内藤陽介 Yosuke NAITO
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 豊見城でのAKB 開票イベント中止
2017-06-16 Fri 18:05
 AKB48は、きょう(16日)、あす17日に沖縄・豊崎海浜公園豊崎美らSUNビーチで開催予定だった“第9回AKB48選抜総選挙”開票イベントおよびAKB48グループコンサートを中止することを発表しました。梅雨前線の停滞の影響で、沖縄本島で記録的な豪雨が続いており、あすの現地の天気も「昼前から夕方 雷を伴い激しく降る」で降水確率80%、雷注意報が発表される可能性が高いため、安全を最優先にした結果だそうです。というわけで、会場に予定されていた豊崎美らSUNビーチにちなんで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄・ハーリー

 これは、1969年9月5日、米施政権下の沖縄で発行された民俗行事シリーズの“ハーリー(爬龍)”の切手です。

 ハーリーは、いまから約600年前、南山王国(現在の糸満市を中心に沖縄県島尻郡南部に存在した王国。山南王国とも)の王子で、明の南京国子監に留学した汪応祖(後の第3代南山王。在位は1403?-13)が、留学中に見た龍船を模した船、爬龍船を作らせ、5月初、城下の饒波川河口(漫湖)に浮かべ、競わせたのが始まりとされています。また、豊見城で最初に作られた龍船は、そのころ、中国・福建省から渡来した久米(閩人36姓)がつくったとの説もあります。

 中華世界では、旧暦5月5日の端午節にはドラゴンボートの競漕行事(祭事)が行われますが、これは、端午節に入水自殺した屈原を助けようとした漁民がドラゴンボートを使ったという伝承があるためです。これに対して、ハーリーは、旧暦5月4日、航海の安全や豊漁を祈願する神事として豊見城で始まり、そこから沖縄各地、さらには徳之島などへも拡大していきました。

 現在でも、ハーリーには神事としての側面が残っているため、ハーリーの開催に先立ち、毎年4月下旬から5月上旬にかけて、ハーリー発祥の地、豊見城の豊見瀬嶽(御嶽)で、那覇ハーリーと豊見城ハーリーの成功と五穀豊穣を祈願し、祈祷と供物、ハーリー歌や空手を奉納する古式行事が行われています。

 その一方で、現在のハーリーには競漕競技および観光イベントとしての側面もあるため、大会そのものは必ずしも旧暦5月4日にはこだわらず、4-5月のゴールデンウィークや祝祭日、夏休み期間中の日曜日などに行う地域もめずらしくありません。じっさい、ハーリー発祥の地とされる豊見城の今年のハーリー大会は、7月16日、今回のAKB48 のイベント会場となるはずだった豊崎海浜公園豊崎美らSUNビーチの北側で開催が予定されていますが、この日は旧暦では6月23日にあたります。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★ 

 6月15日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第4回目は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は6月29日(木)16:05~の予定ですので、引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、15日放送分につきましては、放送から1週間、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

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 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 切手でひも解く世界の歴史(4)
2017-06-15 Thu 08:05
 本日(15日)16:05から、NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第4回目が放送される予定です。(番組の詳細はこちらをご覧ください)。今回は、先日開幕したアスタナ万博にちなんで、こんな話をする予定です。(画像はクリックで拡大されます)

      カザフスタン・ナザルバエフ(2016)

 これは、2016年にカザフスタンで発行されたヌルスタン・ナザルバエフ大統領の切手シートで、シートの余白には黒川紀章のマスタープランに沿って建設が進む首都アスタナの景観が取り上げられています。その右下には、新首都のシンボルとして建設された塔“バイテレク(カザフ語で、遊牧民の伝説に登場する正名の木とされる「ポプラ」を意味します)”が見えますが、その高さ105mの展望台上るためのエレベーターは日本製です。 
 
 さて、切手に取り上げられたナザルバエフ大統領は、1940年7月6日生まれの現在76歳。1979年、ソ連時代のカザフ共産党中央委員会書記となり、1980年代、ペレストロイカを推進したゴルバチョフ政権下で中央アジアの代表として台頭しました。 1989年、カザフ共産党中央委員会第一書記に就任し、翌1990年4月にはカザフ・ソビエト共和国大統領に就任します。

 ソ連末期の1991年12月8日、ロシアのボリス・エリツィン大統領、ウクライナのレオニード・クラフチュク大統領、ベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチ最高会議議長がベラルーシのベロヴェーシの森で会談し、これら3国のソ連からの離脱とEUと同レベルの国家の共同体の創設が宣言されます。これを受けて、カザフスタンも12月16日に独立を宣言。12月21日には、カザフスタンの当時の首都、アルマ・アタでソ連を構成していた共和国の首脳が会談し、独立国家共同体(CIS)の創設が決定されました。これが、いわゆるアルマ・アタ協定です。

