内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 切手歳時記:春雨じゃ 濡れてまいろう
2017-04-20 Thu 06:20
 ご報告が遅くなりましたが、公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2017年4月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」は、今回はこの1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      文通週間・駅逓寮

 これは、1970年に発行された国際文通週間の切手で、三代広重の『東京府下名所尽』の中から「四日市駅逓寮」が取り上げられています。

 きょう(20日)は「雨が降り百穀を潤す」とされる二十四節季の“穀雨”ですが、毎年、この時季は春雨の日が多くなります。

 もともと、春雨は“はる”と“さめ”を意味する「春小雨」と書かれていましたが、なるほど、小ぬか雨とも呼ばれるだけあって、穀雨の頃の雨は雨粒が小さく、柔らかに降るイメージがありますね。

 芝居の月形半平太は、京・三条の宿を出るときに、馴染みの舞妓、雛菊から「月様、雨が…」と声を掛けられ、「春雨じゃ 濡れてまいろう」と応ずるのが定番です。半平太のような色男の口から出ると、何とも粋な雰囲気になる台詞ですが、国語学者の金田一晴彦に言わせると、「これは春の京都に多い霧雨なので、傘をさしたところで濡れてしまう」ということなのだとか。

 身もふたもない説明ですが、それなら、春雨の街角には傘を差す人と差さぬ人が同じくらい歩いている風景というのがあってもよさそうなもので、なにかないかと考えていて、ふと思いついたのが、今回ご紹介の切手に取り上げられている「四日市駅逓寮」だったわけです。

 『東京府下名所尽』は1874年5月に刊行された作品。“駅逓寮”は、明治4年3月1日(1871年4月20日)に日本の近代郵便が創業されたときの“駅逓司”が同年8月に昇格して生まれた組織で、切手に取り上げられた庁舎はこの絵が刊行される前月の1874年4月に完成したばかりでした。

 郵便創業当時、駅逓司(後に駅逓寮)と東京郵便役所(現在の中央郵便局に相当)は四日市、すなわち、現在の東京都中央区の江戸橋南詰付近に置かれていました。当初の駅逓司の建物は、旧幕府の老朽化した魚納屋役場を改造したもので、駅逓頭・前島密の机も押入れを改造した中に置かれているというありさまでした。

 その後、郵便事業の発展とともに、駅逓寮の局舎も近代的なものに改築する計画が持ち上がり、1874年4月30日、瓦葺き木造漆喰仕上げ二階建ての洋風建築が完成します。入口上部の切妻中央に設置された直径4尺の舶来時計は時を知らせ、文明開化のシンボルとして、東京名所の一つでした。ただし、この建物は1888年2月の火災で焼失。現在、その跡地には日本橋郵便局が建てられ、その正面玄関には“郵便発祥の地”と記された石碑がはめ込まれています。

 三代広重の作品を見ると、玄関脇に満開の桜の木が一本植わっています。さすがに、4月末の竣工時には桜は散っていたでしょうから、あるいは、建物の外観ができあがった時点で絵筆をとったのではないかと推測できます。

 往来には傘を差した人物が3人ほど歩いていますが、画面手前の丁髷と思しき男衆(1871年に断髪令が出された後も丁髷を結ったままの人は多く、8割が断髪するまでには10年近くが必要だったそうです)は傘を差していません。

 新国劇で『月形半平太』が初演され、「春雨じゃ~」の名台詞が生まれたのは1919年のことでしたから、丁髷の彼らは、雛菊・半平太の物語など知る由もなく、春雨に濡れて歩いていたということになります。

 穀雨が過ぎると、だんだんと雨量が多くなってきて、傘なしで雨中を歩くのはしんどくなってきますから、そうした点からも、やはり、この絵も4月末より少し早い穀雨の頃の風景と考えるのが妥当でしょう。

 ちなみに、年によって若干の差があるものの、今年を含め、穀雨はたいてい4月20日です。“郵政記念日”と同じ日というのは偶然でしょうが、三代広重が描いた駅逓寮の絵をみていると、彼がその場所にいたのは、まさに穀雨の4月20日でなかったかと、ついつい根拠もないままに想像してみたくなるのでした。


