内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ハマース、ファタハと和解合意
2017-10-13 Fri 10:47
 パレスチナ・ガザ地区を実行支配するハマース政府は、昨日(12日)、カイロでパレスチナ自治政府を率いるファタハと共同会見を行い、今年12月1日までにハマースがガザ地区のすべての行政権限を自治政府に返還することで合意したと発表しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ハマース政府最初の切手FDC

 これは、2009年3月21日、ハマース政府として最初に発行された“アラブ文化首都”の切手の初日カバーです。

 2004年11月11日、長年にわたってPLOを率いてきたアラファトが75歳で亡くなり、マフムード・アッバースが後継のPLO議長・自治政府大統領に就任します。

 2005年2月3日、アッバースは、さっそくシャルム・シェイクでイスラエル首相のアリエル・シャロンと会談し、各地で頻発していた武力衝突の停戦に合意。中断していた中東和平ロードマップ交渉の再開に意欲を示しました。

 こうした穏健な現実主義者としてのアッバースの姿勢は、ヨルダン川西岸地区の一般国民の間では一定の支持を得ましたが、ガザ地区を基盤とするイスラム原理主義組織のハマースなどは“イスラエル寄り”のアッバースに対して露骨な敵意と不信感を向け、テロを継続していました。

 そうしたなかで、翌2006年1月25日に投票が行われたパレスチナ評議会選挙では、アラファト時代のPLO幹部の汚職腐敗に対する一般市民の反感もあって、定数132議席の過半数にあたる76議席をハマース系の候補者が獲得。選挙結果を受けて、2月16日、ハマースは候補者名簿の1位にランクされていたイスマーイール・ハニーヤを首相候補として推薦したため、アッバースもこれを受け入れざるを得ず、3月29日、ハニーヤ内閣が発足しました。

 ハニーヤは首相就任演説で「イスラエル国家を承認せず、武力闘争路線を継続する」と宣言。なんとかしてロードマップ交渉を再開したい大統領のアッバースに対して冷水を浴びせかけます。イスラエル側も態度を硬化させ、6月30日、ハマース過激派が拘束しているイスラエル兵士ギラド・シャリートの無傷での即時解放を要求。要求が受け入れられなければ、ハニーヤを暗殺すると表明しました。また、PLO主流派のファタハとハマースの間でも流血を伴う衝突が頻発するようになり、ハニーヤを含むハマースのガザ地区の政治指導者は次々と地下に潜伏します。

 こうした中で、2006年12月14日、首相として初の外遊から帰国しようとしたハニーヤが、ラファフの国境検問所でエジプトからガザへの国境通過を拒否される事件が発生。このとき、ハニーヤは国外からの自治政府への寄付金として推定3000万ドルの現金を所持していましたが、イスラエル政府はその寄付金を持ち込まないという条件で、ハニーヤの国境通過を許可すると発表しました。

 ところが、緊迫した空気の中で、検問所の現場では、ハマースの戦闘員とパレスチナ大統領警護隊との偶発的な銃撃戦が発生。さらに、ハニーヤが国境を通過しようと試みた際、彼の護衛の一人が銃撃されて死亡、ハニーヤの長男も負傷してしまいます。この事件を機に、ファタハとハマースの対立はエスカレートし、双方の武装集団による襲撃事件が頻発するようになりました。

 このため、両者の対立を解消して、ともかくもハマース、ファタハの連立政権を実現するため、2007年2月15日、ハニーヤ内閣はいったん総辞職したうえで、3月18日、あらためてハニーヤを首班とする連立内閣を組織するとの妥協が図られます。

 しかし、その後も武力衝突は一向に収まらず、6月11日には、ハマースがガザ地区を占拠したため、6月14日、もはやハマースとの関係修復は不可能と判断したアッバースが非常事態宣言を発令。ハニーヤを解任し、ハマースによるガザの統治は非合法なものであるとして、6月17日、元世界銀行副総裁で自治政府での蔵相経験のあるサラーム・ファイヤードを首相に任命し、ハマースを除外した非常事態政府の樹立を宣言します。

 これに対して、ハニーヤは解任を拒否し、ハニーヤ内閣こそパレスチナの正当政府であると主張。“パレスチナ”はPLO/ファタハの支配する西岸地区と、ハマース支配下のガザ地区に、事実上、分裂しました。

 こうして“パレスチナ”が分裂した後も、郵便に関しては、当初は西岸地区のパレスチナ郵政が従前どおり、西岸地区とガザ地区の郵便事業を統一的に扱っており、両者は共通の切手を使用していました。

 こうした状況の下で、2009年、“アラブ文化首都 エルサレム”のイベントが行われます。

 アラブ文化首都は、欧州文化首都に倣い、ユネスコとアラブ連盟の主催の下、アラブ諸国の中から一都市を選んで“アラブ文化首都”に指定し、一年間を通してさまざまな芸術文化に関する行事を開催することで、加盟国の相互理解を深めようというものです。

 2009年のアラブ文化首都は、各国持ち回りの順番で、パレスチナから選ばれることになっていましたが、大統領のアッバースは自治政府の支配下にあるベツレヘムや首都のラマッラーではなく、和平プロセスを進展させるための契機とすべく、あえてエルサレムを提案。アラブ連盟とユネスコもこれを受け入れていました。