 こうして、ソ連が完全にその存在意義を失ったことを受け、12月25日、ソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領が辞職し、ソ連は消滅します。したがって、しばしば、カザフスタンはソ連崩壊後独立したと言われますが、実際には、カザフスタンなどが独立したことでソ連が崩壊したというのが正確なところです。

 カザフスタンの独立とともに、ナザルバエフは新国家の大統領に横滑りし、その後も、大統領として当選を重ねます。そして、2007年5月18日、カザフスタン議会はナザルバエフを終身大統領とする決議案を圧倒的賛成多数で可決しました。同日採択された憲法改正案で大統領任期を7年から5年に削減し3選は禁止するとの規定がありましたが、ナザルバエフは“独立国家カザフの創始者”として、その例外とされています。

 その後、2010年、大統領の任期を2020年まで延長するための国民投票実施を求める署名運動が行われ、カザフスタン議会も国民投票を可能にする憲法改正案を可決。実は、その背景には、ナザルバエフには反対しないが、重要な事柄について国民投票を可能にしてほしいとの暗黙の民主化要求があったのですが、大統領側はこれを逆手に取って任期延長提案を拒否。2011年に大統領選挙を行い、得票率95.5%で4選を果たしています。ちなみに、この時の大統領選挙の立候補者はナザルバエフ以外に3人いましたが、3人ともナザルバエフの2020年までの任期延長に賛成しており、そのうちの1人はナザルバエフに投票したそうです。

 こうしたこともあって、ナザルバエフ政権に対しては独裁批判も強いのですが、その一方で、ナザルバエフは「安定と経済発展」のスローガンの下、カザフスタン=中国石油パイプラインを建設するなど、潤沢な天然資源を積極的に輸出して急激な経済成長を実現。国民の生活水準は中央アジア随一となっています。

 日本との関係では、2008年に来日時して当時の福田康夫首相と会談し、原子力の平和的利用などエネルギー分野での二国間協力協定に調印したほか、2016年には核軍縮への取り組みが評価され、日本政府の招待を受けて、カザフスタンの大統領として初めて(といっても、歴史上、カザフスタンの大統領は彼しかいないのですが)広島・長崎を訪問。旧ソ連時代、セミパラチンスク核実験場で行われた核実験で延べ120万人が被曝し、現在なお健康被害に苦しんでいることを踏まえ、「日本とカザフスタンは核兵器の大被害を受けた意味では運命が似ている。」と記しています。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回 は15日! ★★★ 

 6月15日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第4回目が放送予定です。今回は、6月10日に開幕したばかりのアスタナ万博にちなんで、開催国のカザフスタンにスポットを当ててお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。

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 世界の国々:チリ
2017-06-14 Wed 08:51
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年6月7日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はチリの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      チリ・イースター島

 これは、1986年にチリが発行した切手シートで、部族対立で倒されたモアイ像の広がる風景が描かれています。

 モアイの島として知られるイースター島(スペイン語ではパスクア島)は、75万年前に海底マグマの噴火によって造成された火山島で、全周は60km、面積は180km2ほど(北海道利尻島とほぼ同じ)です。

 最も近い有人島の英領ピトケアン島まで2000km余という絶海の孤島で、ポリネシア系先住民の言語では、古くは“テ・ピト・オ・ヘヌア(世界のへそ)”、“マタ・キ・テ・ランギ(天を見る眼)”などともいわれましたが、19世紀以降は“ラパ・ヌイ(広い土地)”の呼称が定着しました。

 ポリネシア系の先住民がこの地に移住してきたのは西暦800年頃のことで、花粉などの研究から、当時のラパ・ヌイは、巨大椰子の豊かな林が生い茂っていたと考えられています。

 ラパ・ヌイに上陸したポリネシア人たちは、“ラノ・ララク”と呼ばれる噴火口跡から、軟らかく加工しやすい凝灰岩を採石し、玄武岩や黒曜石の石斧で加工して、7-8世紀頃には石の祭壇“アフ”を作り始めました。ただし、青銅器や鉄器が使われた形跡はありません。

 モアイ像の制作は、遅くとも10世紀頃には始まったと考えられていますが、制作年代によって像のスタイルには相違がみられます。

 最初期の第1期に作られた像は人間の姿に近く、下半身も作られていますが、第2期以降は下半身がなくなる。第3期の像には、頭上に赤色凝灰石で作られた被り物の“プカオ”が載せられています。しかし、一般的なモアイ像のイメージに近いのは第4期の像で、長い顔、狭い額、長い鼻、くぼんだ眼窩、伸びた耳、尖った顎、一文字の口などが特徴的です。

 モアイ像は集落を守るように立てられているため、海沿いの像は海を背にしていますが、内陸部の像には海を向いているものもあります。なお、アフの上に建てられた像の中で最大のものは、高さ7.8m、重さ80tにもなります。

