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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 仁徳天皇陵、世界遺産へ
2019-05-15 Wed 03:20
 文化庁は、昨日(14日)、仁徳天皇陵とされる大仙陵古墳を含む“百舌鳥・古市古墳群”について、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関である国際記念物遺跡会議(イコモス)が世界文化遺産に登録するよう勧告したと発表しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。

      仁徳天皇絵葉書

 これは、仁徳天皇の“民のかまど”を題材にした絵葉書で、支那字入りの菊切手が貼られ、天津日本局の消印が押されています。裏面にはシベリア経由フランス宛の住所が記されていますが、貼られている切手の料金からして、実際には郵送されていないのではないかと思います。

 仁徳天皇は、応神天皇の第4皇子で、母親は仲姫命です。応神天皇の崩御後、菟道稚郎子皇子と互いに皇位を譲り合い、皇子が薨去した後、第16代天皇として即位しました。

 難波に都を定めた天皇は、人家の竈から炊煙が立ち上っていないことに気づいて3年間、租税の徴収を3年間停止。このため、宮殿は荒廃し、天皇も雨漏りのする陋屋で過ごしています。その後、3年を経過して人家の竈から煙が立ち上るようになると、天皇も「百姓富めるは則ち朕が富めるなり」と喜びましたが、それでもなお慎重を期して、更に3年、租税の免除を続けてから、ようやく宮殿の修理に取り掛かったため、その慈悲に感激した人々は挙って宮殿の工事に集まったとされています。

 これが“民のかまど”の逸話で、『新古今和歌集』には、天皇の遺徳を偲ぶ「高き屋に登りて見れば煙立つ民のかまどはにぎはひにけり」の歌が収められています。今回ご紹介の葉書でも、左上にその歌が印刷されているのですが、歌を覆い隠すように切手が貼られているのは、葉書の持ち主だったのが外国人で日本語が読めなかったためなのでしょう。

 なお、『日本書紀』によると、仁徳天皇の業績としては、上述の“民のかまど”のほか、難波の堀江の開削と茨田堤の築造、.山背の栗隈県の灌漑、茨田屯倉の設立、和珥池と横野堤の築造等が挙げられています。


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 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

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 フジャイラ沖でサウジ船に“妨害攻撃”
2019-05-14 Tue 02:20
 サウジアラビアのファリハ・エネルギー産業鉱物資源相は、きのう(13日)、アラブ首長国連邦(UAE)・フジャイラ沖のオマーン湾で12日にサウジ船籍の石油タンカー2隻が「妨害攻撃」を受けたと発表しました。というわけで、きょうは気の切手です、(画像はクリックで拡大されます)

      フジャイラ・エッセ(1963)

 これは、UAE結成以前のフジャイラで、独自の切手発行に先立ち、1963年に作られた試作品で、当時の首長、ムハンマド・ビン・ハミド・シャキーと鷹が描かれています。

 フジャイラはUAEを構成する7首長国のうち、ペルシァ湾に面していない唯一の国で、その海岸線はすべてオマーン湾側にあります。面積は1166平方キロ、2009年の人口は15万2000人の小国です。

 現在のフジャイラに相当する地域は1850年まではマスカトのスルターンの支配下に置かれていましたが、1850年、マスカトのスルターンとシャルジャのカーシミー家との協定により、シャルジャに譲渡されました。その後、1901年に現在のフジャイラ首長家であるシャルキー家が独立を宣言。しかし、当時はシャルジャがいわゆる休戦協定により英国の保護下に置かれていたため、シャルキー家の独立宣言は対外的にはほぼ無視されていました。英国がフジャイラをシャルジャとは別の首長国として正式に認証したのは1952年のことです。

 郵便に関しては、1963年11月22日に首府のフジャイラ市に郵便局が開局し、これにあわせて切手の発行がけいかくされたものの、実際に最初の切手が発行されたのは、1964年9月のことでした。今回ご紹介のマテリアルは、その過程で準備されたものです。

