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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 おかげさまで5000回
2019-02-07 Thu 02:34
 2005年6月1日にスタートしたこのブログですが、毎日1回ずつ更新していたら、今日の記事でちょうど5000回目になりました。日頃、このブログを応援していただいている皆様には、あらためて、この場をお借りしてお礼申し上げます。というわけで、きょうは額面“5000”のこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・イグアスの滝(1938)

 これは、1938年にブラジルが発行した“イグアスの瀧”を描く5000レイス切手です。

 世界最大の瀧として知られるイグアスの瀧は、ブラジルとアルゼンチンの両国にまたがっていますが、約80%はアルゼンチン側にあります。地名は先住民族のグアラニ族の言葉で「大いなる水」の意味で、季節により150-300に変化する大小無数の瀧で構成されており、それを縫うように遊歩道が配されています。瀧の最大の見どころとされる“悪魔の喉笛”はアルゼンチン側に位置しており、高さ82m、幅150mのU字型で長さ700mという壮大な景観です。

 さて、この切手が発行された当時のブラジルは、“1930年10月3日革命”の軍事クーデターで政権を掌握したジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガスの支配下にありました。

 ヴァルガスは、1882年、ブラジル南部のリオグランデ・ド・スル州サン・ボルジャ生まれ。ポルト・アレグレ法科大学卒業後、政界入りし、州議会議員、連邦議会議員、大蔵大臣、リオグランデ・ド・スル州知事等を歴任しています。

 1930年の大統領選挙では、コーヒーの産地として知られるサンパウロ州と畜産・酪農で知られるミナスジェライス州の有力者で政権をたらいまわしにするカフェ・コン・レイテ体制の慣例に従い、ミナスジェライス州出身のアントニオ・カルロスが出馬の準備を進めていましたが、現職のワシントン・ルイス大統領は慣例を破ってサンパウロ州知事のジュリオ・プレステスを与党の大統領候補に指名。このため、後継指名を逃したカルロスを中心に反サンパウロ勢力を糾合した“自由同盟”が結成され、ヴァルガスが大統領候補として擁立されることになりました。

 はたして、3月1日に行われた大統領選挙では、プレステスが109万7000票を獲得して当選し、ヴァルガスは74万4400票で敗れましたが、選挙後の1930年7月、自由同盟の副大統領候補だったジョアン・ペソアが暗殺されると、カフェ・コン・レイテ体制に対する国民の批判が殺到。それを背景に、同年10月3日、リオグランデ・ド・スルとミナスジェライスで青年将校らによる叛乱が発生します。

 以後、叛乱はブラジル南部を中心に拡大し、10月24日、ワシントン・ルイスは辞任。ヴァルガスはリオグランデ・ド・スルから鉄道でリオデジャネイロ入りし、11月3日、臨時大統領に就任しました。

 ヴァルガスは行政権のみならず立法権も掌握し、1891年に公布された共和国憲法を停止。連邦議会と州議会は解散を命じられ、全国の州知事は罷免され、各州には臨時政府の任命する執政官が派遣されることになりました。特に、ヴァルガス体制に不満なサンパウロ州に、同州出身者ではなく、ペルナンブーコ州出身のジョアン・アルベルトが執政官として派遣されると、州内の反ヴァルガス勢力は“護憲革命”を主張して、1932年7月9日、武力衝突に発展します。

 結局、護憲革命は1932年10月、圧倒的な兵力を有する政府軍の前に敗退しましたが、ヴァルガス政権も一定の譲歩を余儀なくされ、サンパウロ州の執政官には同州出身のアルマンド・デ・サレス・オリヴィエが任じられ、1933年5月には制憲議会選挙が実施されることになりました。

 こうして、制憲議会の開院を経て、1934年7月、非識字者を除く18歳以上の男女に選挙権を与えたほか、労働者保護や初等教育の義務無償化などを盛り込んだ新憲法が制定された。そして、新体制下での初代大統領は議会の間接選挙で選出するとの規定に則り、ヴァルガスは議会によって選出され、正式に大統領に就任します。