 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | 日本:昭和・1966~1971 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 二条城ご難
2017-04-19 Wed 08:48
 きのう(18日)、京都市中京区の世界遺産・二条城で、国宝の二の丸御殿の廊下や庭園など、少なくとも46ヶ所で茶色の粉のようなものがまかれているのが見つかり、京都府警中京署が文化財保護法違反容疑で捜査しているそうです。というわけで、今日は二条城の切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      二条城

 これは、1987年11月18日に発行された“世界歴史都市会議”の記念切手で、二条城・二の丸御殿の車寄と遠侍の屋根を中心に麻賀進の撮影した写真が取り上げられています。

 切手の題材となった世界歴史都市会議は、地方自治体の国際交流の一環として、1000年以上の歴史と50万以上の都市を中心に、京都市と歴史的類似性のある都市や姉妹・友好都市など世界各国の35都市 の市長を招いて開催したのがはじまりで、その第1回会議は1987年11月18-21日の4日間、京都市の国立京都国際会館で開催されました。

 第1回会議のテーマは「21世紀における歴史都市―伝統と創生―」で、①都市計画論、②文化遺産論、③都市産業論の3セッションに分かれ、意見交換が行われるとともに、「京都宣言」 が採択されました。

 また、会議では、同会議の継続開催のために、第1回会議に参加した26都市を会員として世界歴史都市会議協議会が設立され(事務局は京都に置かれ、京都市長が協議会会長を務めた)、フィレンツェでの第2回会議、バルセロナでの第3回会議を経て、1994年4月に第4回世界歴史都市会議が再び京都で開催されたのを契機に、1987年の京都宣言の目的を達成するために、従来の協議会を発展的に解消し、世界歴史都市連盟が設立され、現在にいたっています。

 歴史的にみると“二条城”と呼ばれた城は複数ありますが、切手に取り上げられているのは、関ヶ原の戦いで勝利を収めた徳川家康が上洛時の宿所として築城したもので、1603年に落成しました。その後、天守や本丸の殿舎などは焼失し、現在は東大手門や北大手門などの門と、諸櫓の城郭建築のほか、二の丸御殿、御殿台所などが残っています。

 切手に取り上げられた二の丸御殿は書院造の最も豪華な実例で、車寄は現代家屋でいう玄関に相当し、遠侍は入城した参賀の諸大名の控えの間にあてられていました。また、二の丸御殿の大広間は、1867年、徳川慶喜が大政奉還を発表した場所としても知られています。

 なお、今回ご紹介の切手が発行された時点で、城と名のつく建造物で国宝に指定されていたのは姫路城松本城犬山城 、彦根城 、二条城の5件ありましたが、今回の切手に二条城が登場したことで、そのすべてが切手として出揃いました。その後、2015年に松江城が国宝に(再)指定されたことを受け、現在では、天守が国宝に指定されている姫路城、彦根城、犬山城、松本城、松江城が“国宝5城”(二条城は含まれない)と呼ばれています。ちなみに、松江城も2001年のふるさと切手に取り上げられています。また、二条城の建築ではありませんが、その内部の装飾に関しては、狩野探幽の「松」の障壁画を取り上げた額面20円の普通切手が1972年に発行されています。

 なお、この切手を含む昭和末期の記念切手については、拙著『昭和終焉の時代』で詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 


 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | 日本:昭和・1985~1989 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 世界の国々:マダガスカル
2017-04-18 Tue 12:24
 ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年4月12日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はマダガスカルの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      マダガスカル・稲作