 フジャイラの地では石油の産出はありませんが、域内のハジャル山脈にはクロム、銅、鉄、ウランなどの豊かな鉱脈があるものと推定されています。また、油田地帯のアブダビとパイプラインで結ばれているため、フジャイラ市北部のフジャイラ港はホルムズ海峡を迂回する原油の輸出基地となっているほか、港外ではホルムズ海峡を通りアラビア湾に入るための多くの石油タンカーが錨泊し、補給を行っています。ちなみに、2001年、インド洋に派遣された日本の自衛隊も、フジャイラを補給基地として利用しました。

 さて、今回の“妨害攻撃”ですが、サウジ側の発表によると、攻撃を受けた船のうちの1隻は、ペルシャ湾に面するサウジ東部ラスタヌラで原油を積載し、米国内の顧客向けに引き渡す予定だったとのことで、死傷者や原油流出はなかったが、船舶が激しく損壊したそうです。また、UAEメディアは、攻撃された対象は計4隻だったと報じていますが、いずれも、いかなる組織が攻撃を行ったかは明らかにされていません。

 時あたかも、13日には、米国のB52爆撃機がカタールの基地に到着したほか、原子力空母エーブラハム・リンカーンを中心とする空母打撃群がスエズ運河を経由して中東に到着。イラン外務省も、米国やサウジ、UAEを念頭に“地域を不安定化させる試み”への警戒感を表明するなど、ペルシャ湾周辺で米とイランの軍事的緊張が高まっています。


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 グワーダルでテロ
2019-05-13 Mon 03:17
 パキスタン南西部、バローチスターン州のグワーダルで、おととい(11日)、中国の進出に抗議する現地の独立派の“バルーチスターン解放軍(BLA)”が中国人宿泊客が多い高級ホテル“パールコンチネンタルホテル”を襲撃し、少なくともホテル従業員や軍兵士ら5人が死亡、6人が負傷するテロ事件が発生。これに対して、パキスタンの治安部隊はきのう(12日)昼ごろまでに実行犯を殺害し鎮圧しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      パキスタン・グワーダル港

 これは、2010年にパキスタンが発行した“グワーダル港”の切手です。

 グワーダルは、パキスタン南西部のアラビア海に面した港町で、1797年、対岸のオマーンの飛地領土となりましたが、1876年以降、周辺の藩王国が、さらに、1891年にはオマーンが英国の保護国となったため、英領インド帝国の一部に編入されました。

 その後、英領インド帝国が解体され、パキスタンが独立すると、グワーダルはオマーン領に復しましたが、1958年、300万ポンドでパキスタンに売却されました。

 ところで、グワーダルのあるバローチスターン州の人口は約800万人ですが、州内の主要言語は、バローチ語、パシュトー語、ブラーフイー語、ペルシア語で、パキスタンの公用語であるウルドゥ語ではありません。また、歴史的にはオマーンとの関係も深かったことから、BLAの他にも、バルチスタン解放戦線(BLF)、バルチスタン共和国軍(BRA)など、パキスタンからの分離独立運動を目指す武装組織が活動していました。このため、ソ連軍によるアフガニスタン侵攻時には、ムジャーヒディーンを支援するパキスタン政府に対抗すべく、ソ連がBLAを援助していたため、パキスタン政府とBLAとの対立は次第に先鋭化していきます。

 こうした背景の下、パキスタン政府は、1998年5月、バローチスターン州内のチャガイ地区で核実験を敢行。さらに、パキスタン政府は、パキスタンを縦断するインフラ整備事業“中国パキスタン経済回廊(CPEC))”を容認し、2013年1月30日には、一帯一路構想を進める中国に対して、パキスタン政府はグワーダル港の運営権を中国企業に譲渡しています。

 当然のことながら、BLAをはじめとするバローチスターン分離独立派は、地元住民の意向を無視してグワーダルを中国に差し出した中央政府と、“侵略者”である中国への憎悪を募らせ、2018年11月には、カラチの中国総領事館が武装組織を襲撃。このときは、パキスタン人警察官2人と巻き添えとなった市民2人の計4人が亡くなりました。