 さて、モアイ像は17世紀まで盛んに作られていましたが、18世紀以降は作られなくなり、その後は破壊されていきました。

 そのきっかけは、急激な森林破壊(その原因については、人口が一挙に拡大したとの説や、外部から持ち込まれたネズミが天敵のない環境で大量に繁殖したとの説などがあります)にあったと考えられています。すなわち、島内で人口が一挙に増加し、そのため、森林破壊が進行して沃土が海に流出し、農業不振から食糧不足が生じ、耕作地域や漁場を巡って部族間の武力闘争が発生。モアイは目に霊力が宿ると考えられていたため、敵対する部族を攻撃する場合、彼らはモアイ像をうつ伏せに倒し、目の部分を粉々に破壊しました。

 いずれにせよ、島内での“モアイ倒し戦争”は50年ほど続き、島民の生活は大いに疲弊し、生活水準も大きく後退したと考えられている。

 1722年の復活祭(イースター)の夜、オランダ海軍のヤーコプ・ロッヘフェーンは西洋人として初めてラパ・ヌイを発見。その日付にちなんで、この島を“イースター島”と命名し、モアイ像の存在が西洋にも知られるようになります。ちなみに、スペイン語名の“パスクア島”は“イースター島”のスペイン語訳です。

 1774年には、英国の探検家、ジェームズ・クックも上陸。クックは倒壊したモアイ像を数多く目にしたが、それでも、この時点では半数ほどは直立しており、作りかけの像も放置されていたという。今回ご紹介の切手には、まさにそうした光景が描かれています。

 さらに、18世紀後半から19世紀にかけて、スペインのペルー副王領政府の命を受けた奴隷商人がイースター島を訪れるようになり、1862年にはペルー人による大規模な奴隷狩りが行われます。この結果、わずか数ヶ月間での内に当時の住民の半数に当たる約1500人が島外に拉致されました。そこへ、追い打ちをかけるように、外部から持ち込まれた天然痘や結核が蔓延し1872年には島民はわずか111人にまで激減します。

 その後、イースター島は1888年にチリ領になり、現在に至っているわけですが、現在、島内に立っている像は、基本的に、チリによる領有後、倒壊した像をクレーンなどを立て直したものです。

 さて、『世界の切手コレクション』6月7日号の「世界の国々」では、イースター島についての長文コラムのほか、チリ・ワイン、パン・デ・アスカル国立公園、サンティアゴ中央郵便局、イキケ海戦の英雄・プラット艦長の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のチリの次は、6月7日発売の6月14日号でのウズベキスタンの特集になります。こちらについては、近々、このブログでもご紹介する予定です。 
      

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 “レズビアン”の由来となった島
2017-06-13 Tue 11:42
 きのう(12日)、エーゲ海北東のレスボス島プロマリの南11キロ、深さ約10キロを震源とするM6.3の地震が発生し、住宅が損壊・倒壊するなどの被害が出たほか、現在判明している時点で、同島の女性1人が亡くなったほか、10人が負傷したそうです。というわけで、亡くなられた方々の御冥福と負傷された方々の一日も早い御快癒をお祈りしつつ、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ギリシャ・レスボス島

 これは、1912年末、レスボス島を占領したギリシャが発行した暫定加刷切手です

 レスボス島は、1462年、メフメト2世統治下のオスマン帝国に占領されて以来、約450年間に渡ってその支配下にありましたが、1912年の第一次バルカン戦争でギリシャが占領し、ギリシャ領に編入しました。レスボス島を占領したギリシャ軍は、島で使われていたオスマン帝国の切手を接収し、地元の新聞印刷所で“ギリシャ占領ミティリニ(ミティリニはレスボス島の中心都市)”を意味するギリシャ語の“Ελληνική Κατοχή Μυτιλήνης”と加刷した切手を発行しました。ただし、当時のミティリニではギリシャ通貨のドラクマは流通していなかったため、切手は、従来通り、トルコ通貨のピアストル額面で販売されています。

 さて、レスボス島といえば、紀元前7世紀末から紀元前6世紀初にかけて活動した古代ギリシャの女流詩人、サッフォーの出身地として知られています。彼女は、自らが選んだ若い娘しか入れない“学校”をレスボス島に作るとともに、様々な女性に対する愛の詩を多く残したため、生前から女性の同性愛と結び付けて語られてきました。このため、彼女の出身地である“レスボス島の”を意味する英語の形容詞、“lesbian”やそこから派生した“Lesbianism”は、女性の同性愛を意味する言葉(日本語でいう“レズビアン”)として、20世紀以降、世界各国に広まります。

 この結果、レスボス島、特にサッフォーの出身地であるエレソスは女性同性愛者の間では“聖地”として観光地になりましたが、その反面、地元ではそうした観光客を歓迎しない人も大勢います。このため、現在では、レスボス島の名に変えて、中心都市ミティリニにちなむ“ミティリニ島”の呼称を使い地元住民も多いのだとか。今回ご紹介の切手の地名表記にも、あるいは、そうした意識が働いたのかも知れません。