 これは、1967年に発行された稲作の切手です。

 マダガスカルは1人当たりのコメ消費量が日本人の約2倍の年間120㎏で、農民の7割以上が稲作に従事しています。しかし、サイクロンなどの影響でコメの国内生産量は安定せず、コメ消費量の約10%は輸入に頼らざるを得ないのが実情です。このため、マダガスカル政府は、2008年からの10年間で、コメの収量を3倍に増加させるとともに、コメの輸出国になることを目指して、人手をかけた省資源・自然循環型の集約的水稲栽培法(SRI)を奨励しているが、SRIを導入しているのは全農家の3.5%にとどまっています。こうしたことから、JICAは人口が集中する中央高地での増産を目標に、さまざまな支援を行っています。

 さて、『世界の切手コレクション』4月12日号の「世界の国々」では、第二次大戦中のマダガスカルの戦いについての長文コラムのほか、世界遺産のツィンギ・デ・ベマラ、アンブヒマンガの王宮、アフリカ出身で最初に近代詩を書いたとされる詩人のジャン=ジョゼフ・ラベアリヴロ、カメレオンの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、先週発売の4月19日号では、「世界の国々」はモンゴルを特集していますが、こちらについては、近々、このブログでもご紹介する予定です。


 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | マダガスカル | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 シリアの独立記念日(撤退記念日)
2017-04-17 Mon 10:33
 きょう(17日)は、1946年にシリアからフランス軍が撤退し、シリア共和国の完全独立が達成されたことにちなみ、シリアの独立記念日(撤退記念日)です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      シリア・撤退記念日(1999)

 これは、1999年にシリアで発行された独立記念日(撤退記念日)の記念切手です。

 現在のシリア共和国に相当する地域は、第一次大戦後、フランスの委任統治下に置かれていましたが、1936年9月、「批准後3年間の暫定期間をおいてから、委任統治を終了させる」としたフランス・シリア条約が結ばれます。ただし、同条約では、3年後のシリア独立を定める一方で、「シリアは戦時の際にはフランスに協力し、空軍基地を提供するほか、シリア内にフランスが軍事拠点を維持する権利を認める」との項目も設けられていました。

 このため、1936年末にシリア議会はフランス・シリア条約を承認し、1937年1月から条約の定める“暫定期間”に入ったとしましたが、フランス議会は同条約を承認せず、独立問題は宙に浮いた状態になってしまいます。さらに、第二次大戦勃発直前の1939年5月、フランスはフランス・シリア条約の破棄を一方的に宣言。同年9月、第二次大戦が勃発すると、シリアの独立は棚上げにされてしまいました。

 1940年6月のフランス降伏当初、シリアはヴィシー政府の支配下に置かれましたが、1941年6月、英国に支援されたドゴール派の自由フランス軍がシリア・レバノンに進攻し、シリア・レバノンは自由フランスの支配地域となりました。

 自由フランスは、1941年9月27日にシリアの、同年11月26日にレバノンの、それぞれ“独立”を布告。このうち、レバノンに関しては、1943年にフランス軍が撤退して完全独立が達せられたものの、シリアに関しては英仏軍が駐留を継続し、完全独立は先延ばしにされました。

 このため、1944年1月 シリア議会は「フランスの委任統治を承認しない」と宣言。米英の支持を得て“シリア共和国”として枢軸側に宣戦布告するとともに、国際連盟創設のためのサンフランシスコ会議にも代表を派遣し、“戦勝国”としての立場を確保しようとします。

 さらに、1945年5月8日、ドイツが降伏すると、シリアでもフランス軍の撤退を求めて独立運動が本格化。これに対して、シリアの“独立”は、あくまでもフランス委任統治下での“自治”と強弁していたフランスは、5月29日、ダマスカスを空爆し、独立派の指導者を逮捕し、独立運動を力ずくで抑え込もうとしました。

 このため、サンフランシスコ会議に出席中だったシリア自治政府代表は、シリアの独立を連合諸国の首脳に訴えます。これを受けて、英国がシリア独立を支持し、他の参加国もこれに同調したため、最終的に、フランスは独立運動の鎮圧を断念。1946年2月、国連がフランス軍の撤退を決議し、4月17日、フランス軍はシリアから完全に撤退。シリア共和国の完全独立が達せられました。

