内藤陽介 Yosuke NAITO
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 新潟県知事に花角英世氏
2018-06-11 Mon 01:08
 新潟県の米山隆一前知事の辞職に伴う同県知事選は、きのう(10日)、投開票が行われ、自民、公明両党が支持する前海上保安庁次長、花角英世氏が、立憲民主、国民民主、共産、自由、社民の野党5党と衆院会派・無所属の会推薦の元県議、池田千賀子氏ら2氏を破り、当選しました。というわけで、新潟県政がらみで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      新潟県政記念館

 これは、1989年7月14日に発行された“89新潟食と緑の博覧会(1989年7月14日から9月3日まで、新潟産業振興センタ-とその周辺で開催)”のふるさと切手(新潟県)で、博覧会のマークと新潟県政記念館が描かれています。原画作者は、新潟県出身の洋画家、堀井健美(1932-2006)です。

 もともと、新潟県会の議場は、当初、新潟県庁舎内にありましたが、1880年夏の新潟大火で県庁舎が類焼し、その後の県会は新潟学校(現新潟大学)で行われていました。このため、1882年、県令の永山盛輝は、県会の賛同を得て議事堂の建設に着手します。

 こうして、翌1883年3月、当時の大阪駅舎などを手掛けた大工の棟梁・星野総四郎の設計により、切手に描かれた建物が県会議事堂として完成します。議事堂は木造2階建の桟瓦葺きで、正面玄関の両翼に大きな切妻屋根の棟を張り出し、屋上中央に八角塔屋を構えており、正面の二階が知事室・議長室、向って右側の棟が議場、左側の棟が議員控室・傍聴人控室などとなっていました。

 1932年、現在は新潟市役所本庁舎のある学校町通一番町地内の県庁の新庁舎が完成すると、議場もそちらに移されたため、切手の建物は議事堂としての役割を終えました。その後は、郷土資料館、県庁分館などとして使われていましたが、1969年3月、府県会開設期における現存唯一の府県会議事堂の遺構として価値が高いと評価され、国の重要文化財に指定。復原・修復工事を経て、1975年4月、新潟県政記念館として開館し、一般公開されています。


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 時の記念日
2018-06-10 Sun 15:01
 きょう(10日)は“時の記念日”です。というわけで、時計がらみの切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・革命50年(ゲバラ工業大臣)  キューバ・革命50年(ゲバラ工業大臣・部分)

 これは、2009年にキューバが発行した“革命勝利50年”の記念切手のうち、ゲバラの工業大臣就任を題材とした1枚で、左腕に腕時計をつけているのが確認できます。(右側には腕時計の部分をトリミングした画像を貼っておきました)

 キューバ革命達成以前のゲバラは、スイスのマーヴィン社のステンレス製自動巻き4針タイプを使っていましたが、革命後は耐久性と機能性に優れたロレックスを愛用するようになりました。

 なかでも、1963年の後半以降(遅くとも1964年4月まで)に入手し、1967年10月にボリビア山中で亡くなるまで身に着けていたGMTマスター1675(下の画像)は、赤青のベゼルが印象的な外観に加え、ベゼル(文字盤の外側)を回転させて世界各国の現地時間がわかる仕様が世界各地を飛び回っていたゲバラのイメージとも合致することから、“ゲバラの腕時計”といえば、このモデルが紹介されることが多いようです。なお、GMTマスター1675は、製造年代によって若干の差異がありますが、ゲバラが着けていたのは、1960-70年代に製造されていた龍頭ガードの付いたタイプです。

      ロレックスGMTマスター1675

 今回ご紹介の切手の腕時計は、文字盤が赤と青の2色になっているように見えますが、あるいは、光の加減などで文字盤にベゼルの色が映っているのか、それとも、GMTマスター1675ではない別の時計なのか、画像が小さすぎて良くわかりません。どなたかお詳しい方がおられましたら、御教示いただけると幸いです。

 なお、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、今回の時計の話のような、ゲバラに関する小ネタの話もいろいろとご紹介しております。正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。
  

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 世界の切手:ミャンマー
2018-06-09 Sat 01:55
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2018年6月6日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はミャンマー(と一部アンティグア・バーブーダ)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ビルマ国・独立の文字

