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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 切手でひも解く世界の歴史(9)
2017-10-05 Thu 08:05
 本日(5日)16:05から、NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第9回が放送される予定です。(番組の詳細はこちらをご覧ください)。今回は、10月9日に没後50周年を迎えるチェ・ゲヴァラにスポットを当てて、この切手もご紹介しながら、お話をする予定です(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・ゲヴァラ終焉の地

 これは、ゲヴァラ没後5周年にあたる1972年にキューバが発行した切手で、ゲヴァラと彼がボリヴィア政府軍に捕えられたケブラダ・デル・ジューロ(ユーロ)の位置が示されています。ゲヴァラは地図に記載の場所から7kmのラ・イゲーラに移送され、殺害されました。

 エルネスト・ラファエル・ゲヴァラ・デ・ラ・セルナは、1928年6月14日、アルゼンチン第2の都市、ロサリオの裕福な家庭に生まれました。ブエノスアイレス大学医学部在学中の1951年、高校時代からの友人、アルベルト・グラナードと2人で南米大陸をオートバイで縦断旅行し、中南米諸国の絶望的な貧富の格差やアメリカによる経済支配の実態などを目の当たりにして、次第に共産主義に傾斜していきます。

 1953年の大学卒業後、フアン・ドミンゴ・ペロン独裁政権下の軍医として徴用されることを嫌ったゲヴァラは出国し、ボリヴィア、ペルー、エクアドル、グアテマラなどを経てメキシコにいたり、1955年6月、キューバのバティスタ独裁政権に抵抗して亡命中だったキューバ人革命家、フィデル・カストロと出会います。

 ちなみに、“チェ・ゲヴァラ”の “チェ”は、もとは、アルゼンチンなどで日常的に用いられているリオプラテンセ・スペイン語で呼びかけの「やぁ」「おい」、愛称の「お前さん」などの意味です。ゲヴァラがカストロに“Che, Ernest Guevara(やぁ、俺はエルネスト・ゲヴァラだ)”と自己紹介した際、居合わせたキューバ人は、当初、“チェ”の意味が理解できず、以後、それが彼のあだ名として定着。本人も“チェ”のサインを用いるようになりました。

 カストロと意気投合したゲヴァラは、すぐにキューバ革命への参加を表明。軍事訓練を受け、1956年12月、カストロらとともにヨット“グランマ号”でキューバに上陸します。当初、ゲヴァラら革命派は圧倒的に不利な状況にありましたが、キューバ国内のさまざまな反独裁勢力に支えられ、徐々に勢力を拡大。1959年1月1日、バティスタ政権を打倒して首都ハバナに入城し、カストロが勝利宣言を行いました。

 革命後の1959年6月、ゲヴァラは通商大使としてアジア、アフリカ、東欧などを歴訪し、帰国後、農業改革機構工業部長および国立銀行総裁に就任。農地改革と企業の国有化を進めました。

 ちなみに、ゲヴァラの肖像として一番有名な「英雄的ゲリラ」は、革命後の1960年3月5日、前日にハバナ港で起きた爆発事件の犠牲者追悼集会で、『レヴォルシオン』誌の写真記者、アルベルト・コルダが撮影しました。当初、写真は一般に公開されませんでしたが、1967年、イタリアの編集者ジャンジャコモ・フェルトリネッリが焼き増しを譲り受け、同年10月のゲヴァラ処刑後、ポスターにして販売。さらに、キューバ政府主催の追悼集会で巨大な遺影として掲げられたほか、没後1周年の追悼切手等にも取り上げられて、いちやく有名になり、反体制のシンボルとして世界中で多くの複製が作られました。

 1961年4月、アメリカはプラヤ・ヒロン侵攻事件で革命に干渉しますが、ゲヴァラはカストロと共に侵攻軍を撃破。翌5月、カストロはキューバ革命の社会主義革命化を宣言します。

 当初、敵の敵は味方のロジックで、ソ連との関係強化を唱えていたゲヴァラでしたが、1962年のキューバ危機では、結局、ソ連はアメリカに妥協してキューバへの核ミサイル配備を中止。この“裏切り”に憤激した彼は、ソ連への批判を強め、1965年2月、通商交渉のため訪れていたアルジェリアでソ連の外交姿勢を“帝国主義的搾取の共犯者”と非難。このため、キューバ政府が「ゲヴァラを首脳陣から外さなければ物資の援助を削減する」との圧力をソ連から受けると、ゲヴァラは「別れの手紙」を残してキューバを離れます。

 キューバを離れたゲヴァラは、コンゴ動乱に馳せ参じ、約1年間、軍事政権に対抗する左翼反乱軍に参加しました。しかし、反政府勢力首脳部の腐敗と堕落に幻滅した彼は、“世界革命”の理想を抱えてコンゴから撤退し、チェコスロヴァキアを経てラテンアメリカに戻り、1966年11月、独裁政権下のボリヴィアに潜入。革命に向けてのゲリラ活動を展開しました。

 ボリヴィアでのゲヴァラは勢力を拡大できないまま、1967年10月8日、政府軍に逮捕され、翌日、銃殺されます。ちなみに、銃殺をためらう政府軍兵士に対して発せられた「お前の目の前にいるのは英雄でも何でもないただの男だ。撃て!」が最期の言葉となりました。

 彼の遺体は、死亡の証拠として両手首を切り落とされた後、ボリヴィア山中に埋められましたが、没後30年にあたる1997年、掘り返され、キューバに返還。キューバ中部の都市で、革命の際にゲヴァラが解放したことで知られるサンタクララに埋葬されました。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は5日!★★

