらは、独立戦争の過程で作られてこともあって、体系的な憲法というよりも、独立宣言という性格の強いものでした。

 1898年の米西戦争で、スペインはキューバの領有権を放棄し、キューバに新政権が樹立するまでは米軍がキューバを占領することになります。これを受けて、米国の“指導”の下、キューバ制憲議会が招集され、米国はキューバに対して、①キューバの独立が脅かされたり、米国人の生命・財産が危険にさらされたりした場合には米国は介入できる、②キューバは(米国以外の)外国から資金を借りてはいけない、③キューバ政府は(米国以外の)外国に軍事基地を提供したりしてはいけない、③キューバ政府は米軍事基地を提供する義務を負う(この結果、設置されたのが、現在も存在するグアンタナモ米軍基地です)、など8項目からなる付帯事項(プラット修正条項)を強要。これを容れたうえで、人民主権・三権分立・国民の生活向上を謳った1901年憲法が採択され、1902年5月、キューバ共和国が発足します。

 1924年の大統領選挙で当選したヘラルド・マチャド・イ・モラレスは、軍部の支持を背景に、政権に批判的なメディアや活動家を弾圧。1927年には憲法を改正して大統領の(連続)再選禁止規定は撤廃し、独裁者として君臨しましたが、1929年10月に世界恐慌が発生し、キューバ経済が壊滅的な打撃を受けると、大規模な反マチャド運動が発生。1933年8月、マチャドはバハマの首都、ナッソーに亡命しました。

 マチャドの亡命後、臨時政府の大統領にはカルロス・マヌエル・デ・セスペデスが就任しましたが、9月4日にはフルヘンシオ・バティスタ・イ・サルディバル軍曹を首謀者とする下士官がハバナ市内、コロンビア兵営で叛乱を起こし、軍の実権を掌握。バティスタらは、軍の旧首脳部の報復に対抗するため、左派系の学生幹部会と手を組み、“キューバ革命連合”を結成し、ハバナ大学教授のラモン・グラウ・サン・マルティンを首班とする新政権が誕生しました。

 その後、キューバ国内では、左翼勢力の“赤軍”、政府軍バティスタ派、将校団(政府軍内の反バティスタ派)の三つ巴の闘いが展開されましたが、最終的に米国の支持を得たバティスタ派が勝利をおさめ、1934年1月19日、バティスタの支援を受けたカルロス・メンディエタ・イ・モンテフール(独立戦争の英雄で、国民党の重鎮として、かつて大統領選挙でマチャドと戦ったこともある)を臨時大統領とする“国民統一政府”が発足します。

 以後、バティスタは政権の陰の実力者として暗躍し、短期間で政権が目まぐるしく交替する時期が続きましたが、それでも、政治犯の釈放(1937年)、共産党の合法化、土地分配法の制定(1938年)などのリベラルな政策も行われ、砂糖および煙草産業の国家管理や社会保障政策も導入されました。

 そうした流れの中で、1939年には憲法制定議会が招集され、国家主権の確立、全国民の平等(=人種・性・階級による差別の禁止)、大統領の再選禁止、普通選挙、大地主制度(=米系砂糖会社による土地の独占)の廃止、土地所有限度の設定(=大地主制度の廃止)などを定め、当時のラテンアメリカでは最も民主的といわれた1940年憲法が施行されます。今回ご紹介の記念印は、これにあわせて使用されたものです。

 ただし、事実上、米国の植民地だったキューバでは、1940年憲法に規定された大地主制度の廃止は行われず、政府要人や官僚は権力の乱用と汚職による不正蓄財に狂奔していました。さらに、1952年3月10日、大統領選挙に立候補したものの苦戦が続いていたバティスタが軍事クーデターを決行し、力ずくで大統領に就任すると、1940年憲法は事実上反故にされてしまいます。

 これに対して、1952年の議会選挙にオルトドクソ党から立候補した青年弁護士のフィデル・カストロは、クーデターによる選挙の無効に憤慨し、バティスタを憲法裁判所に告発。しかし、裁判所はこれを握り潰し、既成政党もクーデターを結果的に容認してしまいました。そこで、1953年7月26日、カストロは、バティスタ政権の打倒を掲げて、モンカダ兵営襲撃事件を起こしました。