 ところで、1934年憲法では、大統領の任期は1期4年で再選は不可とされていたため、1937年末には大統領選挙が実施される予定でしたが、1937年9月、共産党によるクーデター計画(コーエン計画)が“発覚”したため、ヴァルガスは「戦時令」を布告し、11月10日には連邦議会を停止。続いて、ヴァルガスは新憲法を発表し、イタリア・ファシズムに倣った“エスタード・ノーヴォ(新国家)”体制を成立させ、自らを“貧者の父”との家父長イメージで演出するとともに、ナショナリズムを前面に押し出し、多種多様な出自の国民を“ブラジル人”として統合すべく、権威主義体制を構築していきました。

 その一環として、エスタード・ノーヴォ体制下では、サンバサッカーがブラジル文化を代表するものとして奨励されましたが、今回ご紹介の切手も、また、ブラジルを代表する風景としてイグアスの瀧を取り上げることで、ブラジル人のナショナリズムを涵養する手段の一つとして発行されたものと考えることができます。

 なお、ヴァルガス政権下のブラジルについては、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。


★★  内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 2月25日発売!★★

      チェ・ゲバラとキューバ革命 表紙カバー 本体3900円+税
 
 【出版元より】
 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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 切手に見るソウルと韓国:1969年第2次経済開発5カ年計画
2019-02-06 Wed 10:46
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』1月18日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、ともかくも、2019年最初の掲載でしたので、干支にちなんで、こんなモノをご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・第2次経済開発特印

 これは、1969年5月20日に発行された“第2次経済開発”のキャンペーン切手とその初日印ですが、今回は、切手ではなく、豚の貯金箱が描かれたスタンプが主役です。

 日本では亥年の動物はイノシシですが、朝鮮半島では、中国同様、ブタです。

 朝鮮の伝統祭祀では神への供物としてはブタが用いられますが、あわせて、ブタには、神意を人々に伝え、物事を決定させる神通力があるとも考えられてきました。

 たとえば、高麗王朝を開いた太祖(在位918-43)の祖父、作帝健は西海龍王を悩ませていた老狐を退治し、その褒美として龍王の娘とブタを得ましたが、故郷に連れて帰ったブタは小屋に入ろうとしませんでした。そこで、ブタを放ち、ブタが落ち着いた松岳の南麓に落ち着いたのですが、ここが、孫の代になって高麗王朝の都、開城の元になったといわれています。

 また、漢字の“豚”の朝鮮語音、“トン”が金銭を意味する“トン”と同音であること、ブタは多産であることから、家に財産や福をもたらす守護神もしくは商売繁盛の財神ともみなされ、夢にブタが出てくるのは「服が来る」、「食べ物を得る」などの吉祥の暗示とされています。こうしたこともあって、新たな事業を起こすのは、陰暦正月の最初の亥の日が良いとの俗信もあります。ちなみに、ことしは、昨日の5日が陰暦元日なので、あす・7日の乙亥の日が最初の亥の日です。

 今回ご紹介の記念印に、ブタの貯金箱が描かれているのも、そうした事情を踏まえてのことでしょう。

 1965年、日本との国交正常化により、日本から総額8億ドル(無償3億ドル、政府借款2億ドル、民間借款3億ドル)の援助資金を得た韓国政府は、1967年、第2次経済開発5カ年計画を発動します。

 同計画の目玉のひとつは高速道路建設で、1968年には、ソウル=仁川間を結ぶ24キロの京仁高速道路が開通。以後、“全国の1日生活圏化(全国を1日で往復できるようにする)”を目標として、1970年6月にはソウルと釜山を結ぶ京釜高速道路も開通しました。切手の右上にも、歯車の中に高速道路のイメージが描かれています。

 切手の下部は貯金の窓口が描かれており、経済成長によって豊かになった国民に対して“勤勉貯蓄”に励むよう呼びかけるデザインです。ブタの貯金箱と工場を組み合わせた記念印のデザインも、国民の貯蓄が韓国の金融を強くし、産業建設につながるというイメージを表現したのでしょう。