 さて、現在、インターネット放送・チャンネルくららでは、原則として毎週木曜日、内藤がレギュラー出演する番組「楽しく学ぼう シリア現代史」を配信しております。番組は無料でご覧いただけますので、ぜひ、1人でも多くの皆様にご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | シリア共和国 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 満洲帝国ビジュアル大全
2017-04-16 Sun 14:28
 ご報告が遅くなりましたが、洋泉社から『満洲帝国ビジュアル大全』(辻田真佐憲監修)が刊行されました。僕も、同書には「切手に見る『五族協和』の理想」と題する文章を寄稿していますので、きょうは、その中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      満洲国・建国10周年(五族協和)

 これは、1942年9月15日、新京郊外の南嶺総合競技場での建国十周年記念式典に合わせて、満洲国が発行した“慶祝建国十周年”の記念切手のうち、“五族の少女”を題材とした一枚です。

 今回ご紹介の切手は、満洲国が建国の理念として知られる“五族協和”を視覚化したものとして有名な岡田三郎助の「民族協和図」が元になっています。

 「民族協和図」は、1936年11月、満洲国の国務院庁舎の完成にあわせて作成されたもので、大きさ200号の大作。新京の国務院庁舎の正面玄関を入って正面の二階に向かう階段の踊り場の壁面に嵌め込まれていました。「慶祝建国十周年」の記念切手では、壁画の右側の部分が「農夫と漁夫」として三分切手に、中央からやや左側にかけての部分が「五族の少女」として今回ご紹介の切手に取り上げられています。ただし、どちらもオリジナルの作品をそのまま忠実に再現したわけではなく、3分切手は李平和が模写したうえで農夫と漁夫の服装の一部を修正しており、6分切手も山下武夫が模写したうえで蒙古女性の服装部分にも若干の修正を施しています。

 満洲国の建国の理念とされる“五族協和”は、1912年に中華民国が建国を宣言した際に、中国国内の主要五民族である漢族・満州族・蒙古族・回族(西域のイスラム系民族)・チベット族が協同して新国家の建設に当たるという意味で用いた“五族共和”に倣い、そこから回族とチベット族を外して、代わりに日本民族と朝鮮族を入れ、新国家建設の理念として掲げたものです。

 もっとも、満洲国内の五族が実際に平等の待遇に置かれていたわけではなく、明らかに、日本人が優先されていました。

 たとえば、満洲国の国語は中国語(北京語)・モンゴル語・日本語の3言語でしたが、このうち第一国語の地位を占めたのは、人口の圧倒的多数を占めていた漢族の中国語ではなく、人口の5%未満に過ぎない日本人の言語、日本語でした。こうした状況を反映して、たとえば、1941年5月2日、葉書の下部に各種の標語を入れた葉書が発行された際にも、その標語の言語構成は、中文16種類、和文12種類の計28種類となっており、国語の一角を占めていたはずのモンゴル語のものは発行されていません。

 ちなみに、満洲国が発行した全159種の切手のうち、モンゴル語の表示がある切手は、1940年9月10日に「臨時国勢調査」の周知宣伝のために発行された4分切手のみで、“五族”を構成する満州族の満洲語や、朝鮮人の朝鮮語に至っては、満洲国の切手に表示されることは一度もありませんでした。

 なお、満洲国とその切手については、拙著『満洲切手』でもいろいろと分析しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | 満洲国 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 太陽節
2017-04-15 Sat 10:29
 きょう(15日)は、1912年4月15日に金日成が生まれたことにちなんで、北朝鮮では“太陽節”の祝日です。特に今年は、朝鮮半島情勢が緊迫の度合いを強める中で、北朝鮮が何らかの対外的なアクションを起こすのではないかとの観測もあり、“太陽節”という単語が一般のメディアでも使われているほどですので、ストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      北朝鮮・太陽節