 これは、1943年8月1日、日本軍政下のビルマで発行された“独立記念”の切手のうち、1セント切手の無目打ペアです。

 1941年12月の日英開戦後、1942年5月末までにビルマ全土をほぼ制圧した日本軍は、英国の支配下で投獄されていた独立運動の闘士、バーモ(バモオ)を行政府長官兼内務部長官として、8月1日、ビルマ中央行政府を樹立します。その際、日本軍はビルマ独立は戦勝後の予定とし、即時独立を認めませんでした。また、ビルマ国民には軍政への協力を要求する一方で、批判的な民族主義者や若いタキン党員の政治参加を抑圧したこともあって、ビルマ側の不満が鬱積していきます。

 このため、戦況が悪化する中で、ビルマにより一層の戦争協力を求めるための見返りを用意する必要に迫られた日本政府はビルマ独立の方針を具体化し、1943年3月10日に『緬甸独立指導要綱』を決定。同年8月1日、軍政を廃止し、バーモを首班とするビルマ国としての独立を承認しました。ただし、独立と同時に、日本ビルマ同盟条約が締結され、ビルマは連合国へ宣戦布告することになり、日本軍の駐留はその後も終戦まで続けられることになります。

 今回ご紹介の切手では、ビルマ語で“独立”の文字を彫刻する場面が描かれていますが、ビルマ語を表記するためのビルマ文字は、ビルマのモン族が使っていた文字をベースに11世紀後半、ビルマ語に転用されるようになったもので、子音を表す基本字母の周囲に母音記号と声調を組み合わせた構造となっています。この地域では、かつて、紙の代わりにタラバヤシの葉を用いていたため、直線を使うと葉が避けてしまうため、曲線を中心とした字形で、左から右へと綴ります。また、ビルマ語以外にもサンスクリットやパーリ語などの表記にも用いられます。

 さて、『世界の切手コレクション』6月6日号の「世界の国々」では、第二次大戦の勃発後、日本占領時代を経て1948年の独立にいたるまでのビルマ近代史についてまとめた長文コラムのほか、第二次大戦中の日本軍の捕虜収容所の郵便物ロンジースカート緑の孔雀の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のミャンマー(と一部アンティグア・バーブーダ)の次は、6月6日に発売予定の6月13日号でのイスラエルの特集です。こちらについては、発行日の6月13日以降、このブログでもご紹介する予定です。
 

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 世界海洋デー
2018-06-08 Fri 14:04
 きょう(8日)は、「海の重要性に気づき、感謝する日」という“世界海洋デー”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・グランマ国立公園(2003)

 これは、2003年にキューバで発行された“エコ・ツーリズム”の切手のうち、“グランマ号上陸記念国立公園”を取り上げた1枚です。

 1956年11月25日深夜、フィデル・カストロらキューバ革命の志士たちはグランマ号でメキシコのトゥスパンを出航し、1週間後の12月2日明け方、キューバ島オリエンテ州(当時)ラス・コロラダス海岸に上陸しました。

 ラス・コロラダス海岸を含むシエラ・マエストラ西側斜面の石灰岩段丘は、石灰岩の海岸段丘としては世界最大規模の高低差540メートル(海抜標高360メートルから水深180メートル)があり、その景観と地学上の重要性、多様な動植物相で知られています。

 なお、オリエンテ州は、1976年、グランマ号の上陸地点の所在地であることにちなみ“グランマ州”に名称が変更されましたが、その後の1986年、ラス・コロラダス海岸を含む418.63平方キロの範囲が“グランマ号上陸紀念国立公園”に、さらに、1999年、そのうちのクルス岬を含む325.76平方キロの範囲が“クルス岬の海岸段丘地形”として世界遺産にも登録されました。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、グランマ号上陸記念国立公園の名前の由来となったグランマ号上陸事件とその関連の切手・絵葉書も、いろいろとご紹介しております。正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 キルギスで反“誘拐婚”デモ
2018-06-07 Thu 00:12
 きのう(6日)、キルギスの首都ビシュケクで“誘拐婚(アラ・カチュー)”に抗議する大規模なデモが行われました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      キルギス・エレチェーク

 これは、2012年にキルギスで発行された既婚女性の被り物、“エレチェーク”の切手です。なお、この切手に描かれている女性が誘拐婚によって結婚したのか否かは定かではありません。

 キルギスは男女を問わず帽子をかぶる文化が生活に深く浸透していますが、特に、女性に関しては、人口の75%を占めるムスリム、20%を占めるキリスト教正教会の信徒の間では、いずれも、日常生活において髪を人目にさらすべきではないとされています。
 