 事件後、カストロは裁判で、革命達成の暁に実施すべき政策として、①1940年憲法の復活、②土地改革(小作人下の土地分与、有償による土地接収)、③労働者の企業利益への参加、④小作人の収益参加率の50%への引き上げ、⑤不正取得資産の返還、の5項目を掲げます。以後、1940年憲法の復活は、反バティスタ派の共通の目標となりました。
 
 1959年1月、バティスタ政権は崩壊し、カストロの革命が成功すると、同年2月7日、革命政府は1940年憲法を修正するキューバ共和国基本法を制定しました。その際、新憲法制定のための議会が早急に開催の予定とされていましたが、実際には、2月7日付で国民議会が解散された後、1976年まで選挙は実施されず、“革命的立法”によって政策が実施されていくことになります。こうして、事情はどうあれ、革命キューバは議会制民主主義国家ではなくなりました。

 なお、キューバでの憲法と名のつく法律の復活は、1975年のキューバ共産党第1回大会を経て、1976年2月のことでした。1976年憲法は、1992年の修正で「キューバを社会主義国家と定義(第1条)」、2002年の修正で「社会主義体制は不可侵(変更不可能)」とする条項が追加されているほか、第5条ではキューバ共産党(PCC)のみを合法政党としています。

 さて、5月末に刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、このあたりの事情についても詳しくご説明する予定です。正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。 

 * 昨日、アクセスカウンターが191万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。  

 
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 メーデー
2018-05-01 Tue 02:21
 きょう(1日)はメーデーです。というわけで、メーデー関連の切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・メーデー加刷(1961)

 これは、1961年、ヘスス・メネンデス生誕50周年の記念切手に、メーデーの記念加刷をしたキューバ切手です。

 ヘスス・メネンデスは、1911年12月14日、キューバ島中部ラス・ビリャス州北岸のエンクルシハダで解放奴隷の家系に生まれました。生家は貧しく、小学校を4年生で中退し、サトウキビ畑で働き始め、生活のため、鉄道員や製糖工場の工員なども経験します。

 1925年8月16日、“コミンテルン・キューバ支部”としてハバナでキューバ共産党が結成されると、これに参加。活動家として頭角を現し、1929年には勤務先の製糖工場の労働組合書記長に就任。翌1930年4月20日に行われた48時間のゼネスト(キューバ全土で20万労働者が参加)では、故郷エンクルシハダの共産党組織に参加し、その闘争ぶりから“砂糖キビ畑の将軍”と称されました。

 1932年には全国組織の製糖労働者組合を結成し、1934年には、やはり黒人のラサロ・ペーニャらとともにキューバ労働総同盟の結成に関わり、以後、ペーニャの片腕として活動します。さらに、1939年には製糖労働者全国連合の議長となり、1940年にはラス・ビリャス州から国会議員に当選。戦時下での賃上げ凍結を決めた政府に対する反対闘争を指揮しました。

 1944年、米国共産党が「革命は国民の分裂をもたらし、結果的に、最も反動的な勢力にのみ利益をもたらすことになるから、共産党を解党して二大政党制の中で“進歩的な勢力”を前進させるため活動すべし」とするブラウダー主義を提唱すると、キューバ共産党はこれを支持して、民主集中制を放棄し、党名を人民社会党(PSP)に変更しました。

 こうして、PSPは穏健路線を採択したものの、第二次大戦後の東西冷戦が進行する中で、米国の強い影響下に置かれていたキューバでも反共政策が推進されることになります。1947年7月、当時の内相、ブリオは労働勢力切り崩しのため、労働組合評議会を結成。労働総同盟の内紛を口実に総同盟本部を占拠し、“総同盟正統派”がこれを管理することとしました。さらに、同年10月、ブリオは「総同盟は違法であり、その権利は停止され全権が正統派に委ねられる」と発表。これに抗議する総同盟の活動家1000人以上が逮捕される中で、各地で抗議集会を展開していたメネンデスは、1948年1月、マンサニーリョ駅頭で反共主義の軍人により射殺されました。