 これは、1998年に北朝鮮が発行した“太陽節”の記念切手です。この時発行された記念切手は8種セットで、いずれも、太陽をイメージした円形の金日成切手(年代ごとの異なる肖像が入っています)を中央に配し、シートの余白には切手の肖像の年代に対応した写真などを入れたスタイルになっています。今回ご紹介の切手は、その最後にあたるもので、晩年の金日成の肖像と“永世”をイメージした花園が組み合わされています。

 さて、(北朝鮮国家によると)”民族最大の祝日”としての太陽節は、金日成の没後3周年にあたる1997年7月8日、朝鮮労働党中央委員会、同中央軍事委員会、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会、同中央人民委員会、同政務院の連名による決定書「偉大なる首領・金日成同志の革命生涯と不滅の業績を末永く輝かせるために」により、彼の生まれた1912年を元年とする“主体年号”の使用とともに決定されました。

 金日成はソ連占領下の北朝鮮で権力を掌握し、早くも、1946年には肖像入りの切手も発行されていますが、彼の誕生日が国家的規模で祝われるようになったのは、ソ連派・延安派の粛清を通じて彼が独裁的権力を掌握した1960年代以降のことで、切手としては、1962年に発行された“金日成元帥誕生50周年”の記念切手が最初の事例となります。

 その後、しばらく金日成誕生日の切手は発行されませんでしたが、1968年、突如、彼の誕生日に際して彼の肖像を描く切手と彼の幼年時代を題材とする切手が発行されます。これは、中国の文化大革命での金日成批判に反応した北朝鮮当局が、対抗措置として金日成の神格化を進めたことの一環として行われたものと推測されます。以後、1977年まで、原則として毎年4月15日には“金日成”に関する記念切手が発行されるようになりましたが、これらの記念切手は、いずれも、実質的には彼の誕生日を記念する切手であるものの、形式的には“金日成誕生日”ではなく、一応、別の題目が付けられました。ちなみに、金日成の誕生日が“全民族最大の祝日”として正式に決定されるのは、1974年のことでした。

 1978年から1981年までは、北朝鮮は金日成の誕生日に金日成関連の切手を発行していません。この時期は、党大会の開催が1980年10月までずれ込むなど、北朝鮮の経済不振は深刻さを増しており、金日成誕生日の記念行事も規模が縮小されていたため、それに伴い、記念切手の発行も見送られていたのでしょう。

 しかし、1980年の党大会で金日成の後継者としての地位を確保した金正日が、1982年の金日成古希記念事業を積極的に推進するようになると、1982年に金日成古希の記念切手が発行されます。そして、1984年以降、毎年4月15日には“金日成誕生日”の記念切手が発行されるようになりました。

 ちなみに、1960年代末から1970年代にかけて金日成の誕生日に発行されていた切手の場合、金日成の生涯やその事跡が題材として取り上げられる場合が多かったのですが、1980年代以降の誕生日記念切手は、万景台の彼の生家や発行当時の彼の肖像を取り上げたものが主流となっています。これは、前者が、純粋に金日成個人崇拝を強化する目的で発行されていたのに対して、後者は、金日成神格化の余徳により金正日の権威を強化することに力点が置かれていたことによるものでしょう。

 なお、1994年7月、金日成は亡くなりますが、彼の死後もその誕生日には記念切手が発行されつづけ、1997年7月、「太陽節」が制定されたことで、今回ご紹介の切手を皮切りに、1998年以降は“太陽節”の記念切手が毎年発行されています。

 ちなみに、金日成と北朝鮮国家の成立事情については、先日、重版出来となったばかりの拙著『朝鮮戦争』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | 北朝鮮:金正日時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 マレーシアの国家記念碑
2017-04-14 Fri 12:25
 日本とマレーシアの国交樹立60年を記念して、昨日(13日)からマレーシアを公式ご訪問中の皇太子殿下は、けさ(14日朝)、クアラルンプールの国家記念碑に供花されました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      マレーシア・国家独立記念碑  国家記念碑(実物)

 これは、1966年2月8日にマレーシアで発行された“国家記念碑”の切手です。隣には、2014年12月に開催の国際切手展<MALAYSIA 2014>に参加した際、現地を訪れて撮影した記念碑の写真を貼っておきました。