 ところで、陰陽五行説では十干ごとに色がありますが、ことしの干支、己亥の己は黄色で、黄色が黄金を象徴することから、ことしは“黄金のブタ年”と考える韓国人も少なくないそうです。

 もっとも、前回、2007年の干支は丁亥で、丁はオレンジ色を意味するので、このときも“黄金のブタ年”という人がありました。

 “黄金のブタ年”に生まれた子は、うまれつき、財運と福に恵まれているとの俗信がありますがが、それが、丁亥なのか、己亥なのかは(俗信であるがゆえに)定かではありません。ただし、わが国で丙午の年に出生数が激減したことに見られるように、子供を作る夫婦の気分の問題というのは重要で、韓国では、丁亥の2007年の新生児は49万人で、前年の44万人を1割以上上回っています。このため、記録的な低出生率に悩む韓国では、今回もまた、子供の出産が例年より増えるのではないかと期待されています。

 ちなみに、古い伝承によれば、地下世界に住み、妖術を使うという“黄金のブタ”が、ある男の妻を拉致して自らの妻にしたことがありました。男は妻を探して地下世界を訪れ、豚を退治して妻を取り戻したが、妻は妊娠しており、黄金のブタの子を産みましたが、その子こそ、新羅末期の文人で朝鮮漢文学の祖ともされる崔致遠(858年生)だったといわれています。もっとも、崔致遠は朝鮮史に残る知の巨人ですが、新羅末期の乱世にあって志を進めることができずに官を辞し、晩年は海印寺に隠棲したと伝えられているので、“黄金のブタ”の子であっても、必ずしも財運に恵まれるとは限らないようですが…。


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 新年快樂 吉祥如意
2019-02-05 Tue 01:35
 きょう(5日)は旧正月・春節です。というわけで、亥年の正式なスタートですから、干支にちなんでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      香港・年賀(2019)

 これは、2019年1月12日に香港で発行された2019年用の年賀切手のうち、豚の貯金箱を取り上げた1枚です。

 干支の“亥”は、もともとは“閉ざす”を意味する“閡”で、草木の生命力が種の中に閉じ込められた状態を表しています。後に、庶民にも覚え易いように動物と結び付けられ、亥には“猪”が割り当てられましたが、この字は、日本語では“イノシシ”ですが、中国語では、今回ご紹介の切手が示すように、“ブタ”です。

 豚は1度のお産で10匹前後の子を産むことから、洋の東西を問わず、“数が増える”縁起物とされています。また、西洋では、古来、粘土の陶器、“Pygg”の壺にコインをためる習慣がありましたが、これが、“Pig”に転じて、14世紀以降、豚の貯金箱が作られるようになり、世界的に拡散したそうです。
 
 まぁ、そうした理屈はともかく、この切手は単純にかわいらしくて、個人的にはお気に入りの1枚なので、その発行目的どおり、春節にあわせてご紹介してみました。


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 ビートルズの日
2019-02-04 Mon 01:18
 きょう(4日)は、ザ・ビートルズの愛称“Fab4 (fabulous four:伝説的な 4人)”と2月4日の“Feb4”をかけて、“ビートルズの日”だそうです。というわけで、ビートルズ関連の切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ ジョン・レノン

 これは、2016年3月、ハバナで開催された切手展<Copa Cuba de Filatelia >に際して発行された、キューバ国内の著名人の銅像を題材とした記念切手のうち、ビートルズのメンバーの写真を背景に、ハバナ市内のジョン・レノン像を取り上げた1枚です。

 キューアとジョン・レノンとの関係といえば、しばしば、ジョン・レノンが“ハイスクール時代”を回想して「あのころ世界で一番カッコいいのがエルネスト・チェ・ゲバラだった」と語ったとのエピソードが紹介されていますが、これは歴史的な事実関係とは若干の齟齬があります。

