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内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
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 本日、トークやります。
2018-04-21 Sat 01:09
 かねてご案内の通り、本日(21日)12:30より、東京・浅草で開催のスタンプショウ会場内で、5月刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』の事前プロモーションのトークイベントを行います。というわけで、その予告編として、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます。なお、イベントの詳細は主催者HPをご覧ください)

      キューバ・サロンデマヨ

 これは、1967年7月にキューバで発行された“サロン・ド・マヨ美術展”の記念シートで、同展の目玉とされた「クーバ・コレクティヴァ」が取り上げられています。この作品の左方にはゲバラの肖像が描かれており(下に拡大画像を貼っておきます)、これが、ゲバラ切手としては最初の1枚となりました。なお、ゲバラは1967年10月にボリヴィア山中で殺害されていますので、この切手は、ゲバラの生前に発行された唯一の肖像切手でもあります。

      キューバ・サロンデマヨ(部分)

 サロン・ド・マヨ美術展は、『レヴォルシオン』紙の元編集長で著述家のカルロス・フランキが中心となって開催したもので、イヴェント名はドイツ占領下のパリで、反ナチス派の芸術家たちが創設した“5月サロン”を意識しています。パブロ・ピカソ、ホアン・ミロ、アレクサンダー・カルダー、ルネ・ポルトカッレロ、ウィルフレド・ラム等、当代一流の芸術家の作品が展示されたほか、キューバを拠点に活動をする若手芸術家を集め、支援することも目的の一つであったため、展覧会に参加した芸術家の中には、主催者側から滞在費その他の支援を受け、会期の数週間前からハバナに滞在して作品を制作するケースもありました。

 切手に取り上げられた「クーバ・コレクティヴァ」は、中央の円をウィルフレド・ラムが描き、その周囲に渦巻き状に他の画家たちの作品を加えていくことで作られた合作壁画で、その全体は横10m、縦5mという巨大なものです。

 ちなみに、ゲバラの肖像として一番有名な「英雄的ゲリラ」は、革命後の1960年3月5日、前日にハバナ港で起きた爆発事件の犠牲者追悼集会で、『レヴォルシオン』誌の写真記者、アルベルト・コルダが撮影した写真をトリミングしたものです。

 当初、コルダの写真は一般に公開されませんでしたが、1967年、イタリアの編集者ジャンジャコモ・フェルトリネッリが焼き増しを譲り受け、同年10月のゲバラ処刑後、ポスターにして販売。さらに、キューバ政府主催の追悼集会で巨大な遺影として掲げられたほか、没後1周年の追悼切手等にも取り上げられて、いちやく有名になり、反体制のシンボルとして世界中で多くの複製が作られました。

 今回のトークでは、波乱に満ちたゲバラの生涯をたどるとともに、彼の死後、彼の肖像がどのような形で全世界に流布し、どのようなイメージで語られてきたのかという点についても、お話ししたいと考えています。ぜひ、1人でも多くの方にご参加いただけると幸いです。


★★★ トークイベントのご案内 ★★★

 4月21日(土)12:30より、東京・浅草で開催のスタンプショウ会場内で、5月刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』の事前プロモーションのトークイベントを行います。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 


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 年賀状の切手
2018-01-04 Thu 10:36
 毎年のことですが、“郵便学者”という看板を掲げて生活している関係から、僕は毎年、年賀状には干支にちなんだ切手を取り上げることにしています。もっとも、ただ単に干支の切手を持ってくるだけではつまらないので、①できるだけ他の人が使いそうにないモノ、②その年の仕事の予告編になりそうなモノ、③可能な限り、干支を取り上げた年賀切手は除く、という基準で選んでいます。きょう(4日)は仕事始めでオフィスで僕の年賀状をご覧になるという方もあると思いますので、今回の年賀状の切手について簡単にご説明いたします。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・犬の宇宙飛行士

 これは、2006年にキューバが発行した“クーチョ”を取り上げた切手の1枚で、宇宙飛行士になったクーチョと“時代遅れの宇宙船”としてのスペースシャトルが描かれています。宇宙に飛び出したクーチョにちなんで、皆様のいっそうの飛躍をお祈りする氣持も込めました。

 クーチョはキューバを代表する漫画家、ヴィルヒリオ・マルティネスの漫画『クーチョ』の主人公の犬です。

 ヴィルヒリオ・マルティネスは、1931年4月27日、ハヴァナ生まれで、1949年に商業作家としてデビューしました。商業誌での活動のかたわら、反バティスタの地下出版でバティスタ批判の風刺漫画を描いていました。1955-59年、左派系の雑誌『メッラ』誌に、擬人化された犬のプーチョを主人公とする冒険物語『プーチョ』を連載。これが、切手に取り上げられたクーチョのルーツとなりました。

 1959年の革命後、カストロ政権は国民教化の手段として漫画を重視するなかで、マルティネスは左翼系の著名漫画家として革命政府の庇護を受け、キューバ共産党中央委員会の機関紙『グランマ』をはじめ、多くの媒体で作家のみならずアート・ディレクターや編集代表としても活躍しました。その作風は、クーチョのような愛嬌のあるものだけでなく、キューバ革命史に題材を取った写実的なものまで多岐にわたっています。ちなみに、フリオ・アントニオ・メジャ(学生連合と共産党の設立者。1929年に暗殺)、カミーロ・シエンフエゴス、チェ・ゲヴァラの3人を並べた共産主義青年同盟(UJC:Unión de Jóvenes Comunistas)のロゴマーク(下の画像)も、彼がデザインしたものです。2008年5月12日没。享年77歳。