 10月5日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第9回が放送予定です。今回は、10月9日に没後50周年を迎えるチェ・ゲヴァラの切手にスポットを当ててお話をする予定ですので、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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 世界の国々:キューバ
2017-07-05 Wed 07:50
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年6月28日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はキューバの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・ゲバラ没後15年

 これは、1982年にキューバで発行されたチェ・ゲヴァラ没後15周年の記念切手で、彼の肖像とチェ(Che)のサインが取り上げられています。

 アルゼンチンなどで日常的に用いられているリオプラテンセ・スペイン語は、他の地域のスペイン語とは異なる独自の語彙が少なからずありますが、呼びかけの「やぁ」「おい」、愛称の「お前さん」に相当する「チェ(che)」は、その中でも最も世界的に知られた単語でしょう。

 アルゼンチン出身のエルネスト・ゲヴァラは、メキシコでカストロに“Che, Ernest Guevara(やぁ、俺はエルネスト・ゲヴァラだ)”と自己紹介しましたが、その場に居合わせた面々は、当初、“チェ”の意味が理解できませんでした。その後も、アルゼンチン出身のゲバラは、“チェ”の語を連発したため、“チェ”が彼のあだ名として定着し、ゲヴァラも自分の署名に“チェ”を用いるようになりました。

 さて、エルネスト・ラファエル・ゲヴァラ・デ・ラ・セルナは、1928年6月14日、アルゼンチン第2の都市、ロサリオの裕福な家庭に生まれました。幼少時から持病の喘息に悩まされていた彼は、アレルギーの研究を志し、1948年、ブエノスアイレス大学医学部に入学します。

 在学中の1951年、高校時代からの友人、アルベルト・グラナードと2人で南米大陸をオートバイで縦断。途中、ハンセン氏病の医師であるかのように振舞って宿と食事、旅費をくすねたり、密航がばれて船員の仕事をすることで勘弁してもらったりする一方、中南米諸国の絶望的な貧富の格差やアメリカによる経済支配の実態などを目の当たりにして、社会変革の必要を痛感。次第にマルクス主義に傾斜していきます。
 
 1953年の大学卒業後、ペロン独裁政権下の軍医として徴用されることを嫌ったゲヴァラは出国し、ボリヴィア、ペルー、エクアドル、グアテマラなどを経てメキシコにいたり、1955年6月、亡命中のキューバ人革命家、フィデル・カストロと出会いました。

 反政府組織“7月26日運動(M26)”を率いてバティスタ独裁政権の打倒を目指すカストロと意気投合したゲヴァラは、すぐに革命への参加を表明。軍事訓練を受け、1956年12月、カストロらとともにヨット“グランマ号”でキューバに上陸します。しかし、上陸を事前に察知していた政権側の迎撃を受け、革命派が命からがらシエラ・マエストラ山脈に逃げのびたときには、彼らの兵力はわずか17名にまで減少。革命の成就は絶望的とも思われました。

 しかし、彼らはキューバ国内のさまざまな反独裁勢力に支えられ、農村から集まってくる志願兵を受けいれて徐々に勢力を拡大。1958年8月には、ゲヴァラとカミーロ・シエンフエゴスひきいる2部隊がマエストラ山脈の拠点を出発し、西へ向けて進軍を開始し、ラス・ビリャスの戦で勝利を収めた。さらに、12月30日には中部の大都市サンタ・クララで政府軍を敗走させました。

 こうして、1959年1月1日、バティスタがドミニカ共和国に亡命すると、翌2日、ゲヴァラとカミーロが首都ハバナに入城し、カストロは勝利宣言を行いました。

 革命後の1959年6月、ゲヴァラは通商大使としてアジア、アフリカ、東欧などを歴訪し、帰国後、農業改革機構工業部長および国立銀行総裁に就任。農地改革と企業の国有化を進めます。

 1961年4月、米国はプラヤ・ヒロン侵攻事件で革命に干渉しますが、ゲヴァラはカストロと共に侵攻軍を撃破し、5月、カストロはキューバ革命の社会主義革命化を宣言しました。

 同年10月、ゲヴァラは工業相に就任。米国による経済封鎖の影響もあり、キューバ経済は急速に悪化。これに対して、彼は「生産効率の低下は人々の献身的労働によって補える」とし、自らも休日はサトウキビの刈り入れなど肉体労働に従事しましたが、状況は好転しませんでした。

 当初、米国という共通の敵と対峙するソ連との関係強化を唱えていたゲヴァラでしたが、1962年のキューバ危機では、結局、ソ連はアメリカに妥協してキューバへの核ミサイル配備を中止。この“裏切り”に憤激した彼は、ソ連への批判を強め、1965年2月、通商交渉のため訪れていたアルジェリアでソ連の外交姿勢を“帝国主義的搾取の共犯者”と非難。このため、キューバ政府が「ゲヴァラを首脳陣から外さなければ物資の援助を削減する」との圧力をソ連から受けると、ゲヴァラは「別れの手紙」を残してキューバを離れました。

 キューバを離れたゲヴァラは、コンゴ動乱に馳せ参じ、約1年間、軍事政権に対抗する左翼反乱軍に参加します。しかし、反政府勢力首脳部の腐敗と堕落に幻滅した彼は、“世界革命”の理想を抱えてコンゴから撤退し、チェコスロヴァキアを経てラテンアメリカに戻り、1966年11月、独裁政権下のボリヴィアに潜入。革命に向けてのゲリラ活動を展開しました。