 すなわち、ジョンは、1958年9月に日本の中学・高校に相当するグラマー・スクールのクオリー・バンク校を卒業し、リバプール・カレッジ・オブ・アートに入学していますが、この時点では、キューバは依然としてバティスタ政権の支配下にありました。そして、1959年1月にキューバ革命が達せられたときには、ジョンは同カレッジに在学中でした。ちなみに、ジョンが同カレッジを卒業するのは、1960年7月のことです。

 一方、ゲバラは、革命戦争の時代からキューバ国内では知られた存在でしたが、1959年1月の革命達成の時点では世界的にはほぼ無名の存在でした。たとえば、米国のグラフ誌『ライフ』にゲバラが初めて登場するのは、ソ連副首相のミコヤンがキューバを訪問し、キューバ政府の要人が出迎える場面を撮影した写真が掲載された1960年2月22日号でしたが、この時の写真には、閣僚の一人としてゲバラの姿も写っているものの、キャプションにも本文記事にも彼の名前はありません。

 欧州において、ゲバラの名前を特定したうえで、彼の肖像が流布するようになったのは、英誌『タイム』の1960年8月号の表紙が最初で、それまでの英国社会では、よほど強い関心を持ってキューバ情勢をフォローしていない限り、ゲバラの名前を知っている人はごくわずかでした。大半の英国人は件の『タイム』の表紙でゲバラのことを知ったというのが実情で、おそらく、ジョンもゲバラのことを知ったのは、カレッジの卒業前後に発行された『タイム』の表紙だったと考えるのが自然でしょう。まぁ、人間の記憶なんて曖昧なものだと言ってしまえばそれまでですが…。

 なお、ゲバラのことを“世界で一番カッコいい”と評したジョンの発言が広く巷間に流布していたこともあってか、2000年12月、ジョンの没後20周年を記念してハバナ市内にジョン・レノン公園が開設され、現代キューバを代表する彫刻家のホセ・ビージャ・ソベロンによる銅像(今回ご紹介の切手の銅像です)が設置されました。

 かつて、共産主義諸国ではビートルズは“頽廃的な西側の商業音楽の典型”として、公の場での演奏などは忌避されていましたが、ジョンの場合は、ベトナム反戦運動へのシンパシーや、代表作の一つとされる『イマジン』が左派リベラル色の強い“反戦歌”となっていることも考慮されて、キューバ政府の評価は悪くありません。ちなみに、ジョンの像が腰かけているベンチには、「人は僕を夢見る人というかもしれない。けれどそれは僕だけじゃない」という「イマジン」のフレーズが刻まれています。

 また、フィデル・カストロの側近で、革命後のキューバ外交の第一線でキャリアを積み、国連大使、外相などを歴任し、銅像が設置された2000年当時は人民権力全国会議(国会)議長の地位にあったリカルド・アラルコンは、個人的にジョンのファンだったそうです。

 今回ご紹介の切手の銅像は、こうした事情に加え、“(ゲバラは)世界で一番カッコいい”との発言が“革命のキリスト”としてのゲバラの神格化を補強する役割を果たしていることも加味して設置されたものと考えられます。

 さて、2月25日に刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、そうしたジョン・レノンとキューバの関係についてもご説明しております。すでにアマゾンなど一部のネット書店では予約販売も始まっておりますが、実物が出来上がってきましたら、あらためて、このブログでもご報告いたしますので、よろしくお願いいたします。 


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 ボリビアの悪鬼
2019-02-03 Sun 01:47
 きょう(3日)は節分です。というわけで、例年どおり、“鬼”の切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      日本人ボリビア移住100年

 これは、1999年6月3日に発行された“日本人ボリビア移住100周年”の記念切手で、チチカカ湖を背景に、ディアブラータ(悪鬼、ディアブロの踊り)が取り上げられています。ディアブラータは、ボリビアを征服したスペイン人が、先住民に対してキリスト教の“七つの大罪”を教えるため、アンデスの山の神を悪鬼に見立てて、キリスト教の大天使サン・ミゲル(聖ミカエル)と対峙させる芝居仕立ての踊りを見せたのが始まりとされています。