 自分たちの出身地または居住地が性的な用語と結び付けて語られれば、それに不快感を持つ人が多いのも当然のことで、2008年、レスボス島民を中心とするグループは、ギリシャ国内のLGBT団体、“ギリシャ・ゲイ・レズビアン連合(OLKE)”を相手どり、団体名から“lesbian”の語を削除することを求める訴訟をアテネの裁判所に起こしました。ところが、これに対して、裁判所は「島民たちがこの名称によって侮辱されたと感じる理由はない」として訴えを棄却。門前払いを食らわせています。

 そういえば、日本でも、ソープランドに相当する施設はかつて“トルコ風呂”と呼ばれていましたが、1984年、東京大学で地震学を学んでいたトルコ人留学生、ヌスレット・サンジャクリが、小池百合子(現東京都知事。当時は通訳・キャスター)に相談の上、厚生省(当時)に名称変更を訴え出たことが発端となり、同年12月19日、現在の名称“ソープランド”に改称されたということがありましたな。

 レスボス島の人たちからすれば、同島の出身者として “I am Lesbian.”と語ることが憚られるというのは、納得できなくて当然です。そうであれば、人権や反差別を主張する人たちこそ、“トルコ風呂”の先例に倣い、自ら率先して“レズビアン”やLGBTの語を使うのを止め、それに代わる用語を提案すべきだろうと思います。少なくとも、レスボス島民の苦悩に無頓着なまま、LGBTの権利のみを声高に主張し、挙句の果てに、自分たちの意見に賛同しない人たちを“差別主義者”と糾弾して回るような輩は、“人権”を隠れ蓑にした“差別の当たり屋”以外の何物でもなく、心の底から軽蔑するしかありませんな。
 
 
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 上野のパンダ・シンシンが出産
2017-06-12 Mon 21:18
 妊娠の兆候があった上野動物園の雌のジャイアントパンダ“シンシン”が、きょう(12日)午前11時52分、赤ちゃん1頭(現時点での性別は不明)を出産しました。上野動物園でのパンダ誕生は、今回と同じシンシンの2012年7月の出産以来、約5年ぶりのことです。というわけで、きょうはパンダを描いた切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      中日平和友好条約8分

 これは、1978年の日中平和友好条約調印に際して中国側が発行した記念切手(このため、紀念銘は“中日”になっています)の1枚で、両国の少女を中心に、左下にはパンダの玩具が描かれています。今回生まれたばかりの赤ちゃんパンダは体重150グラム程度だそうですから、それに近い大きさのパンダが描かれている切手ということで持ってきました。

 さて、日本と中国との平和友好条約に関しては、すでに、1972年9月の“国交正常化”の際に発表された日中共同声明の第8項において、将来の締結をめざすことがうたわれていました。

 これを受けて、1974年11月、平和友好条約締結に向けての予備交渉がスタートします。しかし、ソ連を“覇権主義”と批判していた中国側が条約に“反覇権”の文言を盛り込むことを強く主張したため、ソ連との関係悪化を懸念する日本側との間で交渉は難航。さらに、1975年から1977年にかけては日本では田中金脈問題やロッキード事件、中国では毛沢東の死と4人組の逮捕などがあり、両国ともに国内の政治状況が不安定 だったこともあって、交渉は中断されました。

 その後、1977年になって、新たに中国の最高実力者となった鄧小平が“柔軟姿勢”を示すとともに、米中国交正常化の動きが活発化したことを受けて、日本政府(福田赳夫内閣)も交渉打開に積極的に取り組むようになります。翌1978年8月、日本側外相の園田直が訪中して交渉をまとめ、8月12日に中国側外交部長(外相に相当)の黄華が来日し、東京で「日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約(日中平和友好条約)」が調印され、同年10月23日、鄧小平が来日して批准書の交換が行われ、即日発効しました。

 条約は、主権と領土の相互尊重・相互不可侵・相互内政不干渉などをうたった“平和五原則”を両国関係の基礎とするとした第1条、“反覇権”をうたった第2条、「この条約は、第三国との関係に関する各締約国の立場に影響を及ぼすものではない」とする“第3国条項”を記した第4条など、前文と本文5条からなっています。また、中国側は日本に対して(日中戦争に関する)賠償金の請求を放棄する見返りとして、日本から多額の経済援助を長期間にわたって引き出し続けることに成功。その後の経済発展の基礎を築くことになります。

 
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 岩のドームの郵便学(51)
2017-06-11 Sun 10:48
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』646号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、1994年のパレスチナ自治政府発足について取り上げました。その記事の中から、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ自治政府最初の切手(岩のドーム)