 今回の事件もその延長線上で発生したもので、中国との“全天候型友好”を志向してきたパキスタン政府としては、中国関連施設を守る専従部隊を新設するなどして警戒を強めているものの、食い止め切れていないのが実情です。 


 * 昨日(12日)のSchooの内藤の講座「今さら聞けないチェ・ゲバラ」のライブ配信は、無事、終了いたしました。ご視聴いただいた皆様、運営スタッフの皆様には、この場をお借りして、お礼申し上げます。


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 母の日
2019-05-12 Sun 02:11
 きょう(12日)は“母の日”です。というわけで、毎年恒例、母と子を題材とした切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・革命50年(社会保障制度)

 これは、2009年にキューバが発行した革命50周年の記念切手のうち、“社会保障制度(の充実)”を取り上げた1枚で、左側に老夫婦、右側に母と子を組み合わせたデザインとなっています。

 1959年の革命以前、キューバでは男性優位主義の“マチスモ”の風潮がきわめて強く、育児は女性が行うのが当然という考え方が支配的でした。このため、1955年の時点で、女性の労働力化率は13%にとどまっていました。

 しかし、革命後、海外に流出した労働力の不足を補う必要に迫られたカストロ政権は、女性を労働力として確保すべく、女性が家の外で働くことを奨励。その一環として、1963年には、有給での12週間の育児休業を女性に提供する産休法が採択されました。同法は、その後何度かの改正を経て、2003年の法改正後の現行制度では、妊娠した女性は、職場復帰するまで、出産前6週、出産後12週の計18週の完全有給での育児休業の権利が保障されているほか、さらに40週の育児休業(その場合は、給与の60%が支給)が認められています。こうしたこともあって、15-55歳の女性の労働化率は1996年には42.1%に、2002年には55%にまで上昇しました。今回ご紹介の切手は、そうした“革命の成果”を強調するために発行されたものです。

 なお、革命後のキューバ国民の生活については、プラス・マイナスの両面をあわせて、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


★★ 今さら聞けないチェ・ゲバラ ★★

   今さら聞けない

 5月12日(日) 21:00~  『チェ・ゲバラとキューバ革命』の著者、内藤陽介が、Schooに登場し、ゲバラについてお話しします。(ライブ配信は無料でご視聴頂けます)

 誰もが一度は見たことがある、彼の肖像。
 革命家である彼は、どんな生涯を送ったのでしょうか。
 切手や郵便物から彼の足跡を辿ります。

 詳細はこちらをご覧ください。

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 ノモンハン事件80年
2019-05-11 Sat 01:46
 1939年5月11日にノモンハン事件が起こってから、きょうで80年です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      モンゴル・ハルヒンゴル勝利30周年

 これは、1969年にモンゴルが発行した“ハルヒンゴル戦争(ノモンハン事件のモンゴル側の呼称)勝利30年”の記念切手です。

 1932年3月に建国を宣言した満洲国の西部からモンゴルの支配地域にあたる外蒙古地区、それに1939年当時は日本軍の占領下にあった内蒙古地区にかけての一帯は、もともと、モンゴル人が遊牧生活を営む草原地帯でした。遊牧民の常として、モンゴル人は家畜を連れて自由に移動したため、無意識のうちに国境侵犯を繰り返しており、国境線は非常に曖昧でした。

 このため、満洲国の建国以前、ソ連とモンゴルがハルハ河流域の国境を河より30kmほど東側に設定していたのに対して、中国側はハルハ河の中心線を国境とし、満洲国も中国側の主張を踏襲していました。

 1939年5月11日、関東軍の第23師団はハルハ河流域で「モンゴル兵の“越境”を認めた」という理由で、モンゴル軍の撃退に向かい、いわゆるノモンハン事件が勃発します。

 これに対して、ソ連はモンゴルとの相互援助条約に基づいて出兵。当初の1月ほど、戦闘は散発的なものでしたが、6月27日、日本軍が百機を越える航空機でモンゴル領内に侵入し、タムツァク・ブラクのソ連空軍基地を爆撃。さらに、7月2日、地上部隊がハルハ河を越えてモンゴル領内に進出すると、ソ連・モンゴル連合軍と関東軍の間で熾烈な戦闘が展開されました。