      キューバ・UJCロゴ

 さて、元日のご挨拶でも少し触れましたが、現在、チェ・ゲヴァラの本をに関する書籍を今春刊行すべく作業を進めています。ゲヴァラに関しては、昨年が没後50年ということで、NHKラジオ第1放送の「切手でひも解く世界の歴史」やインターネット配信の「チャンネルくらら」でも特集をやったのですが、これが思いのほか好評で、昨年末、今年6月の生誕90年にあわせての書籍刊行が決まりました。正式なタイトルや刊行日など、詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。

 なお、例によって、年賀状の投函は年末ぎりぎりになってしまいましたので、まだお手元に届いていない方もあるかと思います。(ちなみに、拙宅には、明らかに昨年の御用納め以前に投函されたと思しき、オフィスからの年賀状が昨日の夕方にも何通か届きました)

 早々に賀状をお送りいただきながら、僕の賀状がまだ届いていないという方々におかれましては、今しばらくお待ちいただきますよう、伏してお願い申し上げます。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★

  12月28日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」第13回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、年明け1月11日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。
 
 なお、12月28日放送分につきましては、1月4日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


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 ボリヴィアでゲヴァラ没後50年式典
2017-10-10 Tue 13:08
 キューバ革命の英雄、チェ・ゲバヴァラが、1967年10月9日、南米ボリヴィアの山中で米中央情報局(CIA)の支援を受けた同国軍に処刑されてから50年に当たるのを記念して、現地時間の9日、最期の地となった南部の寒村ラ・イゲーラに近いヴァジェ・グランデ市でボリヴィア政府主催の式典が行われました。というわけで、今日はこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・ゲヴァラ最期の地

 これは、2007年、キューバが発行した“ゲヴァラ戦死40周年”の記念切手のうち、ゲヴァラ最期の地となったラ・イゲーラ(ボリヴィア)のモニュメントが取り上げられています。

 1965年2月、「別れの手紙」を残してキューバを去ったゲヴァラは、新たな革命の地を求めてコンゴ動乱に馳せ参じ、約1年間、軍事政権に対抗する左翼反乱軍に参加しました。しかし、反政府勢力首脳部の腐敗と堕落に幻滅した彼は、“世界革命”の理想を抱えてコンゴから撤退し、チェコスロヴァキアを経てラテンアメリカに戻り、1966年11月、独裁政権下のボリヴィアに潜入。革命に向けての“アンデス計画”を展開します。

 アンデス計画は、(実際の地理的条件を無視すれば)ペルー、チリ、アルゼンチン、パラグアイ、ブラジルからほぼ等距離にあるボリヴィア北部の山岳地帯を拠点に、現地の農民を革命兵士に育て上げ、訓練施設を拡充し、ついで近隣諸国から送り込まれる志願者を革命兵士として教育し、その見返りとして資金的・物質的援助を得て、活動の範囲を広げていくという壮大なものでした。

 しかし、現地のボリヴィア共産党や先住民の農民は“よそ者”のゲヴァラに対して非協力的で、ゲヴァラらは勢力を拡大できないまま、1967年10月8日、ゲヴァラは戦闘でふくらはぎを負傷。ラ・イゲーラ近くのケブラダ・デル・ジューロ(ユーロ)渓谷で捕縛された後、村の小学校に移送され、翌9日、銃殺されました。最期の言葉は、銃殺をためらう政府軍兵士に対して発せられた「お前の目の前にいるのは英雄でも何でもないただの男だ。撃て!」でした。

 その後、ゲヴァラの遺体は、ヴァジェ・グランデ市内に運ばれ、しばらく晒しものにされた後、密かにヴァジェ・グランデの滑走路に埋められました。

 ゲヴァラの殺害から28年が経過した1995年、遺体の処理に関わった元軍人のバルガス・サリナス(事件当時の階級は大尉。最終的に将軍まで昇進)は、伝記作家のインタビューに答えて、ゲヴァラの埋葬場所を公表。当初、ボリヴィア陸軍はサリナス証言を否定し、サリナスに対して“元将軍”の地位と名誉を剥奪する処分を下しましたが、当時のボリヴィア大統領、ゴンサロ・サンチェスは、ゲヴァラの埋葬場所を観光資源化することを考え、遺体の捜索を約束します。

 こうして、1995年11月、キューバとアルゼンチンから専門家チームが現地に派遣され、発掘作業が開始。1年半後の1997年6月29日、遺骨が発見されました。

 発掘されたゲヴァラとキューバ人同志たちの遺骨は、それぞれ、木棺に収められた後、キューバ国旗に包まれ、ハヴァナへと空輸されました。遺骨は、ハヴァナ市内中心部の革命広場で盛大な帰還式典が行われた後、新たに建設されたサンタ・クララ霊廟の地下に収められ、現在に至っています。

 一方、遺骨発見のタイミングがゲヴァラの没後40周年と重なったこともあり、ラ・イゲーラでは大々的な記念行事が行われ、殺害場所となった小学校がリニューアルされて村営博物館となったほか、村の中央広場には高さ4mの巨大なゲヴァラ立像のほか、今回ご紹介の切手に取り上げられたセメント製の胸像が作られました。胸像の台座の文言“TU EJEMPLO ALUMBRA UN NUEVO AMANECER”はスペイン語で「あなたの示した手本が世界に夜明けをもたらす」との意味で、その下には供物や灯明を置くスペースもあります。共産主義者だったはずのゲヴァラが、いつのまにか、地元では“ゲヴァラ大明神”のような雰囲気になっているのが面白いところです。