 しかし、先住民族が多数派を占めるボリヴィアでは、農地改革で土地を得た農民は保守化し、ゲヴァラら左翼ゲリラは余計なことをする“よそ者”という見方が強くありました。ゲヴァラは勢力を拡大できないまま、1967年10月8日、ボリビア政府軍に逮捕され、翌日、銃殺されます。最期の言葉は、銃殺をためらう政府軍兵士に対して発せられた「お前の目の前にいるのは英雄でも何でもないただの男だ。撃て!」でした。

 その後、ゲヴァラの遺体は、死亡の証拠として両手首を切り落とされた後、ボリヴィア山中に埋められましたが、没後30年にあたる1997年、掘り返され、キューバに返還されています。

 さて、『世界の切手コレクション』6月28日号の「世界の国々」では、ことし没後50周年を迎えるゲヴァラについての長文コラムのほか、特産品の葉巻、シエラ・マエストラ山脈の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

  なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のキューバの次は、本日(5日)発売の7月12日号での南アフリカ共和国の特集になります。こちらについては、発行日の12日以降、このブログでもご紹介する予定です。 


 ★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月15-17日(土ー月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオーストラリア切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2017ポスター

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。

 ことしは、香港“返還”20周年ということで、内藤も昨年(2016年)、ニューヨークの世界切手展<NEW YORK 2016>で金賞を受賞した“A History of Hong Kong(香港の歴史)”をチャンピオンクラスに出品します。よろしかったら、ぜひ会場にてご覧ください。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

  6月29日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第5回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲があるため、少し間が開いて7月27日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、29日放送分につきましては、放送から1週間、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 米・キューバ、国交回復
2015-07-02 Thu 12:19
 きょう(2日)未明(米東部時間では1日午前)、オバマ米大統領は、キューバと54年ぶりに国交を回復し、双方の首都で大使館を再開することで合意したことを正式に発表しました。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました、(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・砂糖宣伝機械印(1960)

 これは、1960年3月、ハバナからニューヨーク宛に差し出された郵便物で、「キューバの砂糖を買おう」という英語・スペイン語のスローガンが入った機械印が押されています。ちなみに、キューバにとって砂糖は伝統的に主要産業でしたから、同様の文言が入った宣伝機械印は長期間にわたり、さまざまなタイプのモノが使われました。

 1959年のキューバ革命を経て発足したフィデル・カストロ政権は、当初、必ずしもソ連型の社会主義国家の建設を志向していたわけではなく、あまりにも極端な富の偏在を是正する“改良主義”の立場に立っていました。
 
 その“改良主義”の実現に際して、カストロ政権は、まず、1959年5月17日、第1次農地改革法を公布して、土地の所有を最大400ヘクタールに制限するとともに、外国人の農場経営の禁止等を法律に盛り込みました。しかし、このことは、革命以前のキューバの富を独占していた米国をいたく刺激します。

 このため、米政府は、農地改革を断行したキューバ政府に抗議。カストロがこれを拒絶すると、マイアミから飛行機が飛来し、爆弾を落としていくようになり、8月以降、融資停止などの経済制裁を開始します。

 米国との対立を深めていく中で、カストロ政府は、必然的に“敵の敵”であるソ連との関係を強化せざるを得なくなりました。

 1959年6月から各国歴訪の旅に出たチェ・ゲバラは、ソ連で50万トンの砂糖購入契約を締結するとともに、以後5年間にわたって、毎年50万トンの砂糖と石油、小麦、科学製品をバーターする契約を締結。さらに、翌1960年2月には、ソ連副首相のミコヤンがキューバを訪れ、ソ連がキューバの年間原油必要量の3~5割を引き受けることや1億ドルの長期開発援助の供与を約束しています。1959年にキューバで革命が起こるまでは、米国の“裏庭”であるラテンアメリカ諸国では、ソ連と外交関係を結ぶことはおろか、経済的な関係を持つことさえタブー視されていました。したがって、キューバがソ連の期待しているような社会主義国家となるかどうかということはさておき、米国の“裏庭”に楔を打ち込むためにも、キューバを援助し、恩を売っておくことはソ連の冷戦戦略にとって有益なことでした。

 こうした事態を目の当たりにした米国は、キューバがついに“赤化”したと判断し、カストロ政権打倒のための経済封鎖に着手。1960年2月、キューバからの果実輸入を禁止するとともに、同年7月には、キューバ最大の輸出品であった砂糖の輸入を停止しました。

 今回ご紹介のカバーは、こうした時期にキューバから米国宛に差し出されたものですが、米国を激怒させた農地改革の宣伝切手を台切手とする加刷切手が貼られ、“キューバの砂糖を買おう”というスローガンが押されているというのが、何とも皮肉な組み合わせです。

 さて、米国によるキューバの砂糖輸入停止に対しては、米国が買い付けを拒否したのと同量の砂糖をソ連が国際価格で買い取ることを申し入れたため、米国側が期待していたような効果を挙げることなく終ってしまいます。これを受けてキューバ政府は、米国を挑発するかのように、「我が国が侵略されるようなことがあれば、ソ連の好意を受け取る以外の道はなくなるだろう」との声明を発表しました。

 この声明に激怒した米国は、ついに、実力でカストロ政権を転覆させることを決意し、8月16日、CIAによるカストロ暗殺計画(毒入の葉巻がカストロのもとに届けられました)を実行に移します。しかし、この秘密工作は失敗に終わり、同月13日、米国はキューバに対して国交断絶を通告。同月9日、キューバに対する経済封鎖を発動しました。