 日本側は、前年の張鼓峰事件の雪辱を果たすべく、第23機甲師団を動員してソ進軍守備部隊を攻撃したものの、最終的には、ソ連軍の戦車部隊によって大きな損害を被っています。なお、一連の戦闘では、ソ連側の損耗もかなり激しかったのですが、そうした実態はソ連崩壊まで厳重に秘匿されていたため、ながらく、ノモンハン事件は日本側の一方的な大敗との評価が一般的でした。

 結局、8月に入って、独ソ不可侵条約が締結されて日独がソ連を挟み撃ちにするプランが無効となったことに加え、9月1日には第二次欧州大戦が勃発したこともあり、9月16日、日ソ間で停戦協定が成立しました。

 その後、1940年6月、再度、日ソ間でソ連・モンゴル・満洲国の国境問題が協議された際、欧州と極東での二正面作戦を回避する必要に迫られたソ連は、モンゴルの国境問題で日本に譲歩。モンゴル側が“固有の領土”と主張していたモンゴル南部のアルシャン地区は、満洲国に編入されてしまいます。ソ連とともにに日本軍と戦ったはずのモンゴルは、皮肉にも、ソ連の衛星国として、ソ連の利益を優先するため、ハルヒンゴル戦争の“勝者”でありながら、日ソ間の国交調整の代償として本来の領土の一部を失うという皮肉な結果となりました。

 * 昨日(10日)の文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」の僕の出番は、無事、終了いたしました。お聞きいただきました皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。なお、次回の出演は6月下旬の予定(仮)です。放送日が近づきましたら、また、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。


★★ 今さら聞けないチェ・ゲバラ ★★

   今さら聞けない

 5月12日(日) 21:00~  『チェ・ゲバラとキューバ革命』の著者、内藤陽介が、Schooに登場し、ゲバラについてお話しします。(ライブ配信は無料でご視聴頂けます)

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 切手に見るソウルと韓国:朝鮮半島の元号
2019-05-10 Fri 01:10
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』4月19日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、平成から令和への御代がわりにあわせて、朝鮮半島で使われた元号についてご説明しましたが、その記事の中から、きょうはこの1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      朝鮮・建陽元年

 これは、“建陽元年”の漢城(ソウル)の消印が押された朝鮮王朝(李氏朝鮮)時代の切手です。

 朝鮮半島の独自の元号としては、西暦391年、高句麗の広開土王が独自の年号として“永楽”を用いたのが最初とされています。

 その後も三国時代の高句麗や新羅ではいくつかの独自年号が使われましたが、新羅では統一王朝となる直前の650年以降、唐の“永徽”が導入され、その後は中国の年号が使用されました。

 918年に建国した高麗は、933年まで“天授”の年号を用いましたが、その後は、中国の年号を採用。950-51年に独自の元号として“光徳”としたものの、その後は再び、滅亡まで中国の年号を使用しています。

 1392年に建国された朝鮮王朝(李氏朝鮮)は、当初から明の冊封体制に組み込まれていたため、明の年号をそのまま用いていました。その後、清に服属するようになると、公式には清の年号が用いられましたが、国内の文書では、“夷狄”の清に対する反感と自らを“小中華”とするプライドから、干支と国王の在位紀年(例:世宗X年のような紀念法)が用いられたほか、明の最後の元号である“崇禎”も使われていました。

 これとは別に、おそらく19世紀半ばごろから、朝鮮王朝が建国された1392年を紀元とする“開国”の年号も使われています。開国年号の期限は定かではありませんが、1876年に調印された日朝修好条規には「大朝鮮國開國四百八十五年丙子二月初二日」の日付が記されているほか、1883年10月31日創刊の『漢城旬報』にも「朝鮮開國四百九十二年」の用例があります。なお、甲午改革の一環として開国年号が公式に採用されるのは、日清戦争開戦後まもない1894年7月27日のことでした。