 “アラブ文化首都 エルサレム”のキックオフ・イベントは、当初、2009年1月に行われる予定でしたが、イスラエルとハマースの戦闘により延期され、停戦後の3月21日、自治政府支配下のベツレヘムで行われました。当初の計画では、エルサレム、ガザ、ナゼレ、そしてレバノン領内のマール・エリアス難民キャンプの5ヵ所で同時にイベントを開催することも計画されましたが、イスラエル政府はイスラエル領内での“アラブ文化首都”と銘打ったイベントを全面禁止し、神殿の丘/ハラム・シャリーフへの道路を封鎖。エルサレムとナゼレのみならず、多くの関連イベントは中止を余儀なくされます。

 これに対して、ガザ地区では、ファタハ政府によるベツレヘムでのイベント開催日の3月21日に先んじ、ハマースがファタハに無断で独自にイベントのロゴマークを制作し、3月17日、ファタハを無視して独自に記念行事を開催。自分たちこそがパレスチナの正統政権であると主張し、ファタハ政府を挑発しました。

 また、ハマース政府は、ファタハ政府が“アラブ文化首都”の記念切手を用意していないことに目をつけ、西岸地区とは別に、ロゴマークを描く独自の記念切手を発行。記念切手に取り上げられたロゴマークは、モスクとミナレットを図案化した象徴的なデザインで、今回ご紹介のような初日カバーも制作されました。

 なお、この切手は、ハマース政府が、従来のファタハ政府の郵政機関とは別に、独自に発行した最初の切手となり、以後、パレスチナでは、西岸地区とガザ地区で別々の切手が発行・使用される状況が続いていました。

 今回、ハマースとファタハの間で成立した和解合意によれば、ハマースは、ガザ地区とイスラエルとの境界で人や物資の出入りを管理する権限は11月1日までに、ガザ地区のすべての行政権限は12月1日までに、それぞれ自治政府に返還することになっており、これが実現されれば、ガザ地区におけるハマースの郵政活動も停止され、独自の切手が新規に発行されることもなくなります。その場合、ハマース政府がこれまで発行してきた切手について、どのような処理が行われるのか、僕としては大いに興味があるところです。

 もっそも、ファタハとハマースの間では、過去にも和解に向けた合意が結ばれたものの、実施段階では頓挫していますので、今回の合意もその轍を踏む可能性は大いにあります。

 なお、パレスチナ分裂後のファタハ、ハマース双方の切手と郵便については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は19日!★★

 10月19日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第10回が放送予定です。今回は、10月18日が米国によるアラスカ領有150年の記念日ということで、アラスカを買った米国務長官、ウィリアム・スワードにスポットを当ててお話をする予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

 11月4日(土) 12:30より、東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


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  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


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 大韓帝国120年
2017-10-12 Thu 08:22
 1897年10月12日に、朝鮮が大韓と国号を改めてから、きょう(12日)でちょうど120年です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      大韓加刷

 これは、1895年発行の朝鮮切手に、国号変更直後の1897年10月14日、漢字の“大韓”のハングルの“대한”(ただしいずれも右書き)を加刷して、朝鮮および조선の文字を抹消した大韓加刷切手です。

 朝鮮王朝(李氏朝鮮)は、1637年以来、清朝の冊封国となっていました。1875年の江華島事件を経て、1876年の日朝修好条規により開国を余儀なくされると、朝鮮国内では清朝との冊封体制を脱して近代化をすべきとする勢力(開化党)と、清国との関係維持を主張する勢力(事大党)とが対立。両者の対立は、最終的に、1894-95年の日清戦争で日本が勝利し、その講和条約である下関条約で清朝に対して朝鮮が自主独立の国であること(=冊封体制からの離脱)を認めさせたことで決着しました。

 このため、朝鮮の宮廷ではもはや清の藩属国でなくなった以上、冊封体制下の地方君主の称号である“国王”号を使用することは望ましくないという儒者の建言に従い、1897年10月12日、国号が“朝鮮”から“大韓”に変更され、翌13日、国王・高宗は皇帝として改めて即位しました。ちなみに、大韓という国号は、かつての高句麗・百済・新羅三国(三韓)を統一したものという意味で命名されたものです。

 なお、大韓帝国の発足に伴い、ソウル4大門の一つで、清の使節を迎えるための門として“迎恩門”とも呼ばれていた西大門と清朝への服属のシンボルであった大伸皇帝功徳碑などを破壊し、その隣に独立門が建立されました。その建設費用は、開化派の団体である独立教会が中心となって民間の浄財を募り、1897年11月20日の完成時には、新生大韓帝国の臣民によって独立を祝賀する式典も行われました。

 現在の韓国では、しばしば「独立門は日本からの独立を記念して建てられた門」という誤解が(ある種、意図的に)広まっていますが、このように、本来は、清朝からの独立を記念して建てられたものであり、間接的には、日清戦争での日本の勝利を記念する門とみなすことさえできるわけで、その意味では、“日韓友好”の象徴ともいうべきものなのだと僕は思うのですが…。

 このあたりの事情については、拙著『朝鮮戦争』でもいろいろ書きましたので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★

 10月5日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第9回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、10月19日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、5日放送分につきましては、10月12日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


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 国際ガールズデー
2017-10-11 Wed 09:55
 きょう(11日)は国際ガールズデーです。というわけで、少女を描いた切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パキスタン・第三回イスラム諸国サミット(難民少女)

 これは、1981年3月29日、パキスタンが発行した“第3回イスラム諸国サミット”の記念切手の1枚で、メッカのカアバ、メディナの預言者のモスク、エルサレムの岩のドームをデザインした会議のマークと、アフガニスタンから逃れてきた難民少女が取り上げられています。