 これは、1994年に発行されたパレスチナ自治政府最初の切手のうち、岩のドームを取り上げた1000ミリーム切手です。

 湾岸戦争後の1991年10月末、米国は崩壊間際のソ連と共同してスペインのマドリードで中東和平に関する国際会議を開催します。この会議は、全当事国が一堂に会したという点で中東紛争の歴史の中で画期的なもので、その後の和平プロセスの起点となりました。

 当初、イスラエルはこの会議への参加を渋っていましたが、米国が会議への協力がなければイスラエルの求めている債務保証の申し出を拒否すると圧力をかけたこともあり、最終的に会議に参加。PLOはイスラエルの拒絶にあい参加しませんでしたが、パレスチナ代表団はPLOの意を体したメンバーで構成されました。

 会議では、シリア、レバノン、ヨルダンの各国とイスラエルとの二国間交渉の枠組みと、水資源や難民問題、安全保障などの多国間問題についての共同会議設立が決定され、1991年12月以降、米ワシントンで二国間交渉が個別に行われます。

 当初、イスラエル側は和平に対する意欲に乏しく、占領地でのユダヤ人の入植を拡大し続けていましたが、1992年の総選挙で新たに労働党のイツハク・ラビン政権が誕生すると、和平交渉は進展する兆しが見られるようになりました。

 しかし、和平プロセスの進展に対しては、ヨルダン川西岸とガザ地区を完全な自国領とみなして占領地の返還を拒否するイスラエル国内の右派勢力と、パレスチナ全域からのイスラエルの撤退を主張するパレスチナの強硬派がともに激しく反対。特に、イスラム原理主義組織ハマースは各種のテロ活動を展開し、多くの犠牲者を出していました。

 ハマースの闘争に手を焼いたラビン政権は、1992年12月、ハマス関係者415名を一挙に国外追放処分にしましたが、この結果、米国が仲介する公式の和平交渉は完全に行き詰まってしまいます。

 一方、PLOは、湾岸戦争でイラクを支援したツケが響いて破産寸前の状態に追い込まれていました。

 すなわち、1990年の湾岸危機の時点で、すでに、冷戦時代にPLOを支援していた東側共産主義諸国の大半は崩壊していましたが、湾岸戦争を経て、サウジアラビアをはじめ湾岸諸国からの資金援助(年間約3億5000万ドルにも及んでいました)も打ち切られます。さらに、クウェートのパレスチナ人労働者は職を失い、彼らからPLOに納められる税収(PLOはクウェートで働くパレスチナ人から一定の「税収」を得ていた)もほぼ完全に途絶しました。

 経済的に追い詰められたPLOは、組織として急速に弱体化し、ラビン政権が発足した頃には、イスラエルとの対話路線を定着させる以外に存続のための選択肢は残されていませんでした。このため、もはやPLOはイスラエルにとっての脅威ではなくなっていたのですが、イスラエル側は、逆に、現状を放置すれば、PLOに代わってより過激なハマースがパレスチナ人の代表権を獲得するのではないかとの懸念を抱くようになりました。

 この結果、ハマースの勢力伸張は、イスラエルとPLO双方にとって共通の脅威となり、彼らは反ハマス連合として和解に到達するのです。

 かくして、イスラエルのラビン政権は、和平プロセスに関与しすぎた米国ではなく、ノルウェーのホルスト外相を通じてPLOと非公式に接触。1993年9月、イスラエルとPLOの相互承認とガザならびにイェリコ(ヨルダン川西岸地区の重要都市)でのパレスチナ人の自治を骨子とするオスロ合意がまとめられました。米国は、このオスロ合意を引き取るかたちで、ワシントンで合意の調印式を開催します。

 その後、1994年5月にはカイロでパレスチナ先行自治協定(PLOによる自治を開始するための具体的協定)が調印され、イェリコとガザで暫定自治が開始されました。

 暫定自治の開始に伴い、5月4日にはガザ地区で、5月9日にはイェリコで、イスラエルの郵政機関が閉鎖され、パレスチナ自治政府の郵政機関が発足します。ただし、当初はパレスチナ自治政府独自の切手は間に合わず、ガザ地区とイェリコでもイスラエルの切手がそのまま使用されていました。

 このため、パレスチナ自治政府としての独自の切手を発行すべく、PLO駐独代表のアブドゥッラー・フランギーが、ドイツ社会民主党の国会議員でアラブ諸国との関係が深く、かつ切手収集家でもあったハンス・ユルゲン・ヴィシュネウスキーと接触。その結果、ドイツの老舗切手エージェント、ゲオルグ・ロール・ナシュフ社のコーディネートの下、国有ドイツ連邦印刷会社が切手を製造することで話がまとまり、1994年夏、ベルリンで切手の製造が行われます。

 切手のデザインは、イェリコのヒシャーム宮殿(5、10、20ミリーム)、東エルサレムの聖墳墓教会(30、40、50、75ミリーム)、パレスチナ自治政府の国旗(125、150、250、300、500ミリーム)に加え、最高額面の1000ミリーム切手(今回ご紹介の切手です)には岩のドームが取り上げられた。