 ちなみに、メネンデス暗殺事件当時のフィデル・カストロはPSPに対しては批判的でしたが、メネンデス個人に対しては経緯を抱いており、彼の追悼集会にも参加しています。

 メネンデス生誕50周年の切手は、1959年の革命後、カストロ政権が農地改革を経て米国との対立を深め、ソ連に傾斜していく中で発行されました。

 さらに、同年4月、米CIAの支援を受けた反革命軍が侵攻する“プラヤ・ヒロン事件”が発生すると、カストロは米国との対決姿勢を鮮明にするため、「キューバ革命は社会主義革命である」と宣言し、反革命軍を撃退。これを受けて、キューバを代表する左翼活動家としてのメネンデスの切手に、メーデーの日付“我々は勝ちつつある(ESTAMOS VENCIENDO)”の文言を加刷して発行されたのが、今回ご紹介の切手となります。

 なお、このあたりの事情については、5月末に刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも詳しくご説明する予定です。正式な刊行日等が決まりましたら、このブログでもあらためてご案内いたしますので、よろしくお願いします。 
 

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 昭和の日
2018-04-29 Sun 11:01
 きょう(29日)は“昭和の日”です。というわけで、5月刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』の中から、昭和史ネタということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・マルティ生誕100年(監獄)

 これは、1953年にキューバが発行した“ホセ・マルティ生誕100年”の記念切手のうち、マルティが捕えられていたピノス島(現・青年の島:フベントゥド島 )の“政治犯収容所”が描かれています。この収容所は、第二次大戦中、日系人が抑留されていた施設でもありました。ちなみに、実際の収容所内の風景を取り上げた写真絵葉書が手元にありますので、その画像も下に貼っておきます。

      キューバ・ピノス島監獄

 ピノス島は、キューバ本島西部南岸のバタバノ湾から南西百キロの地点にあり、ハバナやピノール・デル・リオからほぼ真南に位置しています。ピノス島という地名は、島中に松の木が多数あったことに由来するもので、日系移民の間ではスペイン語名を直訳した“松島”と通称されていました。

 キューバといえば、サトウキビの栽培が有名ですが、ピノス島の土壌はサトウキビの生育に全く適していません。このため、スペイン当局はここに政治犯収容所を設置し、同島でも栽培可能な柑橘類の栽培などの労働に従事させていました。キューバ独立運動の指導者として知られるホセ・マルティも、一時、この収容所で拘束されていたことがあり、そのため、生誕100年の記念切手にも収容所の風景が取り上げられたというわけです。

 さて、米西戦争後のパリ条約では、スペインはキューバの領有権を放棄しましたが、ピノス島はキューバの領土を定めた覚書からその名が脱落していたため、米国とキューバの間で領有権をめぐる対立が生じます。その後、1907年、米国最高裁がピノス島は合衆国に属するものではないとの裁定を下したため、米国政府は、それ以上の争いを断念。1925年に米国とキューバの間で取り交わされた覚書により、島の領有権はキューバのものと確定しました。

 ところで、キューバ島を訪れた日本人の記録としては、1614年7月23日、仙台藩主伊達政宗の命を受けてスペインおよびローマに派遣された支倉常長らがハバナに立ち寄ったのが最初です。明治維新後、日本から北米の移民が始まりましたが、米国では黄禍論に基づく日系移民の排斥が始まったため、その代替地の一つとして、1898年、キューバへの日系移民が始まり、1908年以降はピノス島に移住して果物・野菜の栽培に従事する日本人も現れました。

 なお、キューバへの日系移民は1919年から1926年頃が最盛期でしたが、この時点では両国間に正規の国交はなく、1929年の通称暫定取極締結により、ようやく、外交関係が樹立されています。

 1941年12月8日、日本が米英に宣戦を布告すると、翌9日、キューバは日本に宣戦布告し、以後、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効するまで両国の外交関係は途絶します。

 この間、1941年12月12日、キューバ在住の日本人は“敵性外国人”として、その一部が逮捕・国外退去処分となり、約350人の男性が1946年3月までピノス島のプレディシオ・モデーロ収容所に抑留されました。

 1952年、日本とキューバの国交は回復しましたが、1959年の革命で親米バティスタ政権が打倒されると、少なからぬ日本人が混乱を嫌って、キューバを去りました。ちなみに、1950年代後半は、日本からラテンアメリカ諸国への移民がさかんに行われていた時期で(ちなみに、キューバで革命が起きた1959年の日本からブラジルへの移民は年間7000人を超えていた)、そうした中で、キューバは日系移民社会が縮小していた例外的な国でした。