 今回の国交回復はこの時以来のことで、両国大使館の再開は今月20日になる予定だそうです。


 ★★★ 全日本切手展+韓国切手展のご案内 ★★★ 

 7月17-19日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびに日韓国交正常化50周年記念・韓国切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページ(全日展はこちら、韓国切手展はこちら)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展チラシ  全日展チラシ(裏)

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。

 
 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 59年ぶりの米キューバ首脳会談
2015-04-12 Sun 12:16
 米国のオバマ大統領とキューバのラウル・カストロ国家評議会議長が、きのう(11日)、直接会談を行いました。両国首脳が会談するのは1956年以来59年ぶりだそうです。というわけで、1956年のキューバの出来事に関する切手ということで、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       キューバ・グランマ号

 これは、1965年にキューバが発行した「革命博物館」の記念切手のうち、グランマ号の方位磁石を描いた1枚です。

 1953年7月26日、フィデル・カストロらは親米独裁のバティスタ政権打倒をめざして、キューバ第2の兵営であるモンカダ兵営を襲撃しました。しかし、彼らが期待した一般市民による反バティスタ蜂起は起こらず、逃げのびたカストロ本人も逮捕・投獄されてしまいます。その裁判に際して、弁護士であったカストロは、被告人でありながら自らの弁護を担当し、最終弁論を「歴史は私に無罪を宣告するであろう」との有名な台詞で締めくくったものの、禁錮15年の判決を受け、ピノス島のモデーロ監獄に収監されることになりました。

 しかし、彼が獄中で執筆した手記『歴史は私に無罪を宣告するであろう』が密かに出版されると、カストロらに対する恩赦を求める運動が市民たちの間に広がり、1955年5月、バティスタも渋々ながらカストロの釈放を認めざるを得ませんでした。

 こうして釈放されたカストロは、再起を期していったんメキシコに亡命。そこで、たまたま、“アメリカ帝国主義からラテンアメリカを解放する”との理想を抱いてメキシコシティに来ていたアルゼンチン出身の青年医師、エルネスト・ゲバラ(いわゆるチェ・ゲバラ)と知り合い、意気投合します。

 メキシコでのカストロは、反政府組織“7月26日運動(M26)”を軸に、キューバ遠征のための資金の調達とゲリラの訓練を開始。そして、1956年11月25日、グランマ号でメキシコのトゥスパンを出港しました。

 グランマ号は1943年頃に製造された定員12名のディーゼルエンジン駆動のクルーザーで、カストロが中古のヨットとして購入した時の値段は5万メキシコ・ペソ(当時のレートで約1万5000ドル)でした。なお、カストロは、当初、米海軍のカタリナ飛行艇か航空機救難艇を購入しようと試みたもの、資金が圧倒的に不足しており、最終的にグランマ号しか買えなかったというのが実情でした。

 さて、グランマ号は12月2日にキューバへ上陸しますが、定員を遥かに超える82人もの兵士が乗り込んだために衛生環境が悪化し、さらに荒天でキューバ到着が予定より遅れて航海が長引いた事で、上陸する前に彼らの士気は相当下がっていたと言われています。また、カストロは事前に再上陸することを発表していたので、上陸後すぐにバティスタの政府軍に包囲され、革命側が命からがらシエラ・マエストラ山脈に逃げのびたときには、彼らの兵力はわずか17名(このうちの5名は途中で合流した農民である)にまで減少していました。

 こうして絶望的とも思われたカストロの革命でしたが、キューバ国内のさまざまな反独裁勢力に支えられ、各地の農村から集まってくる志願兵を受けいれるかたちで徐々に勢力を盛り返し、1959年、バティスタ政権打倒の革命を達成します。

 ちなみに、グランマ号が再上陸したときの米大統領はアイゼンハワーでした。米キューバの首脳会談はそれ以来だったわけですから、そう考えると、たしかに歴史的な出来事ではありますな。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・4月25日(土) 11:00-12:00 スタンプショウ
 於 東京都立産業貿易センター台東館(浅草) 特設会場
 出版記念のトークを行います。入場は完全に無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。スタンプショウについての詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』 発売! ★★★ 

         日の本切手 美女かるた・表紙 税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 米・キューバ国交交渉へ
2014-12-18 Thu 16:35
 オバマ米大統領は、昨日(17日)、1961年から国交が断絶しているキューバと、53年ぶりに関係改善に踏み出すと表明しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・農地改革

 これは、1959年、キューバで発行された農地改革実施の費用を集めるための寄附金つき切手です。

 1959年のキューバ革命を経て発足したカストロ政権は、当初、必ずしもソ連型の社会主義国家の建設を志向していたわけではなく、あまりにも極端な富の偏在を是正する“改良主義”の立場に立っていました。
 
 その“改良主義”の実現に際して、カストロ政権は、先ず、小作人への土地分与を掲げる土地改革と不正蓄財の没収を行います。

 当時、キューバの可耕地の4分の3は米国人を中心とする外国人の所有であり、なかでも、米国系の大砂糖会社は、それぞれ、数万ヘクタールもの土地を所有していました。社会的な平等を実現するため、その是正は不可と考えられたからです。

 このため、革命政権は、1959年5月17日、第1次農地改革法を公布して、土地の所有を最大400ヘクタールに制限するとともに、外国人の農場経営の禁止等を法律に盛り込み、米国がキューバの富を独占していた前提条件は根本から否定されました。今回ご紹介の切手は、この農地改革の宣伝を兼ね、その実施費用をあちゅ目るために寄附金つきで発行されたもので、“工業を支える農業”のイメージがデザインされています。これは、農地改革の成功が経済建設の基礎というカストロの思想を表現したものです。