 第3回イスラム諸国サミットは、イスラム暦15世紀の幕開けとなる1401年が西暦では1980年11月9日にスタートしたことを受け、1981年1月25日からメッカで開催されたもので、その背景には、1979年11月にメッカで発生したハラーム・モスク襲撃事件の影響で大きく権威を損ねたサウジ政府が、会議を主催することで、あらためて、自らが“イスラムの(聖地の)守護者”であることをアラブ・イスラム世界に対して強調しようとの意図がありました。

 今回ご紹介の切手は、そうしたイスラム諸国サミットを記念するとして発行されたものですが、発行日の3月29日には会議はとっくに終わっており、むしろ、アフガニスタン難民の問題を広くイスラム世界が共有すべきだとの意味を込めて、イスラム諸国サミットのマークが取り入れられたのではないかと思います。

 1979年12月にソ連軍によるアフガニスタン侵攻が始まると、国際社会はこれを非難し、アフガニスタン国内でも反政府ゲリラの大同団結によるアフガニスタン解放イスラム同盟が結成され、ソ連軍とその支援を受けたカルマル政権に対するムジャーヒディーン(イスラム戦士)の抵抗運動が展開されました。

 アフガニスタンとの国境に近いパキスタンの都市、ペシャワールには、夥しい数のアフガニスタン難民が押し寄せましたが、同時に、ペシャワールは、イスラム諸国と米国によるムジャーヒディーン闘争を支援するための一大拠点としても機能することになります。

 そうした中、ペシャワールに集まった義勇兵たちに大きな思想的影響を与えたとされるのが、パレスチナ出身のイデオローグ、アブドゥッラー・アッザームです。

 アッザームは、1941年、英委任統治下にあったパレスチナのジェニン(ヨルダン川西岸の都市)近郊で生まれました。

 1963年、シリアのダマスカス大学イスラム法学部を卒業後、ヨルダン支配下のヨルダン川西岸地区に戻りましたが、1967年の第三次中東戦争ヨルダン川西岸がイスラエルに占領されるとヨルダンに脱出。その後、カイロのアズハル大学でイスラム法学の修士号を得て、アンマンのヨルダン大学で教職に就きましたが、1970年、ヨルダン内戦が勃発すると、ヨルダン政府は反イスラエルのパレスチナ人であるアッザームを追放しました。

 このため、アッザームはアズハル大学に戻ってイスラム法理論の博士号を取得。一時、ヨルダンに戻りましたが、ほどなくして保守的なムスリムの多いジェッダ(サウジアラビア)のキング・アブドゥル・アジーズ大学で教鞭をとるようになります。この時の教え子の一人が、かのウサーマ・ビン・ラーディンでした。

 1979年11月、メッカでハラーム・モスク襲撃事件が発生すると、サウジ政府はイスラム原理主義者の多くを国外追放処分としましたが、これにより、アッザームはイスラマバード(パキスタンの首都)の国際イスラム大学に移って「奪われたムスリムの土地を奪回することは全信徒の宗教的義務である」と訴え、ペシャワールにムジャーヒディーンのための軍事訓練施設を設立。なお、1981年には、アッザームの呼びかけに応じて、大学を卒業したばかりのビン=ラーディンが合流します。

 アッザームの主張は、1980年代初頭の時点では、ソ連や東側諸国の支援を受けていたPLOに与することなく、ムスリムの宗教的な義務としてパレスチナとアフガニスタンの双方を解放すべきと訴えた点で画期的なものでした。

 もちろん、パキスタン政府としては、“原理主義者”としてのアッザームらの主張を公式に支持・支援していたわけではありませんが、膨大な数のアフガニスタン難民とムジャーヒディーンがペシャワールに押し寄せているという現実に直面し、イスラム諸国から広く支援を集めるためにも、アフガニスタンとパレスチナの問題は「奪われたムスリムの土地を奪回する」という点において同根であることを訴えることも必要だったわけです。

 今回ご紹介の切手が、イスラム諸国サミットそのものを記念するというよりも、会議に合わせて、アフガニスタン難民に対するイスラム世界の関心を喚起するような内容となっていたのは、そうした事情を反映したからと考えて良いでしょう。

 なお、「奪われたムスリムの土地を奪回することは全信徒の宗教的義務である」とのアッザームの主張は、パレスチナとアフガニスタンを結びつけただけでなく、後に、ボスニアチェチェンでのイスラム抵抗運動や、さらにはサウジアラビアに駐留しつづける米軍へのテロなどの根幹をなすイデオロギーとなるのですが、1988年の映画『ランボー 怒りのアフガン』の例を持ち出すまでもなく、東西冷戦という時代状況の下で、そのことを見通した者はほとんどいませんでした。

 ちなみに、このあたりの事情については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドーム郵便学』でも縷々ご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。 

 
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 ボリヴィアでゲヴァラ没後50年式典
2017-10-10 Tue 13:08
 キューバ革命の英雄、チェ・ゲバヴァラが、1967年10月9日、南米ボリヴィアの山中で米中央情報局(CIA)の支援を受けた同国軍に処刑されてから50年に当たるのを記念して、現地時間の9日、最期の地となった南部の寒村ラ・イゲーラに近いヴァジェ・グランデ市でボリヴィア政府主催の式典が行われました。というわけで、今日はこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・ゲヴァラ最期の地

 これは、2007年、キューバが発行した“ゲヴァラ戦死40周年”の記念切手のうち、ゲヴァラ最期の地となったラ・イゲーラ(ボリヴィア)のモニュメントが取り上げられています。