 ちなみに、きのうの式典で、ボリヴィアのモラレス現大統領は「チェは革命戦士であり、帝国主義との戦いのシンボルだ」と述べ、ゲバラの業績をたたえるとともに、「帝国主義の傭兵の弾は彼の精神を殺すことはできなかったし、彼の理想を覆い隠すことはできなかった」、「戦いを続けることがチェへの最大の手向けとなる」と述べるなど、反米左派としての立場を強調しています。しかし、その一方で、「命令に従うしかなかった兵士らに責任はない。責めを負うのはCIAやそれに服従した(当時の)将軍たちだ」と述べ、最高司令官として軍への配慮も示しました。

 今年のゲヴァラの没後50年ということで、映画「エルネスト」も公開されましたが、来年(2018年)は、1928年6月14日生まれのゲヴァラにとって生誕90周年ということです。今回の没後50年位は間に合いませんでしたが、メモリアル・イヤーもしばらくは続くことですし、来年は、ぜひともゲヴァラ関係のまとまった仕事をしたいですねぇ。

 * けさ、アクセスカウンターが184万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。

★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★

 10月5日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第9回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、10月19日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、5日放送分につきましては、10月12日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


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 切手でひも解く世界の歴史(9)
2017-10-05 Thu 08:05
 本日(5日)16:05から、NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第9回が放送される予定です。(番組の詳細はこちらをご覧ください)。今回は、10月9日に没後50周年を迎えるチェ・ゲヴァラにスポットを当てて、この切手もご紹介しながら、お話をする予定です(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・ゲヴァラ終焉の地

 これは、ゲヴァラ没後5周年にあたる1972年にキューバが発行した切手で、ゲヴァラと彼がボリヴィア政府軍に捕えられたケブラダ・デル・ジューロ(ユーロ)の位置が示されています。ゲヴァラは地図に記載の場所から7kmのラ・イゲーラに移送され、殺害されました。

 エルネスト・ラファエル・ゲヴァラ・デ・ラ・セルナは、1928年6月14日、アルゼンチン第2の都市、ロサリオの裕福な家庭に生まれました。ブエノスアイレス大学医学部在学中の1951年、高校時代からの友人、アルベルト・グラナードと2人で南米大陸をオートバイで縦断旅行し、中南米諸国の絶望的な貧富の格差やアメリカによる経済支配の実態などを目の当たりにして、次第に共産主義に傾斜していきます。

 1953年の大学卒業後、フアン・ドミンゴ・ペロン独裁政権下の軍医として徴用されることを嫌ったゲヴァラは出国し、ボリヴィア、ペルー、エクアドル、グアテマラなどを経てメキシコにいたり、1955年6月、キューバのバティスタ独裁政権に抵抗して亡命中だったキューバ人革命家、フィデル・カストロと出会います。

 ちなみに、“チェ・ゲヴァラ”の “チェ”は、もとは、アルゼンチンなどで日常的に用いられているリオプラテンセ・スペイン語で呼びかけの「やぁ」「おい」、愛称の「お前さん」などの意味です。ゲヴァラがカストロに“Che, Ernest Guevara(やぁ、俺はエルネスト・ゲヴァラだ)”と自己紹介した際、居合わせたキューバ人は、当初、“チェ”の意味が理解できず、以後、それが彼のあだ名として定着。本人も“チェ”のサインを用いるようになりました。

 カストロと意気投合したゲヴァラは、すぐにキューバ革命への参加を表明。軍事訓練を受け、1956年12月、カストロらとともにヨット“グランマ号”でキューバに上陸します。当初、ゲヴァラら革命派は圧倒的に不利な状況にありましたが、キューバ国内のさまざまな反独裁勢力に支えられ、徐々に勢力を拡大。1959年1月1日、バティスタ政権を打倒して首都ハバナに入城し、カストロが勝利宣言を行いました。

 革命後の1959年6月、ゲヴァラは通商大使としてアジア、アフリカ、東欧などを歴訪し、帰国後、農業改革機構工業部長および国立銀行総裁に就任。農地改革と企業の国有化を進めました。

 ちなみに、ゲヴァラの肖像として一番有名な「英雄的ゲリラ」は、革命後の1960年3月5日、前日にハバナ港で起きた爆発事件の犠牲者追悼集会で、『レヴォルシオン』誌の写真記者、アルベルト・コルダが撮影しました。当初、写真は一般に公開されませんでしたが、1967年、イタリアの編集者ジャンジャコモ・フェルトリネッリが焼き増しを譲り受け、同年10月のゲヴァラ処刑後、ポスターにして販売。さらに、キューバ政府主催の追悼集会で巨大な遺影として掲げられたほか、没後1周年の追悼切手等にも取り上げられて、いちやく有名になり、反体制のシンボルとして世界中で多くの複製が作られました。

 1961年4月、アメリカはプラヤ・ヒロン侵攻事件で革命に干渉しますが、ゲヴァラはカストロと共に侵攻軍を撃破。翌5月、カストロはキューバ革命の社会主義革命化を宣言します。

 当初、敵の敵は味方のロジックで、ソ連との関係強化を唱えていたゲヴァラでしたが、1962年のキューバ危機では、結局、ソ連はアメリカに妥協してキューバへの核ミサイル配備を中止。この“裏切り”に憤激した彼は、ソ連への批判を強め、1965年2月、通商交渉のため訪れていたアルジェリアでソ連の外交姿勢を“帝国主義的搾取の共犯者”と非難。このため、キューバ政府が「ゲヴァラを首脳陣から外さなければ物資の援助を削減する」との圧力をソ連から受けると、ゲヴァラは「別れの手紙」を残してキューバを離れます。

