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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 パレスチナ人民連帯国際デー
2018-11-29 Thu 07:07
 きょう(29日)は、1947年11月29日に国連でパレスチナ分割決議が採択されたことにちなみ、“パレスチナ人民連帯国際デー”です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      リビア・ファタハ支援(1971)

 これは、1971年にリビアが発行した“パレスチナ武装闘争支援”の切手で、覆面姿のファタハの兵士が描かれています。

 現在のリビア国家の枠組は、1949年にサヌーシー家のイドリース1世が独立を宣言したキレナイカ(現在のリビア国家のほぼ東半分に相当)と、イタリアの植民地だったトリポリタニア(西北沿岸部)およびフェザーン(西南内陸部)が連合し、1951年にイドリース1世を元首とするリビア連合王国を結成して独立したことによってできあがりました。

 親西側政策を採ったイドリース1世の治世下では、1955年から国際石油資本によって石油開発が進められ、産油国として莫大な石油収入が流入する一方、一部の特権階級に富が集中し、多くの国民はその恩恵にあずかることはできず、生活は貧しいままでした。

 そうした国民の不満を背景に、イドリース1世の外遊中の1969年9月1日にクーデターを起こして実権を掌握したカダフィは、思想的にはエジプト革命に感化されたナセル主義者でした。ちなみに、クーデター当時のカダフィの実際の階級は大尉でしたが、尊敬するナセルが大佐を自称(実際は少佐)していたのを真似て、“大佐”を自称するようになったのが“カダフィ大佐”という呼称のもとになったといわれています。

 そうしたカダフィだけに、1970年にナセルが亡くなると、その衣鉢を継いでアラブ民族主義/汎アラブ主義の後継者を自認し、PLO を支援して反イスラエルの旗印の下でアラブ諸国を糾合しようとしました。イドリース1世時代のリビアが、一般の国民感情としてはともかく、現実の政策としてパレスチナ問題に対してなんら積極的なアクションを起こさなかったのとは対照的です。

 今回ご紹介の切手は、そうしたカダフィ政権の性格を如実に物語っている1枚で、切手には、覆面姿で木陰に潜むゲリラ兵の姿が描かれています。切手には、リビアの公用語であるアラビア語のほか、アル・ファタハ(“アル”はアラビア語の冠詞)の漢字表記である“艾爾法塔”やロシア語のキリル文字表記なども記載されており、東西冷戦という国際環境の下で、反米・反イスラエルの文脈で、東側世界を代表する中ソ両国もリビアと連帯してファタハを支援していることをアピールしようとする意図が示されています。

 なお、このあたりの事情については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 


★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
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 きょうから<Thailand 2018>
2018-11-28 Wed 06:44
 かねてご案内の通り、きょう(28日)から、タイ・バンコクのサイアムパラゴンで、世界切手展<Thailand 2018>(以下、バンコク展)がスタートします。(下の画像は展覧会のロゴマーク。以下、画像はクリックで拡大されます)

      Thailand 2018 ロゴ Thailand 2018 ロゴ(部分)

 今回のバンコク展のロゴには、自由の女神リオのキリスト像、インドのタージ・マハルなど、世界各地のランドマークがデザインされていますが、その中で、タイの代表として右上にデザインされているのが、ワット・サケートの“黄金の丘”(プーカオ・トーン)です。ちなみに、プーカオ・トーンを取り上げた切手としては、1980年に発行された“国連の日”の切手(下の画像)があります。

       タイ・プーカオ・トーン(1980)

 ワット・サケートはバンコクのバーンランプー・オンアーン運河沿いに位置する古刹で、チャクリー王朝によってバンコクが都となる前から存在していたといわれています。ただし、現在の寺院の直接のルーツはラーマ1世時代に再建されたものです。

 もともと、この場所は、貧者と罪人の火葬場として利用されていたところで、コレラが流行したときには境内に死体が積み上げられたこともあり、かつては、ワット・サケートの地獄絵図に描かれている悪鬼は、実際に屍を食い漁っていると信じる善男善女も少なくなかったと伝えられています。じっさい、プーカオ・トーンへ向かう斜面には現在でも墓石が並んでおり、この場所が死者の土地であった時代がしのばれます。

 ワット・サケートの眼前を流れるバーンランプー・オンアーン運河は、もともと、バンコク防衛のために掘削されたもので、運河沿いに城壁がめぐらされていました。旧アユッタヤーに倣ってバンコクの都市開発を進めてきたラーマ3世は、この運河沿いに、ビルマ軍によって破壊されたアユタヤのワット・ヤイ・チャイモンのコピーを作ることを思い立ち、その土台として人工の山を造成することを思い立ちます。ラーマ3世の時代に始まった工事は、運河沿いという場所柄、地盤が軟弱で作業が難航し、次のラーマ4世の時代にようやく完成。1863年、頂上には沙弥山をイメージした黄金の仏塔が建立されました。仏塔は近くで見るとこんな感じです。

      プーカオ・トーン仏塔実物

 1960年代まではバンコク市内には高層建築はなかったため、プーカオ・トーンはバンコク市街を一望できる場所であると同時に、市内のあらゆるところから見える道しるべの役割も果たしており、運河を航行する船のターミナルにもなっていました。