 その後、ディアブラータはさまざまな土着の要素なども取り込み、現在は、リオのカーニバル、ペルーのインティライミとならぶ南米産大祭の一つとされる“オルーロのカーニバル”を代表するパレードの踊りとなっています。カーニバルのディアブラータは、ルシファーやサタン、女鬼を先頭に、七つの大罪である傲慢、色欲、憤怒、暴食、嫉妬、強欲、怠惰の悪魔を模した行列が続き、大天使サン・ミゲルひきいる天使の集団とともに、踊りながらクロスや円に並ぶなどのマーチングを行い、最終的に、天使の一団が悪魔の一団を打ち破るというストーリーで進む構成となっています。

 さて、切手の題材となった“日本人のボリビア移住”ですが、日本からボリビアへの移住は、ブラジルなどへの移民と異なり、計画的に始まったものではありませんでした。

 すなわち、1899年2月、日本郵船会社の佐倉丸で横浜からペルーに向けて出航した日本人移民は、「ペルーの甘蔗耕地あるいは精糖工場で4年間働き、その報酬として1ヵ月2ポンド10シリン グ(約25円)に相当するペルー貨を支給される」との契約を移民斡旋会社と結んでいましたが、現地ではトラブルが絶えず、少なからぬ移民が逃亡しました。

 一方、当時のアマゾン地方は世界的なゴム需要もあって空前の好景気だったため、ペルーに嫌気がさした日系移民91人が、同年9月、アンデス山脈を越えて、ボリビア国内有数のゴム産地だったベニ県に再入植します。これがボリビアへの最初の日本人移民となりました。

 その後も、ゴム景気につられたペルーからの転入者は後を絶たず、ベニ県のゴムの集積地、リベラルタとその周辺には、ピーク時の1918年には約700人の日本人移民が居住するようになります。しかし、第一次大戦の終戦とともに、ゴム景気は終焉を迎え、リベラルタの日本人の多くは、ボリビア国外に出るか、国内に留まる場合にはラパス、トリニダなどに転住し、商業活動等に従事するようになっていきました。

 なお、2月25日に刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、そうしたボリビアの日系社会と、そこからゲバラのゲリラ闘争について加わった日系2世のエルネストことフレディ・マエムラについてもご紹介しております。すでにアマゾンなど一部のネット書店では予約販売も始まっておりますが、実物の見本が出来上がってきましたら、あらためて、このブログでもご報告いたしますので、よろしくお願いいたします。 


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 アジア杯はカタールが優勝
2019-02-02 Sat 12:08
 アラブ首長国連邦(UAE)で開催されていたサッカーの第17回アジアカップは、きのう(1日)、決勝が行われ、カタールが日本を3-1で下して初優勝を果たしました。というわけで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・カタールとの修好

 これは、2011年にブラジルが発行した“カタールとの修好”の記念切手で、両国の国旗を背景に、両国代表のユニフォームを着たサッカー選手が描かれています。

 ブラジルとカタールとの外交関係は、1971年のカタール独立を経て、1974年11月5日に樹立されました。当初は、大使館は開設されず、ニューヨークの駐米カタール事務局と、アブダビのブラジル大使館が、両国の大使館業務を代行していました、その後、1997年にカタールはブラジリアに大使館を開設しましたが、ブラジル側が財政上の理由でドーハに大使館を開設しなかったため、1999年にはブラジリアのカタール大使館も閉鎖されました。

 その後長らく、両国には大使館のない状態が続いていましたが、2005年、ブラジルのセルソ・アモリム外相(当時)がドーハを訪問し、大使館の解説を約束。同年中にドーハにブラジル大使館が開設されたことを受けて、2007年、ブラジリアのカタール大使館が再開されています。ちなみに、今回ご紹介の切手は、2011年、ブラジルのアントニオ・パトリオッタ外相がカタールを訪問し、ハマド首長と会談した際に、両国の友好関係をアピールするために発行されました。