 さて、5月刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、そうしたキューバの日系移民について、チェ・ゲバラがどう考えていたかについても触れています。今後、同書については、このブログでも随時ご案内していきますので、よろしくお願いいたします。


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 本日、トークやります。
2018-04-21 Sat 01:09
 かねてご案内の通り、本日(21日)12:30より、東京・浅草で開催のスタンプショウ会場内で、5月刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』の事前プロモーションのトークイベントを行います。というわけで、その予告編として、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます。なお、イベントの詳細は主催者HPをご覧ください)

      キューバ・サロンデマヨ

 これは、1967年7月にキューバで発行された“サロン・ド・マヨ美術展”の記念シートで、同展の目玉とされた「クーバ・コレクティヴァ」が取り上げられています。この作品の左方にはゲバラの肖像が描かれており(下に拡大画像を貼っておきます)、これが、ゲバラ切手としては最初の1枚となりました。なお、ゲバラは1967年10月にボリヴィア山中で殺害されていますので、この切手は、ゲバラの生前に発行された唯一の肖像切手でもあります。

      キューバ・サロンデマヨ(部分)

 サロン・ド・マヨ美術展は、『レヴォルシオン』紙の元編集長で著述家のカルロス・フランキが中心となって開催したもので、イヴェント名はドイツ占領下のパリで、反ナチス派の芸術家たちが創設した“5月サロン”を意識しています。パブロ・ピカソ、ホアン・ミロ、アレクサンダー・カルダー、ルネ・ポルトカッレロ、ウィルフレド・ラム等、当代一流の芸術家の作品が展示されたほか、キューバを拠点に活動をする若手芸術家を集め、支援することも目的の一つであったため、展覧会に参加した芸術家の中には、主催者側から滞在費その他の支援を受け、会期の数週間前からハバナに滞在して作品を制作するケースもありました。

 切手に取り上げられた「クーバ・コレクティヴァ」は、中央の円をウィルフレド・ラムが描き、その周囲に渦巻き状に他の画家たちの作品を加えていくことで作られた合作壁画で、その全体は横10m、縦5mという巨大なものです。

 ちなみに、ゲバラの肖像として一番有名な「英雄的ゲリラ」は、革命後の1960年3月5日、前日にハバナ港で起きた爆発事件の犠牲者追悼集会で、『レヴォルシオン』誌の写真記者、アルベルト・コルダが撮影した写真をトリミングしたものです。

 当初、コルダの写真は一般に公開されませんでしたが、1967年、イタリアの編集者ジャンジャコモ・フェルトリネッリが焼き増しを譲り受け、同年10月のゲバラ処刑後、ポスターにして販売。さらに、キューバ政府主催の追悼集会で巨大な遺影として掲げられたほか、没後1周年の追悼切手等にも取り上げられて、いちやく有名になり、反体制のシンボルとして世界中で多くの複製が作られました。

 今回のトークでは、波乱に満ちたゲバラの生涯をたどるとともに、彼の死後、彼の肖像がどのような形で全世界に流布し、どのようなイメージで語られてきたのかという点についても、お話ししたいと考えています。ぜひ、1人でも多くの方にご参加いただけると幸いです。


★★★ トークイベントのご案内 ★★★

 4月21日(土)12:30より、東京・浅草で開催のスタンプショウ会場内で、5月刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』の事前プロモーションのトークイベントを行います。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。

      ゲバラ本・仮書影

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 ラウル・カストロ議長退任へ
2018-04-18 Wed 05:15
 キューバで、きょう・あす(18・19日)、人民権力全国会議が開催され、現在のラウル・カストロ国家評議会議長(首相を兼務)が退任し、新議長が選出される見通しです。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・議事堂絵葉書(1929)

 これは、キューバの首都、ハバナの旧国会議事堂“カピトリオ”を取り上げた絵葉書です。

 カピトリオは、1929年、米国の連邦議事堂を模して、ハバナ中心部のホセ・マルティ通りに建てられました。幅208m、高さ98mの4階建てで、円形の柱廊の上にドームが乗せられています。