 このうち、既婚女性が被るエレチェークは、タキヤと呼ばれるヘルメット状でつばのない小さな帽子をベースに頭巾とターバンをしっかりと巻き、外からは頭髪を完全に隠す構造になっていますが、地域などによりさまざまなヴァリエーションがあり、2013年からはその保護・継承プロジェクトが行われています。

 さて、キルギス語で“掴んで逃げる”を意味する“アラ・カチュー”は、辞書的には「若い男性が友人たちと共に女性を説得し、あるいは力づくで誘拐し、親族の待つ家まで連れていくこと」で、男性側の親族の家に連れて行かれた女性は結婚を承諾するまで、幽閉・監禁され、説得を受け続けます。そのプロセスについては、双方に相手との結婚の意思があり、形式的な“儀式”の場合もないではないのですが、その一方で、女性の意思を完全に無視し、結婚を拒む女性に対する暴行(性的暴行を含む)が行われることも珍しくありません。

 また、人口の多数派を占めるムスリム社会では、女性の処女性が結婚に際して極端に重視されるため、女性が(自分の意思ではないにせよ)いったん男性の家に入った後に、結婚を拒否してそこから出ることは“恥”とみなされ、彼女自身だけでなく、家族の名誉をも傷つけかねないこと、伝統的な価値観の中で、高齢の女性が説得にあたると断りづらいこと、などの社会的な要因もあり、誘拐婚の被害女性は自分の意思とは無関係に結婚を受け入れざるを得ないのが実情です。

 アラ・カチューは、もともと、キルギスの遊牧民の習慣で、ソ連時代には、伝統文化と同様、“因習”として共産主義政権によってある程度抑えこまれていました。ところが、1991年にソ連が崩壊し、キルギス国家が独立すると、社会的な混乱に乗じて、女性を誘拐・監禁して結婚を強要するケースが増加するようになり、そこに、民族主義の高揚もあって、誘拐婚を伝統的な“アラ・チュー”として正当化しようとする風潮が強まりました。

 当然のことながら、本人の意思を無視して女性を誘拐することは、それじたい、立派な犯罪であり、現在のアラ・カチューは国際的にも深刻な人権問題として非難されています。このため、キルギス政府は独立後の1994年にアラ・カチューを正式に法律で禁止しましたが、現実には警察や裁判官もアラ・カチューを黙認しており、国連によればキルギスでは、24歳未満の女性の13.8%が誘拐犯との結婚を強いられているとされています。

 今回のデモの直接の発端となったのは、今年5月、キルギス北部チュイ州で誘拐され、結婚を強要された女性(20歳の医学生)が、犯人の男を告発し、警察署で男に不利な証言をしようとしたところ、刺殺された事件です。事件はキルギス国民に大きな衝撃を与え、国連や各種の人権団体のみならず、ソオロンバイ・ジェエンベコフ大統領も犯人を激しく非難していました。

 きのう、ビシュケクで行われたデモでは、1000人以上の参加者たちが「私たちはアラ・カチューに反対する」、「少女たちに幸せになるチャンスを与えよ」といったスローガンを記したポスターを掲げ、抗議の意思を表明したそうです。


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 ロバート・ケネディ没後50年
2018-06-06 Wed 01:43
 ジョン・F・ケネディ元米大統領の弟、ロバート・ケネディ上院議員(当時)が、1968年の米大統領選の民主党候補指名選のキャンペーン中の6月5日、ロサンゼルスで狙撃され、翌6日に亡くなってから、きょうでちょうど50周年です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      フィリピン・ケネディ兄弟(1968・不発行)

 これは、1968年、フィリピン名義の“国際人権年”の切手として企画されたものの、結果的に日の目を見ずに終わった“ケネディ・モスデン切手”の1枚で、ジョンとロバートのケネディ兄弟の肖像が取り上げられています。

 1968年4月、フィリピンの公共事業・運輸・通信長官のアントニオ・ラクィザは、高速道路建設のための資金援助を受けるべく、渡米して米政府と交渉を行っていましたが、その過程で、ニューヨークで切手商のエッゼ・モスデンを紹介されます。モスデンは、ラクィザに対して、外貨獲得のために世界の収集家をターゲットとした“輸出用”の切手を制作・発行することを提案。その費用を彼が負担する代わりに、切手の製造と販売権を独占できないかとラクィザに持ちかけました。