 パレスチナ自治政府がドイツから切手を受け取ったのは1994年10月以降のことで、各地の郵便局では、いつからこれらの切手が実際に販売されたのか、現在となっては正確なデータは残されていません。なおちなみに、この切手の収集家向けの販売代理店となったゲオルグ・ロール・ナシュフ社は、1994年8月15日付の“初日カバー”を制作・販売していますが、この日付の時点では切手は実際にはパレスチナに到着していませんから、初日カバーに押されている消印の日付が“後押し”となっている点は注意が必要です。

 ところで、パレスチナ自治政府は、新切手の発行を、1948年の英委任統治終結以来、およそ半世紀ぶりの“パレスチナ切手”の復活と位置付け、英領時代の先例に倣い、切手の額面を“ミリーム”表記とします。

 一方、1994年4月29日付でイスラエルとPLOが締結した“1994年パリ議定書”の第4条によると、自治政府の統治下の通貨は、イスラエルの通貨である新シェケルを基本としつつも、ヨルダン川西岸地区ではヨルダン・ディナール、ガザ地区ではエジプト・ポンドの使用が認められることになっていました。ただし、パレスチナ自治政府には独自通貨の発行権を認める規定はなかったため、イスラエル側は、1994年10月に登場した自治政府の切手の額面がミリーム表示になっていることに強く反発。イスラエル宛またはイスラエルを経由して海外へ逓送される郵便物に関しては、ミリーム額面の切手が貼られている場合は、料金未納扱いにすると自治政府に通告します。

 このため、自治政府側は、パリ議定書で認められた通貨に対応すべく、ミリーム額面の切手に、ヨルダン・ディナールの補助通貨であるフィルス表示の額面を加刷した切手をあらためて発行。これにより、ようやく、パレスチナ自治政府の切手は、郵便料金の前納をします世紀の証紙として、世界的にも承認されることになりました。

 さて、ことし(2017年)は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。

 これにあわせて、懸案となっている「ユダヤと世界史」の書籍化と併行して、本のメルマガで連載中の「岩のドームの郵便学」に加筆修正した書籍『パレスチナ現代史:岩のドームの郵便学』(仮題)の刊行に向けて、現在、制作作業を進めています。発売日などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。

 
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 6月15日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第4回目が放送予定です。今回は、6月10日に開幕したばかりのアスタナ万博にちなんで、開催国のカザフスタンにスポットを当ててお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。

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 アスタナ万博開幕
2017-06-10 Sat 09:30
 カザフスタンの首都アスタナで、「未来のエネルギー」をテーマにしたアスタナ国際博覧会(アスタナ万博)が、きょう(10日)から始まります。というわけで、今日はストレートにこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      アスタナ万博

 これは、ことし3月14日にカザフスタンが発行した50テンゲの普通切手で、アスタナ万博のロゴとスローガンが大きくデザインされています。カザフスタンは今年3月に新デザインの普通切手7種を発行していますが、そのうちの4種が、今回ご紹介した切手と同じデザインで、万博の宣伝を兼ねたものとなっています。

 1991年にカザフスタンが独立した時の首都はアルマ・アタ(のちカザフ語のアルマトイに改称)でしたが、1994年、同国北部のアクモラを新首都とすることが決定されます。

 ちなみに、アクモラが新首都に選ばれた理由としては、アルマトイが中国との国境に近すぎること、活断層があり地震多発地帯であること、地形的に更なる発展が困難だったこと、などが挙げられています。またアスタナが位置するカザフスタン北部にはロシア人が多かったため、遷都によって北部にもカザフ人の割合を増やし、将来的な分離独立問題を抑え込む意味もあったといわれています。

 新首都に選ばれたアクモラは、ソ連時代にはツェリノグラードと呼ばれていた都市で、独立後、カザフ語で“聖地”を意味するアクモラと改称されました。さらに、1997年に実際に遷都が行われると、翌1998年、カザフ語で“偉大な都市”を意味するアスタナと改称され、現在に至っています。

 さて、独立後のカザフスタンは、石油や天然ガス、鉱物資源など豊富な資源を背景に目覚ましい経済発展を遂げましたが、新首都の建設には、その成果を世界にアピールする意図も込められていました。そこで、1998年、カザフスタン政府は新首都建設のマスタープランとデザインに関する国際コンペを実施。参加した27チームの中から黒川紀章の都市計画案が1位になりました。

 アスタナの首都建設事業は、2030年までに100万都市とすることを目指して、現在も段階的に建設が進められていますが、今回の万博開催もその一環として企画されたものです。
 