 また、こうした立地のゆえに、プーカオ・トーンは、しばしば、首都バンコクの防衛上、重要な拠点としてクローズアップされています。

 たとえば、19世紀半ば、インドシナ全土の植民地化を企てるフランスはタイ領への領土拡張を狙い、1893年7月13日、フランスの砲艦2隻がチャオプラヤー川をさかのぼってバンコクのフランス領事館前に停泊し、「ラオスの宗主権は(すでにフランスが植民地化していた)ベトナムが持っていた」と主張してラオスの割譲を要求する砲艦外交を展開しました。いわゆるシャム危機です。

 結局、フランスの砲艦外交に屈したタイはメコン川東岸のラオス全域をフランスに割譲することになりますが、このシャム危機に際して、タイ側にはプーカオ・トーンの頂上に砲台を設置してフランスの侵略者を攻撃しようというプランもありました。

 その後、タイは東南アジアにおける英仏の緩衝地帯として独立を維持しましたが、1899年、英国のインド植民地政府はカピラヴァストゥから発掘した仏舎利をタイに分与し、仏舎利はプーカオ・トーンに収められました。英国としては、仏舎利を分与することによって、フランスという共通の敵を前にタイとの連携を強めようという意図があった考えられます。

 その後も、第二次大戦中、タイに駐留していた日本軍は、この丘に高射砲を据えて連合軍の空襲に応戦しようとしましたし、1985年の軍事クーデターの際にもプーカオ・トーンの近くから砲弾が発射されるなど、プーカオ・トーンは軍事的な要衝としてしばしば歴史に登場しています。

 さて、タイで世界切手展が開かれるのは、2013年に開催された<Thailand 2013>以来5年ぶりのことで、日本からは、文献を除き、21作品・133フレームが出品されており、審査員兼コミッショナーとして不詳内藤が、セカンド・コミッショナーとして大沼幸雄さんご夫妻、審査員として井上和幸さんが参加しています。なお、日本からの作品の搬入は、昨日、出品者の伊藤純英さんのご協力も得て無事に済ませました。下の写真は、以前、チェンマイで買ったモーホームを着て、作品の展示を行っているところです。

      Thailand 2018・設営作業

 きょうは午前9時から審査員のミーティングがあり、会場そのもののオープンは午前10時ですが、オープニング・セレモニーは午後3時からの予定です。なお、受賞結果につきましては、公表可能な状況になりましたら、このブログでもご報告する予定ですので、しばらくお待ちください。


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 バンコクに到着しました
2018-11-27 Tue 06:43
 おかげさまで、昨晩(26日)、無事にバンコクに到着しました。下の画像は、スワンナプーム国際空港到着時のものです。運んでいるスーツケースは4つ。このうち、3つがまるまる日本からの出品作品で、税関での計量の結果は99 ㎏の大荷物になりました。きょうは現地時間の午前10時から設営作業がスタートの予定です。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      バンコク到着(20181126)

 というわけで、まずは、無事の到着を祝して、今日はこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・バンコク加刷(1883)

 これは、英領海峡植民地の切手にバンコクを意味するBの文字を加刷して発行された切手です。

 タイと欧米諸国との本格的な外交関係は、1855年にラーマ4世(モンクット王)が英国との間にボーリング条約を結んだことに始まります。ちなみに、映画やミュージカルで有名な『王様と私』は、ラーマ4世をモデルにした“シャム王”の宮廷を舞台に、国王と英国人女性家庭教師との交流を描いたものですが、作品中の王室の扱いが不敬であるとして、タイでは上映・上演が禁じられています。

 ボーリング条約により英国は首都バンコクに領事館を開設しましたが、当時、タイには近代郵便制度はなく、国内はともかく、バンコクから海外へ郵便を送ることにタイ側が責任を持つ体制にはなっていませんでした。このため、英国領事館は、タイ駐在の外国人商人や宣教師の要請に応えて領事館内に“郵便局”を開設し、1858年からタイと英本国やインド、シンガポールなどとの通信の取り扱いを開始しました。これが、タイにおける近代郵便制度の最初で、当時の郵便物は蒸気船でシンガポールまで運ばれ、そこから宛先へ送られていました。

 英国がバンコクに開設した郵便局では、当初は英領インドの切手が、1867年からは主に海峡植民地(ペナンマラッカシンガポールなど)の切手が無加刷で使われていましたが、1882年になると、ここにご紹介しているように、海峡植民地の切手にバンコクを意味するBの文字を加刷した切手が使用されています。

 これに対して、ラーマ5世(チュラーロンコーン王、『王様と私』のラストで、国王の崩御に伴い即位する少年皇太子のモデル)による近代化政策の一環として、タイが自前の郵便制度導入を計画するようになったのは、1881年のことでした。ただし、当時のタイには切手を製造するための設備がなかったため、タイ最初の切手の製造はロンドンのウォータールー・アンド・サン社に委託されました。

 その後、ロンドンから切手が到着するのを待って、1883年8月4日、バンコクのプラナコーン地区とチャオプラヤー川を挟んで対岸のトンブリー地区との間で、書状と書籍(印刷物)の配達に限定してタイの近代郵便が創業されます。なお、バンコクという地名は主として外国人による呼称で、タイ語では“クルンテープ”というのが一般的です。