 モスデンは、切手の輸出によりフィリピン政府は年間2‐300万ドルの収入が得られるとの見通しを示したため、ラクィザはこの提案に大いに興味を抱き、個人的にこの提案を受け入れ、モスデンがベン・ダンビーと共同経営していたパルコ・インターナショナル社とフィリピン切手の制作・販売についての契約を結びました。その内容は、フィリピン政府はパルコ・インターナショナルを、今後5年間にわたり、フィリピン切手の印刷、プロモーション、フィリピン国外での切手の販売を独占的に扱う代理店とするというもので、パルコ・インターナショナルがフィリピン切手の販売によって得られる手数料は売り上げの20%とされていました。なお、契約の日時については、資料によって、1968年6月24日、同26日、8月19日と諸説がありますが、いずれにせよ、ラクィザの米国滞在中に署名が行われたとみられています。

 ところが、ラクィザが帰国すると、当時の郵便長官、エンリコ・パロマーがパルコ・インターナショナルとの契約に対して、以下の理由を挙げて強硬に反対します。すなわち、

 1)フィリピン切手の製造・販売に関する契約は、いかなるものであっても、公共事業・運輸・通信長官ではなく、郵便長官が署名しない限り無効である
 2)フィリピン切手の製造・販売業者の選定は、公開入札によらなければならない
 3)フィリピン切手のデザインは、フィリピン郵政の切手・郵趣課が制作するか、または妥当なものであると承認したもののみを、正規の手続きを経て印刷しなければならない

 上記の理由から、フィリピン郵政はラクィザがパルコ・インターナショナルと結んだ契約は無効であるとして、これを拒絶しました。

 一方、そうしたフィリピン側の事情を知らないモスデンは、早々とフィリピン切手の製造・販売を請け負う会社として“フィリピン郵趣代理部( Philippine Philatelic Agency Inc:PPA)を設立し、同年のメキシコ五輪および“世界人権年”の記念切手の制作を開始しました。

 このうち、世界人権年の記念切手は、“公民権と人権のために戦った闘士”として、世界的に人気のあるケネディ元大統領とその家族が題材として選ばれました。これがいわゆる“ケネディ・モスデン切手”で、今回ご紹介のモノを含む5種セットと小型シートで構成されています。

 その後、モスデンのPPAは、最初の切手として、10月12日にメキシコ五輪の記念切手を発売しようとしましたが、フィリピン郵政はあくまでも、①ラクィザが結んだ契約はフィリピン郵政の承認を得た正式のものではない、②フィリピン郵政が件の切手の製造に関与していない、③件の切手の印刷枚数について、フィリピン郵政は何も知らされていない、ことを理由にPAAの切手を頑として認めず、最終的に、“ケネディ・モスデン切手”は正規の切手として発行されることのないまま終わりました。

 その後、モスデンらは、これらの“切手”を“不発行切手”として収集家向けに販売することでコストの一部を回収しましたが、実際には、上記のような経緯から、“切手もどき”というのが実態に近いと思います。

 なお、ロバート・ケネディの生涯については、拙著『大統領になりそこなった男たち』で詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 スプートニクとガガーリンの闇(8)
2018-06-05 Tue 02:06
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、4月25日、『本のメルマガ』第679号が配信されました。僕の連載「スプートニクとガガーリンの闇」は、前回に続き、スプートニク1号および2号を題材に、国際地球観測年の期間中に東側諸国で発行された切手を紹介していますが、今回はチェコスロヴァキアについて取り上げました。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      チェコ・ラジウム記念印はがき

 これは、ヤーヒモフ(ドイツ語名ヨアヒムシュタール)でのウラン抽出100周年の記念標語印が押された葉書です。今回は、チェコのウランとソ連の宇宙開発という話でしたので、その“チェコのウラン”に絡めて使ったマテリアルです。

 チェコスロヴァキアでは、1948年2月の政変で共産党が実権を掌握。同年6月、チェコスロヴァキア共産党の創設メンバーだったクレメント・ゴットワルトが大統領に就任します。

 ゴットワルトは純然たるスターリン主義者で、すべての生産設備を国有化し、農業集団化を強行しただけでなく、議会制度を完全に放棄し、体制に批判的な人物は容赦なく粛清しました。1953年3月14日、スターリンの葬儀から帰国して5日後に亡くなったのは、“小スターリン”として本家のコピーに徹しきった彼の生涯を象徴するような幕引きだったといえましょう。