 なお、アスタナ万博の会期は9月10日までの3ヶ月間の予定で、わが国を含む100カ国余りの再生可能エネルギー分野の国際組織・大手企業が出展。きのう(9日)おこなわれたオープニング・セレモニーには中国の習近平国家主席、ロシアのプーチン大統領も出席し、開催国のナザルバーエフ大統領は開会の辞で「将来的に、効率的で安全なエネルギーが次々と発明されるだろう。今回の国際博覧会がこうした発展に貢献することを確信している」と述べ、万博開催の意義を強調したそうです。

 
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 臺灣鐡路節
2017-06-09 Fri 22:24
 きょう(9日)は、1887年6月9日、台北・大稲埕(現台北市大同区)で台湾初となる鉄道の起工が宣言されたことを記念し、台湾では鉄路節(鉄道記念日)です。ことしは130周年の節目の年ということで、現地では各種の記念イベントも取り上げられているということなので、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      台湾龍馬票(鉄道:台北-錫口)

 これは、不発行に終わった台湾龍馬票に加刷して鉄道の乗車券として転用したものです。

 清朝政府が通商ならびに国防上の観点から台湾の重要性を認識するようになったのは1870年代以降のことで、それまでは、台湾は福建省に属する辺境の地という程度にしか認識されていませんでした

 1884年、ヴェトナムの宗主権をめぐって清仏戦争が勃発するとフランス軍は台湾に進攻。清朝側は劉銘傳を督台湾軍務に任命して抗戦しましたが、台湾は一時的にフランス軍に占領されてしまいます。このため、清仏戦争終結後の1885年、清朝は、台湾の防備体制を改めて台湾を省に昇格させ、劉銘傳を主任台湾巡撫に任じてフランス軍と戦い、台湾島の実効支配を回復しました。

 巡撫に任じられた劉は台湾の経済開発に乗り出します。赴任後の1887年に上奏して台湾での鉄道敷設の必要性を訴え、勅許を得て同年6月9日、基隆から台北を経て新竹に至る区間で狭軌(1067mm)の鉄道建設工事が始まります。また、1886年には招商局(後の台湾商務局)を設立して近代海運制度を導入したほか、道路網の整備、電信事業の創業なども行いました。

 こうした近代化改革の一環として、従来の駅逓(政府の公文書を扱う機関)は、台湾郵政総局に改編され、1888年3月から切手を用いた近代郵便制度も実施されることになりました。

 当時、台湾には、淡水、台南、高雄の3ヵ所に海関の郵便部が置かれていましたが、海関の郵便部は主に在留外国人が中国本土ないしは外国宛に差し出す郵便物を扱うだけで、台湾島内の郵便には無関心でした。また、切手は使用されず、郵便物には料金を収納したことを示す印が押されるのみでした。

 これに対して、劉銘傳は、西洋諸国に倣って独自の切手を発行し、公用便と民間便を併せて扱う近代郵便制度の創業を目指し、台湾全島に站(郵便局に相当)を設け、郵便網の整備を企画します。もっとも、站は、記録によれば、43ヶ所存在したことになっていますが、その全てについて、実際に活動が行われていたことが確認されているわけではありません。

 さて、近代郵便の発足に伴い、劉は切手の発行を計画します。当初の切手は、現地製の用紙に木版・手刷でつくられたものでしたが、後に、ロンドンのブラッドバリー・ウィルキンソン社に本格的な切手の製造が発注されています。発注された切手は30.5×32ミリの凹版印刷で、中央上部には皇帝の象徴である龍が、その下には交通・通信を象徴する馬が、それぞれ描かれています。また、右側には「大清臺灣郵政局」の文字が、上下には欧文で“FROMOSA CHINA”と記されており、このことから、“大清台湾郵政局龍馬票”(以下、龍馬票)と呼ばれています。

 もっとも、龍馬票は、1888年6月から発行・使用される予定でしたが、台湾郵政局側が事前に清朝中央政府の許諾を取っていなかったため、発行直前になって「中央の龍が人間の顔に似ており、皇帝の権威の象徴としてのイメージを損なう」とのクレームがつけられ、実際には切手として発行されないままに終わってしまいました。

 一方、1887年6月9日に着工された鉄道は、1888年7月、台北駅(大稲埕) - 錫口(現松山)間が開通。同年秋には水返却(現汐止)まで路線が延伸されます。これに伴い、鉄道の乗車券を調達しなければならなくなったことから、不発行の龍馬票が乗車券の用紙として流用され、地名や料金表示など、乗車券としての必要な文字が加刷して使われました。今回ご紹介のモノでは、台北=錫口の区間名と、料金が加刷されています。

 なお、龍馬票が切手としてお蔵入りとなった後も、台湾に中国本土から清朝の切手が持ち込まれて使用されることはなく、日本に割譲されるまで、台湾では木版・手刷りの切手が使われていました。その後も、日本統治時代を経て現在に至るまで、台湾で中国本土と同一の切手が使われたことは一度もありません。こうした事実もまた、台湾は歴史的にも中国と不可分の領土であったと主張する“一つの中国”論が、いかに荒唐無稽な言説であるかを雄弁に物語っていることは、もっと注目されても良いように思います。