 ちなみに、バンコクに置かれていた英国の郵便局は、1885年7月1日にタイが万国郵便連合に加盟し、タイ政府発行の切手が国際的にも有効とされたため、その前日の6月30日で閉鎖されました。

 このあたりの事情については、拙著『タイ三都周郵記』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 バンコクに行ってきます!
2018-11-26 Mon 01:08
 私事で恐縮ですが、28日からタイ・バンコクで開催される世界切手展<Thailand 2018>にコミッショナー兼審査員として参加するため、きょう(26日)午前中の飛行機で成田を発ち、バンコクに向かいます。というわけで、最近のタイ切手の中から「いざ出陣!」という感じの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・タクシン250年(2017)

 これは、昨年(2017年)11月6日に発行された“タークシン王250年”の記念切手で、馬上のタークシン王と彼とともに進撃する兵士の像が取り上げられています。

 タークシンはアユッタヤー(アユタヤ)王朝時代の1734年、賭博場の徴税人をしていた潮州華人の父とタイ人の母の間に生まれました。社会的には下層の出身でしたが、才知を見込まれてアユッタヤーの大臣の養子となり、シンと名づけられ、宮廷に仕えるようになります。1767年にビルマ軍がアユタヤを攻撃してきた時には、タイ北西部のタークの国主の地位にあったことから、プラヤー・タークとよばれるようになり、これが、タークシンという名の由来になりました。

 アユッタヤー陥落の際、タークシンはビルマの軍の包囲をかいくぐってタイ東南部のラヨーンに脱出。ここから反撃を開始し、同年10月、チャオプラヤー川西岸にあったトンブリーの要塞を奪還してビルマ軍を撃退し、トンブリーを都としたうえで、翌1768年にトンブリー王として即位しました。今回ご紹介の切手は、ここから起算して250周年になるのを記念して発行されたものです。

 その後、タークシンは、混乱の中で四分五裂に陥っていた国内の統一に乗り出し、約3年で旧アユッタヤー王朝の版図を回復。さらに、みずからマレー諸国カンボジアを服属させたほか、部下のトードワン(後のラーマ1世)ならびにブンマーの兄弟らを遠征させて北方のチェンマイやメコン川岸のラオス諸国を属国としました。また、チャオプラヤー川に面したトンブリーの地の利を生かして清朝との朝貢貿易にも乗り出しています。

 このように、タークシンは救国の英雄にして、一代で王朝を建設した武闘派の傑物だったのですが、社会が安定を回復し、アユッタヤー時代の名門貴族が復権し始めると、彼らからは“成り上がり者”として軽んじられ、疎外感を味わっていたようです。そのストレスからか、自らを僧侶に跪拝を命じて拒否した者には鞭打ちや重労働の刑を課すなどの偏執的な奇行が目立つようになり、1728年、宮廷クーデターで逮捕され、ベルベットの袋に入れられ白檀の杖で首を折って処刑されるという非業の死を遂げました。その後、チャオプラヤー川をはさんでトンブリーの対岸(ラッタナコーシン地区)に建設されたのが、現在のチャクリー王朝の王宮エリアです。

 救国の英雄でありながら悲劇的な死を遂げたタークシンは、いつしか、人々の間でその霊力にあやかってわが身を守ろうとする信仰を生み出すようになり、各地に彼を祀る廟が建てられるようになりました。

 さて、今回の切手展の会期は28日からなのですが、作品の搬入・設営作業がありますので、今日の出発となりました、なお、展覧会の会期は12月3日までで、作品をピックアップした後、5日に帰国の予定です。

 今回の旅行期間中も、ノートパソコンを持っていきますので、このブログも可能な限り更新していく予定です。ただ、なにぶんにも海外のことですので、無事、メール・ネット環境に接続できるかどうか、不安がないわけではありません。場合によっては、諸般の事情で、記事の更新が遅れたり、記事が書けなかったりする可能性もありますが、ご容赦ください。 


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 2025年の大阪万博開催決定
2018-11-25 Sun 10:35
 博覧会国際事務局(BIE)は、きのう(24日・日本時間)未明、パリで開いた総会で、2025年国際博覧会(万博)を大阪で開催することを決定しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      大阪万博・寄附金つき(15円)

 これは、前回の大阪万博(1970年)の開催1年前に発行された寄附金つき切手で、地球に万博のマークを配した図案になっています。

 支那事変の影響で、オリンピックとともに日本での開催の返上を余儀なくされた国際博覧会(通称・万国博覧会、以下、万博)を、戦後、再び誘致しようという運動は、1964年2月、参議院で旧商工省の事務次官だった豊田雅孝が提案したことから本格的に始まります。その後、同年6月、大阪府知事、大阪市長、大阪商工会議所会頭の連名で、万博の大阪開催が通産大臣に要望され、同年7月22日、万国博覧会大阪誘致委員会が発足しました。

 これを受けて、同年12月、政府は国際博覧会条約を批准し、翌書1965年2月、同条約に正式に加盟します。そのうえで、同年5月13日、国際博覧会事務局に1970年度万博の日本開催の申請書を提出。その後4ヵ月間、1970年度に関しては立候補を表明した国がなかったため、9月14日、大阪万博の開催が自動的に承認、決定されました。