 キューバを離れたゲヴァラは、コンゴ動乱に馳せ参じ、約1年間、軍事政権に対抗する左翼反乱軍に参加しました。しかし、反政府勢力首脳部の腐敗と堕落に幻滅した彼は、“世界革命”の理想を抱えてコンゴから撤退し、チェコスロヴァキアを経てラテンアメリカに戻り、1966年11月、独裁政権下のボリヴィアに潜入。革命に向けてのゲリラ活動を展開しました。

 ボリヴィアでのゲヴァラは勢力を拡大できないまま、1967年10月8日、政府軍に逮捕され、翌日、銃殺されます。ちなみに、銃殺をためらう政府軍兵士に対して発せられた「お前の目の前にいるのは英雄でも何でもないただの男だ。撃て!」が最期の言葉となりました。

 彼の遺体は、死亡の証拠として両手首を切り落とされた後、ボリヴィア山中に埋められましたが、没後30年にあたる1997年、掘り返され、キューバに返還。キューバ中部の都市で、革命の際にゲヴァラが解放したことで知られるサンタクララに埋葬されました。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は5日!★★

 10月5日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第9回が放送予定です。今回は、10月9日に没後50周年を迎えるチェ・ゲヴァラの切手にスポットを当ててお話をする予定ですので、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

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 世界の国々:キューバ
2017-07-05 Wed 07:50
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年6月28日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はキューバの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・ゲバラ没後15年

 これは、1982年にキューバで発行されたチェ・ゲヴァラ没後15周年の記念切手で、彼の肖像とチェ(Che)のサインが取り上げられています。

 アルゼンチンなどで日常的に用いられているリオプラテンセ・スペイン語は、他の地域のスペイン語とは異なる独自の語彙が少なからずありますが、呼びかけの「やぁ」「おい」、愛称の「お前さん」に相当する「チェ(che)」は、その中でも最も世界的に知られた単語でしょう。

 アルゼンチン出身のエルネスト・ゲヴァラは、メキシコでカストロに“Che, Ernest Guevara(やぁ、俺はエルネスト・ゲヴァラだ)”と自己紹介しましたが、その場に居合わせた面々は、当初、“チェ”の意味が理解できませんでした。その後も、アルゼンチン出身のゲバラは、“チェ”の語を連発したため、“チェ”が彼のあだ名として定着し、ゲヴァラも自分の署名に“チェ”を用いるようになりました。

 さて、エルネスト・ラファエル・ゲヴァラ・デ・ラ・セルナは、1928年6月14日、アルゼンチン第2の都市、ロサリオの裕福な家庭に生まれました。幼少時から持病の喘息に悩まされていた彼は、アレルギーの研究を志し、1948年、ブエノスアイレス大学医学部に入学します。

 在学中の1951年、高校時代からの友人、アルベルト・グラナードと2人で南米大陸をオートバイで縦断。途中、ハンセン氏病の医師であるかのように振舞って宿と食事、旅費をくすねたり、密航がばれて船員の仕事をすることで勘弁してもらったりする一方、中南米諸国の絶望的な貧富の格差やアメリカによる経済支配の実態などを目の当たりにして、社会変革の必要を痛感。次第にマルクス主義に傾斜していきます。
 
 1953年の大学卒業後、ペロン独裁政権下の軍医として徴用されることを嫌ったゲヴァラは出国し、ボリヴィア、ペルー、エクアドル、グアテマラなどを経てメキシコにいたり、1955年6月、亡命中のキューバ人革命家、フィデル・カストロと出会いました。

 反政府組織“7月26日運動(M26)”を率いてバティスタ独裁政権の打倒を目指すカストロと意気投合したゲヴァラは、すぐに革命への参加を表明。軍事訓練を受け、1956年12月、カストロらとともにヨット“グランマ号”でキューバに上陸します。しかし、上陸を事前に察知していた政権側の迎撃を受け、革命派が命からがらシエラ・マエストラ山脈に逃げのびたときには、彼らの兵力はわずか17名にまで減少。革命の成就は絶望的とも思われました。

 しかし、彼らはキューバ国内のさまざまな反独裁勢力に支えられ、農村から集まってくる志願兵を受けいれて徐々に勢力を拡大。1958年8月には、ゲヴァラとカミーロ・シエンフエゴスひきいる2部隊がマエストラ山脈の拠点を出発し、西へ向けて進軍を開始し、ラス・ビリャスの戦で勝利を収めた。さらに、12月30日には中部の大都市サンタ・クララで政府軍を敗走させました。

 こうして、1959年1月1日、バティスタがドミニカ共和国に亡命すると、翌2日、ゲヴァラとカミーロが首都ハバナに入城し、カストロは勝利宣言を行いました。

 革命後の1959年6月、ゲヴァラは通商大使としてアジア、アフリカ、東欧などを歴訪し、帰国後、農業改革機構工業部長および国立銀行総裁に就任。農地改革と企業の国有化を進めます。

 1961年4月、米国はプラヤ・ヒロン侵攻事件で革命に干渉しますが、ゲヴァラはカストロと共に侵攻軍を撃破し、5月、カストロはキューバ革命の社会主義革命化を宣言しました。