 ちなみに、サッカーのカタール代表は、1980年代以降、1981年のFIFAワールドユース選手権準優勝、1984年のロサンゼルス五輪出場するなど、着実に力をつけ、1992年にはブラジル人のエヴァリスト・デ・マセドを代表監督に招聘しています。マセド監督の下、カタール代表は湾岸諸国を対象としたガルフカップで優勝し、同年の1992年のバルセロナ五輪でも8強入りするなどの実績を残し、同年10月に開幕のアジアカップでは優勝候補の一角にも挙げられていました。

 ところが、カタール代表はグループリーグでまさかの敗退。一方、開催国の日本はブラジルから日本に帰化したラモス瑠偉等の活躍で初優勝を遂げたため、以後、カタールは帰化選手による強化戦略を推進するようになったと言われています。


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 創業92年のバナナ専門店が閉店
2019-02-01 Fri 10:54
 1927年創業の全国でも珍しいバナナ専門店、梅田才治商店(前橋市元総社町)が、きのう(31日)、店主・梅田厚子さん(78)の高齢による体力の低下などを理由に閉店しました。というわけで、数多あるバナナ切手の中から、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      セントルシア・バナナの精霊

 これは、1985年、カリブ海のセントルシアが発行したクリスマス切手で、仮装行列に登場する“バナナの精霊”が描かれています。物言えぬバナナに代わり、閉店した老舗専門店の老店主に「お疲れさま」と言ってくれそうな存在として、ご紹介しました。

 セントルシアを含むカリブ諸国では、クリスマスから新年にかけて仮装行列がさかんに行われています。クリスマスの仮装行列は、17世紀以降、西アフリカ出身の奴隷たちが持ち込んだエグングンの儀式や祖霊崇拝とヨーロッパやインドの祝祭の要素が混淆したものですが、近年は、外国人観光客を意識して7月に行われるカーニヴァルの後塵を拝し、縮小傾向にあるそうです。

 さて、セントルシアにおけるバナナの栽培は、1930年代以降、植民地当局によって始められました。その背景には、第一次大戦以降、砂糖の国際価格が暴落し、、それまでセントルシアの稼ぎ頭である砂糖産業に代わる新たな産業を育成する必要に迫られたためです。

 その後、1953年にはセントルシア・バナナ協会が設立されて輸出が本格化し、バナナは同国最大の輸出品に成長。今回ご紹介の切手に取り上げられた“バナナの精霊”も、こうした状況を反映して登場したもので、かならずしも、伝統的なキャラクターとは言いがたい面があります。

 なお、セントルシアのバナナ産業ですが、近年はEUによるバナナの関税優遇措置廃止に加え、ハリケーンの被害もありバナナ産業は停滞。このため、バナナの葉、茎などの廃棄物をバイオ燃料に利用する試みも進められているそうです。
 

★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

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 マレーシア新国王、きょう戴冠式
2019-01-31 Thu 02:55
 ことし(2019年)1月6日の国王ムハンマド5世の退位に伴い、新たにマレーシア国王(アゴン)として選出されたパハン州のスルターン、アブドゥラ・リアヤテュディン・アルームスタファ・ビラ・シャーの戴冠式が、きょう(31日)、行われます。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      占領マライ・DAI NIPPON 統一加刷カバー

 これは、日本占領下のマライで、1942年6月3日、パハン州に“DAI NIPPON 2602”の統一加刷をした切手を貼り、ペラ州のトゥルッ・アンソン(現トゥルッ・インタン)からタイピン宛に差し出されたカバーです。

 マレー半島最大の州であるパハン州は1888年に英国の保護領となり、1895年、英領マレー連邦に編入され、現地の地方君主であるスルターンによる間接統治の体制となりました。

 この間、1889年には英領海峡植民地の切手に“PAHANG”の文字を加刷した最初の切手が発行され、1891年以降は正刷切手も発行されています。また、正刷切手と並行して、1891年から1897年までは、隣接するペラ州の切手に“Pahang”の文字を加刷した切手も使われました。