 しかし、当然のことながら、この農地改革は米国をいたく刺激しました。

 すなわち、革命政権の方向性を見きわめようと事態を静観していた米政府は、農地改革が実行に移されるや、キューバ政府に抗議。カストロがこれを拒絶すると、マイアミから飛行機が飛来し、爆弾を落としていくようになったほか、8月以降、融資停止などの経済制裁を開始します。

 米国との対立を深めていく中で、カストロ政府は、必然的に“敵の敵”であるソ連との関係を強化せざるを得なくなりました。

 1959年6月から各国歴訪の旅に出たチェ・ゲバラは、ソ連で50万トンの砂糖購入契約を締結するとともに、以後5年間にわたって、毎年50万トンの砂糖と石油、小麦、科学製品をバーターする契約を締結。さらに、翌1960年2月には、ソ連副首相のミコヤンがキューバを訪れ、ソ連がキューバの年間原油必要量の3~5割を引き受けることや1億ドルの長期開発援助の供与を約束しています。1959年にキューバで革命が起こるまでは、米国の“裏庭”であるラテンアメリカ諸国では、ソ連と外交関係を結ぶことはおろか、経済的な関係を持つことさえタブー視されていました。したがって、キューバがソ連の期待しているような社会主義国家となるかどうかということはさておき、米国の“裏庭”に楔を打ち込むためにも、キューバを援助し、恩を売っておくことはソ連の冷戦戦略にとって有益なことでした。

 こうした事態を目の当たりにした米国は、キューバがついに“赤化”したと判断し、カストロ政権打倒のための経済封鎖に着手。1960年2月、キューバからの果実輸入を禁止するとともに、同年7月には、キューバ最大の輸出品であった砂糖の輸入を停止しました。

 もっとも、米国によるキューバの砂糖輸入停止に対しては、米国が買い付けを拒否したのと同量の砂糖をソ連が国際価格で買い取ることを申し入れたため、米国側が期待していたような効果を挙げることなく終ってしまいます。これを受けてキューバ政府は、米国を挑発するかのように、「我が国が侵略されるようなことがあれば、ソ連の好意を受け取る以外の道はなくなるだろう」との声明を発表しました。

 この声明に激怒した米国は、ついに、実力でカストロ政権を転覆させることを決意し、8月16日、CIAによるカストロ暗殺計画(毒入の葉巻がカストロのもとに届けられました)を実行に移します。しかし、この秘密工作は失敗に終わり、同月13日、米国はキューバに対して国交断絶を通告。同月9日、キューバに対する経済封鎖を発動しました。これに対して、カストロは米国資本の工場や農園を次々に接収するとともに、共産中国との国交樹立とソ連との経済関係の強化を決定。両者の対立はエスカレートしていくことになります。

 今回のオバマ大統領の声明は、この時以来の米国の対キューバ政策を根本的に見直そうというもので、まさに、歴史的な大転換というわけです。今後は、ケリー国務長官が即座に国交正常化に向けた交渉に入り、数カ月以内にハバナに米大使館を再開させる見込みということで、これからしばらくの間、キューバから目が離せなくなりそうです。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 毎週水曜日、インターネット放送・チャンネルくららにて、内藤がレギュラー出演する番組「切手で辿る韓国現代史」が配信されています。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は1月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 週刊『世界の切手コレクション』創刊
2014-09-10 Wed 21:42
 本日(10日)、アシェット・コレクションズ・ジャパン株式会社(以下アシェット・コレクションズ)から、「"本物の切手"をコレクション 切手を通して世界を楽しく学べる!」とのコンセプトの下、週刊『世界の切手コレクション』が創刊されました。(画像は表紙のイメージ。以下、クリックで拡大されます)

      世界の切手コレクション・創刊号

 同誌は、本物の切手をそろえることで、貴重な切手コレクションが完成するワンテーママガジンで、毎号、「国別」「テーマ別」「サプライズ(珍しいもの)」の3種類、計30枚の切手が付録についています。毎号テーマとなる国に焦点を当て、切手とともに歴史や文化についても紹介するほか、切手の収集方法や適切な保存方法など、初歩的な技術も網羅した内容となっています。(詳細は、アシェット・コレクションズ社の特設ページをご覧ください)

 同誌に関しては、毎号のメイン特集となる「世界の国々」のコーナーをはじめ、内藤が記事・画像を提供しております。創刊号の「世界の国々」で取り上げたのはキューバ。カストロとチェ・ゲバラの革命物語についてもたっぷりとスペースを取りましたが、こんな切手もご紹介しています。

       ゲバラ公園

 これは、1988年キューバが発行した“エルネスト・ゲバラ公園”の切手です。

 アルゼンチン出身のゲバラは、メキシコでカストロと出会い、キューバ革命に参加。カストロの片腕としてゲリラ戦で卓越した能力を発揮し、1958年12月にはキューバ第2の都市、サンタ・クララを制圧して、革命軍の勝利を決定的なものとしました。かつての激戦地は、現在、ゲバラの遺骨を納めた霊廟を中心にエルネスト・ゲバラ公園として多くの参拝者が集まる観光名所となっており、切手には、ゲバラ像を背景に、公園の俯瞰図と霊廟の記念碑が描かれています。