 同年10月、ゲヴァラは工業相に就任。米国による経済封鎖の影響もあり、キューバ経済は急速に悪化。これに対して、彼は「生産効率の低下は人々の献身的労働によって補える」とし、自らも休日はサトウキビの刈り入れなど肉体労働に従事しましたが、状況は好転しませんでした。

 当初、米国という共通の敵と対峙するソ連との関係強化を唱えていたゲヴァラでしたが、1962年のキューバ危機では、結局、ソ連はアメリカに妥協してキューバへの核ミサイル配備を中止。この“裏切り”に憤激した彼は、ソ連への批判を強め、1965年2月、通商交渉のため訪れていたアルジェリアでソ連の外交姿勢を“帝国主義的搾取の共犯者”と非難。このため、キューバ政府が「ゲヴァラを首脳陣から外さなければ物資の援助を削減する」との圧力をソ連から受けると、ゲヴァラは「別れの手紙」を残してキューバを離れました。

 キューバを離れたゲヴァラは、コンゴ動乱に馳せ参じ、約1年間、軍事政権に対抗する左翼反乱軍に参加します。しかし、反政府勢力首脳部の腐敗と堕落に幻滅した彼は、“世界革命”の理想を抱えてコンゴから撤退し、チェコスロヴァキアを経てラテンアメリカに戻り、1966年11月、独裁政権下のボリヴィアに潜入。革命に向けてのゲリラ活動を展開しました。

 しかし、先住民族が多数派を占めるボリヴィアでは、農地改革で土地を得た農民は保守化し、ゲヴァラら左翼ゲリラは余計なことをする“よそ者”という見方が強くありました。ゲヴァラは勢力を拡大できないまま、1967年10月8日、ボリビア政府軍に逮捕され、翌日、銃殺されます。最期の言葉は、銃殺をためらう政府軍兵士に対して発せられた「お前の目の前にいるのは英雄でも何でもないただの男だ。撃て!」でした。

 その後、ゲヴァラの遺体は、死亡の証拠として両手首を切り落とされた後、ボリヴィア山中に埋められましたが、没後30年にあたる1997年、掘り返され、キューバに返還されています。

 さて、『世界の切手コレクション』6月28日号の「世界の国々」では、ことし没後50周年を迎えるゲヴァラについての長文コラムのほか、特産品の葉巻、シエラ・マエストラ山脈の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

  なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のキューバの次は、本日(5日)発売の7月12日号での南アフリカ共和国の特集になります。こちらについては、発行日の12日以降、このブログでもご紹介する予定です。 


 ★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月15-17日(土ー月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオーストラリア切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2017ポスター

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。

 ことしは、香港“返還”20周年ということで、内藤も昨年(2016年)、ニューヨークの世界切手展<NEW YORK 2016>で金賞を受賞した“A History of Hong Kong(香港の歴史)”をチャンピオンクラスに出品します。よろしかったら、ぜひ会場にてご覧ください。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

  6月29日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第5回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲があるため、少し間が開いて7月27日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、29日放送分につきましては、放送から1週間、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 米・キューバ、国交回復
2015-07-02 Thu 12:19
 きょう(2日)未明(米東部時間では1日午前)、オバマ米大統領は、キューバと54年ぶりに国交を回復し、双方の首都で大使館を再開することで合意したことを正式に発表しました。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました、(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・砂糖宣伝機械印(1960)

 これは、1960年3月、ハバナからニューヨーク宛に差し出された郵便物で、「キューバの砂糖を買おう」という英語・スペイン語のスローガンが入った機械印が押されています。ちなみに、キューバにとって砂糖は伝統的に主要産業でしたから、同様の文言が入った宣伝機械印は長期間にわたり、さまざまなタイプのモノが使われました。

 1959年のキューバ革命を経て発足したフィデル・カストロ政権は、当初、必ずしもソ連型の社会主義国家の建設を志向していたわけではなく、あまりにも極端な富の偏在を是正する“改良主義”の立場に立っていました。
 
 その“改良主義”の実現に際して、カストロ政権は、まず、1959年5月17日、第1次農地改革法を公布して、土地の所有を最大400ヘクタールに制限するとともに、外国人の農場経営の禁止等を法律に盛り込みました。しかし、このことは、革命以前のキューバの富を独占していた米国をいたく刺激します。

 このため、米政府は、農地改革を断行したキューバ政府に抗議。カストロがこれを拒絶すると、マイアミから飛行機が飛来し、爆弾を落としていくようになり、8月以降、融資停止などの経済制裁を開始します。

 米国との対立を深めていく中で、カストロ政府は、必然的に“敵の敵”であるソ連との関係を強化せざるを得なくなりました。

 1959年6月から各国歴訪の旅に出たチェ・ゲバラは、ソ連で50万トンの砂糖購入契約を締結するとともに、以後5年間にわたって、毎年50万トンの砂糖と石油、小麦、科学製品をバーターする契約を締結。さらに、翌1960年2月には、ソ連副首相のミコヤンがキューバを訪れ、ソ連がキューバの年間原油必要量の3~5割を引き受けることや1億ドルの長期開発援助の供与を約束しています。1959年にキューバで革命が起こるまでは、米国の“裏庭”であるラテンアメリカ諸国では、ソ連と外交関係を結ぶことはおろか、経済的な関係を持つことさえタブー視されていました。したがって、キューバがソ連の期待しているような社会主義国家となるかどうかということはさておき、米国の“裏庭”に楔を打ち込むためにも、キューバを援助し、恩を売っておくことはソ連の冷戦戦略にとって有益なことでした。