 朝鮮の近代郵便事業は1884年にいったん創業されるものの、甲申事変により半月ほどで途絶しましたが、1895年、甲午改革の一環として再開され、“大朝鮮XX年”との表記で開国年号が使用されました。

 日清戦争の結果、下関条約により朝鮮が清朝の冊封体制から脱して独立国になると、これに伴い暦法も改められ、太陰太陽暦(太陰暦をベースに閏月を入れて季節を調節する暦)での開国504年11月17日(=1896年1月1日)をもってグレゴリオ暦を採用するとともに、新元号“建陽”を立てて、この日を建陽元年1月1日としました。

 建陽という語は、朝鮮半島では、(旧暦)新年に門扉に貼られるお札、立春帖に書かれる「立春大吉 建陽多慶」の文言で広く知られるもので、直訳すると「春を迎えた暖かい気運で、慶事多かれ」という意味ですが、新時代の到来を寿ぐ意味を込めて元号として採用されたものと思われます。

 ところで、建陽の元号が立てられた時点では、国号は朝鮮のままでしたが、宮廷ではもはや清の藩属国でなくなった以上、冊封体制下の地方君主の称号である“国王”号を使用することは望ましくないという儒者の建言に従い、1897年10月12日、国号が朝鮮から“大韓”に変更され、翌13日、国王・高宗は皇帝として改めて即位します。その過程で、同年8月14日をもって、元号も建陽から光武に改元されました。

 その後、光武年号は高宗の在位期間は使われていましたが、1907年6月、いわゆるハーグ密使事件が起きたことで、同年7月20日、皇帝が退位に追い込まれると、8月2日、“隆熙”に改元されます。しかし、すでに1905年7月1日をもって、大韓帝国の郵便事業は日本に接収され、日本の郵便局が朝鮮内の郵便を取り扱い、郵便物の消印も日本の明治年号が入ったものが使われていました。ただし、大韓帝国最後の皇帝、純宗の即位を記念して使用された記念印には、例外的に、「明治40年8月27日」とともに「隆熈元年陰暦7月19日」の表記があります。

 * 当初の記事では、「隆熙年号の消印は存在しない」と書いていましたが、ありがたや商事さんからコメント欄にあるようなご指摘を頂きました。読者の皆様にはお詫びして本文を修正するとともに、ありがたや商事さんにはこの場をお借りしてお礼申し上げます。


★★ 5月10日(金) 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★★

 5月10日(金)05:00~  文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★ 今さら聞けないチェ・ゲバラ ★★

   今さら聞けない

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 大祖国戦争勝利記念日
2019-05-09 Thu 01:14
 きょう(9日)は、ロシアなどでは大祖国戦争(ロシアなど旧ソ連諸国での第二次欧州大戦の呼称)の戦勝記念日です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アウシュヴィッツ宛・戦後返戻便

 これは、第二次大戦後の1946年2月7日、英軍占領地区のビュッケンから、旧アウシュヴィッツ収容所跡に設置されたソ連軍の収容所に抑留されていたドイツ軍の捕虜宛に差し出されたものの、差出人戻しとなった葉書です。

 1945年1月27日、ソ連軍がアウシュヴィッツ強制収容所を解放すると、同年2月初、旧第1収容所のブロック14、21、22にポーランド赤十字社が病院を開設。ジョゼフ・ベラート率いる30人の医療チームがクラクフから派遣され、ビルケナウの旧第2収容所、モノヴィッツの旧第3収容所から集められた元収容者たちの治療に当たっていました。

 その後、1945年5月(西ヨーロッパ夏時間では8日午後11時15分、モスクワ時間では9日午前2時15分)のドイツ降伏を経て、同年6月、ソ連軍は旧アウシュヴィッツ収容所を接収し、ドイツ人捕虜のための収容所としました。スターリン政権下で刑事警察、秘密警察、国境警察、諜報機関を統括していた内務人民委員部(NKVD)は、1947年まで、ここにドイツ人捕虜を抑留しています。