 第二次大戦以前、英国支配下のマレー半島は、①ペナンマラッカシンガポールを中心とした直轄の海峡植民地、②スルタンを通じて間接統治を行うマレー連邦州(ペラ、スランゴール、ヌグリ・スンビラン、パハン)と、③マレー連邦への加盟を拒否したスルタンの非連邦州(ジョホールクランタンクダー、トレンガヌ)に分かれていました。

 第二次大戦中、これらの地域は日本軍に占領されましたが、戦後、日本軍が撤退すると英国は植民地支配の再開にあたって、シンガポールを除くマレー半島をすべてマラヤ連合として統合しようと考えます。このときのマラヤ連合の構想では、スルタンの権限を縮小し、各州に配置される英国人知事が行政を担当することになっていたほか、中国系やインド系を含むすべての人種に平等な市民権を与えるなどの方針となっていました。

 このため、人口的には多数派を占めていながら、経済的には少数派の華人の後塵を拝し続けてきたマレー人は、英国の提案した“平等”に猛反発。このため、一応、1946年にマラヤ連合は発足したものの、英国は翌1947年にマラヤ連合との間でマレー人の特権を認める連邦協定を結び、1948年にマラヤ連邦が発足します。その後、10年間の独立運動を経て、1957年8月31日にマラッカでマラヤ連邦の独立が正式に宣伝されました。

 この間、マラヤ共産党は、1948年2月にインド共産党主催でカルカッタで開かれた「東南アジア青年会議」を経て、同年3月、“革命武闘路線”を採択。港湾労働者や運輸労働者、工場にストライキを呼びかけ、同年のメーデーでデモ行進を行い、シンガポール政府と武力衝突を起こしました。これに対して、英植民地政府が組合指導者を追放すると、5月31日、共産党指導部は地下に潜行して武闘指令を発し、各地で欧州人の農園主や右派系の独立活動家等を殺害。このため、6月17日、英植民地政府はマレー全土に緊急事態を宣言し、翌7月23日には共産党と関連組織に活動禁止令を出し、1000人以上を逮捕しました。
 
 その後、ジャングルに潜伏した共産ゲリラは、多くの一般市民を巻き添えにしながら、反英闘争を継続。さらに、1957年の独立後、彼らはマレーシア国軍とも戦い、1960年の停戦まで、多くの若者が命を落としました。

 今回ご紹介の国家記念碑は、1948年以降の独立闘争の過程で、共産ゲリラとの戦いで亡くなった兵士たちの慰霊のために建てられたもので、高さ約15m のブロンズ像です。作者のフェリック・デ・ウェルトンは米アーリントンの硫黄島記念碑(合衆国海兵隊記念碑)の製作者で、マレーシア国旗を掲げ、勇敢に戦う7人の兵士の姿が表現されています。

 * 昨日のNHKラジオ第1放送、「切手でひも解く世界の歴史」は、無事、終了いたしました。お聞きいただきました皆様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。次回放送は4月27日の予定ですので、引き続きよろしくお願いいたします。


 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | マレーシア(独立後) | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 NHKラジオ第1で「切手でひも解く世界の歴史」スタート!
2017-04-13 Thu 08:20
 本日(13日)から、原則として隔週木曜日の16時台前半、NHKラジオ第1放送で、内藤がレギュラー出演する「切手でひも解く世界の歴史」スタートがします(番組の詳細はこちらをご覧ください)。初回のきょうは、タイ及び近隣の旧正月にあたる水かけ祭“ソンクラーン”の日ということで、こんな話をする予定です。(画像はクリックで拡大されます)

      ラーマ5世・ルアンパバーン消

 これは、現在はラオス領となっているルアンパバーンの消印が押されたタイ最初の切手です。

 1868年にラーマ5世が即位した頃のタイは、現在の国名でいうラオスのほぼ全域やベトナムの北部、カンボジア西部、さらには、マレーシアの北部までをも勢力下に収めた域内の大国でした。もっとも、チャクリー王朝(現王朝)の直接支配はその全域に及んでいたわけではなく、地方の小領主がバンコクの王室に服属し、結果として緩やかな連合国家を形成されていたというのが実態でした。