 こうした事態を目の当たりにした米国は、キューバがついに“赤化”したと判断し、カストロ政権打倒のための経済封鎖に着手。1960年2月、キューバからの果実輸入を禁止するとともに、同年7月には、キューバ最大の輸出品であった砂糖の輸入を停止しました。

 今回ご紹介のカバーは、こうした時期にキューバから米国宛に差し出されたものですが、米国を激怒させた農地改革の宣伝切手を台切手とする加刷切手が貼られ、“キューバの砂糖を買おう”というスローガンが押されているというのが、何とも皮肉な組み合わせです。

 さて、米国によるキューバの砂糖輸入停止に対しては、米国が買い付けを拒否したのと同量の砂糖をソ連が国際価格で買い取ることを申し入れたため、米国側が期待していたような効果を挙げることなく終ってしまいます。これを受けてキューバ政府は、米国を挑発するかのように、「我が国が侵略されるようなことがあれば、ソ連の好意を受け取る以外の道はなくなるだろう」との声明を発表しました。

 この声明に激怒した米国は、ついに、実力でカストロ政権を転覆させることを決意し、8月16日、CIAによるカストロ暗殺計画(毒入の葉巻がカストロのもとに届けられました)を実行に移します。しかし、この秘密工作は失敗に終わり、同月13日、米国はキューバに対して国交断絶を通告。同月9日、キューバに対する経済封鎖を発動しました。

 今回の国交回復はこの時以来のことで、両国大使館の再開は今月20日になる予定だそうです。


 ★★★ 全日本切手展+韓国切手展のご案内 ★★★ 

 7月17-19日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびに日韓国交正常化50周年記念・韓国切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページ(全日展はこちら、韓国切手展はこちら)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展チラシ  全日展チラシ(裏)

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。

 
 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

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 “日の本”の切手は美女揃い!
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 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 59年ぶりの米キューバ首脳会談
2015-04-12 Sun 12:16
 米国のオバマ大統領とキューバのラウル・カストロ国家評議会議長が、きのう(11日)、直接会談を行いました。両国首脳が会談するのは1956年以来59年ぶりだそうです。というわけで、1956年のキューバの出来事に関する切手ということで、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       キューバ・グランマ号

 これは、1965年にキューバが発行した「革命博物館」の記念切手のうち、グランマ号の方位磁石を描いた1枚です。

 1953年7月26日、フィデル・カストロらは親米独裁のバティスタ政権打倒をめざして、キューバ第2の兵営であるモンカダ兵営を襲撃しました。しかし、彼らが期待した一般市民による反バティスタ蜂起は起こらず、逃げのびたカストロ本人も逮捕・投獄されてしまいます。その裁判に際して、弁護士であったカストロは、被告人でありながら自らの弁護を担当し、最終弁論を「歴史は私に無罪を宣告するであろう」との有名な台詞で締めくくったものの、禁錮15年の判決を受け、ピノス島のモデーロ監獄に収監されることになりました。

 しかし、彼が獄中で執筆した手記『歴史は私に無罪を宣告するであろう』が密かに出版されると、カストロらに対する恩赦を求める運動が市民たちの間に広がり、1955年5月、バティスタも渋々ながらカストロの釈放を認めざるを得ませんでした。

 こうして釈放されたカストロは、再起を期していったんメキシコに亡命。そこで、たまたま、“アメリカ帝国主義からラテンアメリカを解放する”との理想を抱いてメキシコシティに来ていたアルゼンチン出身の青年医師、エルネスト・ゲバラ(いわゆるチェ・ゲバラ)と知り合い、意気投合します。

 メキシコでのカストロは、反政府組織“7月26日運動(M26)”を軸に、キューバ遠征のための資金の調達とゲリラの訓練を開始。そして、1956年11月25日、グランマ号でメキシコのトゥスパンを出港しました。

 グランマ号は1943年頃に製造された定員12名のディーゼルエンジン駆動のクルーザーで、カストロが中古のヨットとして購入した時の値段は5万メキシコ・ペソ(当時のレートで約1万5000ドル)でした。なお、カストロは、当初、米海軍のカタリナ飛行艇か航空機救難艇を購入しようと試みたもの、資金が圧倒的に不足しており、最終的にグランマ号しか買えなかったというのが実情でした。

 さて、グランマ号は12月2日にキューバへ上陸しますが、定員を遥かに超える82人もの兵士が乗り込んだために衛生環境が悪化し、さらに荒天でキューバ到着が予定より遅れて航海が長引いた事で、上陸する前に彼らの士気は相当下がっていたと言われています。また、カストロは事前に再上陸することを発表していたので、上陸後すぐにバティスタの政府軍に包囲され、革命側が命からがらシエラ・マエストラ山脈に逃げのびたときには、彼らの兵力はわずか17名(このうちの5名は途中で合流した農民である)にまで減少していました。

 こうして絶望的とも思われたカストロの革命でしたが、キューバ国内のさまざまな反独裁勢力に支えられ、各地の農村から集まってくる志願兵を受けいれるかたちで徐々に勢力を盛り返し、1959年、バティスタ政権打倒の革命を達成します。

 ちなみに、グランマ号が再上陸したときの米大統領はアイゼンハワーでした。米キューバの首脳会談はそれ以来だったわけですから、そう考えると、たしかに歴史的な出来事ではありますな。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・4月25日(土) 11:00-12:00 スタンプショウ
 於 東京都立産業貿易センター台東館(浅草) 特設会場
 出版記念のトークを行います。入場は完全に無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。スタンプショウについての詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』 発売! ★★★ 

         日の本切手 美女かるた・表紙 税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』書評が掲載されました!