 
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 テヘランで同時テロ
2017-06-08 Thu 07:53
 イランできのう(7日)、複数の武装グループが首都テヘラン中心部の国会議事堂と郊外のホメイニー廟をほぼ同時に襲撃。治安当局との銃撃戦で、民間人を含む少なくとも12人が死亡、40人以上が負傷しました。事件に関しては、“イスラム国”を自称するテロリスト集団、ダーイシュが「両事件はいずれもイスラム国の兵士らが実行した」とする声明を発表しています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・ホメイニー廟

 これは、1991年6月4日にイランが発行した“ホメイニー追悼”シリーズのうち、今回の事件現場のひとつ、ホメイニー廟を取り上げた切手です。

 ホメイニー廟は、イラン・イスラム革命の指導者、アーヤトッラー・ホメイニーと彼の家族(妻のハディージャ・サカフィーと次男のアフマド・ホメイニー)、ラフサンジャーニー大統領、ハサン・ハビービー副大統領、アリー・サイイド・シーラーズィー中将、思想家サーデク・タバタバーイーの遺体を安置した墓廟を中心とした複合施設です。

 ホメイニー廟の建設は、1989年6月にホメイニーが亡くなった直後の同年7月19日、テヘラン南郊のベヘシュテ・ザフラー墓地内で建設が開始され、墓廟本体は1992年6月2日に完成。4本のミナレットに囲まれた金色のドーム屋根は周辺一帯のランドマークとなりました。現在も、複合施設としてのホメイニー廟の建設は続けられており、に、最終的には、文化・観光センター、イスラム大学、ショッピング・モール、2万台収容可能な駐車場などからなる敷地面積20平方キロの複合施設となる予定です。

 ホメイニー廟はホメイニーの孫でイスラム法学者のアーヤトッラー・サイイド・ハサン・ホメイニーが管理しており、ホメイニーを慕う人々の参詣の場であるとともに、国賓がイランを訪問した際に訪れる象徴的な場所とされています。また、毎年6月4日のホメイニーの命日にはイラン政府要人と外国大使、それに一般国民が参加しての式典が行われています。今回の事件は、そのわずか3日後に起きたわけで、犯行が6月4日の式典当日に行われていたら…と考えると、本当に恐ろしいことです。

 あらためて、亡くなられた方々の御冥福と負傷された方々の一日も早い御快癒をお祈りいたします。
 
 
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 世界の国々:タジキスタン
2017-06-07 Wed 09:03
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年5月31日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はタジキスタンの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タジキスタン・戦勝50年

 これは、1995年にタジキスタンで発行された“戦勝50周年”の記念切手シートです。

 1924年、ソ連中央政府は中央アジアを民族別の共和国に分割する「民族境界区分」を画定。これに伴い、“中央アジアのイラン系言語(タジク語)を用いる定住民”を“タジク人”とする定義が採用され、タジク人の民族共和国として、ウズベク・ソヴィエト社会主義共和国内にタジク・ソヴィエト社会主義自治共和国が設定されました。ただし、境界画定の過程で、タジク人には十分な発言権を与えられず、タジク人が数多く居住するブハラ、サマルカンド、フェルガナ盆地はウズベク領となり、タジク人は歴史的領域の重要部分を失うことになります。

 タジク・ソヴィエト社会主義自治共和国は、1929年、タジク・ソヴィエト社会主義共和国に昇格。1939年には同共和国でも徴兵制も実施されました。

 1941年に独ソ戦が勃発すると、多くのタジク兵が出征。1945年の終戦までのタジク人戦死者は6-12万人と推定されています。今回ご紹介の戦勝50年記念の切手シートは、独立後の1995年に発行されたもので、戦車を組み込んだ戦勝記念碑を描く5000ルーヴル切手が収められています。なお、シート余白の“ソヴィエトの”を意味するロシア語の単語は“СОВЕТСКОГО”が正しいのですが、今回ご紹介のモノは“СОВТСКОГО”となっており“Е”が抜けたスペル・ミスとなっています。その後、スペル・ミスの切手は回収され、正しいスペルのモノが改めて発行されましたが、市場価値としては、どちらも特にお宝というほどのものではありません。

 さて、『世界の切手コレクション』5月31日号の「世界の国々」では、民族としての“タジク人”についての長文コラムのほか、現地の農業、古典文学の『シャー・ナーメ』、ホジェンド(フジャンドとも)旧市街のシャイフ・ムスリヒディーン・モスク、フェルガナ盆地のブドウの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のタジキスタンの次は、5月31日発売の6月7日号でのチリの特集(2回目)になります。こちらについては、近々、このブログでもご紹介する予定です。
      
 
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