 ゴットワルトの死後、共産党第一書記に就任したアントニーン・ノヴォトニーはゴットワルトの路線を継承しつつ権力基盤を固め、1957年には大統領職も兼務しました。

 ときあたかも1956年2月のフルシチョフによるスターリン批判を機に東欧諸国ではソ連支配への反発が強まっており、同年10月には隣国ハンガリーで大規模な反ソ暴動(ハンガリー動乱もしくはハンガリー1956年革命)が発生しましたが、ノヴォトニーは国内の反ソ世論を封じ込めることに成功。ソ連の軍事介入を積極的に支持しました。

 こうした状況の下で、1957年10月、ソ連が世界最初の人工衛星、スプートニク1号の打ち上げに成功すると、チェコスロヴァキア国内では、「スプートニク号の仕組みは?」という質問に対して「1.チェコのウラン、2.ドイツの技術、3.ソ連の犬」と応えるという共産圏ジョークが流行します。

 チェコ・ボヘミア地方のヤーヒモフ(ドイツ語名ヨアヒムシュタール)は、神聖ローマ帝国マクシミリアン2世統治下の16世紀以来、銀山の開発が行われていましたが、当初から、銀以外にも、輝く黒い鉱物の存在が知られていた。それらは“ピッチブレンド”と呼ばれており、鉱山労働者に健康被害をもたらす一方で、関節炎などの病気の治療にも使われていました。このピッチブレンドから、1789年、化学者のマルティン・クラプロートが新しい元素を抽出し、天王星(ウラヌス)を発見したヴィルヘルム・ハーシェルに敬意を表して、“ウラン”と命名します。

 1938年、ドイツがチェコスロヴァキアを併合すると、ヤーヒモフ鉱山もドイツ領となり、同年、オットー・ハーンがここから産出されたウランの研究をもとに、ウランの核分裂を発見。ヨアヒムシュタールは、原爆開発の観点から、注目を集めます。

 第二次大戦後、チェコスロヴァキアはソ連の衛星国となり、1946年以降、ヤーヒモフ鉱山で生産されるウランは、すべてソ連に輸出され核開発及び原子力発電所用核燃料として使用されていました。

 さて、実際のスプートニク1号の打ち上げに使われたR7ロケットの燃料は液体酸素とケロシン(石油を分留して作られる液体の炭化水素。ナフサよりも重く軽油よりも軽い)であって、チェコのウランが重要な役割を果たしたわけではありません。しかし、ノヴォトニー政権は事実と異なるジョークが流布していても、あえて訂正しませんでした。それにより、自分たちが東側諸国の“優等生”としてソ連の宇宙開発を支えており、自分たちに敵対する者に対してはソ連によって鉄槌が下されるであろうことを暗示させる効果を狙ったのです。

 ただし、ノヴォトニー体制下での硬直化した国家運営や西側諸国との経済格差の拡大は、次第に、チェコスロヴァキア国民の不満を鬱積させ、1962年5月1日には、プラハ大学の学生が「我々はスプートニクをもっているが、肉をもっていない。我々はスプートニクより肉が欲しい」とのスローガンをかかげてメーデーに参加しています。これに対して、ノヴォトニーは、学生たちの要求を徹底的に弾圧。その後も“プラハの春”が始まる1968年1月まで党第一書記・大統領としてチェコスロヴァキアの“小スターリン”の座を維持し続けました。

 なお、毎月25日に配信の「本のメルマガ」での僕の連載、「スプートニクとガガーリンの闇」ですが、5月は、イスラエル出張中ということで1回お休みをいただきました。次回は、6月25日配信号での掲載になりますので、あしからずご了承ください。


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 宿泊希望先は元中央郵便局
2018-06-04 Mon 17:47
 米紙ワシントン・ポストによると、今月12日、シンガポールで予定されている米朝首脳会談で、金正恩朝鮮労働党委員長ら北朝鮮代表団が宿泊先としてフラートン・ホテル(最高級スイートの宿泊料金は1泊6000米ドル)を希望しているものの、外貨不足などを理由に、米国またはシンガポール政府による費用の肩代わりを求めているそうです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      シンガポール・中郵(2000)