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 米・キューバ国交交渉へ
2014-12-18 Thu 16:35
 オバマ米大統領は、昨日(17日)、1961年から国交が断絶しているキューバと、53年ぶりに関係改善に踏み出すと表明しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・農地改革

 これは、1959年、キューバで発行された農地改革実施の費用を集めるための寄附金つき切手です。

 1959年のキューバ革命を経て発足したカストロ政権は、当初、必ずしもソ連型の社会主義国家の建設を志向していたわけではなく、あまりにも極端な富の偏在を是正する“改良主義”の立場に立っていました。
 
 その“改良主義”の実現に際して、カストロ政権は、先ず、小作人への土地分与を掲げる土地改革と不正蓄財の没収を行います。

 当時、キューバの可耕地の4分の3は米国人を中心とする外国人の所有であり、なかでも、米国系の大砂糖会社は、それぞれ、数万ヘクタールもの土地を所有していました。社会的な平等を実現するため、その是正は不可と考えられたからです。

 このため、革命政権は、1959年5月17日、第1次農地改革法を公布して、土地の所有を最大400ヘクタールに制限するとともに、外国人の農場経営の禁止等を法律に盛り込み、米国がキューバの富を独占していた前提条件は根本から否定されました。今回ご紹介の切手は、この農地改革の宣伝を兼ね、その実施費用をあちゅ目るために寄附金つきで発行されたもので、“工業を支える農業”のイメージがデザインされています。これは、農地改革の成功が経済建設の基礎というカストロの思想を表現したものです。

 しかし、当然のことながら、この農地改革は米国をいたく刺激しました。

 すなわち、革命政権の方向性を見きわめようと事態を静観していた米政府は、農地改革が実行に移されるや、キューバ政府に抗議。カストロがこれを拒絶すると、マイアミから飛行機が飛来し、爆弾を落としていくようになったほか、8月以降、融資停止などの経済制裁を開始します。

 米国との対立を深めていく中で、カストロ政府は、必然的に“敵の敵”であるソ連との関係を強化せざるを得なくなりました。

 1959年6月から各国歴訪の旅に出たチェ・ゲバラは、ソ連で50万トンの砂糖購入契約を締結するとともに、以後5年間にわたって、毎年50万トンの砂糖と石油、小麦、科学製品をバーターする契約を締結。さらに、翌1960年2月には、ソ連副首相のミコヤンがキューバを訪れ、ソ連がキューバの年間原油必要量の3~5割を引き受けることや1億ドルの長期開発援助の供与を約束しています。1959年にキューバで革命が起こるまでは、米国の“裏庭”であるラテンアメリカ諸国では、ソ連と外交関係を結ぶことはおろか、経済的な関係を持つことさえタブー視されていました。したがって、キューバがソ連の期待しているような社会主義国家となるかどうかということはさておき、米国の“裏庭”に楔を打ち込むためにも、キューバを援助し、恩を売っておくことはソ連の冷戦戦略にとって有益なことでした。

 こうした事態を目の当たりにした米国は、キューバがついに“赤化”したと判断し、カストロ政権打倒のための経済封鎖に着手。1960年2月、キューバからの果実輸入を禁止するとともに、同年7月には、キューバ最大の輸出品であった砂糖の輸入を停止しました。

 もっとも、米国によるキューバの砂糖輸入停止に対しては、米国が買い付けを拒否したのと同量の砂糖をソ連が国際価格で買い取ることを申し入れたため、米国側が期待していたような効果を挙げることなく終ってしまいます。これを受けてキューバ政府は、米国を挑発するかのように、「我が国が侵略されるようなことがあれば、ソ連の好意を受け取る以外の道はなくなるだろう」との声明を発表しました。

 この声明に激怒した米国は、ついに、実力でカストロ政権を転覆させることを決意し、8月16日、CIAによるカストロ暗殺計画(毒入の葉巻がカストロのもとに届けられました)を実行に移します。しかし、この秘密工作は失敗に終わり、同月13日、米国はキューバに対して国交断絶を通告。同月9日、キューバに対する経済封鎖を発動しました。これに対して、カストロは米国資本の工場や農園を次々に接収するとともに、共産中国との国交樹立とソ連との経済関係の強化を決定。両者の対立はエスカレートしていくことになります。

 今回のオバマ大統領の声明は、この時以来の米国の対キューバ政策を根本的に見直そうというもので、まさに、歴史的な大転換というわけです。今後は、ケリー国務長官が即座に国交正常化に向けた交渉に入り、数カ月以内にハバナに米大使館を再開させる見込みということで、これからしばらくの間、キューバから目が離せなくなりそうです。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 毎週水曜日、インターネット放送・チャンネルくららにて、内藤がレギュラー出演する番組「切手で辿る韓国現代史」が配信されています。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は1月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

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 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 週刊『世界の切手コレクション』創刊
2014-09-10 Wed 21:42
 本日(10日)、アシェット・コレクションズ・ジャパン株式会社(以下アシェット・コレクションズ)から、「"本物の切手"をコレクション 切手を通して世界を楽しく学べる!」とのコンセプトの下、週刊『世界の切手コレクション』が創刊されました。(画像は表紙のイメージ。以下、クリックで拡大されます)