 さて、キューバでは、革命直後の1959年1月17日、政権内の主導権争いから、首相のカルドナが大統領のウルティアに辞表を提出し、後に撤回するという混乱が生じました。

 これに対して、2月7日、混乱収拾のため、革命の指導者、フィデル・カストロの首相就任を求める世論が高まり、大衆デモの圧力に押されたカルドナ政権は国民議会を解散します。以後、キューバでは1976年まで選挙は実施されなかったため、革命キューバは議会制民主主義国家ではなくなり、カピトリオが議事堂として使われることもなくなりました。なお、フィデルは、2月16日、「首相は政府の全般的政策を代表する」との条件つきで首相に就任し、革命政権の実権を掌握します。

 その後、1976年2月、革命後の新憲法がようやく公布されたことに伴い、人民権力全国会議・人民権力州会議・人民権力地区会議で構成される議会制度が復活しました。ただし、1976年のキューバ憲法では、一般国民による直接選挙制度が採用されているのは地区会議の選挙のみで、州会議と全国会議の議員は地区会議が中心になって選出するものとされていました。現在は、1992年の憲法改正を経て、州会議と全国会議の選挙も直接投票となっています。

 ただし、選挙に際しては、地区の候補者委員会が議員定数の4分の1超の“プレ候補者”を選び、州会議と全国会議の候補者委員会が独自の候補者を加味した候補者リストを作成し、地区会議がそれぞれ被選挙権を満たしているかどうか審査したうえで、定数と同数の候補者を決定するという方式がとられているため、誰でも自由に立候補できるわけではわけではありません。したがって、キューバの人民権力全国会議は、たしかに全国レベルの立法機関ではあるものの、多くの日本語メディアで紹介されているように“日本の国会に相当”とは単純に言い切れない面があります。なお、国家元首としての国家評議会議長は、全国会議の議員の中から選出されます。

 さて、ことし(2018年)6月はチェ・ゲヴァラの生誕90年にあたっているため、この機会をとらえ、ゲヴァラとキューバ革命に関する書籍を刊行すべく、現在、鋭意制作中です。また、これに先立ち、21日(土)12:30~、東京・浅草のスタンプショウ会場にて事前プロモーションのトークイベントを行います。入場は無料ですので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。(詳細は下記のご案内をご覧いただけると幸いです。)


★★★ トークイベントのご案内 ★★★

 4月21日(土)12:30より、東京・浅草で開催のスタンプショウ会場内で、5月刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』の事前プロモーションのトークイベントを行います。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。

      ゲバラ本・仮書影

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 放送記念日
2018-03-22 Thu 01:04
 きょう(22日)は、NHKラジオ第1放送が、1925年3月22日に東京都港区芝浦の仮送信所でラジオの仮放送を開始したことを記念して、いまから75年前の1943年に制定された“放送記念日”です。というわけで、放送関連の切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・ラジオリベルデ50年

 これは、2008年にキューバで発行された“ラジオ・リベルデ50年”の記念切手で、シエラ・マエストラ山中からゲリラ放送を行うチェ・ゲヴァラが描かれています。

 1953年7月26日、フィデル・カストロらは親米独裁のバティスタ政権打倒をめざして、キューバ第2の兵営であるモンカダ兵営を襲撃しました。しかし、彼らが期待した一般市民による反バティスタ蜂起は起こらず、逃げのびたカストロ本人も逮捕・投獄されてしまいます。その後、彼が獄中で執筆した手記『歴史は私に無罪を宣告するであろう』が密かに出版されると、カストロらに対する恩赦を求める運動が市民たちの間に広がり、1955年5月、バティスタも渋々ながらカストロの釈放を認めざるを得ませんでした。

 こうして釈放されたカストロは、再起を期していったんメキシコに亡命。そこで、たまたま、“アメリカ帝国主義からラテンアメリカを解放する”との理想を抱いてメキシコシティに来ていたアルゼンチン出身の青年医師、エルネスト・ゲヴァラ(チェ・ゲヴァラ)と知り合い、意気投合します。