 1965年2月、「別れの手紙」を残してキューバを去ったゲヴァラは、新たな革命の地を求めてコンゴ動乱に馳せ参じ、約1年間、軍事政権に対抗する左翼反乱軍に参加しました。しかし、反政府勢力首脳部の腐敗と堕落に幻滅した彼は、“世界革命”の理想を抱えてコンゴから撤退し、チェコスロヴァキアを経てラテンアメリカに戻り、1966年11月、独裁政権下のボリヴィアに潜入。革命に向けての“アンデス計画”を展開します。

 アンデス計画は、(実際の地理的条件を無視すれば)ペルー、チリ、アルゼンチン、パラグアイ、ブラジルからほぼ等距離にあるボリヴィア北部の山岳地帯を拠点に、現地の農民を革命兵士に育て上げ、訓練施設を拡充し、ついで近隣諸国から送り込まれる志願者を革命兵士として教育し、その見返りとして資金的・物質的援助を得て、活動の範囲を広げていくという壮大なものでした。

 しかし、現地のボリヴィア共産党や先住民の農民は“よそ者”のゲヴァラに対して非協力的で、ゲヴァラらは勢力を拡大できないまま、1967年10月8日、ゲヴァラは戦闘でふくらはぎを負傷。ラ・イゲーラ近くのケブラダ・デル・ジューロ(ユーロ)渓谷で捕縛された後、村の小学校に移送され、翌9日、銃殺されました。最期の言葉は、銃殺をためらう政府軍兵士に対して発せられた「お前の目の前にいるのは英雄でも何でもないただの男だ。撃て!」でした。

 その後、ゲヴァラの遺体は、ヴァジェ・グランデ市内に運ばれ、しばらく晒しものにされた後、密かにヴァジェ・グランデの滑走路に埋められました。

 ゲヴァラの殺害から28年が経過した1995年、遺体の処理に関わった元軍人のバルガス・サリナス(事件当時の階級は大尉。最終的に将軍まで昇進)は、伝記作家のインタビューに答えて、ゲヴァラの埋葬場所を公表。当初、ボリヴィア陸軍はサリナス証言を否定し、サリナスに対して“元将軍”の地位と名誉を剥奪する処分を下しましたが、当時のボリヴィア大統領、ゴンサロ・サンチェスは、ゲヴァラの埋葬場所を観光資源化することを考え、遺体の捜索を約束します。

 こうして、1995年11月、キューバとアルゼンチンから専門家チームが現地に派遣され、発掘作業が開始。1年半後の1997年6月29日、遺骨が発見されました。

 発掘されたゲヴァラとキューバ人同志たちの遺骨は、それぞれ、木棺に収められた後、キューバ国旗に包まれ、ハヴァナへと空輸されました。遺骨は、ハヴァナ市内中心部の革命広場で盛大な帰還式典が行われた後、新たに建設されたサンタ・クララ霊廟の地下に収められ、現在に至っています。

 一方、遺骨発見のタイミングがゲヴァラの没後40周年と重なったこともあり、ラ・イゲーラでは大々的な記念行事が行われ、殺害場所となった小学校がリニューアルされて村営博物館となったほか、村の中央広場には高さ4mの巨大なゲヴァラ立像のほか、今回ご紹介の切手に取り上げられたセメント製の胸像が作られました。胸像の台座の文言“TU EJEMPLO ALUMBRA UN NUEVO AMANECER”はスペイン語で「あなたの示した手本が世界に夜明けをもたらす」との意味で、その下には供物や灯明を置くスペースもあります。共産主義者だったはずのゲヴァラが、いつのまにか、地元では“ゲヴァラ大明神”のような雰囲気になっているのが面白いところです。

 ちなみに、きのうの式典で、ボリヴィアのモラレス現大統領は「チェは革命戦士であり、帝国主義との戦いのシンボルだ」と述べ、ゲバラの業績をたたえるとともに、「帝国主義の傭兵の弾は彼の精神を殺すことはできなかったし、彼の理想を覆い隠すことはできなかった」、「戦いを続けることがチェへの最大の手向けとなる」と述べるなど、反米左派としての立場を強調しています。しかし、その一方で、「命令に従うしかなかった兵士らに責任はない。責めを負うのはCIAやそれに服従した(当時の)将軍たちだ」と述べ、最高司令官として軍への配慮も示しました。

 今年のゲヴァラの没後50年ということで、映画「エルネスト」も公開されましたが、来年(2018年)は、1928年6月14日生まれのゲヴァラにとって生誕90周年ということです。今回の没後50年位は間に合いませんでしたが、メモリアル・イヤーもしばらくは続くことですし、来年は、ぜひともゲヴァラ関係のまとまった仕事をしたいですねぇ。

 * けさ、アクセスカウンターが184万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。

★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★

 10月5日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第9回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、10月19日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

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 村上茉愛、女子床で日本初の金
2017-10-09 Mon 13:33
 カナダ・モントリオールで行われていた体操の世界選手権は、最終日の8日(現地時間)、種目別決勝の後半5種目が行われ、村上茉愛が女子床運動で14.233点をマークし、同種目で日本勢初の金メダルを獲得しました。女子体操の他の種目を通じても、日本女子の世界一は1954年大会で平均台の田中(現姓池田)敬子が優勝して以来63年ぶり2人目の快挙です。というわけで、きょうは床運動の切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      第41回国体