      世界の切手コレクション・創刊号

 同誌は、本物の切手をそろえることで、貴重な切手コレクションが完成するワンテーママガジンで、毎号、「国別」「テーマ別」「サプライズ(珍しいもの)」の3種類、計30枚の切手が付録についています。毎号テーマとなる国に焦点を当て、切手とともに歴史や文化についても紹介するほか、切手の収集方法や適切な保存方法など、初歩的な技術も網羅した内容となっています。(詳細は、アシェット・コレクションズ社の特設ページをご覧ください)

 同誌に関しては、毎号のメイン特集となる「世界の国々」のコーナーをはじめ、内藤が記事・画像を提供しております。創刊号の「世界の国々」で取り上げたのはキューバ。カストロとチェ・ゲバラの革命物語についてもたっぷりとスペースを取りましたが、こんな切手もご紹介しています。

       ゲバラ公園

 これは、1988年キューバが発行した“エルネスト・ゲバラ公園”の切手です。

 アルゼンチン出身のゲバラは、メキシコでカストロと出会い、キューバ革命に参加。カストロの片腕としてゲリラ戦で卓越した能力を発揮し、1958年12月にはキューバ第2の都市、サンタ・クララを制圧して、革命軍の勝利を決定的なものとしました。かつての激戦地は、現在、ゲバラの遺骨を納めた霊廟を中心にエルネスト・ゲバラ公園として多くの参拝者が集まる観光名所となっており、切手には、ゲバラ像を背景に、公園の俯瞰図と霊廟の記念碑が描かれています。

 本誌では、このほか、キューバの文化や風俗、自然などについても、切手を通じて幅広くご紹介しております。また、プレゼント切手の中には、モンゴルが発行した“幻のチンギスハン切手”やクック諸島の22金を使用した“ペニーブラック”なども含まれており、それらについても内藤が解説文を書いておりますので、機会がありましたら、ぜひ、実物をお手に取ってご覧いただけると幸いです。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・現代コリア事情 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

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 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 キューバの革命記念日
2013-07-26 Fri 10:53
 きょう(7月26日)は、1953年にキューバ革命の端緒となったモンカダ兵営襲撃事件が起きた日で、キューバでは革命記念日とされています。今年は事件から60周年の節目の年でもありますので、きょうはストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       モンカダ兵営襲撃

 これは、1960年にキューバで発行されたキューバ革命1周年の記念切手のうち、モンカダ兵営の襲撃場面を取り上げた1枚です。

 米西戦争の後、キューバは実質的に米国の支配下に置かれ、砂糖やタバコなどの主要産品は米国資本が独占していました。このため、植民地社会にしばしば見られる政治家の腐敗・汚職の蔓延ともあいまって、真の独立を求めるキューバ人の反乱や反米暴動が起こると、アメリカはそのたびに軍隊を送り込んで、これを力ずくで抑えこむという状況が続いていました。

 特に、1933年8月、マチャド独裁政権の打倒を叫ぶ民衆蜂起の混乱に乗じて、陸軍軍曹のフルヘンシオ・バティスタが一挙に陸軍の実力者となると、翌1934年、米国はバティスタを支援して、彼の独裁体制を構築。以後、バティスタとその一派は、第二次大戦前後の約20年間にわたって政権を独占し、キューバの富はバティスタ政権・米国政府・米国企業・マフィアという4者によって独占され、米国に対する隷属の度合いはますます高まっていきました。

 このように抑圧されつづけたキューバ人の不満が爆発したのが、1953年7月26日、当時27歳の青年弁護士、フィデル・カストロひきいる165名の青年たちがキューバ第2の兵営であるモンカダ兵営を襲撃した事件で、今回ご紹介の切手には、その時の場面が描かれています。

 もっとも、バティスタ政権の打倒を目標として兵営を襲撃したカストロたちでしたが、彼らが期待した一般市民による反バティスタ蜂起は起こらず、逃げのびたカストロ本人も逮捕・投獄されてしまいました。しかし、襲撃事件に参加した若者に対する政府側の残虐行為(たとえば、襲撃に加わり、逮捕されたアベル・サンタマリーアは、生きたまま目をくりぬかれ、虐殺されています)が明らかになるにつれ、国民の間に、しだいに反バティスタ気運が盛り上がっていきます。

 裁判に際して、弁護士であったカストロは、被告人でありながら自らの弁護を担当し、最終弁論を「歴史は私に無罪を宣告するであろう」との有名な台詞で締めくくったものの、禁錮十五年の判決を受け、ピノス島のモデーロ監獄に収監されました。しかし、彼が獄中で執筆した手記『歴史は私に無罪を宣告するであろう』が密かに出版されると、カストロらに対する恩赦を求める運動が市民たちの間に広がり、1955年5月、バティスタも渋々ながらカストロの釈放を認めざるを得ませんでした。

 こうして釈放されたカストロは、再起を期していったんメキシコに亡命。そこで、たまたま、“アメリカ帝国主義からラテンアメリカを解放する”との理想を抱いてメキシコシティに来ていたアルゼンチン出身の青年医師、エルネスト・ゲバラと知り合い、意気投合します。こうして、カストロとチェ(“仲間”を意味するゲバラの愛称)・ゲバラという黄金コンビが誕生し、彼らは、反政府組織“7月26運動(M-26-7)”を軸に、革命運動を展開することになります。

 なお、ゲバラとカストロの肖像が近年のキューバの切手においてどのように扱われているかという点については、拙著『事情がある国の切手ほど面白い』でも1章を設けてご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の次回作(予告) ★★★

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 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★

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 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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