 万博開催の正式決定を受けて、1965年10月9日、大阪市東区の御堂ビル内に、万博の主催団体として日本国際博覧会協会(会長は経団連会長の石坂泰三)が発足。同月25日には「人類の進歩と調和」(PROGRESS AND HARMONY OF MANKIND)とのテーマも決定され、万博開催へ向けての準備が本格的にスタートします。

 ところで、大阪万博の開催にあたっては、1964年の東京オリンピックの3倍にあたる約1200億円の経費が必要と考えられていました。このため、オリンピックの際の先例に倣い、1966年7月、「日本万国博の準備等のために必要とする特別措置に関する法律」(通称・万国博特別措置法)が施行され、経費捻出のために寄付金つき切手を発行できるよう法的な基盤が整えられました。

 これを受けて、1967年12月に開催された郵政審議会専門委員打合会では、昭和43年度に万博の準備に協力するために寄付金つき切手を発行する方針が了承されましたが、この時点では、具体的な切手発行の時期などについては結論が出ませんでした。

 その後、1968年3月8日の閣議後の記者会見で、郵政大臣の小林武治は“日本万国博覧会協賛寄付金つき切手”の発行について閣議了承を得たと発表。郵政省としては、寄付金つき切手は、がん制圧切手の先例を考慮し、額面7円プラス3円のものと15円プラス5円の2種類で総額2億円の寄付金を集める予定で準備を進めることを明らかにします。

 このとき発表されたプランを元に、寄付金つき切手についての具体的な検討が開始され、1968年6月の郵政審議会では、大阪万博の開催1年前に当たる1969年3月15日に、15円プラス5円(寄付金)のものを1500万枚、50円プラス10円(寄付金)のものを750万枚、それぞれ発行し、総額1億5000万円の寄付金を集めることが正式に決定されました。

 これを受けて、切手原画の制作が開始され、15円切手の原画としては、地球に万博のマークを配した木村勝の作品が、50円切手の原画としては、京都・智積院の障壁画のうちの「桜図」(切手としての原画構成は久野実が担当)が、それぞれ、採用となり、1969年1月8日に報道発表されています。

 ところで、今回の切手に関しては、1月8日の報道発表から3月15日の発行日の期間が短かったこともあって、東京中央郵便局切手普及課による通信販売は行われませんでした。このため、いままでの寄付金つき切手が概して不評であったことを踏まえ、ただでさえ売りにくい高額の50円切手に関しては、1シートを「見返り美人」、「月に雁」以来の5面構成とするなどの、販売上の工夫がなされました。

 しかし、50円切手は出来栄えが見事だったこともあって収集家の前評判もよく、一部の郵趣誌には、発行以前からプレミアム付の完封買入広告が掲載されるほどで、関西では早々に売り切れる局も少なくなかったようです。

 ただし、全国的に見ればそれなりの枚数が売れ残っていた ため、郵政省は法律上の募金期間内にこの切手を売り切るため、全国から回収した売れ残りの切手を、5月22日、東京中央局で再発売して売り切っています。

 なお、1970年の大阪万博の切手と郵便については、拙著『一億総切手狂の時代』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 


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 スプートニクとガガーリンの闇(12)
2018-11-24 Sat 00:41
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、10月25日、『本のメルマガ』第697号が配信されました。僕の連載「スプートニクとガガーリンの闇」は、今回は、国際地球観測年の期間中に東側諸国が発行した切手のうち、ポーランドの切手について取り上げました。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ポーランド・国際地球観測年

 これは、1958年9月30日にポーランドで発行された国際地球観測年の記念切手で、画面左側にスプートニク1号が描かれています。

 第二次大戦中、ナチス・ドイツによって占領されていたポーランドは、戦後、ソ連の衛星国となりました。当然のことながら、多くの国民はこれに不満をもっていましたが、ボレスワフ・ビェルト率いるポーランド統一労働者党(共産党)政権は、宗主国のスターリンに倣って反対派を弾圧し、体制を維持していました。

 1953年3月にスターリンが亡くなり、1956年2月、ソ連共産党大会でフルシチョフがスターリン批判を行うと、宗主国の突然の方針転換にショックを受けたビェルトはショックで心臓発作を起こして3月に急死。エドヴァルト・オハプが党第一書記となりました。

 こうした状況の下、同年6月、国際見本市が開かれていた西部の都市ポズナンでは、外国特派員の存在を意識して、未払い分の給料の支払いを求める工場労働者のデモが発生。政府が力づくでこれを抑え込もうとすると、反発したデモ隊は暴徒化し、100名を越える死傷者が発生します。

 いわゆるポズナン暴動です。

 暴動の発生を受けて、統一労働者党の指導部は守旧派からなるナトーリン派と穏健改革派のプワヴァ派に分裂しましたが、前者は“民主化”の要求には反対しながら、大幅な賃上げとユダヤ系指導者の追放、ヴワディスワフ・ゴムウカの復権などのスローガンを掲げて、大衆の心理に訴えようとしました。

 ここで、ナトーリン派がユダヤ系指導者の追放をスローガンとして掲げていたのは、ルブリン政権以来の失政の原因をすべてユダヤ人政治家や党員に押し付けることで、同じく党の指導部にいたはずの自分たちへの非難をかわそうとしたためです。