 これは、2000年にシンガポールが発行した“歴代中央郵便局”の切手のうち、1928-96年の中央郵便局の局舎が取り上げた1枚で、この建物を改装して2001年にオープンしたのが、件のフラートン・ホテルです。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた建物は、上海にあった建築会社キース&ドウズウェルにより設計され、ドーリア式の円柱などを特徴とするパラディアン様式の建物として、1928年6月27日に完成。ほぼ1世紀前の1826年に英領海峡植民地が創設された際の初代総督、ロバート・フラートンにちなんで、“フラートン・ビルディング”と命名され、中央郵便局のみならず、いくつかの政府機関などが入居しました。第二次世界大戦中は、日本軍の攻撃を受け、当時の総督シェントン・トーマスがマレー駐在英軍司令官中将アーサー・パーシバル降伏について話し合った建物でもあります。

 なお、フラートン・ビルディングは1996年まで中央郵便局として使われた後、改装費用約240億円をかけ、2001年、香港企業の信和集団傘下の信和置業によりホテルとして開業しました。旧中央郵便局の局舎だった過去を活かして、ロビーには郵便ポストや以前の写真なども展示されています。なお、ホテル周辺の一帯はフラートンヘリテージの所有地で、かのマーライオンもその中に含まれているのだとか。

 来年(2019年)は、シンガポールでアジア切手展が予定されているので、宿泊は無理にしても、ホテルのロビーでビールくらいは飲んでみたいですな。
 

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(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


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 おかげさまで13周年
2018-06-03 Sun 11:10
 外遊中だったのでご挨拶が少し遅れましたが、おかげさまで、2005年6月1日にこのブログをスタートさせてから、13年が過ぎました。日頃、このブログを応援していただいている皆様には、あらためて、お礼申し上げます。 というわけで、毎年恒例、13周年にちなんで額面13の切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・プラヤヒロン3周年(鷲)

 これは、1964年4月、キューバが“プラヤ・ヒロン勝利3周年”を記念して発行した13センタボ切手で、撃ち落とされる米国の象徴、鷲が描かれています。

 1959年のキューバ革命後、米国とキューバの関係が日に日に悪化していく中で、1961年11月8日、アイゼンハワーからケネディへの政権交代を間近に控えた米国はキューバと断交し、ラテンアメリカ諸国の大半がこれに追随します。

 1960年の米国大統領選挙を通じて、民主党のケネディ、共和党候補のリチャード・ニクソンの両候補はいずれもキューバに対して“弱腰”ではないことを示すため、(その時期は明言しなかったものの)政権悪徳後は軍事介入する意向を明らかにしていましたが、選挙後まもない1960年11月17日、大統領当選者のケネディに対して、CIA長官のアレン・ダレスは、亡命キューバ人がグアテマラ国内でキューバ上陸作戦のための軍事訓練を受けていることを報告。ケネディも計画をそのまま進めるよう指示を出しています。

 この時までに、革命を逃れてフロリダに渡ったキューバ難民の数は10万に達しており、CIAの計画は、そうした亡命キューバ人の中から有志を募り、革命政権転覆の尖兵として利用というものでしたが、じつは、キューバ側もその中にスパイを潜り込ませ、CIAの動きをかなり正確に把握していました。

 はたして、1961年1月20日、ケネディが正式に米国大統領に就任すると、キューバ政府は警戒態勢に入り、ゲバラはキューバ最西部のピナール・デル・リオに移動し、同軍管区を担当することになりました。侵攻が西側から、すなわち、大陸に最も近い海岸から行われるとすれば、彼の担当地域が最初に敵を迎え撃つことになります。

 ピナール・デル・リオに着任したゲバラは、前年の東欧諸国歴訪の体験を踏まえて、「ソ連をはじめ、全ての社会主義国が我々の主権を守るために戦争に入る必要があることは広く知られている」としたうえで、「我々は皆、我々がこれまで最も憎んできた敵、アイゼンハワーの後継者がわずかでも知的であることを望む」とケネディ宛のメッセージを発しました。

 1961年4月初旬、カストロは在米亡命キューバ人の中に潜入したスパイからの情報で米国の侵攻がいよいよ間近に迫っていることを察知し、潜在的な反政府勢力と見なした人々を一斉摘発。後にカストロはテレビ演説で「すべての容疑者、何らかの理由で事を起こす可能性のある者、反革命運動に与する行動あるいは動きを示す可能性のある者を逮捕するしかなかった。こうした手段を取る場合、いくらかの不当な行為があるのは当然だ」と弁明していますが、非常時を口実に、正規の法的手続きを踏まずに、体制にとって害をなす“可能性のある者”を逮捕した恐怖政治の先例は、その後、常態化していくことになります。ただし、この時点では、その点について米国以外の西側“進歩的文化人”が警鐘を鳴らすことは全くありませんでした。