 今回ご紹介の葉書は、そうした旧アウシュヴィッツ収容所跡に抑留されていたドイツ人捕虜宛に差し出されたものです。ただし、ソ連軍の捕虜・抑留者との通信には、専用の往復はがきを使うことが義務付けられていたため、この葉書はその規則に違反するものとして“Zurück an absender Nur Antwortkarten der Amtlichen Doppelkarte zugelassen(差出人戻し 当局支給の往復はがき以外は認められていません)”との事情説明の印を押して差出人に返送されています。

 さて、2015年に刊行した拙著『アウシュヴィッツの手紙』ですが、おかげさまで在庫がほぼなくなりつつあります。また、同書の刊行以降、 Postal History o Auschwitz 1939-1945 と題するコレクションを、2017年のブラジリア2018年のエルサレムと2度の国際切手展に出品し、マテリアルもかなり充実してきました。そこで、2015年の拙著の増補改訂版を作ることになりました。詳細につきましては、随時、このブログでもご案内していきますので、よろしくお願いいたします。
 

★★ 5月10日(金) 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★★

 5月10日(金)05:00~  文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 カメ密輸で日本人に実刑
2019-05-08 Wed 02:05
 香港の裁判所は、きのう(7日)、沖縄県だけに生息する希少種で、ワシントン条約で取引が規制されているリュウキュウヤマガメを密輸したとして、日本人の平口直紀被告に禁錮1年の実刑判決を言い渡しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄・リュウキュウヤマガメ

 これは、1966年4月20日、米施政権下の沖縄で発行されたリュウキュウヤマガメの切手です。

 リュウキュウヤマガメはカメ目潜頚亜目イシガメ科オナガヤマガメ属に分類されるカメで、日本の固有種。沖縄本島北部、渡嘉敷島久米島に生息し、淡水棲ですが、ほとんど水の中に入ることがなく、沖縄本島北部の与那覇岳などの水の流れに近い林の中でミミズや地中に棲む虫、植物の芽などを食して生活しています。甲羅の背には三条の狭い縦突起があり、周縁はのこぎり歯状です。色は甲羅の背が褐色、縦突起が暗褐色、腹面は黒、腹甲の縁は黄色です。沖縄ではヤンバルガメとも呼ばれ、本土復帰後の1975年には国の天然記念物にも指定されました。

 しかし、天然記念物として法的に捕獲が禁止された後も、海外や各種オークションではリュウキュウヤマガメの違法な取引が横行していたことから、2013年3月、タイで開かれたワシントン条約締約国会議で、日本の提案により、国際的な商取引が規制されました。

 今回、実刑判決を受けた平口被告は、昨年(2018年)10月、日本から香港国際空港に到着した際、手荷物の中にリュウキュウヤマガメ60匹を隠し持っていたところを摘発されました。裁判の過程で、弁護側は「沖縄の友人に頼まれて運んだだけ」としていましたが、平口被告は、2015年2月にも、別の日本人とともに、タイのスワンナプーム国際空港からカメやヘビなどの動物100匹以上を無許可で日本へ持ち出そうとした疑いで逮捕された前歴もあることから、裁判所は「持ち込まれたカメの数は多く、商業目的で悪質」と判断。今回の判決となりました。

 香港は世界各地から中国に密輸されるカメの中継地となっていますが、2000年以前の密輸が主として食用目的だったのに対して、近年は観賞用の密輸が増えているのだとか。ちなみに、判決によると、今回摘発されたカメは、1匹あたり約12-56万円の価値があるそうです。


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 エビータ生誕100年
2019-05-07 Tue 01:24
 1919年5月7日に、エビータことエバ・ペロンが生まれて、きょうでちょうど100周年です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      エビータ没後60年

 これは、2012年にアルゼンチンが発行した“エビータ没後60周年記念”の切手シートで、切手部分にはラジオで国民に訴えるエビータが、シート下部の余白には人々に囲まれるエビータが取り上げられています。

 マリア・エバ・ドゥアルテは、1919年5月7日、アルゼンチンの貧しい農村、ロス・トルドスで生まれました。

 15歳で家出をしてブエノス・アイレスに出た彼女は、“女性”を武器に、職を転々としながらステップアップを重ね、次第にラジオ・ドラマの声優や映画女優として活動するようになります。