 これは、1986年10月9日に発行された“第41回国民体育大会(以下、国体)”の記念切手(みほん字入り)で、富士山を背景に女子床運動の選手が描かれています。

 第41回国体の秋季大会は、律令時代の官道・甲斐路にちなむ“かいじ国体”の名の下、1986年10月12日から17日までの6日間、山梨県甲府市の山梨県小瀬スポーツ公園・陸上競技場を主会場として、県下39市町村の86会場に選手・役員約2万1000名を集めて行われました。大会のスローガンは「ふれあいの場をひろげよう」で、マスコットは“ふじくん(大会終了後は山梨県警察のマスコットに転用)”です。天皇杯・皇后杯はともに開催県の山梨県でした。

 同大会に関しては、インフラ整備として事前にかなり大掛かりな土木工事が行われました。具体的には、主会場となった小瀬スポーツ公園の建築(当初、主会場として予定されていた緑が丘スポーツ公園内の施設は老朽化にくわえ、都市公園法による公園内の建蔽率の問題などから、改修は不可能とされました)や、甲府駅の改築、中央自動車道の全線開通や国道20号線、同52号線のバイパス整備などです。これらの支出は県の財政規模に照らして過大なものであるとして、山梨行政監察局が査察調査に乗り出そうとしたものの、県出身の衆議院議員で当時の政界の最高実力者といわれた金丸信の圧力により、結局、うやむやになっています。

 ちなみに、国体の開会式が行われた10月12日は日曜日で、その直前の金曜日は10日で“体育の日”の休日だったため、切手は前倒しで9日の発行となりました。

 なお、今回ご紹介の切手を含む昭和末期の記念特殊切手については、拙著『昭和終焉の時代』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★

 10月5日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第9回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、10月19日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、5日放送分につきましては、10月12日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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 毎日新聞:この3冊
2017-10-08 Sun 12:18
 本日(8日)付の『毎日新聞』書評欄に掲載の「この3冊」のコーナーは、“切手”をお題に内藤が担当し、①櫻井寛『世界鉄道切手夢紀行』 (日本郵趣出版)、②ヘレン・モーガン(藤井留美訳)『世界最高額の切手「ブルー・モーリシャス」を探せ! コレクターが追い求める「幻の切手」の数奇な運命』 (光文社)、③『鴻爪痕:前島密伝』(副読本として井上卓朗『前島密:創業の精神と業績』と2巻セット、鳴美)の3点をご紹介しました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      毎日新聞・この3冊(20171008)

 さて、紙面では、南伸坊さんによる僕の似顔絵を中心に、4隅に切手のイラストも配しています。このうち、左上の見返り美人、左下の前島密の1円切手、右下の「上を向いて歩こう」(わたしの愛唱歌シリーズ)については、ご存じの方も多いと思うのですが、右上のイタリア切手についてはなじみのない方も多いのではないかと思います。そこで、今回の記事の補足として、この切手について、実物の画像とともに、簡単にご説明しておきましょう。

      イタリア・ランドヴァッサー橋(2010)

 これは、2010年にイタリアで発行された“世界遺産 レーティッシュ鉄道アルブラ線・ベルニナ線(と周辺の景観)”の切手で、ランドヴァッサー橋を通過するアルブラ線の車両が取り上げられています。

 レーティッシュ鉄道はスイスのグラウビュンデン州を中心とした同国最大級の私鉄で、そのうちのクール=サンモリッツ間の89キロを結ぶアルブラ線は1904年に開通しました。一方、ベルニナ線はサンモリッツ=ティラーノ間の61キロの路線で、1910年の開通当初はレーティッシュ鉄道とは別個の鉄道でしたが、第二次世界大戦の影響をうけて経済的に厳しい状態になったことから、1944年にレーティッシュ鉄道に吸収されました。

 登山鉄道で広く見られるラック式を採用していない粘着式鉄道としてはヨーロッパ最高地点を通る鉄道であり、20世紀初頭における技術的到達の優れた例証などとして、2008年に世界遺産に登録されましたが、アルブラ線に関しては、トゥジス=サンモリッツ間の67キロ(支線含む)のみが対象となっています。この区間は、標高687メートルのトゥジスから1819メートルのアルブラ峠までの高低差を最急勾配35‰で走行するほか、5866メートルのアルブラ・トンネル、今回ご紹介の切手にも取り上げられたラントヴァッサー橋、ソリス橋など、アルブラ渓谷の絶景地帯を走ることでも有名です。

 今回の記事で僕がピックアップした『世界鉄道切手夢紀行』の表紙カバーは、ブニャイ橋を渡る氷河急行の写真をバックに、この切手を配したデザインになっており、そのため、イラストにも取り上げられたのだろうと思います。
      
 今回ご紹介の3冊は、いずれも、特に切手(収集)に興味のない方でも、十分に楽しんでもらえるものという観点から選んでみました。より多くの方に切手や郵便の面白さを知っていただくためにも、ぜひ、皆様の地元図書館などにリクエストカードを入れていただけると幸いです。


★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★

 10月5日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第9回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、10月19日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、5日放送分につきましては、10月12日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

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 小さな世界のお菓子たち:チョコレートの切手
2017-10-07 Sat 15:21
 ご報告が遅くなりましたが、大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第37号(2017年秋号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      ヴェネズエラ・カカオとチョコ(2015)