 ちなみに、ゴムウカは1905年、ハプスブルク帝国支配下のクロッセン(ポーランド語名クロスノ)近郊生まれ。戦前からの古参共産党員で、第二次大戦後はポーランドでの共産主義体制の樹立に尽力しましたが、1948年に“右翼民族主義的”と批判され、翌1949年に党を除名され、1951年には逮捕・投獄されていた人物です。

 暴動後の10月21日、責任を取らされるかたちでオハプは辞任。ゴムウカが党第一書記として復権を果たし、ナトーリン派は(一時的に)指導部から追放されました。

 権力を掌握したゴムウカは、ワルシャワ条約機構の枠組みは維持するものの、その中での可能な限りの自主路線を模索。具体的には、農業集団化の廃止、ローマ・カトリック教会の迫害の停止、検閲の緩和、ソ連残留ポーランド人(その中には少なからずユダヤ人も含まれていた)の帰国交渉などの改革が行われ、結果的に、スターリン主義的な風潮はかなり緩和されました。

 これに対して、フルシチョフがスターリン批判を行ったとはいえ、ソ連が衛星国の“ソ連離れ”を歓迎するはずもなく、ソ連とポーランドの間には確執が生じたといわれています。

 1957年10月にスプートニク1号が打ち上げられると、東ドイツチェコスロヴァキアルーマニアが同年中に人工衛星を切手に取り上げてソ連に対する忠誠心を表明したのに対して、ポーランドが今回ご紹介の切手を発行したのは1958年9月30日にまでずれ込んでいます。

 こうしたところに、当時のソ連とポーランドとの微妙な距離感を感じ取るのは、おそらく僕だけではないでしょう。


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 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


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 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

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(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
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 勤労感謝の日
2018-11-23 Fri 01:36
 きょう(23日)は“勤労感謝の日”です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・労働後の崔(絵葉書)

 これは、キューバで発行された絵葉書で、1961年頃、サトウキビ農場での労働後、くつろぐチェ・ゲバラを撮影した写真が取り上げられています。葉書はキューバ郵政が発行したもので、下の画像のように、裏面には、革命戦争勝利後の1959年1月、カミーロ・シエンフエゴスを伴いハバナに入場するカストロを取り上げた印面(無額面永久保証)も印刷されています。

      キューバ・労働後のチェ(裏面・部分)

 キューバ革命後の国家建設において、ゲバラは、個人の利益ではなく、社会の発展のために働く“新しい人間”の創造を強調しました。

一般に、生産性や労働意欲を向上させるためには“物質的刺激(=経済的利益)”が重要とされていますが、ゲバラは、それと同時に“精神的刺激”がなければ、“新しい人間”の形成が阻害され、共産主義社会への移行に際して禍根を残すと考えていました。

 ゲバラによれば、労働時間に生産手段として働き、余暇の時間に“人間らしさ”を回復するため、文化・芸術に没頭するようなあり方は、物質的刺激のみを重視した資本主義的人間の姿であり、“真の人間らしさ”を欠いています。これに対して、“新しい人間”は、大義への献身、自己犠牲の精神、高いモラル等を備え、自らと共同体のために働き、労働そのものが喜びとなった存在であり、物質的刺激と精神的刺激のバランスがとれた、誰もが人間らしい生活を享受できる社会でのみ実現できるとされていました。

 ゲバラは、みずから“新しい人間”の理想に近づこうと、文字通り寝食を忘れてストイックなまでに革命に献身。「何キログラムの肉が食べられるか、あるいは1年に何回休みの日に海岸に遊びに行けるか、あるいは現在の給料でどれほどの美しい輸入品を買えるか、それは問題ではない」との言葉の通り、金銭や物質的な報奨に対しては極端に淡白で、閣僚としての多忙な職務の合間を縫って、週末は早朝から自ら工場で働き、あるいは、サトウキビを刈り取る労働奉仕に汗を流した。今回ご紹介の葉書も、そうした彼の労働に勤しむ姿を取り上げたものです。

 しかし、こうしたゲバラの超人的な献身は、あくまでも、彼にしかできないことであり、彼個人の奮闘にもかかわらず、社会主義キューバの経済建設は結果的に失敗に終わります。

 その原因としては、以下のように要約できます。

 そもそも、革命以前のキューバ経済は米国に完全に依存しており、必要な物資は、製品であれ、工業製品の原材料であれ、対岸の米国に注文すればすぐに届けられていました。革命後の経済制裁によりその途が断たれた後、プラヤ・ヒロン事件を経てカストロは社会主義化を宣言し、反革命軍を撃退。これを受けて、キューバに対するソ連の支援は本格化したものの、質量ともに、米国の穴を埋めるには程遠いものでした。

 また、革命による人材流出で、工場の技術者や運営スタッフは深刻な人材難となり、東側諸国から派遣されてきた技術者たちは革命以前から稼働していた米国製の機械をうまく扱えませんでした。

 さらに、労働者の能力・資質にも問題が多く、仮にまじめに働く労働者であっても、十分な訓練も受けぬまま、不慣れな分野の労働奉仕に動員されたのでは、効率が上がるはずもありませんでした。