 1943年、陸軍次官のフアン・ドミンゴ・ペロン大佐と出会い、恋愛関係となった彼女は、ペロンの庇護を受けつつ、自分のラジオ番組でペロンの民衆向け政治宣伝を行い、次第に、政治にかかわっていきました。

 1943年10月、ペロンは国家労働局次長に就任。労働局が労働福祉庁に改組されるとペロンは同庁初代長官に任命され、労働法の制定や国家主導の労使協調政策を進める一方、共産党系の労働運動は厳しく弾圧するなど、労働政策に辣腕をふるいます。そして、1944年のクーデターによりエデルミロ・ファーレルが大統領に就任すると、ペロンは陸軍大臣と副大統領に任じられました。

 第二次大戦中のアルゼンチンは枢軸国寄りの中立の立場を取っており、ペロンがその中軸を担っていました。このため、米国は大使召還や経済制裁の発動などで揺さぶりをかけたものの、ペロンは屈しませんでした。この結果、ペロンは外圧に抵抗する国家主義者として国民の人気を集め、彼の主義主張は“ペロン主義”と呼ばれ、その支持者は“ペロニスタ(ペロン主義者)”と呼ばれるようになります。

 大戦の終結後まもない1945年10月、米国の支援を受けたエドゥアルド・アバロスによる軍事クーデターが発生。ペロンは軍事裁判で有罪判決を受けて収監されます。これに対して、ペロン支持の労働組合はこれに抗議してゼネストを決行。さらに、大統領府前の五月広場にはペロンの釈放を求めて労働者が大挙押し寄せ、エビータもラジオでペロンの釈放を訴えたことなどにより、クーデターは数日間で失敗しました。そして、10月21日に釈放されたペロンは、同月26日にエビータと結婚し、翌1946年の大統領選挙で当選を果たしました。

 大統領夫人となったエビータは、夫の支持を受けて、与党・正義党への支持を拡大すべく、党の婦人部門を組織したうえで女性参政権の導入に尽力します。また、慈善団体エバ・ペロン財団を設立し、ミシン、毛布、食糧の配布など、貧困者の優遇政策に務め、労働者階級の絶大な支持を受けました。

 ただし、選挙を経ず、また、正規の閣僚にも任命されたわけでもない“大統領夫人”が政治に関与していたことに批判的な国民が少なからずいたことも事実です。当時、ブエノスアイレス大学医学部の学生だったエルネスト・ゲバラもまた、その一人でした。

 エビータの人気に期待をかけたペロンは、1951年、彼女に副大統領の地位を与えようとしましたが、その直後、彼女が子宮ガンに侵されていることが判明して断念。1952年7月26日、33歳の若さで亡くなりました。

 ブエノス・アイレスで行われた彼女の葬儀には数十万の市民が参列。現在でもアルゼンチン国民の間では彼女の人気は高く、その波乱の生涯を題材としたミュージカル『エビータ』は世界的な大ヒットとなり、1996年にマドンナの主演で制作された同名の映画も世界中で高い評価を受けたのは周知のとおりです。

 なお、エビータとその時代のアルゼンチンについては、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも、若きゲバラの歴史的背景の一部として相応のページを割いてご説明しております。機会がありましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。


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 世界の切手:コロンビア
2019-05-06 Mon 01:30
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2019年3月20日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はコロンビア(と一部パラグアイ)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      コロンビア・ガイタン(1959)

 これは、1959年にコロンビアが発行したホルヘ・エリエセル・ガイタンの切手です。

 他のラテンアメリカ諸国同様、20世紀初頭のコロンビアも米国資本を中心にごく少数の大地主が農地の大半を独占し、多くの農民は小作人として貧しい生活を強いられていました。

 こうした状況の下、1934年、コロンビアの大統領に就任した自由党のアルフォンソ・ロペス・プマレホは、(かなり限定的ではあるものの)一定の土地改革を行い、国民の支持を得ましたが、保守派と米国は自由党政権を“容共的”として反発します。