 これは、2015年にヴェネズエラが発行した“アロマの芳醇な100%のヴェネズエラ産カカオ”の切手シートです。

 南米のヴェネズエラでは、スペイン植民地時代の1670年から、首都カラカスとその周辺で本国向けのカカオの出荷が始まり、ヴェネズエラ経済はカカオのプランテーション栽培で大いに繁栄しました。このため、現地の農場経営者は宗主国スペインに対して関税を撤廃する自由貿易を要求。そのことが独立運動の要因ともなりました。

 もともと、ヴェネズエラで生産されていたカカオは、メソアメリカ(メキシコおよび中央アメリカ北西部)原産のクリオロ種です。クリオロ種は苦味の少ないマイルドな味わいとフルーツのような芳醇な香りが特徴で、古くから上質のカカオとして珍重されてきましたが、気象条件の変化や病害虫に弱く、実の数も少ないため、次第に、栽培の容易なフォラステロ種が世界的には主流となりました。現在ではカカオ生産量の80%をフォラステロ種が占めており、クリオロ種は5%未満と言われています。さらに、クリオロ種を名乗っていても、トリニタリオ種(クリオロ種とフォラステロ種の交配種)と交雑した苗木も少なからずあるため、純粋なクリオロ種は全体の1%未満という貴重品です。

 現在、ヴェネズエラのカカオ生産量は年間1万5000トン程度と決して多くはないのですが、クリオロ種に関していえば、ヴェネズエラ産が全世界の約3分の1を占めており、高品質カカオの産地として国際的に高い評価を受けています。特に、ミランダ州東部のカリブ海に面したバルロヴェント地域で栽培されるクリオロ種のカカオ、“カレネロスペリオール”は、フルーツやスパイスを思わせる芳醇なアロマとキレのある味が特徴で、ヴェネズエラのカカオ豆生産量の40%を占めています。また、同じくカリブ海に面したアラグア州のチュアオ村で採れる“チュアオ”は、クリオロ種の中で最も原種に近いものとされ、 “チョコレートのロマネ・コンティ”とも呼ばれる逸品です。

 今回ご紹介の切手シートは、そうしたヴェネズエラ産カカオを広く内外に紹介するために発行されたもので、カカオを育てて収穫し、乾燥させてチョコレートになるまでのさまざまなプロセスが取り上げられています。

 カカオの輸出国の場合、原料としてのカカオは生産していても製品としてのチョコレートはほとんど生産していない国も多いのですが、ヴェネズエラの場合は、1929年創業のエル・レイが有名です。

 エル・レイは、ホセ・ラファエル・ソサヤとカルメロ・トゥオッツォが首都カラカスで創業した“トゥオッツォ・ソサヤ”がルーツで、古くからヴェネズエラ最高の名店と謳われていましたが、1973年の株式会社化を機に、名実ともに業界の盟主であることを誇示すべく“王者”を意味するエル・レイに社名を変更し、現在に至っています。
  

★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★

 10月5日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第9回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、10月19日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

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 エジプト陸軍記念日
2017-10-06 Fri 19:11
 きょう(6日)は、1973年10月6日にエジプト軍がスエズ運河を渡り、“10月戦争(一般に第四次中東戦争と呼ばれている戦争です)が始まったことにちなみ、エジプトでは“陸軍記念日”になっています。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      エジプト・第4次中東戦争(2016)

 これは、昨年(2016年)、エジプトが発行した“10月の勝利43周年”の記念切手で、カイロの無名戦士の墓を背景にスエズ運河を渡する兵士が描かれています。

 第三次中東戦争(1967年)の敗戦後、エジプトにとっての最重要課題はイスラエルからシナイ半島を奪還することにありました。

 1970年にナセルの死を受けて政権を継承したサダトは、それぞれの思惑から中東に関与しているだけの米ソ両国に任せていてもシナイ半島の奪還は無理であると喝破し、武力による自力奪還以外に、エジプトの採るべき現実的な選択はないという結論に到達。こうした判断にもとづき、シリア大統領ハフィズ・アサドとも連携をとりながら、対イスラエル戦争のプランを練り始めます。

 戦争計画の策定にあたっては、戦争の長期化は絶対に避けるとの前提の下、イスラエルに軍事的な大打撃を与えることで、大国による和平の仲介を引き出すという基本方針が確認されました。このため、戦争計画は、緒戦の電撃的な侵攻作戦に重点が置かれ、スエズ運河の潮流や月齢などを考慮した結果、ユダヤ教の贖罪日(ヨム・キップール)でイスラエル軍の態勢が手薄になる1973年10月6日が開戦予定日として設定されます。

 かくして、1973年10月6日、エジプト・シリア連合軍によるイスラエルの奇襲攻撃によって、第4次中東戦争の火ぶたが切って落とされました。

 開戦当初の3日間、エジプト軍はイスラエルに対する大規模攻撃を展開し、スエズ運河を渡河して、イスラエルの航空機50機と戦車550両を撃破するという華々しい戦果を挙げました。このうち、スエズ運河渡河作戦の成功は、イスラエルに対するアラブ最初の勝利として大々的に喧伝され、サダトは「渡河作戦の最高指揮官=イスラエル軍不敗神話を破ったアラブの英雄」として、その権威は絶大なものとなります。

 一方、イスラエル=シリア国境のゴラン高原では、シリア軍が快進撃を続け、アラブに対するイスラエルの不敗神話は崩壊しました。

 もっとも、エジプト・シリア両軍の優勢は長続きしませんでした。はやくも10月11日にはイスラエルはゴラン高原での大反攻を開始し、シリア領内に突入。さらに、シナイ半島方面でも、同16日にはスエズ運河の逆渡河に成功してエジプト領内に進攻し、形勢は逆転しました。