 本誌では、このほか、キューバの文化や風俗、自然などについても、切手を通じて幅広くご紹介しております。また、プレゼント切手の中には、モンゴルが発行した“幻のチンギスハン切手”やクック諸島の22金を使用した“ペニーブラック”なども含まれており、それらについても内藤が解説文を書いておりますので、機会がありましたら、ぜひ、実物をお手に取ってご覧いただけると幸いです。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・現代コリア事情 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
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 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 キューバの革命記念日
2013-07-26 Fri 10:53
 きょう(7月26日)は、1953年にキューバ革命の端緒となったモンカダ兵営襲撃事件が起きた日で、キューバでは革命記念日とされています。今年は事件から60周年の節目の年でもありますので、きょうはストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       モンカダ兵営襲撃

 これは、1960年にキューバで発行されたキューバ革命1周年の記念切手のうち、モンカダ兵営の襲撃場面を取り上げた1枚です。

 米西戦争の後、キューバは実質的に米国の支配下に置かれ、砂糖やタバコなどの主要産品は米国資本が独占していました。このため、植民地社会にしばしば見られる政治家の腐敗・汚職の蔓延ともあいまって、真の独立を求めるキューバ人の反乱や反米暴動が起こると、アメリカはそのたびに軍隊を送り込んで、これを力ずくで抑えこむという状況が続いていました。

 特に、1933年8月、マチャド独裁政権の打倒を叫ぶ民衆蜂起の混乱に乗じて、陸軍軍曹のフルヘンシオ・バティスタが一挙に陸軍の実力者となると、翌1934年、米国はバティスタを支援して、彼の独裁体制を構築。以後、バティスタとその一派は、第二次大戦前後の約20年間にわたって政権を独占し、キューバの富はバティスタ政権・米国政府・米国企業・マフィアという4者によって独占され、米国に対する隷属の度合いはますます高まっていきました。

 このように抑圧されつづけたキューバ人の不満が爆発したのが、1953年7月26日、当時27歳の青年弁護士、フィデル・カストロひきいる165名の青年たちがキューバ第2の兵営であるモンカダ兵営を襲撃した事件で、今回ご紹介の切手には、その時の場面が描かれています。

 もっとも、バティスタ政権の打倒を目標として兵営を襲撃したカストロたちでしたが、彼らが期待した一般市民による反バティスタ蜂起は起こらず、逃げのびたカストロ本人も逮捕・投獄されてしまいました。しかし、襲撃事件に参加した若者に対する政府側の残虐行為(たとえば、襲撃に加わり、逮捕されたアベル・サンタマリーアは、生きたまま目をくりぬかれ、虐殺されています)が明らかになるにつれ、国民の間に、しだいに反バティスタ気運が盛り上がっていきます。

 裁判に際して、弁護士であったカストロは、被告人でありながら自らの弁護を担当し、最終弁論を「歴史は私に無罪を宣告するであろう」との有名な台詞で締めくくったものの、禁錮十五年の判決を受け、ピノス島のモデーロ監獄に収監されました。しかし、彼が獄中で執筆した手記『歴史は私に無罪を宣告するであろう』が密かに出版されると、カストロらに対する恩赦を求める運動が市民たちの間に広がり、1955年5月、バティスタも渋々ながらカストロの釈放を認めざるを得ませんでした。

 こうして釈放されたカストロは、再起を期していったんメキシコに亡命。そこで、たまたま、“アメリカ帝国主義からラテンアメリカを解放する”との理想を抱いてメキシコシティに来ていたアルゼンチン出身の青年医師、エルネスト・ゲバラと知り合い、意気投合します。こうして、カストロとチェ(“仲間”を意味するゲバラの愛称)・ゲバラという黄金コンビが誕生し、彼らは、反政府組織“7月26運動(M-26-7)”を軸に、革命運動を展開することになります。

 なお、ゲバラとカストロの肖像が近年のキューバの切手においてどのように扱われているかという点については、拙著『事情がある国の切手ほど面白い』でも1章を設けてご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 キューバ危機から50年
2012-10-28 Sun 21:26
 1962年10月28日にソ連首相ニキータ・フルシチョフがモスクワ放送でキューバからミサイルを撤去すると発表し、いわゆるキューバ危機が終結してから、今日でちょうど50年です。というわけで、きょうは、キューバがらみでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         アフリカのゲバラ

 これは、2005年にキューバが発行した“アフリカのゲバラ”の航空書簡です。

 1959年のキューバ革命でバチスタ政権打倒の立役者として、革命政府の元勲となったゲバラは、当初、米国という共通の敵と対峙するソ連との関係強化を唱えていました。しかし、1962年のキューバ危機では、結局、ソ連は米国に妥協してキューバへの核ミサイル配備を中止。この“裏切り”に憤激したゲバラは、ソ連への批判を強め、ソ連への依存を強めていたカストロ政権から離れていくことになります。そして、1965年、国際的な革命闘争に参加するためキューバを離れたゲバラは、アフリカ各地を歴訪し、コンゴ動乱に馳せ参じることになりました。

 1960年、アフリカ諸国が相次いで独立する中で、同年6月30日、ベルギー領コンゴもコンゴ共和国(旧仏領の隣国も正式な国名が“コンゴ共和国”だったため、区別するため、コンゴ・レオポルドビル、コンゴ・キンシャサなど呼ばれることもあります)として独立したものの、すぐに内戦が発生します。いわゆる第一次コンゴ動乱です。

 第一次コンゴ動乱は、国連軍の介入もあって、1963年1月にいったんは終結しますが、1964年6月、国連軍が撤退するとピエール・ムレレ率いる共産ゲリラのシンバが中国の支援を得て反乱を起こし、いわゆる第二次コンゴ動乱が勃発しました。