 たとえば、キューバの主要産業であるサトウキビの刈取りに関しては、ベテランの作業員が1日8時間の労働で平均3-4トン、人によっては7トンを刈り取ることができるのに対して、都市部の出身者は最大で500キロ、肉体労働の経験がほとんどないインテリ層は250-300キロしか刈り取れないというのが現実でした。

 結局、1961年のキューバ国民の生活水準は、革命の起きた1959年に比べると60パーセント上回ったと発表されましたが、10-15パーセントという成長目標は達成できず(目標の設定自体が無謀ではあったが)、物資の不足は全く解消されませんでした。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、キューバ革命後の経済状況についてもまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 レバノン独立75年
2018-11-22 Thu 00:13
 1943年11月22日にレバノンが独立を達成してから、きょう(22日)で75周年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      レバノン・独立70年

 これは、いまから5年前の2013年にレバノンで発行された“独立70周年”の記念切手で、レバノン国旗がデザインされています。

  第一次大戦中、英仏はサイクス・ピコ秘密協定を結び、戦後、現在のシリア・レバノンならびにイラクの北部にほぼ相当する地域はフランスの勢力圏とすることを規定しました。しかし、大戦が終結した時、フランスはベイルートやアレクサンドレッタラタキア対岸のルアド島などを占領していたものの、その占領地域はごくわずかで、ダマスカスを解放したのはファイサルのアラブ軍とアレンビーの英軍でしたし、内陸部の広大な地域は英国の占領下に置かれていました。さらに、フサイン・マクマホン書簡での密約(アラブが英国と共にオスマン帝国と戦えば、戦後、アラブの独立国家樹立を認めるというもの)もあって、シリア地域では、ダマスカスの陥落とともに、ファイサルを首班とするアラブ政府の樹立が宣言されていました。

 そこで、大戦の終結によりフランスとアラブの双方から密約の履行を迫られた英国は、ベルサイユ会議で、戦後のシリア・パレスチナ地域を、①英支配の南部OETA(敵国領土占領行政区域:Occupied Enemy Territory Administration):現在のイスラエル国境とほぼ同じパレスチナ、②アラブ支配の東部OETA:アカバからアレッポにいたる内陸部、③フランス支配の西部OETA:ティールからキリキア(シリアとトルコの国境地帯で、現在はトルコ領)にいたるレバノンとシリアの海岸地帯、に分割するという妥協案を通します。

 これに対して、フランスは、あくまでもサイクス・ピコ協定の遵守を求め、シリアにおける自国の権利を主張。このため、フランスとアラブの板ばさみとなった英国は、1919年9月、シリア地方からの撤兵を表明。これを受けて、同年11月以降、西部OETAではフランス軍が、東部OETAではアラブ軍が、それぞれ、イギリスに代わって占領行政を担当することになりました。

 なお、イギリス軍の撤退を受けて、ファイサルのアラブ政府は自らの存在を既成事実化して国際社会の認知を受けるべく、1920年3月、ダマスカスでシリア国民大会を開催し、ファイサルを国王とする立憲君主国アラブ王国の独立を宣言します。

 しかし、英仏両国はアラブ王国の存在を無視し、1920年4月に始まったサンレモ会議(同年1月に発足した国際連盟の最高理事会)では、フランスは、イラク北部のモースルの支配を放棄する代償として、英国に対して現在のシリア・レバノンの地域を自らの勢力圏とすることを最終的に承認させることに成功。当然、アラブ側は完全独立の要求と委任統治の拒否を決議してこれに抗議しましたが、同年6月、英仏両国は、これを無視して、それぞれの勢力圏内での委任統治を開始し、全シリアを軍事占領したフランスは、同年7月、ファイサルを放逐してアラブ王国を崩壊させました。

 フランスはこうして支配下に置いた委任統治地域を、レバノン国・ダマスカス国・アレッポ国・アラウィ自治区に分割。各地域に知事を置き、これを高等弁務官が統括するという古典的な分割統治政策を行います。

 このうち、レバノンに関しては、1920年8月、“大レバノン”が設置され、オスマン帝国時代の1860年に設置された旧レバノン県(キリスト教徒自治区)にトリポリ、ベイルート、シドンなどの海岸地区とベカー高原を加えた区域が、内陸シリアとは別の行政単位となりました。この“大レバノン”は、旧レバノン県に比べて面積は2倍以上になりましたが、キリスト教系住民が人口の過半数を維持することを最優先にして、これ以上は拡大されませんでした。これは、フランスが“大レバノン”を、イスラム教徒が多数を占める内陸シリアから分離して、中東支配の拠点として育成しようとしたためです。

 その後、 1925年7月に選挙が行われて代表評議会が構成され、1926年3月に大レバノン国家を共和国に変える憲法草案が提出され、同年、フランス委任統治下の“レバノン共和国”が誕生します。

 第二次大戦中の1940年6月、フランス本国がドイツに降伏し、親独ヴィシー政権が成立すると、当初、シリア・レバノンはヴィシー政権の支配下に置かれましたが、1941年7月 英・ドゴール派連合軍がレヴァント地域に進攻し、シリア・レバノンを占領しました。両軍は「フランスの委任統治を終結して、シリアとレバノンを独立させる」と宣言。これを受けて、同年11月26日にレバノンの独立が布告されます。