 戦況が次第にイスラエル有利に傾いていくと、ソ連はエジプトとシリアが第三次中東戦争に続いて大敗することを懸念し、米国と協議を開始。ソ連がエジプトとシリアに対して、米国がイスラエルに対して、それぞれ、早期の停戦を受け入れるよう、強く説得します。

 一方、イスラエル敗北の既成事実を作った上で停戦協定を結び、シナイ半島を奪還することを目的としていたサダトも、緒戦の優位が失われていたことから、停戦の受け入れに前向きな姿勢を示しました。これに対して、戦況が好転しつつある中での停戦受諾はイスラエルにとっては不満の残るものではあったが、米国はなんとかイスラエルを説得します。

 こうして、10月22日の国連安保理において関係諸国に対する停戦決議(決議第338号)が採択され、第4次中東戦争の終結から、エジプト・イスラエル和平へと向かいます。しかし、その結果、エジプトはアラブ世界で孤立し、1981年、サダトは8年前のスエズ渡河の記念日にあたる10月6日、陸軍記念日の閲兵式で暗殺されるという悲劇的な最期を迎えることになるのです。

 なお、第四次中東戦争と関連の切手・郵便物については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★

 10月5日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第9回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、10月19日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、5日放送分につきましては、10月12日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

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      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

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 切手でひも解く世界の歴史(9)
2017-10-05 Thu 08:05
 本日(5日)16:05から、NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第9回が放送される予定です。(番組の詳細はこちらをご覧ください)。今回は、10月9日に没後50周年を迎えるチェ・ゲヴァラにスポットを当てて、この切手もご紹介しながら、お話をする予定です(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・ゲヴァラ終焉の地

 これは、ゲヴァラ没後5周年にあたる1972年にキューバが発行した切手で、ゲヴァラと彼がボリヴィア政府軍に捕えられたケブラダ・デル・ジューロ(ユーロ)の位置が示されています。ゲヴァラは地図に記載の場所から7kmのラ・イゲーラに移送され、殺害されました。

 エルネスト・ラファエル・ゲヴァラ・デ・ラ・セルナは、1928年6月14日、アルゼンチン第2の都市、ロサリオの裕福な家庭に生まれました。ブエノスアイレス大学医学部在学中の1951年、高校時代からの友人、アルベルト・グラナードと2人で南米大陸をオートバイで縦断旅行し、中南米諸国の絶望的な貧富の格差やアメリカによる経済支配の実態などを目の当たりにして、次第に共産主義に傾斜していきます。

 1953年の大学卒業後、フアン・ドミンゴ・ペロン独裁政権下の軍医として徴用されることを嫌ったゲヴァラは出国し、ボリヴィア、ペルー、エクアドル、グアテマラなどを経てメキシコにいたり、1955年6月、キューバのバティスタ独裁政権に抵抗して亡命中だったキューバ人革命家、フィデル・カストロと出会います。

 ちなみに、“チェ・ゲヴァラ”の “チェ”は、もとは、アルゼンチンなどで日常的に用いられているリオプラテンセ・スペイン語で呼びかけの「やぁ」「おい」、愛称の「お前さん」などの意味です。ゲヴァラがカストロに“Che, Ernest Guevara(やぁ、俺はエルネスト・ゲヴァラだ)”と自己紹介した際、居合わせたキューバ人は、当初、“チェ”の意味が理解できず、以後、それが彼のあだ名として定着。本人も“チェ”のサインを用いるようになりました。

 カストロと意気投合したゲヴァラは、すぐにキューバ革命への参加を表明。軍事訓練を受け、1956年12月、カストロらとともにヨット“グランマ号”でキューバに上陸します。当初、ゲヴァラら革命派は圧倒的に不利な状況にありましたが、キューバ国内のさまざまな反独裁勢力に支えられ、徐々に勢力を拡大。1959年1月1日、バティスタ政権を打倒して首都ハバナに入城し、カストロが勝利宣言を行いました。

 革命後の1959年6月、ゲヴァラは通商大使としてアジア、アフリカ、東欧などを歴訪し、帰国後、農業改革機構工業部長および国立銀行総裁に就任。農地改革と企業の国有化を進めました。

 ちなみに、ゲヴァラの肖像として一番有名な「英雄的ゲリラ」は、革命後の1960年3月5日、前日にハバナ港で起きた爆発事件の犠牲者追悼集会で、『レヴォルシオン』誌の写真記者、アルベルト・コルダが撮影しました。当初、写真は一般に公開されませんでしたが、1967年、イタリアの編集者ジャンジャコモ・フェルトリネッリが焼き増しを譲り受け、同年10月のゲヴァラ処刑後、ポスターにして販売。さらに、キューバ政府主催の追悼集会で巨大な遺影として掲げられたほか、没後1周年の追悼切手等にも取り上げられて、いちやく有名になり、反体制のシンボルとして世界中で多くの複製が作られました。

 1961年4月、アメリカはプラヤ・ヒロン侵攻事件で革命に干渉しますが、ゲヴァラはカストロと共に侵攻軍を撃破。翌5月、カストロはキューバ革命の社会主義革命化を宣言します。

 当初、敵の敵は味方のロジックで、ソ連との関係強化を唱えていたゲヴァラでしたが、1962年のキューバ危機では、結局、ソ連はアメリカに妥協してキューバへの核ミサイル配備を中止。この“裏切り”に憤激した彼は、ソ連への批判を強め、1965年2月、通商交渉のため訪れていたアルジェリアでソ連の外交姿勢を“帝国主義的搾取の共犯者”と非難。このため、キューバ政府が「ゲヴァラを首脳陣から外さなければ物資の援助を削減する」との圧力をソ連から受けると、ゲヴァラは「別れの手紙」を残してキューバを離れます。