 メキシコでのカストロは、反政府組織“7月26日運動(M26)”を軸に、キューバ遠征のための資金の調達とゲリラの訓練を開始。そして、1956年11月25日、グランマ号でメキシコのトゥスパンを出港し、12月2日にキューバへ上陸しました。上陸後すぐにカストロらはバティスタの政府軍に包囲され、命からがらシエラ・マエストラ山脈に逃げのびたときには、兵力はわずか17名(このうちの5名は途中で合流した農民である)にまで減少。こうして絶望的とも思われたカストロの革命でしたが、キューバ国内のさまざまな反独裁勢力に支えられ、各地の農村から集まってくる志願兵を受けいれるかたちで徐々に勢力を盛り返していきます。

 今回ご紹介の切手の題材となっている“ラジオ・レベルデ”は、そうした反バティスタの革命闘争の過程で、1958年2月20日、叛乱側の放送局として、シエラ・マエストラ山中で誕生しました。

 ラジオ・レベルデは、まず、ラ・メサでアマテュア無線の周波数にあわせた試験放送を行った後、ゲヴァラの指示で“放送局”をアルトス・デ・コンラードに移動。さらに、アナウンスができるオレステス・バレーラとリカルド・マルティネスを加え、2月24日、「こちらは叛乱軍放送、シエラ・マエストラの声です。全キューバに20メートルバンドの周波数帯で、毎日、午後5時から夜の9時まで放送します」との第一声を送信しました。

 放送が開始された時のことを、ゲヴァラは「局のすぐ前に住んでいる農民と野営地を訪問中のフィデル(カストロ)以外にいなかった」と自嘲気味に回想していますが、ラジオ・レベルデの周波数帯は長距離用だったため、キューバ国内よりも、むしろ、国外での聴取に適していました。このため、ラジオ・レベルデの放送は、まず、ヴェネズエラでキャッチされ、そこから同国のラジオ・ルンボスやラジオコンティネンタ、ついでコロンビアのラジオ・カラコルとネットワークを形成することで、キューバ国内にもリスナーを広げていくことになります。

 その後、カストロとゲヴァラの叛乱側が攻勢を強めていくと、彼らの戦果はラジオ・レベルデを通じて一般のキューバ国民にも知られようになり、そのことが、ますます叛乱軍が国民の支持を得ていくという好循環をもたらし、革命の成就に大いに貢献しました。

 さて、ことし(2018年)6月はゲヴァラの生誕90年にあたっているため、この機会をとらえ、ゲヴァラとキューバ革命に関する書籍を刊行すべく、現在、鋭意制作中です。書籍の正式なタイトルや刊行日など、詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。  

   
★★★ 展示イベントのご案内 ★★★

 第9回テーマティク研究会切手展 3月30日(金)~4月1日(日) 10:30~17:00
 於・切手の博物館(東京・目白)

      第9回JTPC展ポスター

 テーマティク研究会(旧テーマティク出品者の会)は、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。僕も、昨年のメルボルン展に出品した昭和の戦争と日本のコレクションを展示します。

 入場は無料で、会期最終日の1日15:00からは、内藤が展示解説を行いますので、ぜひ、遊びに来てください。(詳細はこちらをご覧ください)


★★★ トークイベントのご案内 ★★★

<ヒロシマ トークセッション連続講座 アウシュヴィッツの手紙・戦争と切手>

      アウシュヴィッツの手紙・表紙

 4月7日(土)13:00-16:00  
 於・ (公財) 愛恵福祉支援財団(東京都北区中里 2-6-1愛恵ビル3F)
 資料代 1,000 円 (当日会場で集めます)
 会場と資料準備の関係で必ず、下記宛に事前の申し込みをお願いします。
 申込先 竹内 良男(qq2g2vdd★vanilla.ocn.ne.jp スパム防止のため、送信の際は★を@にしてください)

 
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 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 予算不成立で自由の女神閉鎖
2018-01-21 Sun 20:56
 米連邦予算をめぐる民主、共和両党の対立により、現地時間20日未明までに、政府の運営を続けるための“つなぎ予算”が成立しなかったため、米政府機関の一部が20日から業務を停止。ニューヨークの自由の女神も4年ぶりに閉鎖されました。というわけで、自由の女神を取り上げた切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・自由の女神(1942)