 英仏列強はこうしたタイ国家の構造を利用して、周辺の属国をチャクリー王朝の支配下から切り離すことで領土を拡大していったわけですが、そのプロセスを、年表風に記すと以下のようになります。

 1888年 シップソーンチュタイ(ベトナム北部)をフランスに割譲
 1892年 シャン族5王国と東カレン族の国をイギリスに割譲
 1893年 シャム危機:砲艦外交に屈して、メコン川東岸のラオス全域をフランスに割譲
 1904年 シャム危機での賠償金支払い完了までの保障占領としてチャンタブリーとトラートに駐留していたフランス軍の撤退を求めて、メコン川右岸のマノープライ、チャンパーサック、ルアンパバーン州をフランスに割譲
 1907年 フランスのアジア系保護民の治外法権撤廃軍の代償として、カンボジアのバタンバン、シムエレアプ、シーソーポンをフランスに割譲
 1909年 英保護民の治外法権撤廃の代償として南部のクダ、ペルリス、クランタン、トレンガヌ4州の宗主権を英国に割譲

 この年表からもお分かりいただけるように、1904年まではルアンパバーンはタイ領であり、当然、タイの切手が使われていたため、今回ご紹介のようなマテリアルが生まれたわけです。
 
 さて、これら6回にわたる領土の割譲で、タイが失った総面積は30万平方キロにも達しました。タイは、こうした多大なる代償と引き換えに、東南アジアにおける英仏の緩衝国という立場を確保し、独立を保ったといえます。

 もちろん、タイの損失が一部領土の割譲にとどまり、独立国として存続しえた背景には、ラーマ5世による一連のチャクリー改革が一定の成果をあげ、曲がりなりにも“近代国家”の一員として国際社会から認知されていたという事情も見逃してはならないでしょう。1883年に創業したばかりのタイ郵政が、早くも1885年7月1日付で国際的な郵便交換の組織である万国郵便連合に加盟し、それに伴い、前日の6月30日をもってバンコクの英国局が撤退していたということは、その象徴的な出来事と見ることができます。

 今日の放送では、ラーマ5世時代のタイの例から、切手に押されている“消印”の地名から、その国の支配の領域がわかるというお話をするつもりです。聴取可能な方は、ぜひ、このブログと併せてお聞きいただけると幸いです。

 なお、次回の放送は、4月27日(木)の16時台前半、フランス大統領選挙にちなんだ話題をお話しする予定です。詳細につきましては、あらためて、このブログでもご案内いたしますので、今後ともよろしくお付き合いいただけると幸いです。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” スタート! ★★★ 

 4月13日(木)から、NHKラジオ第1放送で、隔週木曜日の16時台前半、内藤がレギュラー出演する「切手でひも解く世界の歴史」スタートがします。初回は、13日がタイの水かけ祭“ソンクラーン”の日なので、16:05から、タイの切手のお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。番組の詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | タイ:ラーマ5世時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 世界の切手:ガイアナ
2017-04-12 Wed 08:21
 ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年4月5日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はガイアナの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ガイアナ・凧

 これは、ガイアナが発行した1974年のイースター切手で、エディ・カイトが描かれています。

 南米の低緯度地帯にあるガイアナでは、毎年、1-4月は貿易風が強く、凧揚げシーズンとされていますが、特に、イースターに際しては、空高く舞い上がる凧を、生き返ったキリストが天から地へ舞い降りてくる姿に見立て、各地の海岸で凧揚げ大会がさかんに行われています。今回ご紹介の切手もそうした事情を踏まえたもので、ダイヤモンド型のエディ・カイトの十字の骨組を磔刑のキリストになぞらえたデザインとなっています。ちなみに、エディ・カイトは、1898年のシカゴ万博に展示されたマレー凧をヒントにウィリアム・エディが開発したもので、1900年3月に特許取得となりました。