 シンバは、一時、今後の国土の多くを掌握しましたが、米国と旧宗主国のベルギーが介入し、シンバ政権は崩壊します。これを受けて、1964年12月11日に開催された国連安保理で、キューバ代表として登壇したゲバラは、米国のコンゴへの軍事介入を激しく非難。その後、彼はアルジェリアを皮切りにアフリカ8ヶ国を歴訪し、1965年2月11日にはタンザニアに入り、ローラン・カビラをはじめとするコンゴ反政府勢力と会談しました。

 その後、ゲバラは2月24日にアルジェリアで開催されたアジア・アフリカ連帯機構第2回経済会議で第3世界との貿易と援助の問題をめぐってソ連を激しく批判。いったん、キューバに帰国した後、国家建設のためにソ連からの援助を必要とするカストロに別れを告げ、4月2日、新たな革命の地を求め、タンザニアへ向かいました。

 4月23日、ゲバラは14人の部下を連れてキゴマからタンガニーカ湖を渡ってコンゴ領キバンバに上陸。部族ごとに対立し、内部抗争に明け暮れるコンゴの反政府勢力に対して、団結と現政権の打倒を熱心に説き、キューバ人兵士とともに激しい戦闘を展開します。

 しかし、コンゴ反政府勢力の実情は、ゲバラを大いに失望させるものでした。

 すなわち、カビラをはじめとする幹部たちは、タンザニアの首都ダルエスサラームで安穏と暮らすか、カイロやアルジェ、モスクワ、北京を訪問してネットワークを織り上げていたが、闘争の前線には姿を見せませんでした。特に、カビラ本人は決して前線を訪れようとはせず、1965年7月7日、ゲバラのいるキバンバ基地を訪ねた際には、カビラは愛人と思しき女性を含む多くの従者を従え、大量のウイスキーを持ち込み、わずか5日の滞在でタンザニアに引き揚げてしまいます。ゲバラとキューバ人兵士が大いに落胆したのは言うまでもありません。

 こうした状況の下で、1965年9月、南ア出身の傭兵を中心としたマイク・ホアレ率いるワイルド・ギースの攻勢により、反政府勢力の拠点であったバラカが制圧され、キューバ兵への食糧の補給も滞り始めます。さらに、同年10月10日、ホアレと傭兵たちが反政府勢力の残された拠点、フィジを制圧し、政府側による掃討作戦が事実上終了。その後も、キューバ兵とワイルド・ギースの戦いは続いたが、10月24日の砲撃戦でキューバ側は多数の犠牲者を出しました。

 結局、11月20日、ゲバラらキューバ兵は、何ら成果を上げることなく、キバンバからタンザニアへの撤退を開始。ゲバラは、22日にキューバ兵の最後の一人がコンゴから去るまで、タンザニアに潜伏して見届けました。

 さて、今月25日に刊行となりました拙著『喜望峰』では、南アフリカ共和国の中でも、特に保守的でアフリカーンスの文化が色濃く残っているとされるステレンボッシュの地で、ゲバラの視線を感じながら食事をするという不思議な体験を話の枕として、今回ご紹介したゲバラとワイルド・ギースの戦いをはじめ、南アとキューバの対立・抗争の歴史についてもまとめております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 * けさ、カウンターが112万PVを越えました。いつも閲覧していただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。


 ★★★  T-moneyで歩くソウル歴史散歩 ★★★
   
・よみうりカルチャー荻窪
 10月30日、12月4日、1月29日、2月5日、3月5日 13:00-14:30

 8月の韓国取材で仕入れたネタを交えながら、ソウルの歴史散歩を楽しんでみようという一般向けの教養講座です。詳細につきましては、青色太字をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・11月3日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『喜望峰』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しておりますので、ぜひ、遊びに来てください。

 ・11月10日(土) 11:00- 全国切手展<JAPEX>
 東京・池袋で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『喜望峰』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


 ★★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★★

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 なお、本書をご自身の関係するメディアで取り上げたい、または、取り上げることを検討したい、という方は、是非、ご連絡ください。資料を急送いたします。

 
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 14年ぶりのキューバ訪問
2012-03-29 Thu 21:42
 26日からキューバを訪問していたローマ教皇、ベネディクト16世が、現地時間の28日、フィデル・カストロ前国家評議会議長と会談しました。教皇のキューバ訪問は1998年のヨハネ・パウロ2世以来、14年ぶりとのことです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        教皇キューバ訪問(1998)

 これは、1998年の教皇訪問を記念してキューバが発行した切手の1枚で、教皇の肖像とハバナ大聖堂が描かれています。

 キューバはもとはスペインの植民地だったこともあり、国民の多くはカトリックの信者でした。しかし、革命を主導したフィデルが無神論者だったことに加え、キューバのカトリック教会がバティスタ政権と反革命派を支持していたこともあって、革命政権は司祭や尼僧ら約300人を国外追放した上、教会が所有していた学校を全て国有化するなどの弾圧政策を推進。これに対して、教皇ヨハネ23世はフィデルを破門するなどの対抗措置を講じ、両者の関係は長らく断絶していました。

 しかし、冷戦終結によりソ連などからの経済支援が断たれ、キューバが対外融和政策を展開するようになると、その一環として、1992年、フィデルの政権はキリスト教徒に対する融和制作を導入。はたして、教皇ヨハネ・パウロ2世はアメリカによるキューバへの通商停止に対して「不正で、倫理的に承諾しがたい」と非難を行い、バチカンとキューバの関係は劇的に改善します。そして、1996年11月、フィデルはヴァチカンを訪問して教皇に謁見。キューバの宗教弾圧政策は事実上、放棄されました。さらに、1998年の教皇のキューバ訪問を受けて、キューバ政府はクリスマスを再び休日とするなど、関係改善はさらに進んでいます。