 また、当時のキューバ島内では、中部エスカンブライ山中を拠点に、反政府勢力(その中には、カストロらとともに反バティスタの革命を戦ったものの、革命政府の“左傾化”に反対して、フィデルと袂を分かった人々も少なからずいました)がゲリラ闘争を展開していたため、カストロは、大規模な掃討作戦を展開し、エルカンブライ山中の反政府勢力を完全に包囲しています。キューバ島に上陸した敵が、山中の反政府勢力と提携する可能性を事前に摘んでおくためです。

 さらに、グアテマラ南西部のレタルレウでは、反カストロ軍の“2506部隊”にキューバの工作員が訓練キャンプに潜入し、隊長のペペ・サン・ロマンに対する叛乱も煽ったため、CIAによる上陸計画には遅延が生じ、その間、カストロはじっくりと対策を練ることができました。

 一方、CIAのプランでは、まず、キューバの空軍基地を爆撃して制空権を確保したうえで、米空母エセックスの掩護を受けた2506部隊2000人がエスカンブライ山麓のサパタ地区に上陸。橋頭保を築いたうえで、フロリダを拠点とする“革命評議会(その首班は、元首相のカルドナです)”が上陸し、臨時政府の樹立を宣言。米国と他のラテンアメリカ諸国が承認するという段取りになっていました。

 こうして、1961年4月10日、CIAに率いられた亡命キューバ人部隊約1500人はグアテマラからソモサ独裁政権下のニカラグアに移動。15日には、「カストロの鬚をお土産に」とのソモサの軽口を聴きながらニカラグアを飛び立ったB26戦闘機8機がキューバを爆撃し、コルンビア、サン・アントニオ・ボラーニョスとサンティアゴ・デ・クーバの空軍基地が爆撃されたほか、首都ハバナでは住宅密集地への爆撃により、病院の入院患者に死者が出ています。ただし、事前に攻撃を予想していたキューバ側は、滑走路にダミーないしは廃棄寸前の飛行機を置き、飛行可能な戦闘機は各地に分散して隠しておいたため、キューバの空軍兵力はほとんど無傷のままでした


 空爆のあった当初、米政府は「爆撃は米国への亡命を希望する元キューバ空軍のパイロットによるものだ」と説明していましたが、真相はすぐに明らかになり、米国の事件への関与も明らかになってしまいます。

 翌16日、カストロは「真珠湾攻撃の時、日本政府は“攻撃していない”という嘘はつかなかった」として米国を非難。そして、米国との対決姿勢を鮮明に示すため、ついに、「キューバ革命は社会主義革命である」と宣言しました。

 これに対して、国際的な非難を恐れたケネディは、2回目以降の空爆を中止するよう、軍とCIAに命令しましたが、キューバ側の防衛力を過小評価し、事態を楽観視していた彼らは、当初の予定通り、4月17日、キューバ島中部南海岸のプラヤ・ヒロン(米側の呼称はピッグス湾)に2506部隊を上陸させます。

 きれが、いわゆる“プラヤ・ヒロン侵攻事件”です。

 しかし、連絡の不備から、エセックスの艦載機が現場に到着したのは2506部隊の上陸から1時間後のことで(CIAが攻撃時間をニカラグアの現地時間で伝えたのに対して、米海軍はそれを1時間の時差があるワシントン時間で伝えるというミスを犯していました)、その間、キューバ側は虎の子のT33ジェット練習機4機で制空権を確保しつつ、民兵を動員して敵の侵攻を食い止めました。上陸部隊とキューバ側民兵の士気の差は歴然としており、19日午後5時半、革命軍はプラヤ・ヒロンを確保し、2506部隊は撤退しました。

 反革命軍の完全撤退を受けて、4月24日、フィデルはテレビに出演して勝利演説を行いましたが、その中には、次のようなフレーズもありました。

 ケネディは「わが国の海岸から160キロのところで社会主義革命が起きるのを許すことはできない」といったが、我々は海岸から160キロのところに資本主義国家があることに耐えている。
 国が大きいからといって小国との紛争を解決するのに実力を用いる権利があるわけではない。