 当時のコロンビア憲法では大統領の連続再選が禁止されていたため、大統領は1938年にいったんエドゥアルド・サントス・モンテホに交代しましたが、自由党の政権は維持され、1942年、プマレホが政権に復帰。第2期プマレホ政権は1945年まで続きましたが、政策の行き詰まりから1945年8月に退陣し、同じく自由党のアルベルト・ジェラス・カマルゴがプマレホの残りの人気の1946年まで大統領の職務を代行しました。

 こうした状況の下で1946年5月に行われた総選挙では、自由党が元駐米大使のガブリエル・トゥルバイの右派と、元ボゴタ市長にして自由党政権下で文相、労相を務めたホルヘ・エリエセル・ガイタンの自由党左派に分裂したことに加え、左派勢力伸長を懸念した保守党右派や地主・軍部が一致して保守党穏健派のマリアーノ・オスピナ・ペレスを支援したことから、16年ぶりに保守党政権が復活します。

 保守党政権の復活を受けて、自由党政権時代の農地改革で土地を失った保守系大地主は民兵組織の“コントラチェスマ(窮民制圧隊)”を結成し、自由党系農民への迫害と虐殺を開始。1946年夏以降、地主の暴力を逃れた農民たちが土地部に流入し、首都ボゴタには3万もの難民が殺到しました。

 こうした中で、ガイタンは、1948年2月、ボゴタで20万人の市民を集めて平和のためのデモを行ない、「我々はただ生命と生活を保証してもらいたいとだけ望んでいるのだ」と演説。さらに、翌3月、10万人の“沈黙の行進”を組織して、警察の暴力に抗議し、「平和を求める演説」を行ないました。

 保守党政権とガイタン派の対立で世情が騒然とする中で、1948年4月、ボゴタで第9回米州会議が開催されましたが、同会議の開催中、次期大統領選挙での当選が確実視されていたガイタンが暗殺されました。

 ガイタンの死を契機として、ボゴタでは大暴動(ボゴタソ)が発生。さらに暴動はオンダ、カルタゴ、バランカベルメハ、トゥルボにも波及し、バランキージャでは知事庁舎が暴徒に占拠されます。4月11日には政府と自由党の間で合意が成立し、自由党が武装解除に応じたことで、事態は一挙に沈静化の方向に向かったものの、保守党政権は暴動を徹底的に弾圧し、その過程で、ボゴタでは136軒の建物が全焼し、市民ら約2000人が死亡。さらに、その後の1週間で“叛乱側”と見なされた市民約5000人が虐殺され、コロンビアは1957年まで続く“ラ・ビオレンシア(暴力の時代)”に突入していきます。

 ちなみに、ガイタン暗殺の日にボゴタに居合わせたフィデル・カストロは、ボゴタソの混乱の中、警察署でライフルとサーベルを奪い、警察官の制服と帽子を身に着けて街に飛び出し、暴動に加わった警察官とともに市民の先頭に立って政府軍と対峙しています。その後、カストロはアルゼンチン大使館とキューバ大使館の援助で辛くもボゴタを脱出し、ハバナに戻りましたが、この時の経験から、自然発生的に市民の暴動が発生しても、誰かがそれを統御しない限り、結局、権力を打倒する革命へと昇華することはないことを感得。“革命家”へと飛躍する大きな契機となりました。このあたりの事情については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。

 さて、『世界の切手コレクション』3月20日号の「世界の国々」では、ラ・ビオレンシアにいたるコロンビア現代史についてまとめた長文コラムのほか、サンタマリア闘牛場、コーヒー、朝鮮戦争参加のコロンビア軍の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のコロンビア(と一部パラグアイ)の次は、4月10日発売の同17日号でのブルガリア、4月24日発売の5月1日号でのパラオ(と一部カンボジア)、5月1日発売の同8日号でのエスワティニ(と一部ギニアビサウ)の特集となっています。これらについては、順次、このブログでもご紹介する予定です。


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