 こうして、レバノンの独立に向けて具体的な動きが本格化しましたが、その際、親仏派のエミール・エッデと、レバノンの完全独立を掲げるビシャーラ・ハリール・フーリーが独立後の大統領の座をめぐって争いました。このうち、9月の選挙で当選したのはフーリーでしたが、フーリーを快く思っていなかったフランスは、11月11日、フランス海兵隊とセネガル軍を派遣してフーリーを逮捕し、エッデを擁立します。しかし、フーリーの逮捕により、主要6宗派は反仏で団結。このため、11日後の11月22日にフーリーは釈放され、大統領として復帰しました。現在のレバノンでは、この日をもって、完全独立が達成されたとして、11月22日が独立記念日とされています。


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 世界の切手:東アフリカ郵便連合
2018-11-21 Wed 02:56
  ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2018年10月24日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回は、ケニア・ウガンダ・タンガニーカの東アフリカ郵便連合(以下、KUT)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      KUT・タンザニア混貼カバー

 これは、第一次東アフリカ崩壊後の1978年3月8日、KUT切手とタンザニア切手を混貼してタンザニアのムワンダからオーストリア宛に差し出された航空便です。

 近代以前の東アフリカのインド洋沿岸部はザンジバルの支配下に置かれていましたが、1840年代以降、ザンジバルのスルターンの保護の下にヨーロッパ人宣教師がモンバサの海岸周辺から内陸に向かって入植するようになりました。

 1872年、スコットランド出身のウィリアム・マッキノン率いる英領インド汽船会社(BI)がザンジバルへの航路を開設。これを機に、同社はアフリカ大陸内陸への進出を計画します。

 1884-85年のベルリン会議では、アフリカ分割の原則として、沿岸部を領有した国には後背地の領有権が認められました。これを受けて、すでに1884年にブルンディを植民地化していたドイツは、1886年、東アフリカ南部の領有を企図して、ザンジバルに艦隊を派遣。これに対して、ザンジバルは英国に支援を要請し、英国も派兵したため、フランスを交えた3国の協議の結果、同年、東アフリカ南部(現在のタンザニアの大陸部分に相当する地域)をドイツ領とし、北部(現在のケニアに相当する地域)を英領とすることで決着が図られています。

 こうして東アフリカに植民地を得た英国でしたが、当時は国策としてアフリカ大陸南部の権益確保に注力していたため、東アフリカに目を向ける余裕は乏しく、マッキノンのBIがアフリカ東部でのイギリスの勢力圏建設を担当。そこで、マッキノンは1888年、勅許会社の英東アフリカ会社(IBEA)を設立し、ヴィクトリア湖北岸のブガンダ王国の領域(現在のウガンダの領域にほぼ相当)にも勢力を拡大しました。IBEAはモンバサからヴィクトリア湖に至るウガンダ鉄道の建設や農地開発などにも着手し、1894年にはブガンダ王国を保護国化し、英領ウガンダ植民地としました。しかし、ブガンダ王国の有力者や各地の宣教師たちとの対立もあって十分な植民地経営ができず、その収支は悪化。このため、1895年7月1日、英政府は東アフリカの保護領化を宣言し、英国外務省の管轄としました。なお、この間の1890年、ザンジバルは英独間のヘルゴランド=ザンジバル条約により英保護領となっています。

 第一次大戦でドイツが敗れると、旧ドイツ領東アフリカは解体され、英委任統治領タンガニーカとベルギー委任統治領のルワンダ=ウルンディに分割されました。

 一方、英領東アフリカ植民地は、1920年、本国直轄のケニア植民地となり、東アフリカにおける英領植民地は、ザンジバル、タンガニーカ、ケニア、ウガンダの4地域体制となります。

 このうち、ザンジバルを除く3地域では、1921年、共通通貨として、英国東アフリカ通貨局(1919年創設。EACB)の発行する東アフリカ・シリングが導入され、1922年には3地域を包括する関税同盟が結成されました。

 なお、ザンジバルは歴史的にインド世界との経済的な結びつきが強かったため、1908年以来、英領インド・ルピーと等価のザンジバル・ルピーが使用されていましたが、1936年1月1日、1ザンジバル・ルピー=1½東アフリカ・シリングの交換レートで、東アフリカ・シリング圏に組み込まれます。

 第二次大戦後の1961年にはタンガニーカが、1962年にはウガンダが、1963年にはザンジバルとケニアが、それぞれ独立。独立当初、各国は植民地時代からの東アフリカ・シリングをそのまま使っていましたが、1966年、EACBの解体に伴い、ケニア、タンザニア(1964年にタンガニーカとザンジバルが統合して発足)、ウガンダの各国は、それぞれ、東アフリカ・シリングと等価の独自通貨を導入せざるを得なくなりました。ただし、その後もKUT切手は引き続き、発行・使用され続けます。

 その一方で、英領時代以来の東アフリカの政治的・経済的ネットワークの維持・発展を目指して、1967年、ジュリウス・ニエレレ(タンザニア)、ジョモ・ケニヤッタ(ケニア)、ミルトン・オボテ(ウガンダ)の3大統領は東アフリカ協力条約を締結し、タンザニアの首都アルーシャに東アフリカ共同体の本部と事務局が設置します。