 プラヤ・ヒロン湾侵攻事件は、“アメリカ大陸における帝国主義の初めての敗北”であり、米西戦争以来、百年の恨みを晴らしたカストロの権威は、キューバ国内のみならず、全世界の反米=左派勢力にとって揺るぎないものとなりました。同時にそのことは、キューバ国内において、カストロに対する異論・反論を完全に封じ込める結果ももたらしています。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、プラヤ・ヒロン事件とその関連の切手・絵葉書も、いろいろとご紹介しております。正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 無事、帰国しました。
2018-06-02 Sat 19:07
      イスラエル展・クリティーク

 本日15:00頃、香港経由で、無事、イスラエルから帰国いたしました。世界切手展<WSC Israel 2018>の会期中、現地では、日本から参加された審査員の佐藤浩一さんご夫妻をはじめ、ご出品者の池田健三郎さん、吉田敬さんをはじめ、多くの方々にいろいろとお世話になりました。現地滞在中、お世話になった全ての方々に、この場をお借りしてお礼申し上げます。冒頭の写真は、会期最終日の31日、出品者と審査員の対話の時間に、僕の作品 Postal History of Auschwitz 1939-1945 の前で、担当審査員の皆さんと一緒に記念撮影してもらったものです。(以下、画像はすべてクリックで拡大されます)

 今回の切手展のメダルは、以下のように立体的なモノで、ユダヤ暦の新年に鳴らされる角笛の上に、エルサレム旧市街をかたどったデザインとなっています。なお、審査員用・コミッショナー用、各賞の受賞者用、すべて同じものでした。

      イスラエル展(2018)メダル

 一方、審査員・コミッショナー等への感謝状、出品者への賞状は下の画像のようなもので、上部にはエルサレム市内のさまざまな名所の写真がデザインされています。

      イスラエル展(2018)記念シート

 また、会期初日にあたる5月27日には、今回の切手展のロゴ入りの切手シートも発行されました。

      イスラエル展(2018)記念シート

 切手シートは、イスラエル第2の国歌ともいわれる「黄金のエルサレム」を題材としたものです。

 「黄金のエルサレム」は、1967年のイスラエル独立記念日の音楽祭の招待曲として、女性作詞・作曲家のナオミ・シェメルが制作したもので、イスラエルの歴史から現代の希望までをカバーした壮大な内容の楽曲です。切手シートには、エルサレムの街並みをバックに、その歌詞が記されています。ちなみに、日本イスラエル親善協会による歌詞の日本語訳は、以下の通りです。

 山々の空気は葡萄酒のごとく澄み
 松の香は 鐘の音とともに黄昏の風にのる
 その内に城壁をいだき ひとりたたずむ その町は
 樹と石がまどろむとき 夢の中に捕らわれる
 黄金のエルサレムよ 銅と光のエルサレムよ
 わたしはあなたの調べを奏でる 竪琴ではないか

 なお、展覧会主催者側の報道資料による歌詞の英訳では、上記の日本語訳の“竪琴”の部分が“violin”となっており、切手のデザインもそれにあわせたものとなっています。

 「黄金のエルサレム」が発表されて間もない1967年6月5日、第3次中東戦争が勃発し、イスラエルはそれまでヨルダンの統治下にあった東エルサレム占領し、東西エルサレム統合の悲願を果たしました。こうしたこともあって、「黄金のエルサレム」はイスラエル国民の間で大いに人気を博し、発表翌年の1968年には、この曲を新国歌とする法案まで出されたほどでした。(結局、同案は否決されましたが)

 今回の切手展は、一義的には、イスラエル建国70周年の記念行事の一環という位置づけですが、現地の関係者挨拶などでは、1967年の“東西エルサレム統合”から50年ということも盛んに強調されていました。切手シートの題材も、彼らのこうした思いを強くにじませたものと理解してよいと思います。ちなみに、この無目打の切手シートは、切手シートの身での販売はなく、切手展のカタログの付録として、3000部のみ発行されたもので、切手上部には3000番までの番号が入っています。

 ちなみに、東西エルサレムの“統合”の問題については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも、関連する切手や郵便物とともに、詳しくご世通名しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。

 さて、今年は、この後、8月にチェコ・プラハでの世界切手展、9月にマカオでのアジア切手展、11月にタイ・バンコクでの世界切手展が予定されています。このうち、9月のマカオ展には出品を予定しているほか、11月のバンコク展ではコミッショナーを仰せつかっており、関係の皆様にはいろいろとお世話になることがあるかと思われますが、引き続き、よろしくお願いいたします。
 

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