 ちなみに、今回の教皇のキューバ訪問は、1612年にキューバの守護聖人とされる“カリダデルコブレ聖母像”が発見されてから400年になるのを記念してのことだそうですが、フィデル引退後のラウル・カストロ政権としては、教皇の訪問を受け入れることで、現政権が宗教活動に対して寛容で開放的であることを世界に向けて発信しようとする意図があるとみられています。

 なお、フィデル引退後のキューバと切手については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも1章を設けて解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 4月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

・よみうりカルチャー荻窪
 4月10日、5月8日、6月12日、7月10日、8月7日、9月11日
 (毎月第2火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史

・よみうりカルチャー柏
 4月24日、5月22日、6月26日、7月24日、8月28日、9月25日
 (毎月第4火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史


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 最も命を狙われた男
2011-12-17 Sat 22:45
 キューバからの報道によると、フィデル・カストロ前国家評議会議長が“最も命を狙われた男”として、ギネスブックに掲載されることになったそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        キューバ・革命防衛委員会45年

 これは、2005年にキューバが発行した「革命防衛委員会45周年」の記念切手で、右側には演説するカストロの写真が取り上げられています。

 1959年のキューバ革命を経て発足したカストロ政権は、当初、必ずしもソ連型の社会主義国家の建設を志向していたわけではなく、あまりにも極端な富の偏在を是正する“改良主義”の立場に立っていました。
 
 ところが、その“改良主義”の実現に際してカストロ政権が行った農地改革は、外国人の農場経営の禁止等を法律に盛り込んでおり、米国系資本は大きな打撃を受けることになりました。このため、米国はキューバ政府に抗議し、カストロがこれを拒絶すると、マイアミから飛行機が飛来し、爆弾を落としていくようになったほか、8月以降、融資停止などの経済制裁を開始します。

 アメリカとの対立を深めていく中で、カストロ政府は、必然的に“敵の敵”であるソ連との関係を強化せざるを得なくなりました。

 1959年にキューバで革命が起こるまでは、アメリカの“裏庭”であるラテンアメリカ諸国では、ソ連と外交関係を結ぶことはおろか、経済的な関係を持つことさえタブー視されていました。したがって、キューバがソ連の期待しているような社会主義国家となるかどうかということはさておき、アメリカの“裏庭”に楔を打ち込むためにも、キューバを援助し、恩を売っておくことはソ連の冷戦戦略にとって有益なことでした。

 こうした事態を目の当たりにしたアメリカは、キューバがついに“赤化”したと判断し、カストロ政権打倒のための経済封鎖に着手。1960年2月、キューバからの果実輸入を禁止するとともに、同年7月には、キューバ最大の輸出品であった砂糖の輸入を停止しました。

 もっとも、アメリカによるキューバの砂糖輸入停止に対しては、アメリカが買い付けを拒否したのと同量の砂糖をソ連が国際価格で買い取ることを申し入れたため、アメリカ側が期待していたような効果を挙げることなく終ってしまいます。これを受けてキューバ政府は、アメリカを挑発するかのように、「我が国が侵略されるようなことがあれば、ソ連の好意を受け取る以外の道はなくなるだろう」との声明を発表しました。

 この声明に激怒したアメリカは、ついに、実力でカストロ政権を転覆させることを決意し、8月16日、CIAによるカストロ暗殺計画(毒入の葉巻がカストロのもとに届けられました)を実行に移します。しかし、この秘密工作は失敗に終わり、同月19日、アメリカはキューバに対する経済封鎖を発動しました。これに対して、カストロはアメリカ資本の工場や農園を次々に接収するとともに、共産中国との国交樹立とソ連との経済関係の強化を決定。両者の対立はエスカレートしていきます。
 
 こうした状況の下で、9月18日から10日間にわたり、カストロは国連総会へ出席するためにニューヨークを訪問。この間、米国務省はカストロの在米中の行動範囲をマンハッタン島内に限ると通告すると、キューバも国連総会の期間中、駐ハバナ米大使の行動範囲を大使館周辺に限定すると通告するなど、両国の激しいせめぎあいが行われています。

 そして、9月28日、帰国したカストロが革命広場で帰国報告の演説を行っている途中、4発(2発との説もあります)の爆弾が爆発するという暗殺未遂事件が発生しました。辛くも難を逃れたカストロは、とっさに事件を逆手に取って、「集団的警備の充実のため」として、日本の隣組組織と類似の革命防衛委員会の設立を提案し、これを満場の拍手で承認させています。

 今回ご紹介の切手は、この事件から起算して45周年になるのを記念して発行されたもので、おそらく、カストロの写真は帰国報告の演説の際に撮影されたものではないかと思います。

 まぁ、今回の“ギネス入り”を報じたニュースによると、カストロに対する暗殺未遂は計638回(その大半は、当然のことながら、CIAが関与したものです)にも及んでいるそうですから、暗殺未遂事件に遭遇した現場の写真というのも決して珍しいものではないのかもしれません。とはいえ、今回ご紹介の1枚のように、暗殺未遂事件と直接関係のある切手というのは、やはり、珍しいのではないでしょうかね。

 なお、さすがのカストロも年齢には勝てず、2006年から病気療養中で、今年4月の第6回キューバ共産党大会では、正式に党トップの第1書記を退任しています。このあたりの、ポスト・カストロをめぐるキューバの動きについては、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語『サンデー毎日』12月25日号で紹介されました。

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   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ?『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ?)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
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