 これは、1942年2月23日、キューバが発行した“民主主義のために”の切手のうち、自由の女神を取り上げた13センタヴォ切手です。

 1933年、“軍曹の叛乱”を主導したフルヘンシオ・バティスタ軍曹は、同年、軍参謀総長となり軍の実権を掌握。さらに、1936年にはミゲル・マリアノ・ゴメス・アリアス大統領の下、国防相兼軍総司令官に就任し、政治の実権を握ります。1940年7月には、新憲法を公布したうえで、大統領に当選し、名実ともにキューバの独裁者となりました。

 バティスタは、もともと、スペインのフランコ政権に親和的な姿勢を示していたこともあり、当初、米国はキューバが枢軸陣営に加わることを懸念していました。しかし、バティスタ政権は、発足後すぐに膨大な量の砂糖を英国に無償で提供しただけでなく、1941年2月には独伊両国の領事館員を追放。同年12月の真珠湾攻撃を機に米国が第二次大戦に参戦すると、すぐさまこれに呼応して、12月11日には枢軸国に対して宣戦を布告し、米軍に対独戦用の海軍基地を提供しています。

 今回ご紹介の切手は、バティスタ政権の参戦後まもない1942年2月、米国と共に戦うとの旗幟をいち早く鮮明にするために発行したものです。

 その後、1944年の大統領選挙で、バティスタの推すカルロス・サラドリガスが敗北し、不正の追及を恐れた彼はフロリダに逃亡。デイトナビーチでカジノを経営しながら、米国マフィアとのコネクションも強化しつつ、キューバ政界復帰のタイミングをうかがうことになります。そして、1948年の選挙で上院議員に立候補して政界に復帰。1952年には軍事クーデターを決行し、大統領に就任しました。

 米国は、第二次大戦中、米国への忠勤に励んだバティスタの政権復帰を歓迎。以後、1959年のキューバ革命まで、バティスタは、キューバにおける米国政府、企業、マフィアの利権を保護する代わりに、国家を私物化する状況が続くことになります。


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 ゲヴァラ、成人の頃
2018-01-08 Mon 18:20
 きょう(8日)は成人の日です。というわけで、こんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・ゲヴァラ生誕80年(17歳と自転車)

 これは、2008年にキューバが発行したチェ・ゲヴァラ生誕80年の記念切手のうち、青年時代のゲヴァラを取り上げた85センターヴォ切手で、左側には1945年に撮影された17歳のゲヴァラの写真が、右側には1950年1月に撮影された21歳のゲヴァラの写真が取り上げられています。成人年齢は国によってさまざまで、日本の20歳は世界的に見ると遅い方だとされていますが、アルゼンチンの成人年齢はそれよりも遅い21歳です。したがって、この切手に取り上げられた右側の写真は、成人後間もない頃のゲヴァラの写真といってよいでしょう。

 1928年6月14日、ロサリオ(ブエノスアイレスの北西350キロ、パラナ川右岸の都市)の裕福な家庭に生まれたゲヴァラは、1948年、喘息の持病を抱える身として、アレルギー研究を志し、ブエノスアイレス大学医学部に入学しました。

 在学中の1949年末、自転車にクッチオーラのモーターを取り付け、アルゼンチン各地を放浪しながらその合間に医学生としての試験勉強をすることを思い立ち、1950年の元日、両親の家があったコルドバ(ブエノスアイレスからは西北西700キロに位置する都市)を出発しました。その際、出立の記録として、コルドバ市内の病院の前で、帽子をかぶり、サングラスをかけ、革のコートを着て自転車にまたがる写真を撮影しました。今回ご紹介の切手に取り上げられているのは、その写真です。
 
 この時の旅行は、大半は自らペダルを漕ぎ、時々モーターを使って移動しながら、途中、木陰で試験勉強をするというスタイルで、アルゼンチン北部の4500キロを走破し、ブエノスアイレスに戻るというものでした。この時の経験から、翌1951年、友人のアルベルト・グラナードとともに、1台のオートバイ、ポデローサ号を使って、後に“モーターサイクル・ダイアリーズ”で知られることになる南米大陸縦断1万2000キロの旅につながり、それが、革命家ゲヴァラの原点となります。