 1900年以降は、英領マレー連邦共通の切手が使用されていましたが、1935年、当時のスルターン、アブー・バカル・リアヤテュディン・ムアザッム・シャーの肖像を描く州独自の発行されました。

 大東亜戦争勃発後の1942年2月、マレー半島全域を占領した日本軍は、当初、各地で接収した切手に地域ごとのローカル加刷を行っていましたが、同年4月以降、占領マライ全域で使用するための統一加刷切手の発行が始まります。最初の統一加刷切手には“馬來軍政部郵政局印”が押されていましたが、1942年6月以降、今回ご紹介の切手のように、“DAI NIPPON 2602”のローマ字加刷をした切手が登場しました。

 ちなみに、加刷の台切手に肖像が描かれているスルターン、アブー・バカルは1904年生まれ。1932年にスルターンとして即位し、第二次大戦、マレーシア独立を経て、1974年までスルターンの地位を維持しました。きょう、戴冠式を迎えるアブドゥラ新国王は、彼の孫にあたります。

  
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(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

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 世界の国々:コンゴ共和国
2019-01-30 Wed 00:18
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2019年1月23日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はコンゴ共和国の特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      コンゴ共和国・ゲバラ追悼

 これは、1969年にコンゴ共和国が発行したチェ・ゲバラの追悼切手です。

 1960年8月15日に独立したコンゴ共和国(旧仏領)は、初代大統領に就任したフルベール・ユールーと彼の率いる与党“アフリカ人利益擁護民主連合(UDDIA)”の下、親仏路線を維持し、フランスからの資金援助による国家建設を推進しました。しかし、その配分は、彼の出身部族であるラリ族の多い南部が偏重され、北部は冷遇されただけでなく、露骨な利益誘導が行われたため、政権の腐敗も深刻でした。

 外交面でも、隣接する旧ベルギー領コンゴでの動乱に関しては、民族派のパトリス・ルムンバではなく、旧宗主国ベルギーの支援を受けてカタンガの分離独立を主張するモイーズ・チョンベを支持。このことも国民の不満を醸成し、1963年8月、北部での反政府暴動を機に、ユールー政権は崩壊し、アルフォンセ・マサンバ=デバを首班とする新政権が発足しました。

 マサンバ=デバ政権は、民族主義的な色彩の濃い社会主義路線を掲げ、外国系企業の国有化、フランス軍基地の撤去、計画経済の導入などを推進。1964年1月には“革命国民運動(MNR)”を結成して一党体制を構築したほか、外交面では反仏路線に転換し、東西冷戦下では西側との決別を意味するキューバ・カストロ政権との国交樹立に踏み切ります。

 これを受けて、キューバはチェ・ゲバラをブラザヴィルに派遣することを決定。1965年1月2日、ゲバラは「米国の干渉に対する革命の戦いは、西半球の大陸の多くの人をとらえるだろう」と声明してブラザヴィル入りし、5日、マサンバ=デバと会談しました。ゲバラは、旧ベルギー領でのコンゴ動乱に関して、マサンバ=デバに対して、キューバと連帯して旧ルムンバ派勢力を支援することを提案。マサンバ=デバ政権がこの提案を受け入れると、ホルヘ・リスケート率いるキューバの軍事ミッションがブラザヴィルに派遣されました。

 その後、キューバの支援を受けたMNR若年層の一部は徐々に民兵を組織して過激化。マサンバ=デバは、1966年、民兵組織のアンブローズ・ヌアザレイを首相に任命し、政権に取り込んで去勢しようとしましたが、MNRは穏健化しませでした。そこで、1968年1月、マサンバ=デバはヌマザレイを首相から解任しましたが、軍部の実力者で空挺隊司令官のマリアン・ングアビは民兵組織を統御しきれないマサンバ=デバに対する不満を募らせます。