 さて、『世界の切手コレクション』4月5日号の「世界の国々」では、世界一の珍品切手で知られる英領ギアナの1セント切手についての長文コラムのほか、金鉱床、レモンハートのラムで知られるデメララ川、オオオニバスの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のガイアナの次は、先週5日に発売された4月12日号でのマダガスカルの特集(2回目)になります。こちらについては、近々、このブログでもご紹介する予定です。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” スタート! ★★★ 

 4月13日(木)から、NHKラジオ第1放送で、隔週木曜日の16時台前半、内藤がレギュラー出演する「切手でひも解く世界の歴史」スタートがします。初回は、13日がタイの水かけ祭“ソンクラーン”の日なので、16:05から、タイの切手のお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。番組の詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | ガイアナ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 日本近代文学館50年
2017-04-11 Tue 09:34
 1967年4月11日に日本近代文学館が開館してから、今日で50年です。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      日本近代文学館開館

 これは、1967年4月11日に発行された“日本近代文学館開館”の記念切手です。

 明治維新からほぼ一世紀が過ぎた1960年代に入ると、明治以降の近代文学に関する資料の散逸が各方面で問題視されるようになりました。このため、作家の高見順や小田切進らの間で、1961年頃、近代文学に関するあらゆる資料を広く収集・保存し、一般の閲覧に供するために“日本近代文学館”を設立しようというプランが持ちあがります。

 その実現に向けて、1962年7月、高見順、伊藤整、小田切進、久松潜一、稲垣達郎らを発起人として「日本にはまだ近代文学の関係資料を保存する専門図書館がありません」との書き出しで始まる「日本近代文学館設立趣意書」が発表され、文学館建設に向けての具体的な活動が開始されました。この呼びかけに対しては、早くも1962年末までに1100万円の基金や4万点の図書雑誌類が寄贈され、翌1963年4月、これを基にして財団法人・日本近代文学館が設立されます。

 こうして、本格的な文学館建設のための準備作業が本格的に開始され、その第一段階として、1964年11月、東京の上野図書館(国立国会図書館支部・上野図書館)内に日本近代文学館文庫が設けられました。

 文学館の建物の建設は、翌1965年8月16日から東京・目黒区の東京都立駒場公園内で工事が開始されました。その後、2年弱の年月と7億円の総工費をかけて、1967年4月11日、地上2階・地下3階で閲覧室・書庫(収容能力50万冊)・資料室(収容能力10万点)・ホール・研究室などを備えた、わが国最初の近代文学専門図書館として“日本近代文学館”が開館しました。なお、初代理事長は作家の伊藤整でした。

 日本近代文学館の開館に際して記念切手を発行することは、1967年1月22日に開催された郵政審議会専門委員会打合会で正式に決定されましたが、発行期日を勘案すると、切手制作のための準備はその前から内々に進められていたと見るのが自然でしょう。

 記念切手は、文学館の全景を描いたもので原画作者は久野実です。一方、切手発行と同時に用いられた特印は、夏目漱石の『吾輩は猫である』初版本の表紙に森鴎外と樋口一葉の印影を配したもので、こちらは大塚均がデザインしました。

 今回の記念切手に関しては、文学館の建物をストレートに描いた図案が安易だとの批判も一部にありましたが、文学館そのものへの社会的な関心の高さもあって売れ行きは好調だったようで、発行早々、売り切れとなった郵便局も少なからずあったと報告されています。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” スタート! ★★★ 

 4月13日(木)から、NHKラジオ第1放送で、隔週木曜日の16時台前半、内藤がレギュラー出演する「切手でひも解く世界の歴史」スタートがします。初回は、13日がタイの水かけ祭“ソンクラーン”の日なので、16:05から、タイの切手のお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。番組の詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | 日本:昭和・1966~1971 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
BACK | 郵便学者・内藤陽介のブログ | NEXT
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/