 その後、1977年、ケニアとタンザニアの主導権争いや各国の国内事情などにより、共同体は事実上瓦解。1978年にはウガンダがタンザニアに侵攻して完全消滅しました。なお、1976年を最後にKUT切手は発行されなくなっていましたが、その後も、KUT切手そのものは無効とされなかったため、今回ご紹介のような混貼使用例が生まれることになりました。

 なお、2001年、地域の情勢が安定したことを受けて、ケニア、タンザニア、ウガンダの3か国は東アフリカ共同体を再結成。2005年には関税同盟が発足するとともに、2007年以降は加盟国を拡大し、現在は原加盟3国にルワンダ、ブルンジディ、南スーダンを加えた6国体制となっています。

 さて、『世界の切手コレクション』10月24日号の「世界の国々」では、KUTの歴史についての長文コラムのほか、サファリラリー、ウガンダ鉄道、マケレレ大学、タンザニア独立の父ジュリウス・ニエレレ、東京五輪の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のKUTの次は、11月7日発売の同14日号でのメキシコ、同14日発売の同21日号でのブルガリア、同21日発売の同28日号でのスリランカの特集となっています。これらについては、順次、このブログでもご紹介する予定です。


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 カルロス・ゴーン容疑者逮捕
2018-11-20 Tue 10:03
 東京地検特捜部は、きのう(19日)、日産自動車の代表取締役会長カルロス・ゴーン容疑者と同社代表取締役グレッグ・ケリー容疑者(以下、呼称など略)を金融商品取引法違反の容疑(有価証券報告書の虚偽記載:会長の報酬を約50億円少なく有価証券報告書に記載した疑い)で逮捕しました。この件については、今後いろいろ詳しいことがわかってくるのでしょうが、きょうのところはとりあえず、こんな切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      フランス・サンテグジュペリ(1947)

 これは、1947年にフランスが発行した航空切手で、『星の王子さま』で知られるサンテグジュペリの肖像が取り上げられています。今回逮捕されたゴーンについては、Mr.ビーンで知られる俳優のローワン・アトキンソンが“そっくりさん”同士として知られていますが、サンテグジュペリともよく似ています。ご参考までに、下に、ゴーンの顔写真も貼っておきましょう。

      カルロス・ゴーン

 さて、今回ご紹介の切手に取り上げられたアントワーヌ・マリー・ジャン=バティスト・ロジェ・ド・サン=テグジュペリは、1900年、フランス・リヨンの伯爵の子として生まれました。イエズス会のノートルダム・ド・サント・クロワ学院を経て、スイスのフリブールにある聖ヨハネ学院では文学に熱中。その後、志願して陸軍飛行連隊に入って軍の操縦士となり、陸軍予備役少尉として退役後、民間航空界に入りました。

 1926年から本格的な作家活動を開始し、1929年、恋愛小説として『南方郵便機』を発表。この作品は、専門家の間ではあまり高い評価を得られませんでしたが、1931年に発表した『夜間飛行』がベストセラーとなり、作家としての地位を確立しました。

 1935年、フランス-インドシナ間最短時間飛行記録に挑戦するも機体トラブルでサハラ砂漠に不時着。一時は絶望視されるも3日後に徒歩でカイロに生還するという体験をしました。彼の代表作とされる『星の王子様』はこの時の体験が元になっています。

 1939年9月4日、第二次世界大戦で召集され、トゥールーズで飛行教官となりますが、前線への転属を希望し、同年11月9日、オルコントに駐屯する偵察隊(II/33 部隊)に配属。翌1940年6月、ヴィシー政権がドイツと講和すると、フランス本土へ戻った後、同年末、リスボン経由で米国に亡命しました。

 亡命後は、1943年4月、代表作の『星の王子さま』をニューヨークのレイナル&ヒッチコック社から英訳版 The Little Prince として刊行(フランス語原文版の Le Petit Prince は、没後の1945年11月、ガリマール社から出版)するとともに、自由フランス軍の航空部隊に志願し、同年6月、北アフリカ戦線で原隊の II/33 部隊(偵察飛行隊)に着任しました。しかし、着陸失敗による機体破損事故を起こし、1943年8月に飛行禁止処分(事実上の除隊処分)となります。

 その後、パイロットとしてII/33部隊に戻ったものの、1944年7月31日、フランス内陸部グルノーブル、シャンベリー、アヌシーを写真偵察のため、ロッキード F-5Bでボルゴ飛行場から単機で出撃後、地中海上空で行方不明となりました。

 その行方は永らく不明とされていましたが、1998年9月7日、マルセイユ沖のリュウ島近くの海域で、サンテグジュペリの名と、妻コンスエロの名、連絡先ニューヨークのレイナル&ヒッチコックの名と所在地が刻まれた、ブレスレットとみられる銀製品がトロール船によって発見。これを機に広範囲な探索が行われた結果、2000年5月24日、1950年代から地元ダイバーによって存在が報告されていたF-5Bの残骸がサンテグジュペリの搭乗機であることが確認されました。

 ちなみに、『星の王子さま』といえば、「いちばんたいせつなことは、目に見えない」というキツネの言葉が有名ですが、なるほど、ゴーンの場合は、虚偽記載で世間の“目に見えない”ようにした50億円が“いちばんたいせつ”だったということなんでしょうな。


★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
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