 このため、1968年8月、マサンバ=デバはクーデター容疑でングアビを逮捕しましたが、兵士の反乱で釈放を余儀なくされ、逆に、9月4日、退陣に追い込まれました。

 なお、政権を掌握したングアビは民兵組織を抑え込みましたが、キューバとの友好関係は維持します。今回ご紹介の切手は、そうした状況の下で、キューバの支援に感謝し、友好関係の維持を訴えるために発行されたものです。

 さて、『世界の切手コレクション』1月23日号の「世界の国々」では、独立後初期のコンゴ共和国についてまとめた長文コラムのほか、パフォーマンス集団のバレー・ディアブア、コンゴ川、ブラザヴィル大聖堂、地酒のカシキシの切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のキューバの次は、1月23日発売の同30日号でのウガンダ(と一部ギニア)の特集となっています。こちらについては、近々、このブログでもご紹介する予定です。

  
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 ラッフルズのシンガポール上陸200年
2019-01-29 Tue 00:53
 1819年1月29日、英国東インド会社のトーマス・ラッフルズがシンガポールに上陸してから、ちょうど200年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      シンガポール・ラッフルズ(1955)

 これは、1955年、英領時代のシンガポールで発行されたトーマス・ラッフルズ像の1ドル切手です。

 ラッフルズは、1781年7月6日、父ベンジャミンが船長としてジャマイカ沖を航行中の船上で生まれました。1795年、14歳の時からロンドンの東インド会社で職員として働き始め、1805年当時プリンス・オブ・ウェールズ島と呼ばれていたマレー半島のペナン島に赴任し、マレー語を習得。1811年、ナポレオン戦争当時フランスの勢力下にあったジャワ島へ英領インドから派遣された遠征軍に参加し、ジャワ副知事に任命され、行政実務を担当しました。

 ラッフルズは英国東インド会社による蘭印占領を主張し、税制改革や奴隷制廃止などに辣腕をふるいましたが、在任中の1814年、ボロブドゥール遺跡を再派遣し、調査と発掘作業を行いました。

 ナポレオンが失脚し、1815年、ジャワにおけるオランダの支配が復活すると、ラッフルズはいったんロンドンに戻り、1817年に『ジャワの歴史』を著し、同年ナイトの称号を授与されました。

 1818年、スマトラにあったイギリス東インド会社の植民地ベンクレーンにベンクレーン副知事として赴任。現地で、マレー半島南端の寒村、シンガポール島の地政学上の重要性に着目した彼は、「リオウ(ビンタン島)を凌ぐ便宜性と支配力を有している。南岸の沖にわたる数個の小島は格好の碇泊地と港を形成している」と会社に伝え、すぐにシンガポールへ向かい、1819年1月29日、シンガポール川の河口付近に上陸。彼はここにオランダ人がいないことを確認したうえで、ジョホール王国の内紛に乗じて、親英的なスルターンを新たに擁立し、同年2月6日、シンガポールを開港し、英国商館建設に関する協定を結びました。

 その後、ラッフルズは、1822-23年までシンガポール東部に留まり、自由貿易港を宣して植民地の建設に尽力。彼が帰国した後の1824年には、シンガポールは植民地としてジョホール王国から英国へ正式に割譲され、人口も急増して発展。1826年には、シンガポールは、ペナンマラッカ(1824年獲得)とともに、英領海峡植民地に編入され、1832年にはその首都となりました。

 切手に取り上げられたラッフルズ像は、もともとは、1887年6月27日、ヴィクトリア女王在位50年を記念して、英国人彫刻家のトーマス・ウールナーが制作。当初は、セント・アンドリュース教会に面しているパダン(広場)の中央、花崗岩の台座の上に黒色の像が鎮座していましたが、1919年、ラッフルズ上陸100年を記念して、現在のビヴィクトリア・シアターの場所に移設されました。

 なお、その後、この黒色像から鋳型を取り、全く同じ大きさでラッフルズ卿上陸150年(1969年)の記念碑として白色の像が制作され、上陸地点に設置されました。その台座には「スタンフォード・トーマス・ラッフルズ卿(1781-1826)が1819年1月29日に初めてこの地に上陸」との碑文が取り付けられています。

  
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