 さて、ことし(2018年)6月は、ゲヴァラの生誕90年にあたっているため、この機会をとらえ、ゲヴァラに関する書籍を今春刊行すべく、現在、作業を進めています。このため、これからしばらくはゲヴァラ関連の記事が多くなるかもしれませんが、どうかお付き合いください。また、書籍の正式なタイトルや刊行日など、詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。 

      
★★ 10日(水) TOKYO FM/JFN “クロノス”に内藤が登場 !★★

 1月10日(水)07:20~ 東京FMの朝のワイド番組「クロノス」に内藤がゲスト出演します。よろしかったら、ぜひお聞きください。

 
★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回は11日!★★

 1月11日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第14回が放送予定です。今回は、年明け最初ということで、世界で最初に犬の切手を発行したニューファンドランドについてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 年賀状の切手
2018-01-04 Thu 10:36
 毎年のことですが、“郵便学者”という看板を掲げて生活している関係から、僕は毎年、年賀状には干支にちなんだ切手を取り上げることにしています。もっとも、ただ単に干支の切手を持ってくるだけではつまらないので、①できるだけ他の人が使いそうにないモノ、②その年の仕事の予告編になりそうなモノ、③可能な限り、干支を取り上げた年賀切手は除く、という基準で選んでいます。きょう(4日)は仕事始めでオフィスで僕の年賀状をご覧になるという方もあると思いますので、今回の年賀状の切手について簡単にご説明いたします。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・犬の宇宙飛行士

 これは、2006年にキューバが発行した“クーチョ”を取り上げた切手の1枚で、宇宙飛行士になったクーチョと“時代遅れの宇宙船”としてのスペースシャトルが描かれています。宇宙に飛び出したクーチョにちなんで、皆様のいっそうの飛躍をお祈りする氣持も込めました。

 クーチョはキューバを代表する漫画家、ヴィルヒリオ・マルティネスの漫画『クーチョ』の主人公の犬です。

 ヴィルヒリオ・マルティネスは、1931年4月27日、ハヴァナ生まれで、1949年に商業作家としてデビューしました。商業誌での活動のかたわら、反バティスタの地下出版でバティスタ批判の風刺漫画を描いていました。1955-59年、左派系の雑誌『メッラ』誌に、擬人化された犬のプーチョを主人公とする冒険物語『プーチョ』を連載。これが、切手に取り上げられたクーチョのルーツとなりました。

 1959年の革命後、カストロ政権は国民教化の手段として漫画を重視するなかで、マルティネスは左翼系の著名漫画家として革命政府の庇護を受け、キューバ共産党中央委員会の機関紙『グランマ』をはじめ、多くの媒体で作家のみならずアート・ディレクターや編集代表としても活躍しました。その作風は、クーチョのような愛嬌のあるものだけでなく、キューバ革命史に題材を取った写実的なものまで多岐にわたっています。ちなみに、フリオ・アントニオ・メジャ(学生連合と共産党の設立者。1929年に暗殺)、カミーロ・シエンフエゴス、チェ・ゲヴァラの3人を並べた共産主義青年同盟(UJC:Unión de Jóvenes Comunistas)のロゴマーク(下の画像)も、彼がデザインしたものです。2008年5月12日没。享年77歳。

      キューバ・UJCロゴ

 さて、元日のご挨拶でも少し触れましたが、現在、チェ・ゲヴァラの本をに関する書籍を今春刊行すべく作業を進めています。ゲヴァラに関しては、昨年が没後50年ということで、NHKラジオ第1放送の「切手でひも解く世界の歴史」やインターネット配信の「チャンネルくらら」でも特集をやったのですが、これが思いのほか好評で、昨年末、今年6月の生誕90年にあわせての書籍刊行が決まりました。正式なタイトルや刊行日など、詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。

 なお、例によって、年賀状の投函は年末ぎりぎりになってしまいましたので、まだお手元に届いていない方もあるかと思います。(ちなみに、拙宅には、明らかに昨年の御用納め以前に投函されたと思しき、オフィスからの年賀状が昨日の夕方にも何通か届きました)

 早々に賀状をお送りいただきながら、僕の賀状がまだ届いていないという方々におかれましては、今しばらくお待ちいただきますよう、伏してお願い申し上げます。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★

  12月28日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」第13回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、年明け1月11日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。
 
 なお、12月28日放送分につきましては、1月4日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


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