 キューバを離れたゲヴァラは、コンゴ動乱に馳せ参じ、約1年間、軍事政権に対抗する左翼反乱軍に参加しました。しかし、反政府勢力首脳部の腐敗と堕落に幻滅した彼は、“世界革命”の理想を抱えてコンゴから撤退し、チェコスロヴァキアを経てラテンアメリカに戻り、1966年11月、独裁政権下のボリヴィアに潜入。革命に向けてのゲリラ活動を展開しました。

 ボリヴィアでのゲヴァラは勢力を拡大できないまま、1967年10月8日、政府軍に逮捕され、翌日、銃殺されます。ちなみに、銃殺をためらう政府軍兵士に対して発せられた「お前の目の前にいるのは英雄でも何でもないただの男だ。撃て!」が最期の言葉となりました。

 彼の遺体は、死亡の証拠として両手首を切り落とされた後、ボリヴィア山中に埋められましたが、没後30年にあたる1997年、掘り返され、キューバに返還。キューバ中部の都市で、革命の際にゲヴァラが解放したことで知られるサンタクララに埋葬されました。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は5日!★★

 10月5日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第9回が放送予定です。今回は、10月9日に没後50周年を迎えるチェ・ゲヴァラの切手にスポットを当ててお話をする予定ですので、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 月夜のパレスチナ
2017-10-04 Wed 08:56
 きょう(4日)は中秋節です。というわけで、満月の風景を取り上げた切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ自治政府・アラブ連盟50周年

 これは、1995年にパレスチナ自治政府が発行した“アラブ連盟創立50周年”の切手シートで、切手部分には、パレスチナ出身の画家、イブラヒム・ハジメの1987年の作品、「パレスチナ わが夢の地」が取り上げられています。

 イブラヒム・ハジメは、1933年、英委任統治領パレスチナのアッコに生まれました。1948年、第一次中東戦争が勃発すると、一家はレバンン、ついでラタキアに難民として逃れました。

 ラタキアでのハジメは、独学で絵を学びながら、美術教師と簿記係をして生計をたてていましたが、1960-64年、ドイツ・ライプツィヒの視覚芸術アカデミーに留学。1974年以降は西ベルリンを拠点に活動し、在欧パレスチナ芸術協会のスポークスマンとしても活動しています。また、2007年以降、“パレスチナのための連帯の熊”と題して、国連の加盟国(当時)142ヵ国(当時)にちなんで、高さ2メートルの熊の像142ヵ体を展示する活動を行って注目を集めました。

 切手の題材となったアラブ連盟はアラブ世界の政治的な地域協力機構で、その構想は、第二次大戦中の1941年5月、アラブ諸国(委任統治下の自治政府等を含む)が枢軸側に就くことを避けるため、英外相アンソニー・イーデンが提案したのが最初です。当時の欧州戦線はドイツ軍に有利な戦況であったことから、アラブ側は様子見の構えで静観していましたが、連合国有利の戦況がほぼ確定した1943年2月になって英国が再提案すると、アラブ側がこれに反応し、具体化に向けて動き出すことになりました。

 ただし、連盟に対するアラブ諸国の思惑はさまざまで、まさに同床異夢の状況にありました。

 すなわち、アラブ随一の大国として、連盟設立の主導権を握っていたエジプトは、連盟はあくまでも国家間の緩やかな協力機構にするとの意向を持っていましたが、第一次大戦後のアラブ分割の結果として発足したトランスヨルダンシリアイラクの三国は、(現在の国名でいう)シリアからパレスチナにいたる“大シリア”を統合したうえで、他のアラブ諸国との連合を目指そうと考えていました。このうち、ハーシム家の王朝であるトランスヨルダンとイラクは、ハーシム家による君主制の下、統制の強い国家連合を想定していましたが、シリアは共和政体を主張していました。

 一方、キリスト教徒が人口の半数を占めるように設定されたレバノンは、アラブ諸国が統合されると、全体としてはマイノリティとなるキリスト教徒の権利が制約されることを恐れ、主権の移譲には絶対反対しており、サウジアラビアとイエメンは、そもそもアラブ連盟が実際に設立される可能性は低いと考えていました。

 結局、エジプトが中心となってともかくも各国の妥協をまとめ、加盟国に対するいかなる強制力も持たない緩やかな地域協力機構として、1945年3月22日のアレキサンドリア議定書調印によって、アラブ連盟が結成されます。

 こうした経緯から、アラブ連盟の本部はエジプトの首都カイロに置かれていました。しかし、1978年3月、キャンプ・デービッド合意でエジプトがイスラエルと単独で停戦し、両国が相互承認を行ったことから、エジプトは連盟の対イスラエル共通政策である「和平せず、交渉せず、承認せず」に違反したとして、1979年、エジプトは連盟を追放され、連盟の本部はテュニスに移転しました。その後、1990年にエジプトは連盟に復帰し、本部もカイロへ戻り、現在に至っています。

 なお、パレスチナをめぐるアラブ諸国の現代史については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくまとめておりますので、機会があり間設楽、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は5日!★★

 10月5日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第9回が放送予定です。今回は、10月9日に没後50周年を迎えるチェ・ゲヴァラの切手にスポットを当ててお話をする予定ですので、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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